しばらく“四方山話し”もご無沙汰していましたが、
ちょっと書かずにはおれない考察シリーズのネタが出てきましたので、
もう辛抱堪らず書きます
先日、狩場山の報告の際に、羆の糞がゴロゴロ転がっている画像をアップ
しましたが、あれは明らかにヒグマが自分のテリトリーに人間が入り込んで
くるのを警戒してのマーキングですと書きました。
さて、今日はその熊の習性と山菜採りについての話題です
この時季の風物詩ともなっている「山菜採り」は、趣味と実益を兼ねた嗜み
として、特に年配者に人気が集まっています。
そんな山菜採り客と登山客、山に入り込むという点では同じだけれど、
一度遭難したり、熊に襲われたりしたときの取り上げられ方には両者の間で
随分と違いがあると思いませんか?
全国で驚くべき数の人が山菜採りをして事故に遭遇しています。
北海道のヒグマだけでなく、ツキノワグマだって襲うんだぁ?という事故が
つい最近も立て続けに報道されました。
その他にも道迷いによる低体温症、滑落などによる怪我はもとより、山で
亡くなるというケースは登山者の比ではありません。
登山と一口に言っても、岩壁登攀を志向するクライマーが転落するなどと
いうケースは別で、そこは登山道を登り降りするものに限って言うと、
登山で死亡に至るような事故の発生率はそう高くないと言ってよいと思います。
登山道で熊と対面したなんていうことも実際にはそうあることではなく、
遭いたくても遭えないのが熊という動物です。
何故こんなに山菜採り客による事故が多いのか・・・
その要因もどうやらはっきりしているのに、自治体はなぜもっと具体的な対策に
乗り出さないのかがよく分からないというのが正直な気持ちです。
要因として挙げられるのは、
装備
知識
体力
の欠如でしょう。
こう考えると登山と変わらない装備や能力が本来揃っていないと危険だと
いうことなのに、何故世間(マスコミ)はそれを求めないのかが不思議です?
(知識の中には、食べられる山菜・キノコとそうでないものを誤食して亡く
なるケースだってあるので安全確保のための知識量はもしかすると登山以上かも?)
何年か前、北海道の沢で転落、流されて発見された死亡事故のケースでは、
ザックの中はタケノコで一杯。他に食料も防寒のための衣類も鈴もヘッドランプも、
地図さえもまったく入っていなかったといいます。
ザックの空間すべてを山菜で埋め尽くしたいと思って山に入ったと言われると、
遺族は亡くなることの寂しさに加え、巷の人の目を気にして生きていかないと
いけません。
こうして観ていると、~の他に、
決定的に登山と違うもう一つの要因があることがわかります。
それはルール(の欠如)です。
登山には、はっきりとしたルールやマナーが存在しています
しかしどうでしょう?
山菜採りのルールやマナーは多少あったとしても、それが守られないからと
いって、強く非難されることもなく今日来ているのではないでしょうか。
むしろ、ルールというか暗黙の了解事である「人に教えない」というのが、
逆に安全性を体系化できないルールになっていると思うのです。
ここまできて、よくよく考えていくとその原因となるものが人間の本性というか煩悩に
根ざしたものにまで行き着くので、とても難しいテーマなのだと気づかされます。
いずれにしても、自分で植えたものでもないものを勝手に貪る行為だからこそ、
ルールを決められない、伝えて行けないということがあるように思います。
の体力の程はわかりません。
どのぐらいの距離を歩くつもりなのか、タケノコ目当てにあの太く背の高い笹を漕ぐ
体力たるや相当なもので、予期せぬ急斜面の登り下りは、たまにやることがあるので
そのシンドさを知っています
だいたい登山道なるものは、熊にはとても申し訳なことに人間が勝手に
「人間のテリトリーにさせてもらいました」という、ある意味人間側のマーキングに
他ならないわけですから、山菜採りでする藪漕ぎは何処であれ、そこは野生動物の
テリトリーにこちらから入っていく行為なわけです。
それなのにそれなのに・・・
熊と同じ食料を貪りに分け入っていくのに、必要な装備がまったく揃えられていない
というのは、自己責任を問われる登山者側からすると「無責任と言われても仕方が
ないのでは」とさえ思ったりします。
深い笹の中で遭難すると最後まで発見されないケースも多く、そういった意味では
捜索者や家族の負担もより多くなります。
山菜は、凡そ無尽蔵にあると思われる資源で、誰もが収穫の喜びを味わえる貴重な
山の幸ですから、それを趣味として長く楽しんでいくためにも装備とある程度の安全ルール
はしっかりと認識させる手立てを考える必要があるのでは?と思います。
その点では、巷の人も山菜採りを趣味とする人に「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」と
同じような標語を作って送り出すのはどうでしょう
「採るなら装備、装備なくば採るな」
う~ん、これだと標語には使えない・・・
そして、特に北海道で登山をする人にかけられる「山は羆が危険ですから気を付けて」
という温かいご心配の言葉は、どうぞ山菜採り客の皆さんに向けてあげてください。
いつも入っている山だから・・・
という過信、これが禁物でしょう
かくいうToshiめも過信することなく、山に入りたいと思います
もう少しその欲望が死をまねく。
ちょっと大げさかなぁ?
いやいやどうしてなかなか良いですよ。
・山菜を・そんなに採って・どうするの?
・山菜を・散々とって・散財し
・山菜は、少しでいいのよ・お爺ちゃん
・三歳児、山菜みても・価値わからん
これは、標語でなくて川柳でしたあ~
まずは早速の丁寧なコメントをありがとうございます。
移動距離に速度などまで添えて頂き、市民マラソンから最近トレイルランニングにフィールドを移した者としてはとても刺激になるお言葉は嬉しいものです。
山での知識やルールなどもまだまだわからないことばかりなので、こちらの様々な記事を参考にさせてもらって少しでも身に付けていきたいと思います。
ベテランと見受けられる管理人様には、出来ればコメントなど頂ければこれ幸いであります。
GWは無意根山の春スキーで下山、下の池辺りでスキーを脱いでケースに収めている時、突然「こんにちは」と山菜採りの人に声をかけられビクッときたことがありました。
着脱に夢中になっていて周りが全くみえてない状態で、人がこちらに近付いてきているのに全然気が付かなかったのでした。
クマに襲われるってこういうときなのかもなとヒヤリとした瞬間でした。
自分は山菜採りはしないのですが、たまに登山道などで見かける採り人たちは確かに「他人に知られたくない」雰囲気があったように思います。
毎年春になると必ず山菜採りがクマに襲われる記事が新聞に載りますが、これは山菜の匂い(アイヌネギなど)がクマを引きつけているのだろうと思ってきました。
しかし彼らのテリトリーに人間が侵入して彼らの食べ物を横取りしてることを考えると、攻撃を受けるのも仕方がないなとも思われます。
先日の余市岳でも登山道のど真ん中に彼らのシンボルがデカデカと置かれていました。(3箇所ほど見た)
クマだって藪漕ぎより道を歩きたいだろうし、そこで用を足し出来ればよそ者に来てもらいたくないと意思表示したいのでしょう。
トレイルランナーがクマに襲われたという話しはまだ聞いたことがありませんが、護身用のOPINELを決して出すことなく山を楽しみたいところです。
(決してクマから逃げる時のために普段から20kmのジョグをしているわけではないので、笑)
自治体は山菜採りに対するルールなど、広報さっぽろなどに載せるべきだと思います。
「クマ鈴と地図がない者は山に入るべからず」
余市岳の報告ではコメントいただきありがとうございました。
つらつらと考えた四方山話しにもお付き合いいただきこれまたありがとうございます。
しかし、やはり皆さん同じように考えているのだなぁ~という思いです。
子供時代に呼んだ太宰治の「蜘蛛の糸」は、いくつになっても考えさせられる、
生きる上での命題で、山菜も独り占めせずに“皆で仲良く・・・”といういう気持ちに
ならないとダメなんでしょう。そう考えると徳が備わっていないToshiなどは、「誰にも教えない」
と言って分け入っておきながら、事故に遭遇したときの自己責任の原則への認識の
ない人は登山者であれ山菜採りの人であれ、「?」と思ってみてしまいます。
採れいるランニングの皆さんも多くなってきました
いつかどこかの登山道でお会いしたいと思います。
あはは~
分かりましたぁ~
せっかく山菜の話題ですから、身内の写真を使わなくてはと思いまして
実は、Amigoさんがザックにウドを一杯にして下っている何処かの山の画像も
挿絵と思って入れようとしたんですが、リアル過ぎてやめました。