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秋の詩 「人のいない牧歌」

2015-09-20 13:36:14 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
日が暖かく、風もなく、爽やかな秋の一日でした。
画像は、大豆の莢がはじける「音」を”自然の生きる音”として感じたくて、
農林水産省HPより引用しました。

今日は、「人のいない牧歌」を取り上げます。
尾崎喜八が、富士見町から八ヶ岳に向かい、「中新田」の方へ行く、その時の心境を詠んだ詩です。


「人のいない牧歌」

秋が野山を照らしている。

暑かった日光が今は親しい。

十月の草の小みちを行きながら、

ふたたびの幸(さち)が私にある。


谷の下手(しもて)で遠い鷹の声がする。

近くの林で赤げらも鳴いている。

空気の乾燥に山畑の豆がたえずはじけて、

そのつぶてを受けた透明な

黄いろい豆の葉がはらはらと散る。


この冬ひとりで焚火をした窪地は

今は白い梅鉢草の群落だ。

そこの切株に大きな瑠璃色の天牛(かみきりむし)がいて、

からだよりも長い鬚を動かしながら、

一点の雲もないまっさおな空間を掃いている。


<自註 富士見高原詩集より>
【自註】==================
喜八自身が自分の詩に註釈を施し、
或はそれの出来たいわれを述べ、
又はそれに付随する心境めいたものを告白して、
読者の鑑賞や理解への一助とする試み。
======================
「人のいない牧歌」

もう一と月にすれば寒さがやって来る事を知りながら、
またそれだけに、こんなに日の光が暖かく、こんなに風も無く、
こんなに爽かに晴れた高原の秋の一日が本当に嬉しい。

何か貴重な賜物であるような気さえする。

私は森から緩やかな道を登って中新田のほうへ行く。
そして広い水田の多いその村を抜けてなおも八ヶ岳に近づくように登って行く。

するともう富士見の町やその向こうの幾つかの村落も遠く見おろすように低くなる。
私が好んでしばしば訪れるこの高みは山の畑で、多くは大豆が作られている。

其処の柔らかな草原に座って煙草を吸いながら日なたぼっこをしていると、
秋の真昼の底知れない静けさの中で時どき何かパチリと音がする。

気をつけて見ると畑の大豆の莢が裂けて実がはじけているのである。
なおも耳を澄ますとその音は方々でしている。
そしてはじけて飛んで豆粒が当ると黄色くなった豆の葉がはらはらと散るのである。

これは私にとっては実に初めての見ものだった。
こんな美しい事がひっそりと無人の境地で行われていようとは想像もしなかった。

しかも曾て自分のした焚火の跡の梅鉢草の花の白い群落と、
切株にとまって長い鬚を動かしているただ一匹のカミキリムシ。

これは正に一つの秋の自然の牧歌であって、なまじそれを味わっている
人間の存在などは無い方がいいくらいのものだった。


*この秋が、皆様にとって、豊かな秋となりますように。(光夫天)



*男声合唱曲集『八ヶ岳憧憬』Ⅳ「人のいない牧歌」 作曲:多田武彦
初演データ
演奏団体:紐育男声東京合唱団 指揮者:澤口雅昭
演奏年月日:2014(平成26)年3月15日(土)
紐育男声合唱団 第21回定期演奏会(於 一ツ橋ホール)


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