ここでケイシー・リーディングと易の興味深い共通点を採り上げてみたいと思います。 ある意味、この世の根本を為す共通項です。 ここでも今まで気が付かなかった一致を見出す事となりました。
まずはケイシーの述べるエーテルの概念について簡潔に述べますと、
「エーテル(Ether)は、我々のより高い世界の化合物であり、それが我々を形而上の世界に導き、全ての原子は一つであるとの認識に導く」
とあります。 他にもまだまだエーテルに関するリーディングはあるのですが、今回はもう一つ、私が研究している易の分野から抜粋してみたいと思います。 この本は、以前大森先生の正食医学(マクロビオティック)の陰陽五行説を研究するために購入したものです。
【気・易・医の相関研究】 〔諸子百家と中医学の気論〕
気の思想は中医学の源であり、古代人の気の思想かが分らないと中医学の本質を理解することも不可能である。 気の歴史は長く、その内容は森羅万象の多岐にわたっている。 皇甫謐が書いた 『帝王世紀』 には、「伏羲(7000年前)は・・・八卦を創り・・・百薬を試し、九針を制した」 と、上古時代の人が既に気を感知、認識し、それを禍福の予測や病気の治療に使っていたと記されている。 又、気は中国文化とも深く結びついている。
「気」 は、宇宙又は宇宙を超越した大きなモノから元素よりも微小なものまで、大変広い範囲にわたっている。 生命体から無生命体、国の運勢から民衆の願望、肉体から精神まで・・・という具合である。 菅子(前7世紀)は、気を、「小さいといえばそれより小さいものはないが、大きいといえば上限はない」 と解釈している。 気は一つの専門体系に収まりきるものではないのである。
春秋(前8~4世紀)・戦国時代(前5~3世紀)にかけて活躍した諸子百家は、気を解釈しようとした。 その中には医家も含まれている。 彼らは、その変革の時代をどのように導くべきか、どう生きるべきかという問題について、それぞれの立場から独自の説を打ち立てた。
~~~~~~~〔抜粋ここまで〕~~~~~~~~~~~~~
上記抜粋の、中国で使われる ”気” という言葉を、 ”エーテル(Ether)” と置き直したら、全ての答えが解けます。 森羅万象にゆき渡っている、定義の難しい、目に見えないナゾの物質。 万物はこれにより成り立ち、常に移り変わり、一つとして同じモノはない。 強い念(思考・イメージ)により物質化したものは、最後は必ず崩壊する。
易もケイシー・リーディングも、ひふみ神示も、この事を違った言語で表現してるに過ぎません。 突き詰めればものすごくシンプル。 しかし、深遠なことこの上ない。 シンプル且つ深遠。
まさに、“今” の私が目指している境地です。
本日ちょっと忙しいので、続く…