建国記念日(2月11日)の今日、早いものであと一ヶ月であの大震災(3月11日)から一年が過ぎようとしています。 あの大震災は日本だけでなく、世界全体の流れを大きく変えましたが、私自身もあの大震災で人生が大きく変わった一人です。
私はあの大震災の時は、東京の大森駅からバスで行く大井ふ頭の倉庫の4階で派遣で働いていました。 揺れ自体は確かにあったのですが荷物が落ちる程でもなく、もともと東京は地震が多いのでそうたいした事とも思わなかったのですが、まさかそれから東京中の電車がストップするとになるとは夢にすら思わず、更に9時間立ちっぱなしの肉体労働をした足で、今度はアパートがある横浜まで約15kmの距離を歩いて帰えらねばならなくなるとは夢にすら思いませんでした。
今でもその時の光景はよく覚えています。 最初は大きな道路を行とけばけば何とかなるだろうと15号線に出たら、サラリーマンやらOLさんやらがまるで民族大移動のように歩道中をゾロゾロと歩いているのです。 この時初めて 「コレは大変な事になった・・・。 ただでは済まないなーと」 と思いました。
携帯もストップした状態でしたから、周り歩いている人の話を聞きつつ横浜に向けて歩き始めました。 元々散歩を趣味としていましたから歩くのは全く問題なかったのですが、やはり9時間の肉体労働をした足で15km以上の距離を歩くのは先が思いやられました。
しかし、それでも歩くしか選択肢がない。 とにかく頼りになるのは自分自身のみ。
歩きながら感じたのが、皆さん果たしてこれが日本民族の特性なのか、それともタダの平和ボケなのか、こんな大変な事態のもと、歩きながら談笑っているのです。 まー東京は東北と違って、直接の被害を受け都市機能が完全マヒしたわけではなかったので、電気とかは一部停電程度で普通に動いてはいたのですが、それでも普通の事態でないのは察しが付きました。
途中のコンビニではモノが殆ど無くなるぐらいの混雑みようだったにも関わらず皆さん整列して順番を待っている光景がところどころ見られました。 途中の駅でも来るか来ないかのバスを整列して順番待ちしている光景も目につきました。
恐らく、これだけの事態になると、他の国だったら順番割り込みやモノの奪い合いあとかで喧嘩や怒声があちこちで上がっているはずなのに、私が帰る途中では一回もそういった光景を見かけたことはありませんでした。 黙々と歩き続けているか、友人・知人と談笑しながら帰っていました。
お金のあるサラリーマンの方は自転車を買っている人もいましたね。 あの時、東京中の自転車屋から一斉に自転車が消えたという話も聞きます。
結局、私がかえりついたのは夜中の1時で、約7時間かかりました。 道を知っていればもう一時間ぐらいは早く帰りつけたのですが、途中迷ってかなり遠回りしてしまいました。 初めての徒歩に加え夜中でしたから、迷いまくりでした。
初めての道を歩きながら、迷いながら歩き続け、精も根も底を尽きかけようとしている時、普段散歩に使っていた道に出た時は思わずガッツポーズを取りました。 それから帰りついて家の中を見たら、予想よりも遥かに被害はなく、積み上げていた本が飛び散っているぐらいでした。
まー家にモノが殆どなかったのも幸を奏しました。 ガラス系の家具もなかったですし、食器も一人分しかなかったので壊れるモノがありませんでした。 それからゆっくり風呂に浸かって寝ました。 家と風呂の有り難さを身に染みて感じさせました。
翌日はほとんどの電車が止まっていて、それから2、3日は仕事は完全アウトでした。 週払いの派遣でしたから、休んだらお金が完全に入ってきませんでしたからその後は大変でした。
沖縄に引っ越した時も、知恵とクレジットカードをうまく使ってなんとか凌ぎましたが、最後は万策尽き、完全にお金も尽きて実家に帰るハメになりました。
ですが、今となってはよい経験が出来たと思っています。
本日の呟きにて失礼します。