ゾロアスターは謎に包まれた人物です。
彼が生きた時代も定かではありません。数百年もの諸説があります。
文献は残っているようなのですが、今の時代もう誰も解読できかません。
そんな状況でどうやって知ったのかはわかりませんが、
19世紀のパリの魔術師、エリファス・レヴィはゾロアスターについてこう述べています。
当時、陰と陽の二人のゾロアスターが存在した。と。
一人はアフラ・マズダの子供で真の太陽信仰。
一人はアンラ・マンユの子供で偽の太陽信仰(牛頭黒魔術)。
この時の陰陽(善悪)の闘いは壮絶であったと思います。
その闘いは雛形として現代に至るまで様々なところに転写していると思われます。
この時は、アンラ・マンユの偽太陽信仰は闘いに破れ、人々の深層深く隠れたようです。
それから何百年(何千年?)たったあと、それぞれの系譜を引き継ぐ二人の人物が誕生しました。
のちにイエス・キリストと呼ばれる二人です。
悪魔72柱と契約したイスラエル国王ソロモンの家系から、魔王の子イエス・キリスト。
ゾロアスター教(太陽)系譜のユダヤ教から黒髪黒眼のイエス・キリスト。
前回の二人のゾロアスターの闘いで残された課題を抱えての再対決でありました。
太陽の子供の今回の挑戦は、闘わず赦し受け入れることでした。
前回の壮絶な闘いで、唯一残された課題でありました。
闇の子供の今回の挑戦は、人間の自我に巧妙につけ込む知恵でした。
人々が神に近づけば近づこうとするほどハマる落とし穴でした。
黒髪黒眼のイエス・キリストは自分の命と引き換えに「赦し」という人類の共通意識に溶け込みました。
おかげさまでこれを読んでいるあなたの心の中にも、これを書いている私の心の中にも、イエス・キリストの赦しの心があります。
しかし一方で、闇の知恵も私たちに巧妙に入り込んできました。
自分の心の中や自然に偏在する「真の神性」を信じることなく、
特定の個人(イエス・キリストなど!!)を崇拝する宗教を、多くの人類の心に蔓延させていきました。
つづく
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/1d/9cc58a320aca8755f493a544d179bab6.jpg)
私は赦しているのに、なぜ私は赦されないのか?
自分を信じるということが、神に触れる唯一の道であるのに、自分に対する赦し、を外に求めてしまう。
今ここに生かされていることが恩寵の全てであるのに。赦し、であるのに。光を見失いがちになるのは、自分が目を閉じているからにほかならないでしょう。目をあけてうっすらとでも、光が指す方へ、心静かに歩いていこう思います。
ありがとうございます。
自分(の心)を大切にすることが相手をも大切に思えると今生で気づけて努力出来るのは幸せと思います。
自分の中にも尊い共有意識があることが有り難い。自分を信じるのは神様を信じることでもある。不器用でもそれを意識して生きられたら結果はどうあれ十分です。
今回のシリーズも深く教わることがたくさんで楽しみにしています。
日々ありがとう御座います。
ただ検索キーワードを探すのは、他の人より少しだけ得意かもしれません。ただそれは「しつこさ」の結果であると思います。
ネットで収集した情報は、記事にする場合は必ずソース元までたどりつきます。トンデモ系やスピ系のブログでは、ソースを確認しないでネット上の噂を元に記事を書いている人が少なくありません。私の中ではソースが見つからない情報は掲載しないという鉄則があります。
このようにネットから収集した個々の情報ですが、一見関係なさそうな2つに共通点があることがあります。この発見がこのブログを書く一番の喜びです。ただこの考察の部分は私の個人的な見解であります。正解であるわけではありません。みなさまのオリジナルな考察にお役に立つ一つのネタになれば良いなと願っていおります。
これはもう、勘みたいなものです。私もたま~~にはそういう勘に恵まれることもありますが、めったに得られるものじゃない。
これは才能です。としか言いようがない。
そういう意味で、まるぞうさんは天才です。
光あるところに影がある まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった 命をかけて歴史をつくった影の男たち だが人よ 名を問うなかれ
真の太陽信仰のゾロアスターさんは、「笑いながら自分の胸に剣を刺した」とかなんとか読んだ覚えがありまする。壮絶ですね。
信ずるべきは、内在神と、ご先祖様。外に目をむけさせるのは、魔のやり方ですね。