かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.25グランキューブ大阪

2006-11-08 10:00:00 | 2007年までのライブの思い出

23日早いけれど25日26日の倉木さんの大阪ライブに備え大阪入りすることにした。当日は夜のうちからいろいろと準備をして眠り、出遅れ気味。時間に余裕があれば、名古屋から近鉄で行こうと思っていたが、余裕がなくなり、結局新幹線で新大阪まで行く。乗り換えて地下鉄御堂筋線で心斎橋まで行く。車内のアナウンスがまたまた。鉄道会社のアナウンスをする社員というのは悪質だね。ホテルはハートンホテル南船場。チェック・インし、本を読んだり、パソコンをやったり。

夜はホテルのあかつきという店で飲食。皮せんべいと鴨のうどんがおいしい。飲み物の自販機も各フロアにあるらしい。便利。朝はバイキング。24日はhill'sパン工場の三休橋店に行く。ホテルも三休橋筋。僕はこの店が本町にあることはホーム・ページで知っていた。御堂筋線の本町は何度か利用している。淀屋橋も何度か利用している。岸和田のときはホテルが淀屋橋だった。近くを歩き回った。要するに僕は今まで三休橋店の近くを何度か通っていたらしい。しかし盲点になっていた。淀屋橋のホテルからでも歩いて近いのに三休橋店が近くにあることが思い浮かばなかった。この点がまだ僕の大阪の地理に疎いところか。駅を中心に移動するので駅単位に街を見てしまう。隣の駅から見ると歩いてどうかという視点が不足している。

hill'sパン工場の三休橋店ではパンを幾つかとドライカレーアイスコーヒーを買う。ドライカレーはいまいち。べチャッとしている。エビとアボガドのサンドはよい。中之島の大阪市役所の近くで食べる。蚊が多い。ここにいると犬を連れた人、外国人、男女、集団観光客など東京でもよく見かけるような僕の周囲をうろうろする人たちを見かける。そこに行く前の公園では美人の女子高生もいたが、カップラーメンのようなものを食べている。わざとなのか。気にしすぎか。でも多いから、こういうこと。

ホテルに戻る。夜は心斎橋のアーケード街の三田というカレー屋で食事。気立てのよさそうな女性店員だった。顔などは美人だったとしても僕は大体すぐ忘れる。他の人と区別できなくなる。僕は人の顔を覚えるのはすごく苦手である。ホテルでは有線が面白いので聴いていた。客は変な客もいる。疑り深い面もあるが、わざとらしいやつも多い。

25日は朝食事の後外出せず、ずっと部屋でブログを書いたり読書したり。午後5時を回り、ホテルを出る。長堀鶴見緑地線で西長堀、千日前線で阿波座。駅を出てインドカレーの店で食事。グランキューブに行くのは今までは梅田から肥後橋経由だった。今回はじめて阿波座経由。地理に不安はあったが近いので簡単にたどり着く。この辺も所々食べるところがある。

会場に着くともう開場時刻になっていて整列はなく、並ばずすぐ入場。グッズ売り場でゲルマブレスを買おうと思ったが売り切れだそうだ。ライブの席はCb列。ライブはまずまず。ライブが終わるとアンケートを書き帰る。あみだ橋筋というとおりを通る。妙な女がグラビアを見せようとしたり、いやな感じ。食べるところはあったが、ホテルのあかつきが深夜までやっているようなので、ホテルで食事をしようと考える。中央線に乗り、本町乗換え心斎橋。ホテルのあかつきは入り口にもうCLOSEDと書いてある。夜10時くらいか。仕方なく近くのampmでおにぎりお弁当飲み物を買ってくる。ホテルで食事。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.20東京国際フォーラム ホールA

2006-11-08 04:35:00 | 2007年までのライブの思い出

2006年の倉木麻衣さんのライブ、いよいよ終盤東京である。僕は東京在住なので自宅でゆっくりしていた。ツアーに行くと結構疲れる。ホテルだと十分疲れない。疲労回復したようでいて不十分。自宅だとぐっすり眠れ、疲労回復度も高い。

午後買い物をする用事があり、上野の無印良品へ行く。いくつか買い物。その後アメ横で買い物。ルノワールで一休みする。先々の再就職活動その後の転居について情報誌を幾つか集める。そこで目を通していた。宗教系のうるさい女性団体がいて、時間も5時を回り、そろそろ会場に行こうということで、店を出る。出ると若い男がこちらを見ている。僕は相手を知らない。相手は僕を知っているようで、待ち伏せしていたのか。よくあること。事情がわからない。誰なんだよ、あんたは。

自分の身分を明かせよなどというと、いまどきの日本人は、僕に対し身分を明かせなどといってくる。僕が誰か知っているくせにただ僕に対しやり返したいという気持ちだけでそんなことを言っている。相手は僕を知っていて待ち伏せしているんだ。僕は相手を知らない。身分を明かすといっても僕が相手に身分を明かすのと相手が僕に対し身分を明かすというのでは、その意味がまるで違うではないか。ただ僕に対しやり返そうとする人間はその点を区別しようとしない。そんな人間が今の日本に多いこと。

有楽町駅まで行く。南側の無料求人住宅情報誌がおいてあるところに行き、いくつかもらう。それから東京国際フォーラムホールAに行く。ホールCの近くだと思うが、そこから地下に行く。トラックの運転手とばったり会う。一緒に歩くが、僕は歩くのが遅くて一苦労。入場の整列は行われていた。入場し、グッズのゲルマブレスを買おうと思ったがお客が多いので帰りにしようと思った。席に行く。1階席44列61番。この会場で1階席は久しぶり。2003のMai&Experienceライブ以来3年ぶりの東京国際フォーラムホールA1階席。ここはファンクラブでチケットをとっても2階席が多かった。今回はイープラス。単に前かどうかでいうなら、僕の場合ファンクラブよりは、ぴあやイープラスのほうが席が前になるかもしれない。

でも僕の席の好みからするとやはり各階の最後列が多く、たまに前のほうというのがいい。来年以降はライブに行く回数は減らす予定。回数が減ると前が多めがいいかなという気もするが、とにかくライブが観られることが一番。席はその次。今年の輪島はびっくりだった。

ライブはまずまず。盛り上がりとしては少し予想外な面はあるが、でも結構よかった。ライブが終わり外に出る。やはりグッズ売り場は人がいっぱい。ゲルマブレスは大阪で買うことにした。もう出待ちのファンがいっぱい列を成している。すごい人の数。花輪を見て僕は地下に降り、そのまま有楽町のウェンディーズで食事。隣に頭の悪そうな馬鹿が来て携帯電話で話をしている。大きな声。まともな人間はこういうことはしない。愚劣な人間のやることだ。生きる価値ある人間が、わざとらしく他人のそばで大声で携帯で話をしたりするだろうか。するはずない。この男に生きる価値がないことははっきりしている。愚劣な人間が自分に自信を持つとこういう愚劣な人間になって他人に迷惑ばかりかけるようになる。今の世の中こういうやつが多い。政治のせいか。教育のせいか。それ以前にこの人間自体がだめなのだろうけど。

有楽町駅に戻り、自宅に帰りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.18仙台サンプラザホール

2006-11-07 11:55:00 | 2007年までのライブの思い出

札幌から特急。函館から特急。八戸から新幹線。仙台着。午後3時半くらい。昨年の倉木さんのライブ以来の仙台。宿泊先は、ホテル昭和。仙台で宿泊したことのあるホテルはここともう一箇所。ここのホテルも以前駅のところの案内所で紹介されたもの。アーケード街に面している。ホテルに入り読書。夕方外出。駅のカレー屋でポークカレーを食べ、みちのくという店で、正宗天丼を食べる。ちょっと飲みたい気もしたが、我慢。またそのうち飲もう。でも最近飲んでいない。函館で生ビールを2杯二日連続で飲んだ程度。函館の駅に着いたときにも駅の食堂で白ワインの飲み物を1杯だけ飲んだ。山形でさくらんぼのワインを小瓶一本飲んだ。ここの所大して飲んでいない。よいことですが、たまには飲みたい気がする。

ホテルに戻る。読書。翌朝ホテルで朝食。和食。昼ごろ外出。ケンタッキーに行く。アエルのビルの横に座って時間をつぶす。それからコーヒー屋2軒でコーヒーを飲む。ホテルに戻る。夕方5時半からライブに行く。ここからだとJRあおば通駅が近く、仙台、榴ヶ岡と二駅で降りるとすぐそこが仙台サンプラザ。Mという歌手のコンサートで僕が始めてこの会場に来たときもうずいぶん前になるが、まだ仙石線の榴ヶ岡駅など地上にあった。久しぶりで迷いそうになるがすぐわかる。覆面男とピンクの女。人権侵害主義者か。しつこい。会場到着は6時を回っていた。

今日の席は1階K列10番。倉木さんが単独ライブ通算100回を迎えた記念すべき会場だったけれども、3階席など空席が目立つ。ファンも高齢化しつつある。学生だったファンが社会人になり、独身だったファンが結婚、出産。ライブにたくさんは来にくくなる。固定ファンも少ないか。でも倉木さんはよくがんばっていると思う。アーティストが歌を続けるのは難しい面もあるだろう。でも倉木さんにはあえて続けてほしい。音楽的にはもっといろいろな挑戦もあっていいと思う。

ライブはまずまず。倉木さんは駅のところのアーケード街に触れている。行ったのかな。昨年倉木さんは仙台でアーケード街を歩いたのだけれども、仙台はアーケード街が複数ある。こちらだったのかな。会場を出るとトラックの運転手と会う。夜行バスで帰るそうだ。僕はアンケートを書き、外へ。やはり帰りは榴ヶ岡駅からあおば通駅に向かうことにする。そば屋でごぼうそばを食べる。コンビニによって牛丼とサンドイッチを買い、ホテルへ戻る。

夜遅く倉木さんのブログがアップ。僕もブログを書く。翌朝、ホテルで朝食。結局10時近くなってチェック・アウト。駅で牛タンのお弁当を買う。そういえば倉木さんも牛タンの話をしていたな。倉木さんは結局牛タンを食べたんだろうか。僕が乗った新幹線はMAXやまびこ。久しぶりに2階建て新幹線。今年は初。ツアーももう終わりに近いし、今年はもう東北には来ない予定。来年の倉木さんのライブは、仙台はどうしようか。東京に就職すれば、行きやすいところだけれども。

まあ仕事が決まって、来年のライブのスケジュールが決まったら、考えよう。お昼過ぎて上野駅着。自宅へ帰る。自宅近所のコンビニの前でまた目立ちたがり屋人権侵害主義の若い男。うっとうしい。不在中ファイナルのチケットが届いていたようです。ファンクラブの会報25号も到着。ライブのリポートがあり、僕の見ていたのとは違う視点で書かれている。これについてもいずれこのブログで触れてみたい。

残すところ今年の倉木麻衣さんのライブは4公演。いよいよラストが近づく。感じることがいっぱい。万感の思い。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.16札幌市民会館

2006-11-07 09:31:00 | 2007年までのライブの思い出

午後1時台に札幌着。帰りの切符を買う。ホテルは第2ワシントンホテル。チェック・イン。なぜここのホテルなのかと追及する人間がいたようだ。何でそんなことで干渉されないといけないのだろう。僕は過去札幌では宿泊先を探すのに結構苦労していた。昨年は駅のところの案内所で紹介してもらったら満室で空きがないと断られたほどだ。札幌なんてホテルがいっぱいありそうなのに。

案内所と契約したホテルが少ないのか。でも、携帯サイトでもほとんど見つからなかった。結局カプセルホテルに宿泊。札幌で唯一普通のホテルに宿泊したのが、昨年、倉木さんのラジオ・キャンペーンで札幌に来たとき。そのとき駅のところの案内所で紹介されたのがここのホテルだった。その程度のこと。でも便利もよかった。ただ、前回昨年来たときはここのレストランは夜も営業していたのに今回は営業していなかった。当てが外れる。昨年がこうだったということで予約すると昨年とホテルのサービスが違っていることがある。このホテルはまさにそのパターン。

ホテルの部屋に入室してすぐ、電源を入れる。いきなり、テレビがつく。またゴルフをやっている。僕の学歴がらみでないといいが。僕の学歴がらみだと事実無根の嫌がらせ。何でこういう噂が広まるんだろう。しっかりした証拠なんてあるわけないのだから、僕の学歴に関するデタラメな噂を流すほうも流すほうだが、真に受けるほうも真に受けるほうだ。北海道はやはり集団による一個人攻撃が好きな土地柄なのか。昨年北海道北部を回ったとき、名寄だとか、稚内、紋別、網走、釧路などを回ったとき、別に印象は悪くなかった。札幌は少し印象が悪かった。同じ北海道でも違うということか。小樽も悪くなかった気がする。印象が悪いのはやはり札幌か。今回の函館もイマイチだが。稚内に行くとき、特急で行ったが、旭川で降りた若い客は態度があまりよくなかった。すると北海道は札幌が一番悪く、函館や旭川が少し悪く、それ以外の北海道は悪くないということか。理由がわからない。

地下街のお店で夕食。なんとなく東京でも見かけるような店が多く残念。でも中華園でバターラーメン、おのカレーでラムカツカレーを食べる。ホテルに戻る。16日。朝はホテルでバイキング。そろそろバイキングでないほうがよくなってきた。バイキングだと飲み物がいろいろあってよいが。そういえば以前名寄に宿泊したとき、牛乳がすごくおいしかったことがある。乳製品も北海道の特長か。お昼前にホテルを出る。札幌では来る度によく映画を観る。札幌シネマフロンティアで、駅のところにあり、もう何度も利用した。そういえば昨年来たときかな、そのとき観たのが、「チャーリーとチョコレート工場」。今回は、「ワールド・トレード・センター」。面白かったけれども、後日ある作品評を見るとやはり僕の理解はかなり不足しているようで、この点は僕の映画に対する理解不足だろう。

時間が中途半端で観る作品は1作だけにした。ワンフロアしたのオムレツ屋ポムの樹でオムライスを食べる。ホテルに戻り、ブログも書く。5時半くらいになり、会場に向かう。

会場に行くともうレギュラーファンも多数。入場整理中。僕の席は1階ち列50番。ちょうど席が曲がりかけたところで意外と立つと見にくい。立ちにくい。席も前のほうが開いている。オーケストラピットのないNHKホールか、昔の大阪厚生年金会館のような感じ。なぜなんだろう。この会場近いうちに取り壊すそうだ。耐震問題もあるようで、しっかりしたものを建ててほしい。ライブは結構盛り上がっていました。倉木さんは二条市場に行ったようです。路面電車の話もしていました。僕は二条市場は知らない。路面電車は以前全線に乗ったことがある。倉木さんは時計台のところの雪だるまの話をしていました。2002から2003年のライブのときの思い出話。僕はそのライブ札幌には来ていない。倉木さんにとっても懐かしいいい思い出なんでしょう。雪だるまのマークのホテルもあるよね。

ライブが終わり外へ。レギュラーファンと少し話をして帰る。途中でパンを買う。札幌も居酒屋・ラーメン屋など一部を除くと駅近くは店の閉まるのが早いのかな。駅の前の地下街のお店は21:30で閉まるところが多い。コンビニはあちこちにある。なか卯は22:00までのようだ。札幌は倉木さんが楽しみにしている街のようです。でも僕は今度札幌に来るのはいつになるかな。僕を取り巻く現状は決して楽観的ではない。僕に関して事実無根が好きな人が多いから。

翌朝は移動時間も考えて少し早く札幌を出ました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.13七飯町文化センター

2006-11-07 04:30:00 | 2007年までのライブの思い出

大曲のホテルで調べると秋田経由だと列車が少なく、やはり盛岡、八戸経由で北海道に移動したほうが電車の接続がいいように思う。朝大曲から新幹線こまちで盛岡へ。立ちっぱなし。車窓の景色がとてもよい。盛岡から新幹線はやてで八戸へ行く。これも混雑立ちっぱなし。車窓の景色がよい。八戸から特急白鳥に乗り函館へ。途中青森まで混雑で立ちっぱなし。車窓の景色がよい。もっとゆっくり景色を楽しみたいところ。青森で多数のお客が降りる。サラリーマンが多そう。いつもこうなのか。

青森からやっと座れたので車内の弁当を買い、食事。ぐっすり寝てしまい、起きたらもう北海道。右手に海岸が見えてよい景色。僕は冬の北海道は知らないけれどどんな感じなのかな。海岸に近いところに家がある。函館には午後2時くらいに着く。僕は過去に2回くらい函館に来ている。よく競馬で函館に行ったんだろうというようなくだらないことを言われるが、僕はもともと中央競馬では現場派ではないし、僕は中央競馬では中山競馬場にしかいっていない。そういうと郵便局時代、中山美穂のファンだろうなどと小包受託業のくそばばあがデマを流していたものだった。僕は中山美穂のファン歴はない。

最近競馬をやらないので全く曜日に無頓着だったが今回は競馬開催日と僕の函館滞在が重なるらしい。競馬なんて最近ご無沙汰なので気にもしていなかった。以前函館に2回来ているが、いずれも当時応援していた歌手のライブが札幌や青森などで行われその途中にちょっと立ち寄った程度。過去函館の際一泊したことがある。サウナだった。前回函館に来たときはおそらく1999年で、その年は当時応援していた歌手が、札幌、十和田、湯沢、花巻という順でコンサートをやっていった。札幌と十和田の間に1日あいた日があり、その日に函館観光をやったもの。市電に乗り、湯の川のほうの海を見て、逆に函館山のロープウェイに行ったけれど風が強そうで乗らずに帰ったもの。

そのとき以来の函館、久しぶりで駅が変わっていた。こんな感じじゃなかった。でも前回来たときも駅のところで海鮮の丼かラーメンか何か忘れたけれども、そういうのを食べたはず。だいたい街の様子はわかるけれども駅周辺が全く違う。到着してまず駅ビルの上の食堂で食べる。駅を見てまわる。こんな駅じゃなかった。ホテルはニューオーテ。駅から近く見える範囲にある。チェック・イン。夜はそのホテルのレストラン寿樹たけうちで食事。

10月13日。昼前外出。どんぶり横丁で食事。ツボダイを焼いたものとイカの刺身の定食。これがなかなかおいしい。げそは微妙に動いている。駅のところでうろうろする。ファン二人に話しかえられる。一人は松山で話しかけられた。東京・青梅の人。もう一人は、僕を輪島で見たそうだ。そういえばなんとなく記憶がある。話をしていると東京・青梅の人は妙なメールが来たようだ。僕はいまシークレットにしてあるからこないが以前はよくあった。しかしその内容。このファンも背後に何かあるのか。なんとなくわざとらしく感じる。疑いすぎか。でも今までが今までなので安心はできないが。倉木のファンで僕に接してくるのはこういう連中か、何か挑発してくるやつか、付きまとうやつ、待ち伏せるやつ。うんざりしてくる。

駅の売店でポッキーや羊羹など買って食べる。またどんぶり横丁に戻り、今度はラムのスープカレーを食べる。ホテルに戻ることにする。途中、何か決まったかなどと話しかけてくる男がいる。悪質な人権侵害が好きなのだろう。函館は昔からこういう街なのか。誰かに妙な情報を流されたのか。ホテルで読書。列車の時間を待ちホテルを出て七飯に向かう。函館からは近い。電車での260円。距離でも11~12キロくらいか。駅から会場まで1.3キロくらい。タクシーで行く。会場に到着。ここは遠来のファンは少ないかと思ったけれど僕が気がついた範囲でも10名以上は遠来のファンがいるようだ。もっといるかもしれない。

 僕の席は1階F列。6列目。ファンクラブでとったもの。ツアー後半で前のほうの席が一度はほしいということとチケットがファンクラブでないと取りにくいのではないかと思われたのでここの会場をファンクラブでゲット。席はまずまずよかった。ライブもまずまず。倉木さんは函館の夜景を見たようです。僕も倉木さんと一緒に見たかった。

 ライブが終了し、僕は駅に向かう。道に不安があったけれど見当をつけて歩いていくと意外にわかりやすい。駅に右折するところは表示が出ている。駅に着くともう数人先についている。午後10時を少し過ぎて、函館行きの電車。函館についてから、コンビニで買い物をしてホテルへ戻る。

 

14日。本当はこの日に札幌に行ってもよかったが、ホテルの予約の都合でもう一日函館に滞在することになり、予定を考えたけどやはり以前から行って見たいと思っていた大沼公園に行くことにした。電車が適当な時間になく特急で大沼公園へ。イカスミアイスを食べる。以前倉木さんはイカスミアイスを食べたそうだが、食べてみると結構おいしい。生臭い感じはない。そのまま歩くとお店のばばあが「ごめんなさいは?」などと突然言ってくる。身内の人間に言ったのかもしれないが、僕は時々よくわからない状況でこういうことを言われるのでむっとしてしまった。気のしすぎか。

沼の島を巡るコースを歩く。やはり歩いてもたいしたことはない。ある程度距離を置いて大きく見渡すほうが景色がよい感じ。通りがかるアベック。家族連れ。なんとなくわざとらしく、わざとらしさを見てもらいたいのだろうか。考えていることのレベルの低さが垣間見られ、どこかの悪徳宗教だろうか。僕は歩いている途中に左足にまめができたらしい。結構痛むので休み休み歩く。元のところに戻り、今度は遊覧船に乗る。写真撮影の男がわざとらしい。みんなで個人攻撃が好きなのか。北海道らしさか。

景色はよいが、なんとなく居心地の悪さを感じる。でも結局遊覧船の中でもほとんど寝ていた。遊覧船を降り、大沼公園駅に戻る。途中、とうもろこしを食べる。とうきびと書いていなかった。帰りも時間の都合で特急。ある意味観光地化された大沼より、小沼のほうが魅力的な気がする。足を痛めなければ歩いてみたかった。函館駅に着く。札幌が一番人気だとか、どんぶり横丁がどうしたとか、よくわからないことをほざく親父がいた。地元自慢か。日本ハムも優勝したし。

僕は歯が少し痛んできたので薬局でバファリンを購入。まるこめという店で食事。チャーハンと塩ラーメン。途中からテレビでゴルフ。別にゴルフをやっても悪くないけれども、僕は郵便局員時代、ゴルフと学歴問題で、デタラメな噂を流されて苦しい思いをしたものだった。この店の人はそのことを知っているのか。郵便局よりなのか。もしそうならひどいものだが。

ホテルに戻る。ちょっと面白い形のホテル。夕食もこのホテルのレストランをまた使う。値段は少し高目かもしれないが、ボリュームたっぷり。おなかいっぱい。翌朝は9時台の特急に合わせてホテルを出る。函館に来るのは次はいつだろう。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.11湯沢文化会館

2006-11-07 04:29:00 | 2007年までのライブの思い出

山形の翌日は普通電車で湯沢に移動することになった。少し早めにホテルを出る。駅はそばなのですぐ行ける。今日は湯沢のライブだけれども宿泊先が湯沢でとれず大曲のロイヤルホテルの宿泊予約。切符は大曲まで買う。普通電車に乗る。車窓の景色が面白い。ワンマンカーで年輩の女性が降り方がよくわからず、戸惑っている。ワンマンカーなんてかえって都会の人のほうが戸惑いそうな気もするが、この年輩の女性たちもワンマンカーに乗りなれていないのか。きちんと調べもしない女性たちも女性たちだが、ふてくされて「ゆうとおりにしないからだ」などといっている若い男も男だろう。ワンマンカーの降り方を間違えたくらいでなんで悪態をつかれなきゃならんのか。殺伐とした世の中。しかもこういう指摘をすると指摘をした側が攻撃される。加害者擁護全盛時代。まともな人間は苦労が多いだろうね。そういわれても喜ぶ気にはならないだろう。

電車の中で態度の悪い客もいる。すいていたから問題なしか。でも態度が悪い。僕は以前からそういう指摘を何度もやってきた。結局僕のほうが悪者にされるだけ。ずっとそうだった。

新庄駅で少し時間が空き、ばったりトラックの運転手とウェーブの人に会った。外で食事。ならま食堂というところがある。すりばちラーメンというのがあるのでそれを食べる。どうもトラックの運転手とこのウェーブの人もよい人なのかもしれないが、何か背後に情報を持っているらしい。どういうつもりで接してきているのか。プライバシーの侵害などされていると他人とよい人間関係を作るのはものすごく難しくなる。生きる価値ある人間ならわかること。

僕は少しこの二人を敬遠していくことを考えている。他のファンも条件は同じだが。新庄からは同じ電車だけれどもこの二人とは距離を置き、離れた席へ行く。途中一人の女性が話しかけてきて、色紙にメッセージを書いてくれという。もちろん倉木さんに当てたもの。2枚あり湯沢と七飯のもの。僕は迷ったけれども簡単な内容で、七飯のほうにメッセージを書いておいた。名前は不老長者という名前で、これは僕が倉木麻衣バースデーBBSで使用していたハンドルネーム。2003年と2005年のバースデーBBSで使用。2004年はきいまくら大好きとかきいまくら好きとか、そういう名前だった。あまり知られていないようです。

他のファンは湯沢で降りる。僕は大曲まで行く。結構思ったより距離がある。ホテルは車窓から見えた。駅に近い。チェック・インして、準備をしてすぐまた大曲駅に戻る。普通電車で湯沢へ。ここは1999年くらいに一度来ている。当時駅にハンバーガー屋があったけれども、今回来てみるとやはりあった。前回来たときは冴えないおじさんがひとりでやっていて、僕も食べなかったけれども、今度は数人のお客がいて初老のおじさんが二人でやっている。僕も今回は食べてみたけれども、作り立てのおいしさが。

歩いていく。前回は距離があると思ったけれども一度歩いているので見当がつき、さっさと会場に到着。このあたりもにぎやかになった様子。会場の噴水前にいたらトラック運転手が話しかけてくる。トラック運転者はこんなに倉木さんのライブにたくさん来たのは初めてだという。ライブ・ツアーにたくさん行くこと、そのなかでいろんなことを見聞し、世界を広め、感じ考え、ファンによってはアーティストやライブとの一体感を楽しむ。やりはじめると結構すばらしい楽しさがある。なかなか世間は理解しようとしない。いまの日本人は屁理屈をこねて偏狭な考えをする人が多数派。意思疎通すら難しい。特に僕はその意味でも大きな被害者であろう。

トラックの運転者はやはり何か情報を持っているようだ。背後に何があるのか。ある部分僕に対するプライバシーの侵害に加担しているようにも思える。僕に対する人権侵害をやっている連中と深いつながりがありそうな気もする。倉木さんはこの日、ダリア園に行ったらしい。情報が洩れているのだろう。トラックの運転手がそういう。僕はこういう情報で以前応援していた歌手時代苦しい目にあったことがある。状況を見ながら対応していくしかないが、倉木さんとばったり会うことを目的に観光地をうろうろすることは僕の場合まずない。以前応援していた歌手時代もない。当時は貧乏だったし、いろいろ問題を抱え、ライブと観光をかねることは少なかった。当時応援していた歌手はある年、福岡の大濠公園に行ったそうだ。僕は一度も大濠公園には行っていない。よくあること。それに倉木さんはライブ当日でも観光に行くけれども当時僕が応援していたアーティストはライブとライブの間の日に観光に行くことはあったが、ライブ当日にはほとんど観光には行かなかったはず。

でも、思い出したけどある年地方都市で一人で外出したという話は聞いた。めったにないけど時々あったのかな。ライブとライブの開いた日にはパチンコ屋に行くこともあったらしい。僕はその歌手ファン時代の後半(1992年の途中から)はツアーの交通機関限定の追っかけをやり始めたので、出待ち入り待ちは関東だけ。しかも出待ち入り待ちの不成功が多い。当日観光地でばったり会うなんていうのも全くない。ありえない。

ライブがはじまる。僕の席は1階9列目47番。トラックの運転手の席は近い。今年何度かあった。イープラスで取った席。ライブはまずまず。倉木さんはダリア園に行ったようです。倉木さんは秋田と新潟をたびたび間違える。湯沢と越後湯沢の間違い。僕はライブが終わると外では、ビーイングのオフィシャルカードを勧める人がいる。このカードを持つとB’ZやZARDのライブにもいけるそうだ。スタッフにもなれるそうだ。怪しいカード。大丈夫か。僕は当分の間新しいカードを持つ予定はないが。

アンケートを出し、とっとといつものように駅へ行く。湯沢駅に着くともう最終電車しかない。閑散とした駅ホームで終電を待つ。僕がライブにたくさん行きはじめた1990年代初頭を思い出す。当時もこういう感じだった。僕は来年は倉木さんのライブに行く回数を減らそうと思っている。でもこのホームでの感覚。ライブの余韻に浸りながら、ぽつんと終電を待つ。来年は倉木さんのライブに行く回数は減らす予定だけれども、僕は当時の純粋さを思い出しながら、ライブを楽しもう。別に他の人にわかってもらおうとは思わないが、邪魔されるかな。汚い心の日本人どもの汚い笑顔が思い出されるよ。僕に対し、付きまとうやつ、デマを流すやつ、滅びてしまえ。

電車の中では相変わらず僕に対するデマネタを信じて喜ぶ連中がいる。そのねたで僕を遠まわしに揶揄するのか。いつものこと。それでいったい何がどうなるか。いつものように勝手な解釈をして薄汚い笑いを浮かべたり、不貞腐れるだけだろう。そんなことこれからも繰り返したいのか。核実験をして喜ぶ北朝鮮人と僕に嫌がらせをして喜ぶ日本人、似たもの同士。北朝鮮と日本はよい友好国に成れるかもしれない。僕は孤立するか。

大曲には23時20分前に到着。呑龍という店で塩ラーメンを食べる。あっさりとした味でなかなかおいしい。大きいペットボトルの飲み物を自販機で買いホテルへ。ホテルの廊下には雑誌が落ちている。僕の周辺ではわざとらしいことが多いから、偶然なのか、意図的なものか、判断しかねることも多い。夜はパソコンでブログを書く。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.10山形県県民会館

2006-11-06 10:28:00 | 2007年までのライブの思い出

周南から一度東京に戻りました。今年ファンクラブで僕がチケットを申し込んだのは、北海道の七飯とさいたまスーパーアリーナの2箇所。七飯のチケットはもうすでに到着、ファイナルのほうはまだ来ていない。これから東北北海道に行く、東京に戻ってくるのは10月19日の予定。留め置きの申請はしていないし、公演の2週間前ころ10月14日くらいにチケットが来てくれれば良い。10月11日以前だと東京に戻っていなくて差出人に戻ってしまうかもしれない。ライブで地方に行くときの問題点。12日以降に到着なら大丈夫か。

10月10日当日上野駅から新幹線つばさに乗る。つばさに乗るのもライブで山形に行くのも山形市に行くのも今回が初めてであった。僕の乗った新幹線は多少の遅れ。僕が乗る電車はよく遅れる。わざとやっているのかという気もするが、今年はかなりゆとりを持った移動の予定を立てているのでほとんど影響なし。ただ、周南のときは厳しかった。3時間あまりで山形に到着。ホテルはメトロポリタン。駅のところにある。チェック・インするとき「日経の夕刊」などといっているじじいがいた。ぼくを意識してのわざとらしいジェスチャーやパフォーマンスをやっているのか。老若男女を問わずよく目にする。目立ちたがり屋なのだろう。テレビの影響か。

しばらく休んで5時半ころから会場に向かう。松屋で食事。歩いていくと今度は若者の集団にすれ違う。わざとやっているらしい。うっとうしい。毎度のことだが。山形の会館は駅から距離がある。そこまでずっと市街地。駅の反対側にお城。東京から3時間。山形というところ目立たないけれども、構造的にも面白く、それでいて便利な街のようだ。さくらんぼがいいアクセント。

会場に着くともうすでに入場整理中。僕の席は1階9列目39番。ライブは結構いい感じでした。倉木さんは北朝鮮の核実験にも触れていました。もうライブも終盤、レギュラーファンがたくさん来ていました。残り少ないライブ、ファンも寂しく感じているのか。来年も、そして来年以降も倉木さんのライブ楽しみたいな。

ライブが終わり外にでると犬がいました。キャスパーに似ている。キャスパーに似ているだけか。僕の予想ではキャスパーはもう少し大きいイメージ。ライブ・ツアーでなかなかキャスパーに会えない倉木さんのためにファンの心遣いか。倉木さん大喜びかな。キャスパーも寂しがっているのかな。ライブ終わったらまた麻衣姉さんにいっぱい遊んでもらおうね。

ライブが終わりホテルに戻る。土地勘がなく少し不安だったけれども、ホテルメトロポリタンというのは周囲のビルより高く、上部が遠くからでも見える。目印にしてそちらのほうに歩いていきました。山形駅に着き、ガストで食事。ちょっとおかしな店員の対応。男子高校生が3人入ってくる。アンケートなどの入ったビニール袋の中を見ている。僕もライブに来はじめたばかりのころ、ウキウキしながらビニール袋の中を見ていたものだが、最近はそういうこともなかなった。しかもこういう話、倉木ファンをはじめ多くの日本人は捻じ曲げて解釈する。うっとうしい世の中になったものだ。そのときアレンジされた倉木さんの「Reach for the sky」が流れてくる。この曲今年のライブ・ツアー初期に流れていた。しみじみとしてしまう。2ヶ月前の岸和田のことが思い出される。

ホテルの部屋に入る。冷蔵庫の飲み物を飲む。さくらんぼのワインは初めて飲む。翌日の移動の予定を立てました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.8周南市文化会館

2006-11-06 06:27:00 | 2007年までのライブの思い出

10月8日。益田のホテルをチェック・アウト。とにかく電車の本数が少ない。乗る予定の電車は、11時過ぎ。他にも複数のファンが同じ電車に乗るらしい。僕はトラックの運転手とその友人の倉敷在住者と一緒に行動をとっていた。電車は山口行き。1両編成。そこで乗り換え新山口へ。

途中で男性のファンがひとり話しかけてくる。2公演を除き今年の倉木さんのライブに行くそうだ。トラックの運転手などによると親衛隊の隊長だそうだ。へぇ~、倉木さんのファンに親衛隊があったのか。知らなかった。そういえば数年前東京国際フォーラムホールAでマヌケな顔をしたいかにも低能なやつが、アホ面しながら「親衛隊、親衛隊」などとほざいていたことがあったけれども、このことだったのか。意味不明だが。ぜんぜん知らないことだ。サークル系ファンならともかく、僕らは知らなくてよいことだと思うが。

新山口で食事。ふく天そばを食べる。倉敷在住のファンは来年は北陸のライブにも行くという。僕はどうでもいいことだ。こういう頭の悪い馬鹿丸出し野郎なんか相手にするのもうんざりだ。語呂合わせ、駄洒落をやってい他人の行動を勝手な解釈をやる連中である。他人に迷惑をかけることを生きがいにしているやつである。芸能人のファンをやるやつにはこういうやつが多い。スポーツやギャンブルのファンも似たようなものか。僕は以前ある歌手のファンをやっていて他のファンと交流を持っていた。それが今大きな負の遺産になっている。だから僕は他の倉木ファンと交友を持つのがいやなのである。はっきり言って芸能人の熱心なファンをやるやつなんて社会の落伍者的。落伍者同士なら仲良くもできるだろうが、僕は他のファンとあまり交流を持ちたくない。態度の悪いファンは多い。何度も言っていることだ。

新山口から周南の会館のある徳山まで8駅。途中架線にビニールが引っかかったとかで、列車はかなり長く停車、代行バスの運行も予定されたほど。今日のライブは午後5時からスタートなのに徳山についたときはもう午後4時過ぎ。ホテルを探したが、もう時間も押し迫り、チェック・インはあとにし、コインロッカーに荷物を預け会場へ。ロッカーは鍵のおかしいものもあり、小銭が手持ちになかったり、携帯電話が電池切れ寸前。踏んだりけったり状態になりかける。急ぎでタクシーで会場に向かう。

ここは15年ぶり2回目の会場。前回来た時は、駅前のバスロータリーで一夜を明かし、会場に向かうときは土砂降りでずぶぬれ。それもバスに乗り始めたときは、雨なんて一滴も降っていなかったのに、途中からものすごい大降り。悲惨でした。今回はあわてて会場到着。ライブはまずまず。倉木さんは今日で単独ライブが通算150回目になったようです。僕はMai&Experienceのライブを含めて今回で倉木さんのライブに来るのが、93回目。今年全部行くと、倉木さんのライブに行くのは三年連続パーフェクト参加通算102公演に行ったことになる。ツアー後は再就職もする予定で倉木さんのライブに全部参加するのは今年で最後のつもり。よほどライブの日数が少なければ別だが。来年からは何回か倉木さんのライブにも行くが回数は減ると思われる。その意味でも今年の倉木さんのライブは僕にも特別なものになりそうな気がする。世間の嫌がらせは相変わらずすさまじいものがある。今後のファン活動の予定についてはツアー終了後改めて考えるが、ライブに行くのは減らす方向で考えている。

ライブが終わると駅に行く。駅横の店で他人丼を食べる。この店、僕が15年前に来たときも利用した店で、そのときは焼き飯を食べた。売店で弁当とサンドイッチ、パンを買いホテルへ。アーケード街の端にホテルはあった。僕は長い間徳島と徳山の記憶が混在していた。どちらかは駅を出て右手にアーケード街があると思っていたが、実際にはどちらにもアーケード街があったのだ。

僕は駅の反対側にも行ってみたかった。トラックの運転手がそちらのホテルに泊まるらしい。行かないことにした。15年前、ここに来たとき駅のロータリーで一夜を明かしたが、夜うろついたりもした。海側にコンビニがありそこで買い物をした。夜の海、工場のオレンジ色の光が明るく輝き、海に照らされ、すごくきれいで印象的だった。今回は行かない。ホテルはアルファワン。朝はバイキングで料理はまずまず良いが、客層が一部悪い。競馬など薀蓄をたれる客。付きまといらしい極悪な客もいる。

土産は徳山と広島などといっている客もいる。僕は土産を買う予定なし。買ったってどうせ自分で食べるのが多い。まれに倉木さんに贈る。でも最近はないな。僕に対し、あれこれ干渉しては妙な噂を流す馬鹿者もいてうっとうしい。帰りは切符の買い方で右往左往。別にわからないわけではなく迷ったもの。徳山で新幹線に乗り、広島でのぞみに乗る予定だった。できれグリーンにしようかと考えていた。広島で降りて指定の切符を買いなおそうとしたが列車番号が次がのぞみ18でその次がのぞみ20.。またとやかく言うやつが出てきそうで、そうかといって気にしていると駅で長時間待つことになる。とにかく新大阪くらいまで行けば始発の新幹線もあるだろう。とにかくそのまま新大阪まで行くことにした。

ずっと立ちっぱなしデッキにも複数立っている人間がいる。いかにもごろあわせを他人に押しつけて喜びそうな馬鹿丸出しの中年ばばあ軍団。悪質な人権侵害が好きらしい。新大阪に着いて始発ののぞみに乗る。自由席にしたがこれがまた混雑。隣をがらがらのこだまが行く。そっちにすればよかったか。でもそうするとまたデタラメな解釈をする連中も出てくるだろう。日本人でよい人なんてダイヤモンド並みの存在かも。しかし連休中ということにしてもすごい混雑。僕の場合グリーン車の指定にしても隣にろくでもないやつが来ることがよくある。JRの差し金か。

東京に戻ると翌日の山形行きの切符を買い、家に帰る。相変わらずJRT海の新幹線の車掌のアナウンスは印象が悪い。10月9日のぞみ240号のアナウンス。僕が倉木さんのライブに行くにくいと感じる理由の一つにこういうこともある。以前に比べ改善の傾向が見られない。JRなどの交通機関を利用するたびに、いつも苦しめられる。ずっと続いている。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.7島根芸術文化センター

2006-11-06 04:26:00 | 2007年までのライブの思い出

10月6日朝ホテルで朝食、チェック・アウトし、博多駅へ。益田までどう行くか。普通電車でいこうと考える。時間に余裕もある。山陰本線経由は依然逆方向だけれども一度載ったことがある。山口線は乗ったことがない。そこで山口線経由で行くことにした。時刻表を確認すると普通電車を乗り継ぐと午後4時近くに益田駅に着きそうだ。

博多駅のホームで立ち食いのラーメンを食べる。とんこつ。おいしい。僕は結構とんこつラーメンは好きですが、他のラーメンよりとんこつはお店のラーメンの味に差が大きいという印象。まずいところはすごくまずい。門司港行きの普通電車に乗る。途中北九州近くになって高校生の集団。からかわれているのか。このあたりの高校生は全国でも有数といってもいいほど電車内の高校生の態度の悪いところ。特に福岡東部地区。毎度毎度のこと。能無しで意地の悪い高校生ども。

門司で降り、下関行きに乗る。僕の周囲では時々話題にされていた下関である。僕自身ここに来るのは小学校5年生の社会科見学以来である。電車で通ったことは何度もあるが立ち寄らない都市である。今回もホームから街の様子を見ていただけである。31年ぶりに下関の駅周辺を見る。前回のときの様子なんてほとんど覚えていない。ただその小学校5年生のとき、雨が降っていたこと、下関の駅構内に水槽があり魚が泳いでいたこと、サンデンという地元のバス会社があり、バスのデザインがけばけばしく派手だったこと、そんなことは覚えている。関門人道トンネルを通ったり、門司港と下関の間のフェリーにも乗った。

今回見てもバスは見えなかった。トラックの運転手とばったり会う。一緒に益田まで行くことにした。新山口駅まで行く。そこで乗り換えて2時間半。山口線の沿線の景色は意外に山あり、川あり、りんご園あり、変化に富み面白い景色。田舎暮らしなどしたい人にも良いところかもしれない。ただこの路線は電車の本数が少ない。益田を基準にすると普通電車で新山口まで2時間半。バスで広島まで3時間である。特急電車があるとはいえ本数は少なく、やはりバスのほうが便利が良い。

僕は当初益田のあとは周南だけれども宿泊は広島にしようかと考えていた。そのほうが益田からいきやすく、また翌日新幹線で東京に戻るのも都合がよさそうだと思ったからだ。でも荷物が多くなりそうで、周南のライブ当日に思い荷物を持ってうろうろするのもいやなので、結局周南(徳山)に一泊することにした。途中津和野を通る。内田康夫氏の津和野殺人事件を思い出し、赤い稲荷の鳥居を電車の窓から探すが見つからない。津和野は文学向きの土地柄なのか。益田に着く。駅前の大阪王将で食事をしてチェック・イン。

ホテルグリーンモーリス。地方のホテルでは比較的安く設備もよい。なかに入ると見たことのある連中を見かける。トラックの運転手に寄ればスタッフだということ。スタッフだったのか。ファンと見分けができない。一休みし、外で食事。また大阪王将へ。他にもファンらしき人を見かける。前日から来ているファンもいるらしい。僕は「もう来ているんですか」などと声をかけられたこともあるけれども他のファンも同じだと思う。

朝は新聞が入れられていたので、読む。山陰のローカル新聞。こういう地方の新聞をたまに読むのも楽しい。朝食はバイキング。まずまず。少しおなかの具合が悪い。昼食時を除き、ホテルの部屋に滞在。ここの益田というと以前益田競馬場があり、日本で当時一番小さい競馬場だった。2番目が大分県の中津競馬場だった。益田競馬というと廃止後、沖野、御訓本、岡田騎手らが南関東に移籍し活躍。かつては女性ジョッキーの吉岡牧子さんが活躍したことでも有名なところ。

夕方5時を回り、会場に行く。途中にはコンビニもある。会場は地方の会場にしては大変立派な会場。まだ新しく、館内を見学してみたくなるほど。僕は会場に到着したのが遅いので見学はせず、サンドイッチと、ちらし寿司を買って食べる。ちらし寿司がなかなか良い。1階19列48番。ライブはまずまず良い。倉木さんは雪舟のゆかりのお寺にいったようです。

ライブが終わり、僕はすぐ帰る。また大阪王将で食事。4回目。なかなか好感度の高い街です。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.5福岡サンパレス

2006-11-06 04:24:00 | 2007年までのライブの思い出

新幹線で福岡に着く。グリーン車で来たのだが、隣の乗客はたくさんの新聞を持ち、とっかえひっかえ次々と新聞を読んでいた。その次はモバイル。わざと僕の隣の席に座っただろう。僕の隣の席がどこかについて誰から情報を得ているのか。JRT海あたりが情報を流しているのか。JRT海が僕に嫌がらせして何のメリットがあるんだろう。恨まれ、強い殺意を抱かれるだけだが。JRT海の社員も死にたいのか。グリーン車に座ってもこの状態じゃね。高いお金を払ってもちっともサービスが良くない。隣の客も隣の客だ。なんだお前は。手当たり次第にたくさんの新聞を読み、モバイル。僕以外のところでやれ。許す必要はないだろう。10月4日ののぞみ19号だ。

博多駅着。僕は福岡出身ではないが、しばしば福岡出身呼ばわりされる。かなりしつこい。最近は以前ほどには福岡には来ていない。駅前のビジネスホテルハカタに宿泊。今年はライブの前日の会場入りすることが多いが、これは早いことにこだわっているわけではない。無職でもあり、ゆとりを持って移動しようとしているだけである。スケジュール上若干の例外もある。ここのホテルはやや古く冷蔵庫などないが立地条件はよい。便利。

夕方博多駅の飲食店街に行き、鯛麺と鯛むすのセットを注文。なかなかおいしい。駅の構内で地鶏の焼いたものやパンも購入。ホテルに戻り、ホテル内の居酒屋でチューハイを3杯飲む。魚のあらだきがおいしい。朝はホテルの朝食。

10月5日、今日はライブの前にキャナルシティで握手会が行われる。僕は午前9時20分前ころホテルを出て、キャナルシティまで歩いていく。ここはわかりやすい。HMVの側に行くとすでに多数のファンが並んでいる。前のほうには常連組みが多数。先着200名ということで、僕は200名までに入るのは難しいのではないかと考えていた。一応様子を見ようと思っていたが、9時40分くらいの時点でざっと大雑把に並んでいる人を数えたら130~140人くらいじゃないかと思った。これなら並べば200までに入るかしら。一応並んでいた。僕の後ろにも長い列。

結局200人までに入りました。整理番号は82番でした。ただ、整理番号は順番とは関係ないようでした。僕の前に並んだ人の番号が僕より大きい数字ということもあったようです。そのあとはキャナルシティ北側のアーケード街に行き、奈多利だったか。そういう店。2Fの店でミートマッシュルームのスパゲティとソーダフロートで食事。キャナルシティに戻り、B1のサンプラザステージに行く。かなりのお客さんが来ていた。

以前名古屋でファンが握手を求めていた髭の男性、男前で偉い人なのかもしれないけれども僕は知らない人が司会役。chance for you.を合唱。サインと握手会。感激していた人も多数。やっぱりうれしいだろうね。僕の番。司会役の人に名前を聞かれ、答える。マイクだったのでその辺にいた人全部に名前を聞かれてしまった。憧れの麻衣さんと握手。ちゃんと手を洗ったし、爪も切っていましたよ。麻衣さんご安心を。200名の握手&サイン会もはやばやと終わり、僕はキャナルシティを去りました。

僕はまずキャナルシティに行くときは道を間違わないが、帰りは時々道を間違う。この日も南のほうにいってしまい、住吉神社の西側を通り、東に行く。かなり遠回り。駅の飲食店でカツカレーを食べる。この店ももう3~4回来ている。ホテルの部屋に戻る。しばらく一休みし、5時半ころライブに向かう。小雨が降り始める。サンパレスまで近いようで結構歩くと距離がある。もう何度も歩いたところ。

サンプラスに着く。もう入場整理は始まっている。入場。久しぶりの会場。昨年も来たが。僕の席は1階18列。倉木さんは博多めんたいや屋台のとんこつラーメンの話をしている。僕はそういえば前日「鯛麺」を食べたが、これは対面とかけた駄洒落ではない。たまたま偶然。実際前日の時点ではまだ握手会やサイン会に参加できるか、はっきりしていないし、僕はたぶんそんなに早くは並ばないので、参加できないだろうと思っていた。倉木さんはめんたい。倉木さんはめんたいは食べたのかしら。

ライブは最初のりが悪そうで福岡なのに意外な気がしていましたが、途中から盛り上がりました。倉木さんはこの日ミニスカートをはいていました。あまり短くなくて安心。ライブが終了、僕は少し足が痛くなっていました。歩いて帰り、途中のやよい軒で秋刀魚定食を食べる。秋は秋刀魚か。そういえば秋は星座があまりにぎやかでなく夜空はさびしい。倉木さんはやはり星を見ているそうです。支えてあげたい。

ホテルに戻り部屋で休みました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.1糸魚川市民会館

2006-11-05 10:24:00 | 2007年までのライブの思い出

糸魚川の駅に着く。ここも初めての都市。今回の北陸3都市はすべて初めての都市。駅にはレギュラーファンがもうたくさんいる。頭に人形の女性もいる。僕は夜行の能登の急行券を買い、夜食のパンやお菓子を買い、荷物を整理し、小さなバッグ以外はコインロッカーに預ける。駅の店で柿チョコを買う。以前倉木さんがライブのDVDに登場して柿チョコを前ににっこりしていた。かわいらしかった倉木さん。今ではまた一段と美しくなっている。

ここはヒスイで有名なところらしい。観光でもまた来たいと思う。駅近くのラーメン屋でラーメンを食べる。辛いラーメン。レギュラーメンバーは会場に行ったらしい。でも数人まだ駅近くをちらほら。僕も駅で時間をつぶす。駅前のあかねという店に入る。ホットケーキとアイスコーヒー。このあたりの店員の対応は別におかしくない。飲食店の店員の対応の差は何が原因か。よくわからない。また外に出る。今日は早めに糸魚川に来ている。ベンチに座ったりしながらずっと時間をつぶす。雨が降り始める。しとしとと気持ちのよい静かな雨だけれどもライブの前は居場所を確保するのに苦労する。

会場に行く。会場も雨に降られない部分は少し。僕は傘を持っていたので濡れたベンチで傘をさしながら座っていた。横須賀で話をしてきた女性が話しかけてきた。声がかれている。がんばって応援しているのだろう。やっと入場。雨がしのげるところで待てるといい。そういう会場もあるが、そうでないところもある。今日の席は1階30列の1番だったが、スタッフに代わるように言われ、22列の5番にまわる。ライブは今日は東京や大阪など大都市圏からレギュラーメンバーが多く来ているのか、それらしい盛り上がりだけれども、なんとなくいつもと違う、不自然さもあった気がする。

ライブが終わると僕は例によって駅にとっとと行く。2時間半くらいの待ち時間。雨がずっと降っている。駅前にはタクシーが何台も停まっている。暇そうだなと思っていると列車が到着するとやはり乗客は軒並みタクシーで行ってしまう。10時45分から11時ころ立て続けにファンがやってくる。出待ちをやっていたファン。トラックの運転手やウェーブの人もいる。話しかけてきた人が二人。一人は車で去る。もう一人は長岡の人だそうだ。でも急行能登には乗らず翌朝の電車だそうだ。急行券だってそう高くはない、上野までだった1260円くらいだし、長岡ならずっと安いだろうが、事情がわからない。

その人は情報がいろいろあり詳しい様子。でも僕はその話を聴いていてがっかりすることも多い。とても他のファンと一緒の行動は取れない。ネットカフェについて聞いてきた。この近くにないかと。僕は糸魚川なんて初めてだし知らない。いまだかってネットカフェなんて一度も利用したことはないが、そういう人間に見られているのか。僕は他のファンとは仲良くしたくない。印象が悪い。ヒッチハイクの話まで出てくる。そこまでそるならクレサラで借金でもすればいいじゃないか。返せないのなら勧めないが。僕は20代のころある歌手のコンサートに行っていた。今より飲食費もはるかに高かったし、競馬もやっていた。極貧だった。でも手元には現金もあったし、他人にお金を貸すこともあった。当然クレサラに借金があったからだ。

多額の借金を抱えていたと言うと貧乏でお金がなかったのだろうと決め付けるのが日本人。僕は貧乏だったからある面けちけちしていた部分もあるが、お金がなくなればまたカードで借金すれば手元にはお金がある。だからそれほど現金に困っていたわけではなかった。貧乏ではあったが借りた金が手元にあったのでそれほど見た目は貧乏ではなかった。その後クレサラの返済は終わる。ライブに行く費用は減る。飲食費も昔ほど飲まないので低下。競馬もやることは少なくなった。出費が大幅低下。とんとん拍子に経済状態は良化。2000年を越えたあたりからは貧乏生活とはおさらば。でも仕事やめたから、この2年貯金は減り続けている。いい加減今年のツアー後は再就職するつもりである。

そのファンはホームページの書き込みについて言ってくる。僕は他のファンのホームページは見ません。もう2年半以上見ていません。麻衣コミュニケーション未登録です。この点は僕のブログに書いてあるがこの人はみていないようだ。僕のブログを見ていないファンの人を見ると少し安心してしまう。見てもらいたい部分もあるが、他のファンとは合わない部分は合わない。

23時59分急行能登号に乗って帰りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.30射水市新湊中央文化会館

2006-11-05 06:23:00 | 2007年までのライブの思い出

輪島を29日に出て、津幡で乗換え。駅員は親切。高岡で降り、路面電車の万葉線に乗る。この電車でもわざとらしいやつ。弓矢を持っていた婆はなんだろう。鴨でも射ちに行くのか。新町口というところで降りる。携帯サイトの地図を頼りに歩いてホテルに行くが、なかなか見つからない。ゆったりとした街並み。しばらくうろうろしやっとホテルを見つける。第一イン新湊。

チェック・インのあとゆっくりしていた。なかなかよいホテルでした。新町口からこのホテルまで飲食店を全然見かけなかった。どこにあるのかよくわからない。携帯サイトの地図でもコンビニは近くになさそう。夕食はホテルの中でする。6階のレストラン。値段は高いが気にせず注文。夜景を見ながら食事。なかなかおいしい。朝は1階で洋食の朝食。和食が多いのでホテルでは洋食にすることが多いが、別に和食でもいい。ここでは洋食。

10時過ぎに外出。昨夜夜景を見ているとき近くに明かりが見えたのでそこに行ってみると書店だった。その周辺を歩き回る。地理に不安がありあまり歩き回ると迷いそう。新鮮市場というスーパーがある。このスーパーは僕の育った大分県の国東市安岐町にもあるが、以前四国に行ったとき宇多津というところにもあった。ここ新湊にもある。かなり広範囲にあるようだ。お弁当とお惣菜を買い、どこかで食事をしようと歩いていたら公園があったのでそこで食事。ここはホテルからも近い。すぐ近くにホテルがある。

食事をする。周囲は民家に囲まれたところ。近くに田んぼがある。電柱の上に大きな鳥がいる。ピーヒョロロロ。と鳴いている。大きな鳥でなんという名前か知らない。かなり長くいたけれども飛び去っていった。それとは別に頭に赤い部分がある鳥が、稲刈りのあとの田んぼでなにやらしきりについばんでいる。これも大きな鳥。この鳥はずっとついばみ続けていた。街中住宅地の一角の小さな田んぼにこういう鳥がいる。

スーパーの客にはわざとらしいやつもいた。公園の横を自転車で通る男もわざとらしい。どういう連中だろうか。嫌がらせ、からかいが好きなのだろう。意地が悪い性格の人間たち。鳥たちは泣いていたのかもよ。

午後3時半くらいに飲み物を買ってホテルに戻る。しばらく休み、会場の射水市新湊中央文化会館に行く。ホテルからは近い。着くとすぐ入場が始まる。今日の席は1階ぬ列12番。ライブは結構楽しいもの。倉木さんは海王丸に行ったようです。倉木さんが楽しんでくれているのがうれしい。鱒寿司も食べたようです。倉木さんの大好物。ライブが終わると僕はいつものようにさっさとホテルに向かいました。

帰る途中交通事故がありました。車が2台激しくぶつかり、女性がうろたえているようでした。僕も途中まで見ていたけれども、だんだん近所の人が集まってきて、僕は車の免許もないし、こういう事故はうまく対応ができない。ただ見ているだけだと野次馬。他の人の中にはうまく対応できる人もいるだろう。任せる気持ちでその場を去りました。僕は今車の免許がないけれど先々免許をとりたいと思う。事故というものは自分が考えている以上の怖さがある。でも、将来的な居住を考えると地方に住む場合車がないと生活が不便すぎることもある。事故はその後どうなっただろう。事後も大変そう。

ホテルに戻ると6階レストランで食事。うな重。2段。2段というのはうなぎとご飯が2段になっているもの。初めて食べた。この店うな重がメニューの中で一番安い。他のメニューはもっと高いものが多い。翌朝チェック・アウト。歩いて新町口へ行く。途中で犬に吠えられる。手を振ったらおとなしくなる。危うくからすにふんをかけられるところ。危ないところ。昨日の事故のところを通る。何事もなかったよう。会場の前を通る。ひっそりとしている。確実に時は流れていく。住宅地だけれども商業地的なにぎやかなところではない。ゆっくりと歩き、新町口から万葉線に乗る。新聞を読むお年寄り。

高岡駅に着く。立ち食いのそばを食べる。ここは能登よりつゆが濃いが、少し油が多め。味はよい。時間を見て直江津行きの普通電車に乗る。途中親不知の海岸を見ながら糸魚川に向かった。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.28輪島市文化会館

2006-11-05 04:21:00 | 2007年までのライブの思い出

石川県の能登地方。全く行ったことのないところ。僕は車の免許を持たないし、運転しない。能登地方も穴水から先は鉄道がない。今回は能登地方に行くが、今後能登地方に行くことがあるかどうか。観光をかねて前日に輪島入りすることにしました。26日夜上野駅に向かう。僕が金沢方面に行くときは、だいたい急行の能登号を利用することが多い。便利な電車である。

上野駅で切符を買い、途中で食べる予定の食べ物を買い込む。周遊券で行くことにしていたが、僕は周遊券を勘違いしていた。ゾーンまでの往復に急行券は別に買う必要がないと思っていたが、必要らしい。みどりの窓口では売ってくれなかったが、上野駅の場合改札を入っても別に改札があり、そこでチェックもされる。急行券を買わないといけない。みどりの窓口で最初から売ってくれればいいのに。JRの社員の対応も郵政や悪徳政治家の情報に惑わされ自分で判断できないのだろうか。自分で判断してもだめなのか。愚劣な対応を今後も続ければ。つき合わさせるこちらもそのつもりでいるから。

切符を買うときも携帯電話を利用した嫌がらせが続く。しつこい。郵政関係者だろうか。屑野郎。新潟まで新幹線で急行きたぐに何ぞ言っている。それもひとつの行き方か。でも僕はそのルートは一度も利用したことはない。急行能登の中では嫌がらせは少ないけれども若干不審な若者。やはり携帯電話・メールが問題のように思う。津幡で降りる。ここから七尾行きに乗る。途中でトイレに行きたくなり、時間にも余裕があるので羽咋で降りる。ラグビーなどで羽咋工という学校を聞いたような気もするが、駅前はそれほどにぎやかな印象はなし。七尾というと僕の大学時代の1年先輩で船本さんが出身。初めて七尾に来ました。といってもすぐ穴水行きに乗りましたが。

変な向きに座るお年寄りを複数見かけるが足、特にひざが悪そう。穴水着。ここも駅前などにぎやかな様子はない。こちらも車社会か。お年寄りと学生がバス・電車の利用を減らすとこのあたりはますます寂れそう。輪島行きのバスの乗る。途中は山間部。険しい様子ではないが、やはり人家も少なくさびしいところ。輪島着。少し見てまわることにした。

街をうろうろする。有名な朝市を見る。なま物が多いから、買えない。あるお店で親切に買えばすぐ食べられるようにボイルして送ってあげるといってくれたが、僕はこのあと射水、糸魚川、一度東京に戻り、そのあと福岡、益田、周南、また東京に戻り、山形、湯沢、七飯、札幌、仙台をまわって東京。大阪に行って戻ってファイナルの埼玉。ファイナルまでほとんど自宅にいない。せっかくのご厚意でしたがお断りしました。でっかい蟹でした。

Fというところで食事。お店もテレビも安倍政権成立の話で持ちきりのようでした。安倍首相は岸元首相の孫だそうだ。祖父母というのは父方母方双方にある。片方が話題になるのに・・・。という話があった。僕の場合、よく祖父母の話をするときだいたい母方の祖父母である。父方については僕はほとんど言わない。言っても極悪人どもは僕のことをうそばかりつく、反対のことばかり言うと決め付けるだけだ。僕はただ強く殺意を抱くだけである。許すことなんてできるわけがない。お前たちがどれほどうちの家庭の事情を知っているのか。知りもしないでうそつき呼ばわりしやがって。死んで謝れ。馬鹿やろう。

僕の父方、といっても実父方については僕もよく知らない。そういう家庭に育ってきたのだ。まあ信じはしないだろう。殺意を抱くのみ。しかし一個人の問題に対し、これほど多くの組織、個人が執拗に他人をうそつき呼ばわりすることの対し躍起になるとは。こんなことは今まで日本では一般的だったのか。ばかばかしいことだ。しかも真実、事実を無視し、あくどいやつが喜ぶ結果にしかならない。それで喜ぶやつにまともな人間がいるはずがない。しっかりした問題解決を誰もやらないのだから、組織側、多数派、権力側の罪は大きい。

このFという店印象の悪い店。でも輪島は飲食店がすごく少ない。朝市で有名なところだし、海の幸山の幸のあふれるところ。飲食店が少ないというのは、自宅で食事、自宅であるいはお弁当を作って食べる人が多いということなのかな。それは地元の文化としてはとてもよいことか。逆にこういうところでよくある外食産業が繁盛すると海の幸や山の幸の印象が低下しかねない。

ホテルにチェック・イン。ホテルルートイン輪島。なかなかよいホテル。海にも近い。夕方は館内のレストランを利用。おいしくてなかなかよい。何種類も飲み食い。そばはつゆは西日本ふう。僕は西日本ふうのつゆが好きなのでうれしい。お店の人は遅くなりましてすいませんなどとしつこく言うが別に遅くはない。意地悪なのだろう。朝はバイキング。まずまずよいバイキング。昼前に一度外出。ホテル近くの海側にコンテナのお店が出ている。いすにふんぞり返った爺の態度が印象悪い。お客は他にいない。コーヒーなどと書いている店、海産物を売る店、コンセプト、カラーがはっきりせず、ぱっとしない印象の店。これなら朝市のほうがずっといい。

海側に広いスペースがある。ベンチの座ってゆっくりしていた。中国人らしき連中を見る。輪島は中国人に有名な観光スポットなのか。でも時々僕は中国人にも付きまとわれる。それなら愚劣日本人の真似をするマヌケ中国人ということか。海といってもそれほど特徴的ではなく、それより靄のかかったそれほど高くない標高の山々のほうが魅力がある。雨が降り出した。昼過ぎ、コンテナには人がいない。もう営業はやめたのか。馬鹿みたい。ホテルに戻り傘を持ちまた外出。ホテルには若い男が数人。倉木ファンか。傘を持って立ち去る。

駅近くの翁という店でピラフを食べる。駅のGカレーに行く。メジャーカレーを食べる。店員はとても恭しいがところどころ意地悪な感じがあって印象が悪い。シアトルの話をする客。わざとならなおさら印象が悪い。時間近くまでわざと会場には行かない予定だったが、通りかかってしまう。時間をつぶす。時間ぎりぎりに会場へ。この時期もう10月が近い。僕はTシャツ1枚でうろついていたが、雨も降り少し肌寒く感じる。

会場に着く。びっくりした。僕は自分お席がてっきり1階26列目だと思い込んでいたが、なんと1列目26番。ど真ん中。びっくり。予想していなかった。チケットを再確認したらやはり1列目26番。心の準備ができていない。どうしよう。ブログにも間違ったことを書いてしまった。倉木さんは信じてくれないかな。ライブがはじまりました。どきどきです。かわいい麻衣さん。いつもは後ろの席でもいいけれどたまにこういう席があるとうれしい。でも倉木さんが素敵でした。

ライブは楽しかった。倉木さんは輪島塗りの会館に行ったようです。ライブが終わり、外へ。また馬鹿丸出しファンが、地元のファンが大半だなどとぬかす。僕は他のファンが嫌いさ。アンケートを書くファンが多い。外ではGカレーの店に客が多い。なんとなく三宮と同じような印象を持ったが、ここは飲食店が少ないから仕方ないだろう。コンビ二も近くにあった。僕はホテルに戻り食事。ここのホテルのレストランは比較的遅くまで営業している。夜中に飲み物を買いに1階のロビーに行くと若者が数人。遠征組みか。

朝バイキング。チェック・アウト後朝市のところへ行き、少し買い物。駅まで歩く。駅からバスで穴水駅へ。おばあさんが輪島駅を出た直後この辺は以前はたんぼだったなどという。僕は昔の輪島なんか知らない。はじめてきたから。誰かに入れ知恵でもされたか。以前北海道の稚内に行ったとき地元のおばあさんの集団が土地の自然の厳しさを感じさせないほど、にこやかで印象的だったことがあるが、ここの能登のお年よりは表情が硬く厳しい。よそ者に対し警戒心が強いのか。そういう土地柄なのか、それとも誰かつまらぬいれ知恵をしているのか。

穴水駅の待合室はお年寄りのコミュニティー化していた。硬い表情ながら談笑するお年寄りたち。穴水から七尾へ。ちょっと時間があり、駅の売店で買い物。七尾から金沢行きの普通電車に乗る。全国地方に行くと地元の高校生中学生の電車内での態度の悪さが目につくときもあるが、ここら辺の高校生はもちろんちょっとしか見ていないけれども態度はそれほど悪くない。この辺も土地柄ということなのか。

わざとらしく新聞を読む男と子供。何の意味があるんだろう。僕の前で新聞を読むと何かあるのか。僕がいないところでやってね。他に人のいないところでやるのは全く問題なし。金髪の男もいる。わざとか。世の中には1、他人を外見だけで判断するのはよくないという立場と、2、心の乱れは服装の乱れ、身だしなみにきちんとしろ、という立場がある。この二つは必ずしも対立するものとは限らないのだが、実際には悪用されることもある。1と2両方主張して好意的に見られる人もいれば、逆に1と2両方主張して猛反発を受ける人もいる。

あるとき創○学会の人間が、「私たちは他人を外見だけで判断しない」と主張していた。金髪の若者にもいい人がいるなどと主張していた。それで僕は内心それなら創○学会員はみんな金髪にすればいいじゃないか、と言っていたものだが、変なふうに情報が流れているのか。この金髪の中年男僕と無関係なら取るに足りないが、関係あるなら、盗聴など悪質な人権侵害に加担している容疑が濃厚である。皆さんも注意してください。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.24よこすか芸術劇場

2006-11-05 01:55:00 | 2007年までのライブの思い出

24日よこすか芸術劇場に行く。ここの会場では以前倉木麻衣さんがイベントをやったはず、でも僕は行っていない。この会場は僕は初めて。京急で行く。JRで品川まで行ったら、寝過ごして大崎まで行ってしまう。僕は電車の寝過ごしなんて少ないのだが、珍しく乗りすごす。京急の快特で金沢文庫まで行き、汐入に止まる電車に乗るはずが、新逗子行きに乗ってしまう。終点まで気がつかず、折り返しに乗る。金沢八景まで戻り、階段を降りとなりのホームへ。そこへまた電車が来たのでこれだろうと思い乗ったら次が六浦。また同じ間違いをしてしまったらしい。六浦で降り、折り返す。やっと次の電車で汐入到着。

改札を出るとたこ焼き屋がある。まだ少し時間がかかりそうなので、そのまま会場へ。ファンも多数詰め掛けている。汐入というところはじめてきたけれど結構にぎやかな街のようです。この会場は5階まである。僕の席は4階の4CB列。今回のライブでは最も高くて遠い席。たまにはこういう席もいい。ライブはまずまずよかった。倉木さんはドラカレーを食べたようです。僕に対する麻衣さんの印象はよくないかもしれないけれども、麻衣さんが大好きなのでずっと応援しているよ。

ライブが終わると外にでる。掃き溜めに鶴の女性コンビに話しかけられる。会場を去り、駅に向かう途中たこ焼きを買う。電車に乗り、品川に向かう。駅でたこ焼きを食べ、食事をして家に帰りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.22三島市文化会館

2006-11-04 08:54:00 | 2007年までのライブの思い出

松山のライブのあと久万高原に行き、JR松山駅に戻る。JR松山駅でサンドイッチやおにぎりを買い込み電車に乗る。特急で岡山へ。そこから新幹線で新大阪。三島までの3泊は大阪で過ごすことにした。他の場所でもよかったが、比較的他の場所より地理的にわかる。食べ歩きもしようと思った。ホテルはニューオーサカホテル。

最初から大阪による予定ではなかったため、どこに行こうか迷った。20日は京都の伏見区の舞台町に行くことにした。たまたま地図を見ていて偶然見つけたところ。京都までJR、そこから近鉄で丹波橋駅へ。携帯サイトの地図を頼りに歩くがなかなかわからない。にぎやかな街というわけではないが、人家は多く、通りも人通りが多い。途中川を渡るが、水量が豊富。水遊びには危険なほど。もう少し流れがゆるいと船で遊べる気がするけど、やはり危険か。散々うろうろする。競輪選手の格好をした人も見かける。時々こういう人を見かけるが、どういうつもりだろう。僕は競輪はやらない。競艇、オートもやらない。

安い自販機もある。関東では見かけないメーカーの飲料。やっとたどり着く。ただ舞台に来ましたというだけで、別にたいした意味はない。その北の町域が景勝町というらしい。上杉景勝かな。この辺はこういう地名が多い。いわれはよく知らない。不勉強。その景勝町にも細い川が流れている。透明度が高い。ここら辺は市街地に近いのに川の水がきれい。魚が泳いでいる。ちょうどめだかの学校を連想するようなイメージ。でもウグイだと思う。小さい。しばらく歩く。手帳など外にほうり出している家もある。また丹波橋に戻る。そこから中書島へ。ここは以前立ち寄ったことがある。乗り換えに利用したのだけれど、ついでにホームのうどん・そば屋にも立ち寄る。今回もそこにより、そばを食べる。

そのあと京阪電車で淀屋橋へ。倉木さんの岸和田や三木のライブのときも寄ったけれど今度も蛸プチでたこ焼き、551HORAIで餃子を買う。御堂筋線で新大阪に来て太郎庵で食事。ホテルに戻り、たこ焼きや餃子を食べる。少し食べ過ぎの傾向があり、内臓が疲れ気味。21日も特に予定はなく、せっかくだから以前から行こうと思いながらぜんぜん行かなかった、住吉大社に行くことにする。南海電車で向かう。造りが独特で興味深い。阪堺線と南海電車の位置関係も飲み込めた。

とっとと新大阪に戻り、お好み焼きの店でお好み焼きと冷やしあめを注文。この冷やしあめがとてもよい。ホテルに戻り、たこ焼きの残りも食べる。大阪滞在といっても特に予定を立てていたわけでもなく、全然たいしたことのない滞在になってしまいました。22日になりホテルをチェック・アウト。時間には十分余裕があるので在来線を乗り継いで三島に行くことにしました。新大阪から新快速に乗ろうと思ったら、急病人のため電車が遅れているとのこと。そのため一本前の電車に乗れました。でも車内のアナウンスは大変印象が悪い。公共交通機関は、どこの会社もみなそうか。JRN日本。いやだ。いやだ。

米原どまりの電車になったが、別に問題なし。大垣行き普通に乗り継ぎ。大垣から浜松行きの電車に乗る。今日はJR東海の印象は悪くない。ただ乗客がおかしい。キリスト教の尼さんが前の席に座ったのだが、僕の後ろの路線表を見る。これで僕が路線表を見ると、あ~尼さんが見たから見たんだろう、あははは、というような嫌がらせ、からかいは浅草郵便局時代2代目関根S一の高本T也から散々やられていた。キリスト教の尼さんまでやるのか。名古屋のあとはうすのろタコ野郎のようなやつが座る。ニヤニヤ見ていたようだが僕はほとんど寝ていた。毎度毎度本当に。

浜松から熱海行きに乗る。ここの路線は多いときは豊橋や静岡で乗り換えるときもあるから、今回は乗換えが少ないほうです。三島には4時過ぎてからの到着。コインロッカーに荷物を預け、まだ時間があるので飲食店で食事。名前を忘れたが駅から右のほうにいくとラーメン屋が2軒ある。その間に挟まった豚カツや。アナゴ丼を注文。梅干のてんぷらが入っていた。珍しい。駅前の湧水のところで一休み。でもラーメン屋の前でニヤニヤしながら僕を見ていたのはどこのじじいだろう。どうやら僕を知っているらしいが、誰だろう。うっとうしい。

ライブ会場に行く。ライブはまずまずよいライブ。僕の席は1階のV40。倉木さんは新幹線で来たそうです。大阪から来たのかな。それだと僕は途中で追い抜かれたことになる。倉木さんは新幹線の車窓から見える、静岡県の景色がお気に入りだそうです。ライブが終了し、僕は三島駅へ。新幹線にしようか迷ったけれども、結局在来線にする。熱海行きに乗り、乗り換えて東京へ。途中相変わらず付きまとう馬鹿が出てくる。わざとらしく本を読んだりして。わざとらしい行動のオンパレード。きっと充実したくだらない人生を生きていることを自慢しているのでしょう。迷惑千万。

ライブ会場にいる時間が短いせいか、ライブの思い出といいながらあまりそんな内容になっていないけれど、スタッフや他のファンの意地悪な態度、付きまとい、などなど、行動も制限され、面白くない。僕にとっては大変不本意。今年のライブは結局このまま行きそうな感じ。


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