かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.18松山市民会館

2006-11-04 06:53:00 | 2007年までのライブの思い出

松山駅に着きました。2004年の倉木麻衣さんのライブ以来。ホテルを探しましたが、割と簡単に見つかりました。松山シティホテル。なかなか立派なホテル。チェック・インしました。ブログを書いたりしていました。夕方食事に外出。駅近くの札幌ラーメン屋に寄る。駅のところには喜多方ラーメンの店もある。やはり松山の人はこういうラーメンのほうがいいのか。僕はやはり他所から来ているので松山ラーメンのようなものを食べてみたい気がした。

ホテルで朝食。翌日は昼前外出。駅のところの店でクッキーとお茶の食事、また別の店でスパゲティを食べる。列車の時刻表や高速バスの時刻表を見ながら松山からあとの移動の予定を検討する。駅近くに座っていると帽子をかぶった若い男がこちらを見ている。誰だろう。こちらは相手を知らない。相手は僕を知っているのだろう。うっとうしい。僕のことを倉木麻衣さんに似ていると思って見ているのか。似ていないと思うが。僕は倉木麻衣さんやキャスパーさんはともかく、倉木さんのファンは嫌いだ。そのあともう一人時々ライブで見かける人から声をかけられる。東京の人だそうです。

ホテルに戻り、のんびり。近くに伊予鉄が走っている。乗ってみたいと以前から思っていたが、まだ一度も乗っていない。開場時間が近くなり、ホテルを出る。場所はわかりやすい。途中ファンらしき男数人に追い抜かれる。見かけたことのある人。長距離遠征か。会場の横では木下サーカスが行われていたらしい。到着すると入場の整列が行われていてトラックの運転手もいた。今日の席は1階15列16番。

ライブはまずまず良かった。倉木さんはサーカスの話もしていました。トラックの運転手は、台風の話をしていました。あとで見た倉木さんのリポートなどでも台風について触れている。僕はぜんぜん気がつかなかった。雨がひどかったのかな。雨の少ない風台風だったのか。倉木さんは体調が悪いようです。僕が看病をしてあげたかった。

会場には後方に空席がちらほら。入場のとき「チケット譲ってください」などと書いた紙を持っていた人もいたが、当日券ではいれたのじゃないか。本当にライブを観ようという気があるのかどうか。前売りや当日券でチケットを持っていれば必ずよいときめつけているわけではない。しかもこの人他の地方のライブでも見かけた気がする。交通費その他はたくさんお金をかけてもチケット代は払いたくないのだろうか。ファンにはそれぞれ考えがあるのだろうが、僕は他の倉木ファンは嫌いである。

ホテルに戻る前、うどん屋により野菜炒め定食を食べる。あとから入ってきた倉木ファンらしき男二人組みの態度の悪いこと。慇懃無礼、態度が横柄、意地が悪くて、・・・でもこういうやつが今の日本社会では好意的に見られるのですね。加害者優遇社会だから。ここ数年特に日本はひどくなっているのか。でもそのほうが外国からも好意を見られるのか。

ホテルに戻るスタッフの対応もおかしい。ホテルのフロントの要員というものはあんなにころころ変化するものか。僕と無関係なら許すが、関連付けているのなら許されない。コンビニなどでも条件は同じ。翌朝朝食を食べ、チェック・アウト。駅に行く。他のファンは見かけない。もう松山を去ったのか。倉木さんはどうだろう。僕は次の三島まで大阪に滞在することにした。ただせっかくここまで来ていたのでその前に四国八十八箇所の岩屋寺という所に行くことにした。落出行きの普通バスがありそれに乗っていけるらしい。

荷物をコインロッカーに預け、バスに乗る。思ったより時間がかかる。高いところを上っていく。なんだかすごいところに行きそうだという気がした。峠を越えると高原地帯で松山とは別世界のようなところ。久万高原駅というバスの駅で降りる。この辺は伊予鉄とJRのバスがあり路線バスがわかりにくい。バス路線がどうなのかよくわからないし、タクシーで行くことにした。少し歩くとタクシー会社が見えたのでそこからタクシー。まず44番の札所に行く。大宝寺、ここは行きやすい。

次に岩屋寺。ここは僕の祖母が若いときに来たことがあるそうだ。チラッと話には聞いていたが、行ってみると、道路からはちょっと変わった形の山があるなあという程度でたいしたことはなさそうだけれど実際に歩くと険しい道で登るのが大変。運動不足には堪える。他の参拝客、お年よりも健脚で、追い抜かれていく。やっとたどり着く。よくまあこんなところにお寺なんか建てるものだ。僕の祖父や祖母は世間的には評判の悪い人間かもしれない。でも僕にとっては祖父であり祖母。ある時期僕を強く支えてくれた人。日ごろは先祖に無頓着な僕も先祖について祈りました。

お寺周辺には参拝客が多いが、途中の道は少ない。他の人はどこにいったのだろうと思ってしまう。歩くのが速いのか。僕は遅いが。タクシーには待っていてもらった。川の水がきれい。水量も豊富。台風のあととは思えないほど水がきれい。やはり風台風だったのか。久万高原駅に着く。次のバスまで1時間半くらいあるけど、ゆっくり待つことにした。ぼんたん飴やわさびのあられを買う。ぼんたん飴は西日本では一般的なのか。僕も子供のころよく食べた。キャラメルとぼんたん飴が色違いの似たような箱にはいっている。子供のころを思い出すが、僕の子供のころももうずいぶんずたずたの記憶になってしまった。多くに人間が踏み潰すことを楽しみにしているらしい。僕をうそつき呼ばわりしてうれしそうな笑みを浮かべる人たち。その人たちが僕の思い出を踏み潰して喜んでいる人たちだ。

さかえという店で他人丼を食べる。バスの駅で待つ間も他のお客は不自然な面もあったが、たいしたことはない。バスに乗りまた松山市へ。途中で川を渡る。きれいな水。水量も少なく歩いて渡れるほど。本当に台風が来ていたのかと思うほど。松山の市街も結構大きいなと感じる。JRの松山駅に着く。結局鉄道で大阪に向かうことにした。特急と新幹線の乗り継ぎで、新大阪に向かいました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.16広島郵便貯金ホール

2006-11-04 04:52:00 | 2007年までのライブの思い出

倉敷から広島までは普通電車。ちょうど倉敷を午前10時に出る電車がありこれがちょうどいい。アナウンスで何分かの遅れだということだけれどもこういうことは良くある。JRなどがこういうことを言うとわざとやっているんだろうと無条件的にそう思ってしまうが、別にこちらは急いでいないので全然問題ないが。ここの路線で急ぎなら新倉敷からでも新幹線を利用する。

ところどころ車窓の景色は覚えているが、電車ではほとんど寝てばかりだった。広島駅に着く。駅のホームの立ち食いの店でうどんを食べる。ここは広島に来るときは良く立ち寄る店。そのあと駅横のビルのお好み焼きの店に行くが大変な混雑なので、少し時間を置いてからまた行くことにした。雨がずっと降っている。駅前の雨の降らない一角で雨宿りする。

中国地方ではもちろん広島が来た回数は一番多い。小学校の修学旅行もここだった。大分の竹田津港からフェリーで徳山港へ。普通電車で広島へ。広島市内見学。平和記念公園にも行った。原爆ドーム前で記念撮影。あの写真どうなっただろう。九州の祖母の家においてあったが、今はどうなっているんだろう。翌日は広島の宮島、厳島神社に行く。また広島に戻り、新幹線で小倉、日豊本線で杵築経由で帰った。1泊2日の修学旅行。

しばらくしてまたお好み焼きのところに行く。まだすごい混雑。やっと老松という店がカウンターに4席まとまって空いている席があり、そこに入ることにした。かきとそばの入ったお好み焼きでした。そのあと駅の前の地下でアイスコーヒーを飲む。大きい画面で日本人アーティストの歌が流れているが、最初中島さんが歌っていたが、知っているのはそれだけだったような。知らないアーティストが多い。別に知らなくてもいいが。

歩いてホテルへ。広島インテリジェントホテルアネックス。横は道路と公園を挟んで川。なかなか良い感じのホテル。しばらくホテルでブログを書いたり、ゆっくりし、会場に出かける。厚生年金会館やアステールプラザに行ったことは多いが、今度の会場はずいぶん以前に一度行ったきりで久しぶりの2回目。前回は広島駅から紙屋町くらいまで行きそこから折れて広島城の横を通り会場に行った。1992年か1993年だったか。帰りは他のファンと4人でタクシーで広島駅へ。

今回歩いてみるとかなり距離がある。間に合うかどうか不安に感じたので、アストラムラインを利用して会場に行くことにした。会場近くに駅があるはずだが、なんという駅かわからず、携帯サイトを利用して調べると白島というらしい。ちなみに前回1992年か1993年ごろ広島のこの会場に来たとき、まだこのアストラムラインは完成していなかった。会場近くに高い鉄道のような建造物ができかけていた状態だった。それ以後は広島に来ても厚生年金会館かアステールプラザだったのでアストラムラインというのを利用するのは今回が初めてだった。

会場に到着。もう入場は始まっている。僕の席は1階27列37番。隣の隣がトラック運転手だった。ライブは結構よい。広島ではサイン会をやったようです。ライブが終わると僕は、いつものようにさっさと会場を出て帰りもアストラムラインの利用。ホテルまでの途中に「すき家」という店があり、この店あちこちに店はあるけれど利用したことがなかったので、寄ってみました。たっぷり食べホテルへ。

倉木さんはどうやって次の松山に移動するんだろう、などと考えていました。翌日朝はバイキングの朝食。チェック・アウトし、歩いて広島バスセンターへ行く。ここから10時40分発の今治行きのバスに乗りました。なんだか怪しい乗客もいましたが、いつものこと。困ったもの。でもバスの中でも結局ほとんど寝ていました。

今まで四国本州を結ぶルートというと瀬戸大橋のルートは何度も利用。淡路島のルートも2005年の鳴門のライブのあと利用。今回しまなみルートの利用で3ルート全部利用したことになります。このルート実際には山のようなところに行くことが多い気がした。海はほとんど見なかったような。でも寝ている時間が長くあてにならない。景色をしっかりと見なかったのは残念。またいつか行くときもあるかな。

倉木さんは広島から松山までフェリーで移動したようです。なぜなんだろう。ちなみに僕が以前応援していた歌手のファン時代、顔見知りになった追っかけマニアの人がいて、その人の話だとN山というアイドルがやはり広島から松山までフェリーで移動したそうですが、それは多分1990年前後の話じゃないかと思う。もちろんしまなみルートなんて完成する以前だが。今はそういうルートもできているのにフェリーとは。高速フェリーだから速いのだろうけれども天候のこともあるし、よくフェリーなんて利用したなと思いました。大分から愛媛はフェリーじゃないとしょうがないと思うけど。麻衣さんの移動はよくわからない。もちろん追っかけはやっていませんよ。

今治駅で太刀魚や蛸の加工食品を買いました。ここは昨年四国八十八箇所めぐりに行ったときにも寄った。おばさんは僕を覚えているような気がした。ホームに立つと風が気持ちいい。普通電車に乗って松山に向かいました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.15倉敷市民会館

2006-11-04 03:50:00 | 2007年までのライブの思い出

14日、この日はライブなし。倉木さんは昨日もう倉敷入りしたのだろうか。それともこの日14日に倉敷入りしたのか。15日当日に倉敷に来るのか。場所からするといったん大阪まで戻ることもありうるが。その辺は僕はよくわからない。僕は高松駅で広島駅までの切符を買う。快速マリンライナーに乗り、岡山駅へ向かう。途中でいかにも馬鹿丸出しの背広姿の若者二人が僕の前の席に座り込む。「坂出、坂出」などとわめいている。僕を意識しているようだが、何が坂出か。ぜんぜんわからない。そういうこといえば何か影響があるだろうと思うこの馬鹿者二人の考えが理解に苦しむ。僕は頻繁にこういう馬鹿者を相手にさせられていてあほらしい。僕は坂出なんぞ行ったことはないが、坂出がどうかしたか。

岡山駅からから倉敷駅へ。時間があるのでベンチでアイスクリームを買って食べていた。駅を出て右のビルのところに公衆電話がある。そこにタウンページがあるのでそれでホテルの住所と電話番号を調べる。

僕が以前地方のコンサート、ライブに行くとよく利用していたのはサウナやカプセルホテル。どうやって探していたかというとこんな感じで公衆電話を見つけタウンページでサウナやカプセルホテルを探していた。今ではサウナやカプセルホテル宿泊も少なくなった。ここでの僕の宿泊先は、ホワイト・イン倉敷。

夕方外出。ここにもセンター街というのがあり、そのアーケード街をあるいてみる。なんとなく飲食店の様子がおかしい。ある店の前でボーとしてサンプルを見ている男がいる。おいしそうなものが多くて決めかねているのか。その男が店に入り、僕も入りかけたが、気のしすぎかもしれないが、その男の挙動に不審を感じ、店には入らず。しばらく歩くと神戸亭というカレー屋があったので、そこでカレーを食べた。店員は明るくにこやかな対応。僕のことを知っているのだろうか。少し不自然な感じ。長年の嫌がらせ攻勢の悪影響で疑り深くなっている。疑いすぎか。

表通りに出て珈琲館に行く。飲み物とホットケーキ。ホットケーキがおいしい。ホテルに戻る途中、若い男が数人いた。「ステーキ食い放題」だと満面の笑みをたたえ、うれしそうに言っている男がいた。その男はステーキ食い放題がうれしかったのだろう。良い思い出でしょう。でもライブツアーに行きながら並行してこういうことを楽しむのもツアーに行く楽しみではある。間違ってはいない。僕はホテルに戻り、コインランドリーで洗濯。

翌日朝、ホテルを出るとホテルから右手、西のほうに行ってみる。しばらく行くと小さな川、水量は多い。こういった川が倉敷近辺では目につく。この川透明度は高く水量豊富だけれども、魚影は見えない。さらに西に向かってあるくが、目的のものは見つからない。何が目的のものなのかというとサウナ。僕が初めて倉敷に来たのは1991年の春。そのとき倉敷のサウナに宿泊。カプセルホテルではなく、1階が本屋で2階がサウナというような建物だったような記憶がある。それ以降何度か倉敷には来ているが、宿泊は岡山市。ずっと岡山の駅前のカプセルホテルだったが、2005年の倉木さんの倉敷のライブのときは、岡山市のキャッスルホテルだった。いずれにしろその1991年のとき以降倉敷では宿泊していない。倉敷のこの一角にも来ていない。

街は当時より建物が多くなった印象。結局見つからなかった。確かこの通りのような気がしたが。サウナ探しはやめ、折り返し、倉敷駅に向かう。倉敷駅の軽食の店で飲み物とホットケーキを注文。そのあとは駅の北口の公園で時間をつぶす。午後3時を回りまたホテルに戻る。

午後5時半過ぎホテルを出て会場に向かう。美観地区はただ素通り。昨年まで3年間同じよな行動。会場に着く。レギュラーファンも多数来ているようだ。もう入場は始まっている。僕もさっさと入場。席は1階席27列目39。ライブはすごく良かった。ここは例年付きまといが多く、今年もそうだったが、ライブ自体はすごくよかった。満足。倉木さんは美観地区を回り、倉木さんは倉敷がお気に入りのようです。備前焼や似顔絵おじさんの話題。

ライブが終わると僕は会場を出て駅近くのカレースープの店で食事。僕はホテルに戻りました。

僕はずっと倉木麻衣が好きでファンをやっていた。ただ、このところずっとがっかりしていることがある。僕は倉木麻衣が好きでずっとメッセージを送り続けている。でも倉木さんにはちゃんと伝わっていないような気がする。僕のメッセージを倉木さんは正しく受け止めようとする意思がないように思える。僕の真意は倉木さんには伝わらない。2004年のライブツアー中から時々僕がぶち当たる壁である。いつかは信じてもらえるようにと考えても徒労に終わっているか、逆効果になっているか。でもいつかは倉木さんに心が通じると希望を持ってきたけれどもなかなか難しい。かなり厳しい。

世間や他の倉木ファン、スタッフの嫌がらせもかなり強烈で、その上倉木さんの信用がないとなるとやはり時々気持ちが沈んでしまう。何とか気持ちを奮い起こしてファン活動を続けているが、正直なところかなりつらく厳しい状況である。他の人間はそれなら倉木麻衣以外がいいのだろうと決め付けるやつもいるかもしれないが、倉木麻衣以外も状況は変わりはしない。もっとひどい可能性も高い。

ただ、今後僕が倉木ファンとしてどういう行動をとるか、来年以降のことなどはともかく、今年の倉木麻衣さんのライブは全部行く。これはぜひ実現させたい。そう考えていた。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.13香川県県民ホール

2006-11-04 02:49:00 | 2007年までのライブの思い出

名古屋から高松へ移動。名古屋駅で高松駅までの乗車券と岡山まで新幹線の特急券を買う。他のお客が名古屋駅で「郡山」なんぞ言っている。名古屋から郡山とは珍しいと同時に僕自身郡山でからかわれることが時々あるので、注目してしまったが、よく考えると奈良の大和郡山かもしれない。それならわかる気もする。人口では福島の郡山のほうがずっと多いが、知名度からはどちらも同じくらいではないか。高校野球で奈良の郡山高校が出場したことがある。福島の郡山だと安積になるのかな。大学時代の同級生に福島の郡山出身の人がいた。仲はよくなかったが。

同じような勘違いは時々ある。長野、長野と大阪で言っているときそれが河内長野の可能性もある。鶴見区、青葉区、旭区、緑区などいくつかの政令指定都市にある区もある。最初に鶴見区と聞いたらどこの鶴見区を思い浮かべるか。

以前大阪のウィンズ梅田に行っていたときのことである。まだ電話投票権がないころのこと。館内のアナウンスが流れて来た。「宮古島からお越しの○○さん・・・」というアナウンス。びっくりした。宮古島というと沖縄。それと競馬が結びつかない。わざわざ沖縄から馬券を買いに大阪まで来たのか。それはすごい。まあ友人が大阪にいて遊びに来ていた宮古島の人がその友人につれられてウィンズに来ていた可能性もあるが。そう考えて納得したのだが、そのとき思い出したのが、「都島」。大阪だったら普通そちらだろう。場所から考えたら、ウィンズ梅田に来てもおかしくない。気がついて脱力。時々ある。

岡山駅で立ち食いのうどんを食べる。おばさん二人が派遣の仕事を批判している。無職の僕はもしかすると派遣会社に就職する可能性もある。あくまでも参考意見として聞いたのだが、就職に対する表現は難しい面があるなとつくづく感じたのである。

Aさんが「公務員や一流企業の社員はいいけれど自営業や中小企業の社員はよくない」と主張すると周囲の人間は、Aさんは現実の社会をよくわかっている、さすがだと高い評価をする。一方でAさんが「公務員や一流企業がよくて自営業や中小企業がよくないというのはおかしい。そういうことで差別的な評価をすべきでない」と主張すると周囲の人間は、Aさんはさすがに公正に物事を見ていると高く評価される。

それに対して、Bさんが「公務員や一流企業の社員はいいけれど自営業や中小企業の社員はよくない」と主張すると周囲の人間は、Bさんはすぐ職業で他人を差別したがる。だめなやつだと低く評価される。一方でBさんが「公務員や一流企業がよくて自営業や中小企業がよくないというのはおかしい。そういうことで差別的な評価をすべきでない」と主張すると周囲の人間は、Bさんは現実をわかっていない、机上の理想論ばかり言っていると低く評価される。

AさんもBさんも同じことを言っているけど周囲の評価は全く異なっている。よく幸福になるためのノウハウなどを歌う書物があるがだいたいAタイプの人間になれというものだ。僕は抵抗を感じるけれども、こういうことはよくあることだろう。

そこの今度はCさんが登場する。Cさんが「Aさんの主張は、現実もよく見据えているし、見方が公正だ。Aさんは立派である、それに対し、Bさんは現実をわかっていないし、職業に対し差別的で、レベルが低い」と主張する。周囲の人間は当然Cさんに好意的な人が多い。一方でCさんが「AさんもBさんも同じことを言っているのだから両者に大きな差があるような評価はおかしい」と主張するとそれはそれで「Cさんは周囲の評価に流されず、きちんと両者を評価できている、立派である」と好意的に評価される。

ところがDさんの場合。Dさんが「Aさんの主張は、現実もよく見据えているし、見方が公正だ。Aさんは立派である、それに対し、Bさんは現実をわかっていないし、職業に対し差別的で、レベルが低い」と主張すると周囲の人間は当然Dさんは安易に他の人の考えに合わせただけで、実際にはAさんとBさんの意見は同じだと気がついていない、Dさんの主張は程度が低いと評価される。一方でそれに対し、Dさんは「AさんもBさんも同じことを言っているのだから両者に大きな差がある評価はおかしい」と主張すると、Dさんは何かとそういうふうにみんなの意見にけちをつけたがるなどと低く評価される。

この場合のCさんとDさんも同じことを言っている。さらにEさんとFさんも登場するかもしれない。Eさんが「Cさんは立派だが、Dさんはだめなやつ」あるいは「CさんもDさんも同じ」のどちらを発言しても高く評価され、Fさんはどちらを発言しても低い評価。こんなとき誰かがA、B、C、D、E、Fの意見についてに同意を求めて来たとき、迂闊に答えると貧乏くじを引かされるかもしれない。僕はこういう貧乏くじをたくさん引かされてきた。概して相手は、本人はたいした人間ではないが、バックの多数派組織、権力側組織に好意的に見られている人間である。いいように攻撃されてきた。

快速マリンライナーに乗り換える。後ろに緑色の服を着た男がいる。付きまとい、嫌がらせ大好き人間だろうか。高松駅に着く。立ち食いの讃岐うどんを食べる。岡山駅のうどんもおいしいが、ここのうどんはまた一段とおいしい。じゃこ天のうどんだったが、このじゃこ天がまたいい。駅構内の椅子にファンが数人座っているのを見かける。精彩がない。疲れているのか。雨が降っている。

僕は駅を出て左のほうに行ったところのスーパーに寄る。高松によるときはだいたいここのスーパーに寄っている。お惣菜が僕の好みに合う。全国的にあちこちのスーパーのお惣菜は微妙に品揃えが異なり、高松のお惣菜は僕好みが多く、ここに来る楽しみのひとつ。雨は降る続く。パインシャーベットという文字も見えたが、食べない。しばらく駅のところにいて、ホテルに向かう。あるいて5分くらいか。ビジネスホテルまるい。ここはエレベータがなく、部屋は3階、荷物が重いときは少し大変かも。そうではければ安くてまずまずよい。シャンプーはない。

部屋でスーパーで買ってきたお弁当やお惣菜を食べる。しばらく休み、会場へ。赤い服にさやかなどと書いた服を着た男を見かける。さやかという名前なのだろうか。男では珍しい名前だ。自販機の前の不審者。会場に向かう途中、トラックの運転手と会う。ここは何度か来た事のある会場、下のフロアに飲み物の自販機がある。僕の席は1階16列12番。

ライブはまずまず。倉木さんは新幹線でこちらへ来たようだ。岡山からの移動については触れなかったけれどもマリンライナーかな。それとも車だろうか。僕が以前応援していた歌手のコンサートで広島から高松に移動したとき、その歌手はマリンライナーで移動したのだけれども、倉木さんはどうだったんだろう。一緒に移動したファンなんていたのかしら。駅のところにも行ったそうです。僕も駅にいたけれども倉木さんはいつごろ高松駅に行ったんだろう。親切な青鬼の話。

ライブが終わると僕は下のフロアへ。また飲み物を買って飲んでいました。出待ちはせず、そのまま裏側の出口から帰る。やはりわざとらしい男がいる。こちら側のほうがホテルにずっと近い。ライブに行くのにここのホテルは都合がよい。荷物が軽ければ苦にはならないのだが。翌日、チェック・アウトし高松駅に向かいました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.12名古屋市民会館

2006-11-03 14:47:00 | 2007年までのライブの思い出

神戸から戻り名古屋まで少し間隔があいた。名古屋のライブ当日名古屋へ向かう。今年のライブはだいたい前日ライブがある場所に行くことが多い。例外はライブが連続する日と関東、名古屋、日程の都合で今年の山形。名古屋は日帰りで行くことも多いし、東京からは行きやすい。僕自身、都道府県別にライブに行った回数を見るとやはり東京が一番多いが、それとあまり変わらないくらい愛知県も多い。

宿泊先はシティホテル名古屋で駅に近く、以前一度宿泊したことがある。愛知万博のときかな。チェック・インし、一休み。5時過ぎくらいにホテルを出る。会場の名古屋市民会館は、以前応援していた歌手で一度来たことがある。金山の駅前。といっても建物がひとつくらい間に入る。金山駅というのはセンチュリーホールに行くとき乗換えで何度か使ったけれどあまりよく知らない。久しぶりで市民会館側を利用すると迷いかけてしまった。会場に行く途中飲み物を飲むが、周囲を歩く人はわざとらしい演技派の人を数人見かける。僕に演技力に審査をしてほしいのか。無断で無料で。お断り。しつこいね。こういう人たち。

この会場にこやかな目をした私設チケット売りの人が多い。自然保護のためにチケットを売っているのだろうか。でもピンクのチケットを持っている人も見かける。入場する。倉木さんのライブグッズ紹介ビデオが流れているということなので見る。かわいい麻衣さん。見たのはちょっとだけで会場に入る。今日の席は1階27列11番。ライブはまずまずよい。倉木さんは名古屋市内のペルーの人のやっている店に行ったとか。会場でペルーの民族楽器の笛を吹いていました。大須の万松寺商店街を歩いたそうです。

ライブが終わり会場を出る。背広を着たスタッフの人がグッズのビデオを見ている。握手を求めているファンもいる。ビーイング ギザの偉い人なんだろうか。僕は知らない。こういうことは詳しくない。以前応援していた歌手時代は他のファンとの交流があったからそういう情報は入ったけれども、倉木ファンになってからはそういう情報は全くないので倉木さんの事務所の社長だとかマネージャーとか担当ディレクターなど僕はよく知らない。どういう人なのかな。FM AICHIの今年の公開録音のときこの男性ともう一人の女性が二人指定席の最後方にいた。二人ともまるで大切な娘を見るようなまなざしで倉木さんを見ていた。有力スタッフなのだろう。

トラックの運転手の人と出口で会う。出待ちをするそうだ。僕はそのまま会場近くのココ壱番屋に行き、カレーライスを食べる。この店は前回この会場に来たときもコンサートの前に食事した。久しぶりの2回目。駅まで歩く。相変わらずわざとらしい付きまとい。駅からは普通電車。ホテルに戻りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.7神戸国際会館・こくさいホール

2006-11-03 05:09:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年の倉木麻衣さんのライブ・ツアーでここの神戸国際会館・こくさいホールのライブは3階立見席だったけれどもすごく印象のよかった会場。今年もここでライブが行われるすごく楽しみでした。僕は1日前の6日に神戸に向かいました。新幹線で新神戸着。この駅はアメフトの試合を見るためにウイングスタジアムに行ったことがあり、そのとき利用。それ以来2回目。内田康夫氏の神戸殺人事件でこの駅の裏側が登場する。ちょっと気になり裏側を見る。駅裏一等地に家がある。水の流れ。

駅から歩いてホテルまで行こうと思ったが、雨が降っていて、荷物もあり、面倒なので地下鉄で三宮へ。ホテルは三宮の花ホテル。予約をとる時点では考えていなかったけれどもこのホテルは、ホテルを出ると少し歩くと地下鉄の入り口があり、そこから会場の神戸国際会館までずっと地下を通っていける。雨の日はほとんど傘なしでもいける。

チェック・インし夕方食事のため外出。神戸の土地柄なのか焼肉やステーキの店が目に付く。三宮という地名は有名だが近くに二宮という地名もあるらしい。二宮センター街という小さな通りがあったので行ってみた。あまりにぎやかでもなくそれほど特徴があるわけでもない。結局駅前の通りに戻り、めしや丼(宮本むなしだったか?)と珍丼亭(名前が違ったか?)で食事。付きまといらしき悪党を見かける。

ホテルに戻る。翌日昼前ホテルを出て食べ歩き。街の地図を見ると一宮神社、二宮神社、三宮神社と揃ってあるらしい。僕はわざと三宮センター街には近づかず、食べ歩き、ホテル向かいの立ち食いの店でそばを食べる。ぼっかけというのがおいしい。お好み焼き道場という店を見かける。食べてみるが、やはりぼっかけのお好み焼きがおいしい。一軒しか行っていないのではっきりしないが、神戸の好み焼きはかなりおいしいうちにはいると思う。ホテルに戻る。

5時半くらいにホテルを出て会場へ。兵庫のライブは今年の三木市、2004年の尼崎、神戸、以前応援していた歌手で1991年か1992年ごろに一度。今度で5回目、倉木さんでは今回で4回目。地下の飲食街でカレーを食べる。以前応援していた歌手で初めて神戸にきたとき生卵のかかったカレーが出てきたことがある。神戸というのは注文しなくてもカレーに卵がかかっているのかと思ったものだ。最近見かけないが、神戸のカレーが変化したのだろうか。それとも経費削減か。

会場に着く。入場整理が始まっている。僕も入場。今日の席は1階24列。僕自身はそれほどライブを楽しめたわけではないけれど、ライブはすごくよかったと思う。以前倉木さんはここの会場をほめていたけれども、やはり音的にもよいのだろうか。僕はその辺は詳しくないけれども、僕もこの会場にはいい印象を持っている。麻衣さんは三宮センター街を歩いたそうです。僕も一緒に行きたかった。

ライブが終わり、僕はいつものようにアンケートを書くと出待ちには加わらずさっさと帰る。ところが街へ行くとあちこちの店でファンらしき連中を見かける。それまで僕はMai-Kグッズの背番号20のTシャツを着ていたが、同じTシャツの男が吉野家で食べている。僕はそれを見て背番号20のTシャツを着るのは止めようと思った。気のせいかもしれないが成りすまし的雰囲気がある。もちろん気にしすぎの可能性もあるが。

なか卯に行くと今度はスケベらしいアベックがいる。うっとうしい。しょうがないのでコンビニでおにぎりを買ってホテルへ帰って食べることにした。神戸の付きまといもうっとうしいかぎり。

翌日8日少し早めにチェック・アウト。もう少し神戸を歩いてみようと考え、三宮商店街を歩いていく、10時前くらいでまだお店も開店していないところが多い。元町の商店街を歩く。どこかで食事でもしようかと思ったが意外にどこの店もお客が多そう。商売繁盛でしょうか。こんな時間から軽食喫茶の店に入り浸ることができるなんて、観光客でもない地元の人がやっているのなら、神戸は経済状態がよくリッチな人が多いということなのか。いい身分。

宮本むなしの元町の店をみつけたので食事。やよい軒にしても、めしや丼にしてもおいしくてとてもよい。関東でもこういう店はあるだろうけど関西だとあちこちにある印象。うれしいです。JR神戸駅に着く。地下鉄のハーバーランドという駅とくっついている。地元の求人誌を見ていたらここのあんぱんやという店の求人が出ていた。別に求人に応募するつもりはないけれども、こういう店もあるのかと思い、ちょっと来て見たかった。見つからなければ寄らなくてもいいやと思ったけれどもすぐ見つかった。アンパンを取り混ぜて10個買った。おやつ。

地下鉄を乗り継ぎ、新神戸に行く。アイスコーヒーを飲んだり少し時間をつぶしホームへ。やはり駅裏を見る。沢が流れている。滝はどの辺だろう。そんなことを考えながら新幹線を待つ。東京に戻りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.3土岐市文化プラザ・サンホール

2006-11-03 03:06:00 | 2007年までのライブの思い出

9月3日、今日は岐阜県土岐市で倉木さんはライブ。ホテルをチェック・アウトしたあとで、僕は今日東京に戻る予定で荷物を名古屋駅のコインロッカーに預ける。時間に余裕がありすぎ。以前応援していた歌手時代なら早めに会場に行き、他のファンと交友したり、食事をしたり、会場周辺を散策したりなどしていたが、倉木ファンになってから他のファンと交友は持たないし、早く行くとスタッフにもからかわれるから、仕方なく途中で時間調整として、時間をあちこちでつぶす。内心馬鹿馬鹿しいと思っている。馬鹿スタッフのせいで本当に迷惑だ。スタッフはきちんとできないのか。付きまといマニアも出没する。

岐阜県のコンサートというと1991年に当時応援していた歌手のコンサートで岐阜市には一度行ったことがあるが、それ以来2回目。岐阜県の中央線沿線に来るのは初めてでした。

中央線で土岐市まで行く。駅のところで食事。さがのという店。犬の置物がたくさん置いてある。ここでも若い女性の付きまとい、三重鈴鹿のときと同じ女性じゃないだろうか。よく覚えていない。美人だけれども腹が立つくらい性格が悪いようだ。もちろん美人といっても倉木麻衣さんやキャスパーさんほどではないようだ。

うんざりなので、仕方ない、歩いて会場まで行く。途中でベンチを見かけ、座っている。これも時間調整だけれども、暑いので日陰を見つけて座る。途中のお店で種無しぶどうを買う。種無しだの巨峰だの、マスカットだの、葡萄のネーミングというのは語呂合わせ好きな人が喜びそうな名前だね。橋を渡る。川を見ていた。土岐というところ不便ではないけれど、にぎやかな都市というほどでもない。ちょっととらえどころがないというか、まあちょっとしかいなかったから、じっくり見れば印象に変化はあるかもしれない。会場に着く。

会場のお店による。ここの店もさがのというようだ。駅の店と関係あるのか。かき氷を食べていた。お店を出る。会場の外の一角に石があり日陰なのでそこに座り僕は一人で葡萄を食べていた。開場時刻になる。僕の席は1階席W列。倉木さんは丼会館に行ったようです。僕も一緒に行ってみたかった。麻衣さんと一緒だとうれしくて舞い上がってしまうかも。でも一緒にいられたらいいな。

ライブが終わると僕はいつものように出待ちはせず、駅に向かいました。土岐市駅でもつまらない薀蓄をたれる馬鹿男、倉木さんのファンにはこういうのが多い。うんざり。名古屋駅に着くと、コインロッカーから荷物を出し、新幹線で東京に戻りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.2鈴鹿市民会館

2006-11-03 02:03:00 | 2007年までのライブの思い出

三重鈴鹿と岐阜土岐は宿泊先は名古屋にしました。駅前ホテルモンブラン。夕方は松坂屋の上の階の飲食店へ。おひつまぶしを食べる。これ一杯じゃ足りないと思う。でも僕は一杯しか食べなかったが。田楽の店にも行く。赤みその田楽。9月2日はお昼前にホテルを出る。

三重県鈴鹿市。僕は以前応援していた歌手のコンサートで三重県には3度来ている。四日市、伊勢、それにここ鈴鹿。ここは1999年以来くらいかな。ここも久しぶり。僕は最初に四日市に来た年、ついでに伊勢神宮にも参拝した。内宮だけだったが。その次の年1991年に伊勢のコンサートがあった。そのコンサートのとき朝早く一度会場に行った。別に一番乗りを目指したわけではない。今の大垣行き快速「ながら」のまえに東京発大垣行き普通電車というのがあった。僕が当時応援していた歌手のコンサートで地方に行くときよくその電車を利用していたが、結局それを利用して中京地区のコンサートに行くとすごく早く会場に着いてしまう。

1991年は朝名古屋に着きそのまま伊勢に向かった。会場は宇治山田駅前。かなり早く会場に着いた。でも僕は一番乗りではなかった。すでに先に来ていた人がいた。いつ来たんだろう。僕は会場を去り伊勢神宮を参拝する。今度は外宮内宮とも参拝。午後会場に戻る。会場の地下が駐車場でその歌手は車でそこに入っていったようだ。当時僕はツアー限定追っかけもやっていないころで、他のファンとの交流も少なく、情報も乏しかった。僕は偶然上のほうからその様子を見ていた。どうやら車にその歌手が乗っていたらしい。でも雨がひどく降り始めていて車の中の様子はよくわからなかった。服装の色からすると、当時その歌手がその色の服でよく会場入りしていたようなので、おそらくその歌手ではないかと思ったが、違うかもしれない。

僕はブログで詳しく説明しているが、以前応援していた歌手に対する応援姿勢だけれども、1992年の名古屋公演以降ツアー限定の追っかけをやり始めた。1992年のツアー最初のころまでにすでに50回以上コンサートに行っていたけれども、ツアー限定追っかけもやっていなかった。以前応援していた歌手においても前半と後半では応援スタイルが大きく異なっている。倉木麻衣ファンになってからは全く追っかけをやっていない。要するに以前応援していた歌手の前期の応援スタイルに戻っているわけだが、何度言ってもわからないやつがいる。

もちろん僕自身スタッフや他のファンの嫌がらせに苦しみ、以前応援していた歌手の前期の応援スタイルとも違うところがある。これは嫌がらせのために不本意ながらやっていることである。僕は倉木麻衣については、単にコンサートやラジオキャンペーンにたくさん行っているだけで、追っかけをやっていない。以前からずっとそう言っているじゃないか。定義以前のレベルの話である。それに定義を持ち出すのであるなら、そもそも僕のことを追っかけといっているのは誰か、その情報のもとをただすと誰に行き当たるのか。

以前応援していた歌手のファン時代、一緒に行動した追っかけマニアの人は僕を追っかけとは認めていない。僕の前でそういう発言をしている。他の古参有力ファンも僕を追っかけだとは言わない。では誰が僕を追っかけだといいはじめたのか。誰が僕をツアー限定交通期間限定追っかけと呼ぶようになったかというと、僕自身である。つまり僕を追っかけと呼ぶのは僕の主張を支持していることになる。実際には多くの人間は、僕の発言のうち一部をそのまま容認し、容認すると自分たちに不都合な部分のみ、他人の意見や僕の意見と異なる意見を勝手に僕の意見呼ばわりする。悪質な嫌がらせである。復讐されたい人間のみやることだろう。

語呂合わせ、駄洒落でごまかせばますます問題解決は困難になり、状況は悪化する。それを承知で語呂合わせや駄洒落を当てはめるのが、多くの日本人のやり方である。組織・多数派・権力寄りの人間に不幸があれば、自業自得というべきだろう。

その1992年のコンサートのあとその歌手からはがきが届いた。14年間応援をしていて、たった一回もらったはがき。プレゼントのお礼のメッセージとサインが入っている。うそだろうというやつもいるかもしれないが、ちゃんとしまってある。記念。もうその歌手のファンも辞めてしまった。当時のことがいろいろな形で嫌がらせをされている。倉木ファンからも嫌がらせをされ、ライブ・スタッフからも嫌がらせをされる。当時のファンの仲間とも人間関係がこじれ、それだけでなく、僕を攻撃する連中の一方的言い分を鵜呑みにするやつも多い。しかもそれを根拠にまた僕に対する攻撃。とてもじゃないがその歌手のファンは続けられない。やめても影響が大きいくらいだから、続けたらどうなることやら。僕は当時応援していた歌手のファンは辞めた。

そのはがきのことがあって以来、げんを担いでしばしば伊勢神宮に参拝していたが、郵便局時代「伊勢」という名前の職員がいておちょくられることも多く、また僕が伊勢市に行くと不審な人間を見かけることが増えだしたので、ここ数年は全く伊勢神宮には参拝していなかった。今年はせっかく三重県に来るので久しぶりに伊勢神宮に参拝しようと思った。

宇治山田駅から外宮に行く。参拝する。バス停に行く。バスの時刻が変な気がしたが、よくわからない。内宮に着く。参道を歩いていたのだが、やはりおかしい。参拝客の歩くところが違うようだ。良いといわれることの多い宗教、実質いかがわしい関係者だろうか。時間が迫っていたので、早めに参拝を終わらせ、バスで宇治山田駅に戻る。五十鈴川駅でたくさん客が降りる。宇治山田駅に着くと母親と小さな子供の二人組が、運転手にこの駅から賢島にいけるかと聞いていた。また違和感。こういうことはよくある。いちいち取り上げていたら大変だ。

特急で伊勢白子、急行で伊勢若松まで行き、乗り換え鈴鹿市へ。特急の中では座席を一列間違えたという人がいたが、これと全く同じことが来るときもあった。変。会場には6時くらいに着く。トラックの運転手はもう来ていた。僕は一般発売までにチケットが手に入らないときのみオークションを利用することにしている。今回のツアーでは唯一のオークション利用の会場。1階ひ列。後ろから3番目の端。ただ入場するとき若い女性が僕の周りで「ヤフオク、ヤフオク」と言いまくっている。誰だろうこいつ。僕の知らない女性である。顔はまずまずの美貌でかなり男性に人気のありそうな女性だが、この態度からはかなり性格が悪そうな印象である。美人なので周囲の若い男性がちやほやするのでいい気になっているのか。もちろん美人といっても倉木麻衣さんやキャスパーさんほどではない。でもいまどきはこの程度の美貌で、性格の悪い女性は多いのか。多そう。でももう顔忘れてる。覚えていない。

倉木さんはロック温泉の話をしていました。地元のスーパーにも行ったらしい。麻衣さんが楽しんでくれるのはうれしい。ライブが終わると宿泊先の名古屋のホテルに戻りました、


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.31宇和文化会館

2006-11-03 01:02:00 | 2007年までのライブの思い出

28日夜ドリームにちりんに乗り、小倉へ新幹線で東京へ戻る。輪島のチケットは取れていました。アパートの家賃を払い、30日朝にはまた四国に向かいました。新幹線と特急を乗り継ぎ、卯之町駅到着。午後2時くらい。近くの宇和郵便局に行き、輪島のチケット代金を送る。アリスで食事。小さな町だけれどもいろいろな店が揃っているようでした。あとで街を歩いてみようと考えていました。

ホテルは午後3時チェック・インのつもりが、午後4時でないと入館できないらしい。1時間ホテルの前にいたり、前の川やその近くを散策する。薬局の前にいたら、倉木さんの「Diamond Wave」が流れてくる。ラッキー。ホテルの横はコーヒー屋さん。田舎町なのにこういう店まである。遅くまで営業するスーパー、マクドナルド、回転寿司屋、ファミレス、ミスタードーナツ、パソコン教室といろいろ揃っている。大阪行きの夜行バスもある。小さな田舎の都市のようでいて生活は都会的な便利さがかなり取り入れられている。午後4時チェック・イン。

今回はこのあと三重県鈴鹿、岐阜県土岐を回って東京に戻る予定で日数が短くノート・パソコンは持ってきていない。夕方街へ出る。結局ほっかほっか亭で弁当を買ってきて食べる。天気は降ったりやんだり。前の川は濁っていて、魚は見えない。流れはゆっくりとしている。

翌日このホテルの従業員はお昼は掃除担当を除き不在になるらしい。連泊の場合、鍵の授受について話しをしておく。お昼前の外出し、コインランドリーに行き洗濯。近くの庁舎近くの池を見ていた。洗濯が終わるとその近くの回転寿司屋による。たっぷり食べ、街を散策し、ホテルに戻る。会場はここからでも近い。

夕方5時過ぎにホテルをまた出る。途中の軽食の店で食事。会場へ。雨がだんだんとひどくなる。会場前には池があり、そこに雨が降り注ぐ。ライブは大都市圏に比べれば盛り上げるファンも少なく、盛り上がりがイマイチだけれどもでもライブ自体は結構よいライブでした。楽しめました。僕の席は1階L列。ライブ終了後アンケートを書いて出す。トラック運転手の友人が話しかけてくる。岡山在住の人のようでした。

僕はそのまま会場を去り、またほっかほっか弁当屋に行く。結構おいしい。他のファンらしき人も見かける。出待ちはしなかったのか。どこで食べようか、などと話をしている。ホテルは取っていないのか。雨も降っているし、適当な場所を見つけるのが大変だったかもしれない。どこか無人駅の待合室など考えているのか。東屋のある公園とか。僕もそれほど多いわけではないが、20代のころコンサート・ツアーに行き、何度か屋外で夜を明かしたことがある。駅構内、バス停のベンチ、バスの待合室など。

ホテルに戻る。翌朝は少し早めにチェック・アウト。川沿いを歩く。昨日の会場の横を通り、駅へ。途中途中後ろから来た女性二人が挨拶をしていく。誰だろう。駅のところのパン屋でパンを買ったら、今日はパンの日だということで、お皿を2枚もらった。今日の宿泊先は名古屋。特急と新幹線を乗り継いでそちらに向かいました。新幹線の中では傘自慢の男が隣に座る。付きまといでしょうがしつこい。ブログにかかれたいのでしょうが、こういうのを書くと次々にブログに書かれたい人が登場する。全部は書きません。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.28豊後大野市総合文化センター(エイトピアおお

2006-11-02 14:02:00 | 2007年までのライブの思い出

佐賀のライブの翌日28日月曜日。佐賀のホテルをチェック・アウト。駅へ行く。大分まで行くのにどうやっていくか考える。博多、小倉経由ルート。豊肥本線経由ルート、久大本線経由ルート、バス利用ルート。結局久大本線ルートで行くことにした。久大本線は湯布院と大分の間は今年も行っているし、日田大分間も数年前行った。でも久大本線全線は僕が小学校のとき以来行っていない。そのときは祖母といとこと3人で行った。懐かしい思い出です。豊肥本線や博多、小倉経由ルートはここ数年通っている。

バスルートは利用したことがないが、今回は久大本線の特急「ゆふいんの森」で行くことにした。おしゃれなつくりで以前から乗ってみたいと思っていた。佐賀駅からは普通電車で鳥栖まで行く。1時間近く待ち時間がある。一本前の特急「ゆふいんの森」は湯布院止まりのようだ。僕が乗ったのは別府行きだけれどもけれど、大分駅で降りる。途中の車窓の渓谷美はなかなかよい。たぶん豊肥本線よりこちらのほうが車窓の景色は変化に富んで面白い気がする。でも結局大半は寝ていたが。大分駅着。外はやはり暑い。

コインロッカーに荷物を預け、駅のところの佳舎という店に入る。インテリアに独特のものがある。僕の小さいころこの辺にレストランがあったような気がする。僕は田舎っ子だから田舎風の家庭料理で育った。カレーライスやとんかつだって食べたことはもちろんあるが、たまに街に連れて行ってもらって食べる料理、たとえばカツカレーなんぞ無上のご馳走のように感じておいしく喜んで食べたものだった。別に僕の家は特に貧乏というわけではない。当時僕が育った田舎はこんなものだった。不便な面は多かったが、僕は結構楽しんでいた。でも極悪人にはなかなか理解されないが。

時間に余裕があるので駅の待合室で時間をつぶす。僕は大分育ちである。でも結構地元関係者に意地悪される。正しく情報が伝わっていないようだから、何か誤解があるだろう。でも誰も誤解を解こうとしない。それだけでなく誰も誤解を解くことに好意的でない。何が何でも誤った解釈を正しいものと言い張ろうとする。反論しても捻じ曲げて解釈され、論点がぼかされ、問題解決がますます悪化する。しかもそれが広範囲に長く続く。他の地域、たとえば東京でもそうだが、ここ僕の育った大分でも同じ。

以前は大分育ちということで僕はかなりの大分贔屓だったが、最近はそうでもなくなった。僕を直接的間接的に知っている人、幼いころから接してきたものまでが、僕に対する嫌がらせに積極的に関わろうとする。その様子を見ると他の地域以上に残念な気持ちがしてしまう。これからは大分に来るのは減らしていきたい気がする。誰だか知らない態度の悪い男に攻撃されることもある。でも僕に対する育ったところに対するデマもひどいし、どうなることやら。

時間を見ながら、豊肥本線のホームに行く。三重町駅行きの電車に乗る予定。僕は豊肥本線の電車には2回特急電車に乗ったことはある。でも今回行く、豊後大野市には一度も行ったことがない。三重町駅というのは平成の大合併前は三重町といところ。初めて行くところ。どういうところかな。佐賀であったトラックの運転手に会う。一緒に行くことになる。結構熱心なファンのようですが、佐賀のところで述べたとおり、今の僕の立場では他の人と交友を深めるのは難しい。盗聴などのプライバシーの侵害があった場合、こちらは絶対的不利な状況で交友を持つことになり、今の状況でそれは僕にはきつい。トラックの運転手が直接盗聴に関わらなくても、どこかでそういう悪い連中とつながってしまう可能性はあるわけで、疑いすぎの気もするが、僕の現状からするとそういうことは考えないといけない。正直なところ気が滅入ること。トラック運転手さん、ご好意かもしれないけど、交友はもてません。

豊肥線というのは単調な景色だと思っていたが、それほどでもなさそう。実際豊肥本線だって乗った回数は凄く少ないけれども、普通電車だとまた特急と違う印象がある。三重町の駅に着く。場所がよくわからない。携帯サイトで場所を確認したら意外に近い。会場着。ガラス張りの中庭に池。今日の席は1階席7列目。トキハのプレイガイドで買ったもの。あのときを思い出す。6月12日だった。そして6月13日。

ライブはまずまずよい。倉木さんは大分が好きらしい。別府湾の景色が気に入ったらしい。確かに別府湾の景色はいいね。ライブが終了。僕は出待ちをやらないが、トラック運転手はやるらしい。でも僕に付き合っていっしょに帰るらしい。駅まで行く。前の電車が行ったばかりでかなりの待ち時間。トラック運転者は地元の人と話をしている。列車の時刻には他のファンもたくさんやってくる。列車ではわざとらしい怪しいサラリーマングループ。敷戸で降りたのかな。ブログに書かれたいのかもしれないけれども、こういう人が多くて。いちいち紹介しきれない。

大分駅に着いて、トラック運転手の人と駅近くのラーメン屋へ。トラック運転手の人は大分のホテルに泊るらしい。僕は大分駅に向かう。ベンチに座る。僕はまだ石川県の輪島の公演のチケットが未確定。たぶん僕が九州に来ている間にはがきが到着しているはず。それでチケットが取れたかどうか、判明し、取れていたらチケット代金を送る。そのため一度東京の自宅に戻らないといけない。次は愛媛の宇和。船で行くんなら臼杵八幡浜なんぞ考えていたが、今回は東京に戻り、30日にあらためて愛媛に行くことに。

夜中にドリームにちりんという特急がある。これに乗り小倉で朝一番早い東京行きののぞみに乗る予定。昼前に東京着の予定。ドリームにちりんという特急、以前は同じルートで急行日南という列車ああった。鹿児島本線のほうは急行開門。日南のほうは上りは夜宮崎を出て朝博多着というもの。下りはその反対。僕が以前応援していた歌手でライブツアーに行き始めた当時、1990年から1991年くらいにかけてよく利用したもの。当時は列車の追っかけもやっていないころでけちけち旅行だった。周遊券で九州まで来て、博多で夜日南の下りに乗り大分着、当時駅の売店がこの時間に合わせて営業していた。そのあと上りの博多行き日南に乗り、朝博多到着。周遊券だから余分な払いはなし。こうして宿泊費を浮かしていた。

20代のころ僕は当時応援していた歌手のコンサートに行きまくり、一時は経済的にもかなり苦しかった。30代後半でやっと持ち直した。やっと経済的に余裕が出てきたら、仕事を失い、嫌がらせ構成がエスカレート。何とか今退職金などで持ちこたえている状況。冴えないパットしない人生だが幼少時のことを含め波乱万丈ともいえる。ドリームにちりんなんて久しぶりに利用する。たぶん急行日南から特急ドリームにちりんになって2回目くらいじゃないか。極貧時代の思い出が蘇る。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.27佐賀市文化会館・大ホール

2006-11-02 10:00:00 | 2007年までのライブの思い出

熊本の八代から移動。今日はライブがないし、時間に余裕がある。普通電車で佐賀へ移動。うとうとしたり、八代駅で買ったソラマメの草餅を食べたりしていた。この草餅はおいしい。途中久留米で速い電車があるとか。でも急いでいないし、ホテルのチェック・インに対し、極端に早く着いてもこの時期暑い日も多く暑がりな僕は、時間をつぶすのに苦労する。そのままの電車で鳥栖駅へ。目の前に大きなサッカースタジアム。立ち食いのうどんを食べる。

長崎本線に乗り換え。こちらも普通電車。後ろの席の人はうどんを食べている。これ見よがしに、わざと大きな音をさせようとしているようだ。何か目的でもあるのかしら。佐賀駅に着く。佐賀というと以前応援していた歌手のコンサートで佐賀市には1990年の春に一度来ているがそれ以来久しぶり16年ぶり。当日券で3階席の後ろのほうだった。当時は佐賀駅北口には建物もあったが田んぼもあった。あれ以来。

駅に着いたころから少し雨がぱらついてきたよう。ホテルにチェック・イン。サガシティホテル北口館。夕方食事に外出。駅ビルの店に行く。揚げ物の店で肉類、何食べたか忘れてしまった。そのあとカレー屋でカレーを食べる。何カレーだっけ。なぜかここらあたりの記憶がぽっかり失われている。なんかあったかな。ホテルに戻るときファンらしき数人が近くのホテルに入っていったようで、熱心なファンが多いようです。結構遠くからたくさん来ているようですね。その熱心さはとてもよい。ファンたちよ、がんばれ、でも僕にちょっかい出さないでね。

翌日27日、ホテルで朝食。和食なんだけれどとてもおいしい。満足。昼前にホテルを出る。駅の今度はハンバーグ屋で食事。駅の横の西友に行く。上の階の飲食店に行ったが京風ラーメンの店。迷ったが今回はパス。自転車置き場横の一口茶屋に行く。たこ焼きやフローズンを食べる。おいしい。

会場に向かう。話しかけてきた人がいた。埼玉県の人。年齢は僕より少し上。熱心なファンのようです。僕は一応ファンとしては孤立路線を行っている。それに嫌がらせやプライバシーの侵害問題があり、他の人と適切な心理的な距離感を保つことがおそらく普通の人以上に難しいと思われる。正直なところ今は他の人と交友は持ちたくない。挨拶程度か。しかしこの人ライブ慣れしているようで、チケットのC,R,Lの意味を聞いてきた。ライブ慣れしているから知っているだろうが、何か裏があるのか。長年の嫌がらせ被害のせいか、僕も確かに他の人に対し疑い深くなっている。

疑う必要のない人、普通に接してよい人に対し過剰な猜疑心や不信感を僕は持ちやすい。それは僕自身の思考上の問題点だけれども、でも今までのような付きまといやデマ、プライバシーの侵害行為があると、こちらも自衛のために他人に対し強く疑わないといけない。その結果、よい人や普通に接すればよい人にまで不愉快にさせてしまうかもしれないが、今の状況が変わらないと状況改善は難しい。

トラックの運転手だそうだが、よい人かもしれないが、今の僕の状況ではうまく交友はもてない。せっかくの好意かもしれないけれど申し訳ない。それに本人はよくてもどこかで僕に意地悪する連中とつながる可能性もある。こんな警戒を続けるのもうんざりだけれども確かに僕に対し意地悪、嫌がらせをしている連中がいて、その実態が僕には十分つかめていないのだ。対策も取れないので攻撃されっぱなし。攻撃の内容はどうせデマや駄洒落、デタラメ解釈が根拠だからたいしたことはないが、攻撃の量がもの凄い。落ち込むときもある。僕はこれからも孤立路線で行く予定である。しかし、デマ、プライバシーの侵害行為、付きまといなどいつまで続くのか。変わらないのか。

途中高校野球で有名な佐賀商高の前を通る。高校野球で活躍し、佐賀商高から西武ライオンズに入団した新谷という投手がいた。別に面識はないが、時々僕の近くで新谷、新谷とどなる人がいる。同じ人が数回やっているようだ。意味がよくわからないが、僕と新谷投手は学年でいうと同じです。春優勝がPL、夏優勝が徳島池田、当時活躍した人気選手に早実の荒木大輔という人がいました。その人たちと僕が同学年です。もちろん面識なし。

一緒に歩いたけれど僕は歩くのが遅い。息が切れる。会場到着。今日の席は1階席5列目。今まで3回6列目というのがあったけれども5列目は初めて。僕の倉木麻衣ライブ・ツアー出席史上最も前。僕にとっては大記録。でも他のファンはどうだろう。たくさんライブに行っているのに一桁の列で観た事がない人なんているのだろうか。いたらそれもすごいね。

倉木さんはジャスコに行ったそうです。僕は知らなかったけれども佐賀の北のほうに大型ショッピングセンターがあるようです。そこで映画も観たようです。僕も一緒に観たかった。

ライブが終わるとトラック運転手の人は出待ちをするそうで、僕は先に会場を出ました。駅ビルの虎ちゃんうどん(表記が違うかも?)に行きました。うどんとおにぎりのセットを食べました。おいしい。おにぎりがまたすごくおいしい。満足。パンを買い、駅で翌日の電車の時刻を確認して、ホテルに戻りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.25八代厚生会館

2006-11-02 04:58:00 | 2007年までのライブの思い出

25日鹿児島から新幹線で新八代へ。車窓の景色はもっと見たかったが結局ほとんど寝ていた。新八代駅から八代まで一駅在来線。どうもJRの駅や車内のアナウンスは好感の持てないものが多い。特にJRH日本やJRT海はひどいという印象があるが、どうもJRK州も少しおかしい。しかも発想のパターンがみな似ていて毎度毎度でうんざり。JRの社員が待遇面できわめて恵まれているということの証拠かもしれない。

熊本というと1991年に当時応援していた歌手、2004年に倉木麻衣さんのライブで熊本市に来ている。高校の教育合宿で阿蘇にも行っている。熊本県のライブは今回で3回目、熊本市以外のライブ、八代のライブは初めてでした。ただ、八代というところは電話でチケットが取れず、6月に八代に直接チケットを買いに来た。そのとき初めて八代に来た。

駅から出てしばらく行くとより藤という店がある。前回八代に来て知った店で鮎の塩焼きを食べさせる店。僕は九州の半島部の山間に育った。地元では昔は鮎がたくさん取れたそうだが、僕が子供のころはすでに鮎はほとんど取れなかった。小学生のころ鮎の塩焼きを食べたがすごくおいしかった。でもほとんどその後食べる機会はなかった。鮎の塩焼きの定食を注文。でかい鮎。たっぷり食べました。そのあとすずらんという店でかき氷を食べる。外は相変わらずの暑さ。

ホテルに行く。八代グランドホテル。前回も宿泊したところでなかなかよいホテル。部屋に入るとパソコンを見て倉木さんのブログとライブ・リポートを見る。僕もブログを書く。もたもたしていて時間が遅くなった。午後5時過ぎ、ホテル前にタクシーが止まっていたが、バスの時刻表を見ようと思った。でも複雑で行き先は2方向のようだがどこをどう通るのかよくわからない。次は5時40分台だが、会場の近くを通るバスなのか。バス時刻表を見ていたら、ダンプがすれすれのところを通っていく。怖いもの。結局タクシーで会場へ。

6時少し前に会場に着く。飲み物を飲む。僕の席は1階11列目。これは八代市内プレイガイド庄野学生堂で購入したもの。ライブはまずまずよかった。麻衣さんは熊本弁を楽しんでいるようです。麻衣さんは今年は地元の名物料理なんかも食べているのかしら。ライブにはレギュラーのファンも何人も来ているようです。僕はライブが終わるとアーケード街へ。途中男3人組に出くわす。僕は相手を知らない。からかわれるが、馬鹿丸出し、どう見ても頭悪そう。でも全国的にこういうやつみかける。うっとうしい。

アーケードを抜けまっすぐホテルへ。隣のほっかほっか弁当で弁当を買いホテルへ入る。弁当もおいしいね。ホテルでほっと一息。麻衣さんはどこに宿泊しているんだろう。今回も川のほうには行かなかった。

翌朝バイキングに行くとファンらしい若者数人がいる。ロビーにいて僕が来るのを待っていたらしい。うんざりだね。このくそファンども。僕に聞かせるために間抜けな発言をしている。そういうの僕がいないところでしろよ。ロビーで待ち伏せなんかしやがって、馬鹿たれが。僕は他の倉木ファンが結構大嫌いだから、他のファンとは交友を持たず、孤立路線を行っている。しかしこういうやつなんで付きまとうんだろう。徹底的な悪党か。

ホテルは結構よいホテルです。ゆっくり10時近くになり、チェック・アウトして駅まで歩いていきました。駅の待合室にいました。売店でも買い物。ここで売っていた草餅で餡がソラマメの餡というものがありました。これが結構おいしい。これは熊本あたりだとどこでもあるものかしら。八代じゃないと手に入らないものなのか。結構おいしくてよいです。また来たらぜひ食べてみたい。

鳥栖行きの普通電車に乗り、電車のなかでもそのソラマメの餡の草餅を食べていました。この日はJRもあまりひどくなくてよかった。いつもこうだといいんだが。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.24鹿児島県文化センター

2006-11-02 02:56:00 | 2007年までのライブの思い出

23日はまゆう号で鹿児島入り。バスは結構途中から乗る客もありお客が多い。鉄道とは違うコースをたどり、鹿児島空港にも寄るので、こちらのほうが便利な人も多いのだろう。車窓の景色を楽しみたかったが結局ほとんど眠っていた。どうも電車やバスだと眠くなる。鹿児島中央駅のところで降りる。バスの運転手が親切でうれしい。

僕は駅近くのすずやというホテルの予約をしていた。てっきり午後3時チェック・インのつもりだったが、4時だったらしい。駅近くの飲食店に行ったら軒並み休業。警戒されているのか。駅ビルの地下の飲食店に行く。午後3時くらいなのにすごいお客の数。鹿児島の人は遅めに昼ごはんを食べる人が多いのか。玉子丼を食べる。

駅前では沖縄のバンドが4時から演奏を行うということで練習をしていた。なかなかよさそうな印象。でも聴かずににホテルへ向かう。4時チェック・イン。あまり豪華とも新しいともいえないホテルだが、狭いながら、うまくコンパクトにまとめた部屋など僕の好み。なかなかよいホテルだが、インターネットの状態があまりよくない。問題はその程度か、僕らにはこういうホテルで十分。

夜は薩摩揚げを買って来ていたのでそれを食べる。あまりおいしくない。調理として手を加えるべきだろう。もっとおいしくなりそうな気がする。

鹿児島は以前応援していた歌手で1992年、1993年、倉木さんで2004年に来ているのでライブで鹿児島市に来るのは4回目。

24日朝というか、お昼ごろホテルを出る。ダイエーに行くと倉木さんの「Daimond Wave」が流れてくる。ラッキー。Bグループという店でヤングランチを食べる。この店は2004年に鹿児島に来たときも寄った。そのときはドライカレーを食べた。街をうろうろしていたが、とにかく暑い。ライブにはまだかなり時間がある。川沿いの公園にいたが暑いので、またサウナに行くことにした。クリスタル・パレス。ここは1992年、1993年に鹿児島に来たときに宿泊。2004年のときも昼少し滞在。今回も寄った。鹿児島に来るたびに必ず寄っていることになる。

休憩室でゆっくりしていた。開演時刻が迫ってから会場へ。もうかなりファンがたくさんいる。僕の席は、1階の15列22番。ライブはまずまずよい。麻衣さんは薩摩揚げを食べたり、天文館通を歩いたようです。僕も一緒に行きたかった。ライブが終わって会場を出る。

ファンはまだ会場に残っているのか、あまり見かけない。僕はどこで食事をしようか考えながら歩く。結局駅近くの福屋というラーメン屋による。ここでニラのたくさん入ったラーメンを食べる。好みせみ2004年のときに立ち寄ったラーメン屋。なかなかよいです。ただその後たびたびあちこちで「ふくや」といわれるが、「ふくや」がどうかしたのか。意味不明。あちこちで「ふくや」などといわれるが理由がよくわからない。以前阪神に「福家」という選手がいたがそのことか?よくわからない。ホテルに戻る。

僕は別に鹿児島を嫌っているというわけでもないが今度の鹿児島ではあまり好意的でないような対応をされることがあった。なぜなんだろう。中島美嘉さんは鹿児島出身だそうだ。中島美嘉さんがらみの僕の発言が反発を受けているのか。中島さんにも嫌われているのかも。う~ん、デマの絡みもあり、エイベックス関係など意地でも応援しないが、倉木ファンとして低迷しつつある僕。先行き不安が増大です。

僕はもし倉木さんのファンを辞めるようなことがあってももう他のアーティストのファンはやらない。曲を聴く程度。すると競馬をやるんだろうというようなくだらないことを言うやつも出てくるだろう。どうあっても消去法を悪用しないときがすまない連中の発想。愚劣な発想。生きる価値ある人間の発想ではない。僕は倉木麻衣ファンになってその後14年間ずっと応援していた工藤静香ファンを辞めた。僕の倉木麻衣に対する希望、期待はものすごく大きかったのだ。それが破れて倉木ファンを辞めるということがあったら、しばらく新しく何かに取り組みたいという気持ちにはならないかもしれない。仕事にでも打ち込んでいよう。それくらいしかないか。読書、たまの気晴らしにスポーツ観戦や競馬。それもほんのちょっとだけ。

低迷していても僕は倉木ファンを続けようと思う。

25日ホテルをチェック・アウト。最初は肥薩オレンジ鉄道で八代に行こうと思ったが、時刻表を見るとその時間からだと八代に午後3時半ごろつくよう。チェック・インの予定が午後3時。当日ライブだし、あまり遅くなりたくない。駅のところでザボンラーメンを食べ、結局新幹線で新八代経由で八代に向かいました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.22西都市民会館

2006-11-02 01:54:00 | 2007年までのライブの思い出

いよいよ今年の倉木麻衣さんのライブ、九州地区がスタート。僕は前日21日に宮崎に向かう。西都市では適当な宿泊先が見つからず、宮崎のホテルを予約。ブリスベンズというホテル。宮崎駅に着くと駅のところの店に寄り、かき氷を食べる。客が変な印象だが、気のしすぎか。駅からまっすぐ西を行くとおりを歩いていく。てっきりこの大きな通りに面するところにホテルがあると思い込んでいたがぜんぜん見つからず、大工町というところまで行ってしまう。携帯サイトの地図を頼りに戻るが、やはり場所がわからない。

途中高校生が通りすがりに意地悪なことを言うという攻撃をしていく。僕は相手を知らない、相手は僕を知っているという状況での攻撃。卑怯者。宮崎に来てもこんな状態。僕が宮崎を田舎だといって馬鹿にするんだろうと決め付けている様子。要するに僕が他人を馬鹿にしたがる人間だと決め付けようとしている。もちろん実情など関係ないのだろう。「他人を何かと馬鹿にするやつだ」と決め付けて、他人を馬鹿にして喜ぶのが宮崎の高校生か。この高校生が千葉・茨城・埼玉あたりに住んだらどうか。「チバラギ、ダサイタマ」という言葉に対し、むきになって怒るかもしれない。馬鹿高校生め。

この高校生だって何か行動の上で問題はあるはず。関東や関西など違うところに行って、見ず知らずの人間からいきなりそれを個人攻撃されたら、どんな気持ちになるだろう。そういうことをこの高校生は理解できないらしい。しかもその行動上の問題というものが、事実というよりも他の人間の流す噂であったら、事実無根の噂に基づき誰だか知らないやつにいきなり個人攻撃されたらどんな気分になるか。しかもそれが全国のあちこちでやられているのだ。みんな事実関係を明確にしようとはせず、問題をはっきりさせず、攻撃だけやりたがる。それが今の日本人の現状であり、そしてこの高校生の態度はある意味で今の日本の精神荒廃の象徴である。

どうやらホテルは大きい通りではなく、ひとつ入った細い道に面しているらしく、やっとたどり着く。宮崎というとライブでは当時応援していた歌手で1992年に初めて宮崎市に来た。倉木さんでは2004年に来た。西都市は全く初めてで、宮崎市以外のライブも今回初めて。宮崎県のライブは今回で通算3度目になる。しばらくして外出。宮崎というところ暑いのだろうが風がさわやかでしのぎやすい。気候的にはすごく生活しやすいような印象。

ホテルを出てすぐのところに餃子専門店を見つけた。以前1992年に宮崎に来たとき追っかけマニアの男性と二人でライブ後に食事に行き、餃子専門店で食事をした。確かワシントンホテルの裏側のにぎやかな通りということは覚えていたのだが、2004年に来たときワシントンホテルは違うホテルになり、餃子専門店も見つからなかった。今回ホテルを出てすぐのところで偶然餃子専門店を見つける。黒兵衛という店。僕はビールと餃子2皿注文。1992年に来た店は鉄板で直接餃子を出す形式だったが、ここは皿で出す。カウンターの向きも違う。なかなかおいしい餃子で、とても2皿では足りない気がする。でも他にも店を見てみようと思ったのでここで食べるのは止めた。でもおいしかった。

アーケード街を往復し、本屋で雑誌を買う。街では5000円くらいの安いホテルなどと馬鹿にして歩いているおじさんがいた。宮崎の人はお金持ちが多いのだろう。どこで食べようかと迷っているうちにまたホテル近くまで戻ってしまう。結局亀仙人というラーメン屋で食事。こってりのとんこつラーメンを注文。これは結構おいしい。ホテルに戻る。

宮崎にはじめて行った1992年。ライブの会場で比較的地位が高い主要スタッフが、ある一人のファンの前で、自分たちが宿泊するホテルを言っていた。つまり歌手もそのホテルに宿泊する。周囲にいた7名ほどの他のファンも聴いている。僕もいた。そのホテルは宮崎を代表する大きなホテル。川沿いにある大きなホテル。僕以外の他のファンはそのホテルの近くのホテルに宿泊している。そちらも大きなホテル。なぜあのスタッフはそんな話をしたのか。僕は当時無頓着だったから、気にしていなかったが、わざと一人のファンに対し話しながら、他のファンに情報を聞かせるという形で情報をリークしていたのではないか。そして僕らの反応を見るというようなことをやっていたのか。今頃になってそんな疑問が出てきている。本当はどうだったのだろう。ただ、主要なスタッフなどと書くといまどきの生きる価値のない連中は、僕のことを主要スタッフが好きなのだろうなどと話を捻じ曲げて解釈するだろう。そういうやつ確かにいる。主要スタッフがいいとか悪いとかそういう文章じゃないだろうが。しかも主要スタッフとそうでない場合と文章の意味合いだってずいぶん違うのに意地汚い連中にはどうでもいいことらしい。

でも、僕は交通機関については追っかけを一部やっていたが、それ以外は追っかけはやっていない。そもそも追っかけという言葉、人によって解釈や定義が大きく異なる面があり、あるファンに言わせれば僕は追っかけではないということになるらしい。僕は歌手が宿泊するホテルに宿泊したことはないし、当時僕が宿泊していたのはカプセルホテルやサウナ、夜行列車が中心。普通のホテルには一度も宿泊していない。今はホテルに宿泊するようになったがそれでも安いホテルが中心。倉木さんの宿泊するホテルについては全く情報が入っていない。他のファンと付き合いもないのでそのルートがない。

このときも情報は入っていたが、僕はそのホテルには行かなかった。前述のようにコンサートが終わると追っかけマニアの人と食事に行き、そのあとサウナを探した。今回宿泊したブリスベンズホテルの近くにマリックスというホテルがあったが、そのサウナコーナーに宿泊した。当時はそこにはカプセルはなく、ホテルの客も来るサウナ室はものすごい混雑だった。椅子が寝にくく、床に寝たが、でもぐっすり眠った。そんな記憶がある。

翌日22日バイキングに行くとファンらしき数人がいる。西都行きのバスがどこから出ているかわからず、昼過ぎに宮崎駅まで行く。またアベックが通りすがりに意地悪な発言をするという攻撃をしていく。ブ男とブ女、性格も猛烈に悪そう。よく平気で生きていけるね。平家の郷という店でステーキを食べる。まずまずだと思うが、僕はそれほどステーキは好きではない。もちろんだじゃれ、語呂合わせの類ではなく言っている。こういうことをいちいち書くのは面倒だ。語呂合わせや駄洒落を他人に当てはめるやつのせいだ。迷惑。それに量が少なく感じた。足りない。

どうやら駅のそばでなく、少し離れた大きな通りからバスは出ているらしい。うるわしという店で宇治金時を食べる。でもバス停を見ても西都行きのバス路線が飲み込めない。ひとつとなりのバス停に行くとずいぶんバスの時刻が違うようだ。結局午後3時台だったと思うけれどもバスに乗り西都へ向かう。同じバスに何人かファンらしい人が乗っていた。

他のファンらしい人は終点手前で降りる。僕は終点まで行く。帰りのバスの時刻を確認する。どうやらライブ終了後最終のバスには間に合いそうだ。会場まで歩く。途中スーパーによる。お惣菜コーナーをみる。僕の好みとは少し違うような気がする。名前忘れたけど店内の飲食店で冷汁定食を食べる。地元の名物らしい。知らなかったが、翌日宮崎市内でも冷汁定食の店があったから有名なのかもしれない。僕が知らなかっただけか。

会場に着く。もうかなりたくさんファンが来ている。僕の席は1階席6列目。このチケットぴあのプレリザーブでチケットが取れず、ぴあの一般発売でチケットを手に入れたもの。2003年名古屋、2004年熊本につぎ3度目の6列目。2年以上の久しぶりの10列目より前の席。ライブを楽しみました。

ただ、ライブ会場でスタート前に僕のすぐ近くのファンに対し、年配のスタッフが、二重チケットだの、オークションだのくだらないことを行っている。二重チケット発売があったからといてそれはチケット発売者側の失態であり、ファンにとやかく言うのはおかしいし、こういう話題を他のファンが聴いているかもしれない客席内で堂々とやるなんて、馬鹿なのかこのスタッフは。ここのところライブでのスタッフの態度の悪さも目に付く。現場のスタッフもおかしな情報が流れてきたら、鵜呑みにせず、その情報を疑ったらどうか。

麻衣さんはどうやら古墳に行って勾玉を作ったようです。僕も一緒に行きたかった。かわいい麻衣さん。ライブが終わると近くにバス停に向かう。最終のバスだけれどもこのバスに乗ったファンは全部で5人くらい。他のファンはどうしたのかしら。割り勘で数人でタクシーに乗ればバスより安く宮崎に戻れるけど、そうしたのか。車の人がいたのか、地元で宿泊先が見つかったのか。よくわからないけれど拍子抜けするほどバスで帰るファンの少なさ。

同じバス停で僕ともう一人降りる。僕はまた亀仙人でラーメンを食べる。今度はあっさりラーメン。でもこってりラーメンのほうがおいしいと思った。ホテルに戻る。麻衣さんは結構遅くまで会場にいるのかしら。よくわからないけれど。

翌23日朝バイキングに行くとなんだか客層が悪い。どこかの悪徳宗教の信者のようなやつがいる。うっとうしい。チェック・アウト後駅近くのアーケード街を経由し、宮崎駅の近くのバスセンターに行く。ちょうど前のバスが行ったばかりで1時間近く待ち、次のはまゆう号というバスで鹿児島に向かいました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.20松戸森のホール21

2006-11-01 13:51:00 | 2007年までのライブの思い出

今日は倉木麻衣2006ライブ・ツアー5回目。倉木さんは以前松戸の学校にいたらしい。倉木さんにとっても思い出深いところでしょうか。僕も大学時代を含め5年間生活し、親も現住している。よく知っている都市である。この会場は2004年に一度倉木さんのライブで来ている。当日は日暮里駅まで行き、常磐線に乗り換える。松戸駅から新京成。ホームで立ち食いそばを食べる。八柱に着く。駅でもカレーライスを食べる。会場への道は以前行っているのでわかるが、前回は行くとき少し遠回りになってしまった。近い行き方を確認して行く。

会場にはすでにかなりの人数が来ている。飲み物を飲み、しばらくすると入場の整列が始まる。僕も並び始めた。今日の席は3階席1列目。こういう席はあまり機会がないのでちょっと楽しみです。怖いような席。しかも僕はこのころたびたび目の状態がおかしくなり、目やにも多く、そのため、余計に距離感をつかみにくく、一段と不安定な怖さを感じてしまう。結局座ってみるほうが多かった。席からするとそれがいいかもしれない。

今日のライブは昨日の市原に続きなかなかよいライブで、僕自身もすごく楽しみました。麻衣さんは松戸のイトーヨーカ堂に行ったそうです。僕はあまり行ったことのない店です。伊勢丹とか、Dマート、新松戸のダイエーは行ったことも多いけど、松戸のイトーヨーカ堂はすごく少ない。麻衣さんはCDショップに行ったそうです。コロコロカステラ。

ライブが終わり、アンケートを書いて外に出るともうすでに人がいっぱい並んでいる。これが噂に聞く出待ちイベントの場所取りなのか。よくわからないけれども、すごい人。僕は飲み物を買う。近くの男が何か他のライブの話しをしているのが聞こえる。チケットが安かったら行くとか行っている。くだらない。頭の悪い人間の発想だ。ライブではよくこういう連中を見かける。相手にしないほうがいい。少なくともこいつらはファンではない。立場が違う。もちろんこういう指摘をしても相手には通じないだろう。発想のレベルがまるで違うのだ。

出待ちには参加しないのでとっとと帰ることにする。八柱行きのバスがあるらしい。ここは駅から近いし、バスなんてなくてもいいと思うが、僕も少し面倒くさく感じて、バスを利用することにした。170円。バスの中でまたいかにも馬鹿丸出しの若者集団が老人優先席に座って下卑た笑いをしている。別に老人がいるわけでないし、混雑しているから老人優先席に座っても悪いとは思わないけれども、何か明らかに他人を揶揄しよう、あてこすろうという姿勢がある。それも愚劣な人間特有な考えを根拠にして他人を揶揄しよう、あてこすろうとしている。こんな馬鹿な若者が平気な顔をして生きていく。日本という国は大丈夫なのか。そしてそんなことを言うと喜ぶ年配の人間こいつらが若者同様に世の中をおかしくしているのだ。

結局、新京成松戸常磐千代田西日暮里経由で帰る。西日暮里駅でガムをかむ若者集団を見る。ガムをかむというのは見た感じの印象は悪い面はあるが、焼肉やにんにくを食べたあとなど口臭予防にガムを噛むのはしょうがない気がする。家に帰るとライブ・グッズを確認しつつ、明日からの九州行きの準備に取り掛かる。

今日のライブは結構楽しかった。よかった。


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