かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

2005年9月25日広島厚生年金会館-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-15 01:29:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の7回目。

9月25日広島厚生年金会館
岡山から各駅停車の電車で広島へ行きました。広島駅に着くと駅の立ち食いのうどんを食べる。広島へ来るといつもここで食べる。駅のタコ天のお店が違う店になっていた。駅前の地下のお店でかき氷を食べるが、とても美味しい。今日宿泊するのは銀山町のホテルパオ。まずチェックインし、ゆっくりする。ここは安くてよいホテル。カプセルホテル並みの値段。

アーケード街を通り、平和記念公園のほうに歩く、アーケードのカレー屋でカレーライスとたこのから揚げを食べる。会場に着きました。ここは隣のホールとあわせ何度も来たところ。裏側も川です。

ライブはまずまず良かったです。僕は1階席で一番後ろだったのですが、隣に二人組の男がいてヒルズパン工場の話をしていました。何のことだかわからなかったけれども、8月の後半に倉木麻衣さんは、ヒルズパン工場で、特別ゲストでライブに参加したようです。全然知らなかった。僕は後日ファンクラブの会報で知りました。他のファンは詳しい。

麻衣さんは今年はお好み焼きを食べたのかな。以前お好み焼きを食べているところが、DVDに収録されています。会場を出ると厚生年金会館の存続のための署名を集めていました。厚生年金会館は今後どうなるのでしょうか。新しい会場になるのかな。新厚生年金会館とか。

帰りはまたアーケード街を通りホテルに戻りました。途中で食事をしたかったのですが、店を選んでいるうちにホテルまで戻ってしまい、コンビニに行き買い物。なんだかわざとらしくボ~としたお客と車椅子のお客がいました。やはりなんだか不自然。わざとのように見えるけれども、この車椅子の人近くに住んでいるのかしら。

翌日ホテルを出ると広島駅へ。駅のところの例ちゃんというお店でとうとう念願の広島ふうお好み焼きを食べました。東京の広島ふうお好み焼きも食べたことはありますが、広島で広島風というのは初めて。でも食べた感じ大阪ふうとそんなに大きく違うか。僕はお好み焼きに詳しくないからよくわからない。大阪人や広島人なら、大阪と広島のお好み焼きは別物だろうけど、僕がほんの数回食べただけだと似たようなもの。まだまだ、お好み焼きに対する理解が欠けている。ちなみに東京のもんじゃ焼きは食べたことありません。

翌日、広島から各駅停車と快速を乗り継ぎ京都へ。京都駅で食事。そこから新幹線で東京に戻りました。麻衣さんはどうしているだろう。一緒に行動したかったな。でも今年は昨年以上に倉木さんと僕の間が遠くなっているような気がする。他のファンなら良いことが、僕だと問題になりそう。なんとかならないかな。

今後の僕の倉木ファンとしてのあり方を含め、全体的に多くのことを考え直すツアーになりそう。でも、倉木麻衣さんが大好き。


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2005年9月24日倉敷市民会館-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-14 01:27:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の6回目。

9月24日倉敷市民会館
北海道から戻り、次は倉敷です。倉敷は昨年も麻衣さんがライブをやりました。以前、2002~2003年にかけてのライブでは、麻衣さんが美観地区を歩いていました。DVDに収録されています。僕は当日岡山に向かいました。札幌で宿泊先を探すのに苦労したことから、今回から以降ホテル宿泊は事前にインターネットで予約することにしました。宿泊先として適当なところが見つからず、岡山市内に宿泊することにしました。岡山では駅前のカプセルホテルが常宿でした。今回宿泊するのは岡山キャッスルホテル。駅に近く場所がわかりやすい。窓から新幹線も見える。

岡山駅でエビライスといったかな。黒いご飯。それを食べてからホテルへ。少し時間をつぶして、倉敷へ。美観地区や会場周辺にカップルのファンがいっぱい、僕も麻衣さんとあんな感じになれればいいなと思いました。ただ、会場周辺では、あまり印象のよくないファンも見かけました。好感持てません。

会場内のレストランではカレーライスとアーモンドの飲み物を飲みました。席は2階席でしたライブは最初のうち麻衣さんの表情がすごく硬いようで、それを除くと全体的に良いライブだったと思います。後半は他のしかった。

ライブが終わると僕は美観地区を抜け、倉敷駅へ。岡山まで行き、コンビニで買い物し、ホテルへ。岡山駅周辺にもラーメン屋がありますが寄りませんでした。コンビニ周辺に行くと10代か、20代と思われる、態度の悪いお客がいました。親がデタラメな子育てをしたのでしょう。この辺はあまりいい印象はありません。

ホテルはなかなかよく、朝の食事も美味しかった。麻衣さんは昨年時間がなくて倉敷をゆっくり観光できなかったようだけど、今年もその日のうちに広島に行ったようです。あまり今年は観光地などにいけていないのではないでしょうか。麻衣さんの力になりたい。月や星空を楽しんだそうです。


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2005年9月16日札幌市民会館-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-12 01:25:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の5回目。

9月16日札幌市民会館
前々日に東京を出発。僕が再就職をすると来年以降僕は倉木さんのライブの参加回数は減るのは間違いない。できるだけ参加したいと思う。1回1回麻衣さんとライブを楽しみたい。でも就職するとそういうわけに行かなくなる。無職だと社会的の厳しいものがあるし、僕が無職でいると心配する親族もいる。僕自身1年以上無職でいたけれども、いろいろな障害があり、思うような時間の過ごし方は出来ない。仕事をしながら、来年以降自分の人生を考えていきたい。

仕事はライブに行きやすさを優先して仕事は選ばないかもしれない。賃金や仕事の内容など総合的に判断して就職先を決める。世間の風あたりを考えても東京を離れることも考えにあるがまだ正式には決まっていない。来年はじめまでに決めるつもり。遅くても春先まで。倉木さんのライブに行く回数は減るけれども、それでも何回かは行きたい。一応10回が目標だけど、そんなにはいけないかもしれない。

たぶんライブに行くとしても交通機関の関係で自宅から行きやすいところ、近いところに限られる可能性が高い。そうすると来年以降は、札幌にはしばらく来れない。この機会に北海道旅行をするつもりであった。上野駅を夕方出発、八戸から特急に乗る。雨は降っていたけれども大したことはないと思っていたが、雨の影響で特急は大幅に遅れる。

でもそんなに降っている様子はなかった。青森発の急行はまなすに乗れなくなるかもしれない。そうすると青森で1日宿泊しないといけない。駅前にカプセルホテルはあるけど、予定外で不安を感じたけれども、はまなすは発車を遅らせて、この特急からのお客を乗せて出発。

青森駅で馬鹿にするような大きな笑いをしていた大馬鹿者がいる。人間の屑だろう。こちらははまなすにぎりぎりであわてている。車両を確認する暇もなく適当に飛び乗り、車内を歩き、自分の席へ。本当にぎりぎり間に合った。札幌には早朝に着く。駅構内で蟹のお弁当を食べる。

この日15日夜の宿泊先が決まっていないので、駅の宿泊紹介のところへ行ったら、うちは満室だといわれ、携帯サイトで宿泊先を探しても、極端に高い宿泊先のところとカプセルホテルだけ。何か札幌ではイベントでもあったのか、それとも連休の影響か、わからないけど宿泊先に苦労する。

駅のところの映画館で映画を2作観て、その一つ下のフロアの豚カツ屋で食事、札幌カプセルホテルへ。ここは以前僕が札幌にコンサートで来たときよく利用したところ、といっても3~4回目くらいだと思うが。狸小路を歩いたり、ココ一番屋で北海道限定のスープカレーを食べる。北海道はなんといっても当地限定の飲み物、食べ物がありそれも楽しみ。

1泊したけれども、最近カプセルホテルに宿泊していないせいか、合わない感じ。大通公園で時間をつぶしたり、駅のところで食事をする。石狩ナントカ。会場時間近づき札幌市民会館へ。過去札幌というと北海道厚生年金会館と札幌サンプラザに行っているけれども、この会場は初めて。しかも今年は奈良4階席、名古屋3階席、東京が2日とも2階席で今年ここが初めて1階席だった。ち列で17列目。

この文章はライブからかなりあとになって書いたもの。何か忘れてしまったけれども不愉快なことがあった筈。スタッフか、ファンか何かあったけど忘れた。ただ、ライブ自体は凄くよかった。昨年も僕は札幌のライブでアクシデントがあったけれども、しかも麻衣さんは体調不良だったらしいが、ライブはすごくいいと思った。今年も良かった。名古屋に匹敵する良さ。

ライブが終わり、駅へ向かう。麻衣さんはゆっくり楽しんでくれているのかな。駅前のコンビニで弁当を買い、北海道旅行のため、僕は特急利尻で稚内に向かいました。

わざとかどうか知らないけれども、北海道にいる間何度か僕の周辺でわざとらしく競馬、競馬言っている愚劣極まりない屑野郎がいました。馬鹿なのでしょうか。当然今、僕は競馬は当分お休み。そうすると競馬をやらないのはお金がないからだろうというような間抜けなことをぬかす。いい歳した大人がそんな間抜けなことを言う。そしてそれをいうと子供がいいんだろうと言い出す。馬鹿な大人め。日本人の心は汚い。最低。お金がなくて北海道に来るかよ。帰りの切符も持っていただろうが。

また競馬をやると里中李生という人や星野亨と、僕を同類視しようとする愚劣な奴が出てくる。大人だ。たかだか、共通項が2~3あるというだけで、同類視し、その評価を定着させようとする、それが大人のやることか。大人がくだらない考え方をやっている。しかもそれを指摘すると相手を子供がいいんだろうと決め付ける。本当に大人の馬鹿さ加減、日本人心の汚さあきれるばかりだ。僕を批判するやつは、人権侵害主義者といって差し支えない。北海道では子供を巻き込むくだらない嫌がらせが目に付く。親が子供の命や人生を軽く考えているのだろう。

特急の車内でも、人権侵害族がいた。せっかくの旅を邪魔されたくないな。


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2005年9月11日東京国際フォーラムホールホールA2日目-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-11 01:19:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の4回目。

9月11日東京国際フォーラムホールホールA2日目
昨日に続き、東京国際フォーラムホールホールのライブ。9.11あのテロの日で、しかも選挙の日。僕は悪質な嫌がらせをされている可能性が高く、選挙には行きません。行くときは前日と同じ有楽町駅経由で、地下へ行き、また昨日と同じ店で食事。ところがその後馬鹿丸出しのファンにからかわれる。どうやらお店での食事のことでせせら笑っているらしい。人間の屑だ。こういうファンが多くて。

今日も並びました。ライブはまずまず良い。昨年から4回連続の2階席。麻衣さんはどこに宿泊しているのだろう。昨年より僕と麻衣さんの心は少し開いたのかな。僕は一人だけど、麻衣さんは周囲にたくさん人がいる。僕が倉木麻衣さんのファンを辞めたら、もう一切のアーティストのファンはやらない。CDやDVDを楽しむだけにする。だけど知能が低く意地汚いやつはそれを信じないだろう。他のアーティストのファンをやると、愚劣なやつが喜ぶだけ。倉木さんのファンを続けても愚劣なやつが喜ぶだけ。倉木さんのファンを辞めたらもうアーティストのファンはやりたくない。

そんなことをいうと今度はじゃあ芸能人以外がいいのだろうと決め付ける腐れ外道が出てくる。しかし、僕に対し最も悪質な嫌がらせ、虐め、人権侵害をやっているのは、政治家、マスコミ、悪徳宗教、一般市民の大半なのだから、そいつらに好意はもてない。特に僕のことを嘘つき呼ばわりしたり、語呂合わせや駄洒落で僕を判断したり、つきまといをしたり、暗示にかかりやすいだの、真似ばかりしているだの、街で待ちかまえていてせせら笑うような行為をするやつに対し、僕が好意が持てるはずがない。まともに考えればわかることだが、人権侵害ばかりやるやつは理解できないだろう。

外国人だって悪いやつはいるだろうが、日本人は最低だ。
ただ、このまま倉木ファンを止めるのはあまりにも無念である。とにかくしばらくは自分の倉木ファンとしてのあり方を探る。

ライブ終了後、スタッフが、有楽町駅方向と東京駅方向を示していた。なんだか不自然な態度。僕は千代田線で帰ろうかと考えたが、昨日のこともあり、違う経路を考える。スタッフは他人を陥れて面白がりたがるやつなのか。東京駅の駅前まで行き、そこから荒川土手行きバスの乗ることにした。コンビニによってそのまま帰宅。

麻衣さんのライブ日誌は楽しみ。家に帰ってからライブ日誌を読む。麻衣さんは頑張っているんだね。
麻衣さんはずっと幸せであってほしい。麻衣さんの幸福を心からお祈りします。


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2005年9月10日東京国際フォーラムホールホールA1日目-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-10 13:17:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の3回目。

9月10日東京国際フォーラムホールホールA1日目
今年のライブ3回目。昨年2004年のライブではファイナルが行われたところ、あの時は楽しかったね。ファイナルは、DVDにも収録されている。
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僕は少し早めに会場に行く、有楽町駅から行き、地下から会場へ。地下のお店で食事する。ここは昨年も食事をした。ぶらぶらしながら、1階に行くともうすでに行列が出来ている。僕は並ぶ。あわてても仕方がないといって並ばない人もいるが、僕はそういうのは嫌い。面倒なことを人にやらせ自分だけ楽しようとする行為。ただ、並んだら並んだで前の人が女性だと、その女性目当てで並んだのだろうとか、前が男性だと男が好きなのだろうと、くだらないデマを流す大馬鹿者が出てくる。そうなると並びにくくなるが、妙な噂を流されない人が、先に並ぶしかないということか。

いまどきの日本人は知能程度が低く、デタラメな噂を流すのが好きな連中が多い。無能な若者がすぐ真似する。単に並ぶ、並ばないという程度で苦労しないといけない。もちろん一番悪いのはデマを流して面白がっているやつ。特に集団。

会場になるが、以前から気になっているのは、スタッフの僕に対する態度、陰湿で陰険、どうせ他の人間が流すデマを信じているんだろうが、自分で考えてみてもらいたい。デマの不自然さを。もしかすると何かの力関係でデマを鵜呑みにするしかないのかもしれないが、有力な根拠なんてないだろ。あるはずないだろうが。それでも自分で考えずデマを鵜呑みにするのだろうか。力関係があれば仕方ないか。

しかしデマはどこから出ているのだろう。変。僕は会場でカメラ撮影なんかしたことないぞ。エイベックス関係者でもないし。
どこの会場に行っても酷いもの。主催の違う中島美嘉さんのライブでも同じようなことがあった。僕に関していったいどういう情報が流れているのかあきれてしまう。麻衣さんはその情報を信じているのかな。

僕は倉木ファンとして厳しい状況に立たされているかもしれない。だけれども、別に僕は不正行為なんてやっているわけではないし、仮に僕に小さな落ち度があったとしても、逆に僕を攻撃するやつはその何倍も効撃しているわけで、すでにその時点で他の人間には僕の行為をとやかく言う資格はない。にもかかわらず、僕に対する攻撃はとどまるところを知らない。

明らかに僕を攻撃している側に大きな不正があるはずだし、もちろん便乗しているだけの人間もいるだろうが、便乗も度がすぎればやはり大きな悪辣。すでに僕が攻撃され始めてかなりの時間が立つし、攻撃の執拗さから考えて便乗犯もかなり悪辣。

しかし、孤立無援なので厳しい。仲間が多数いるのならもう少し楽だが、孤立しているから厳しい。それにもかかわらず、エイベックス関係者だの、ヒットカウンター関係者だのデタラメな噂が後を絶たない。僕のいったいどこに組織性があるというのか、あるというのなら提示してみよ。せいぜい表現や行動上の類似性が少しあったという程度だろう。それが世間が決め付けるほど信憑性があるのか。

多くの日本人は甘ったれていて願望でしか物事を判断できないから、まともな評価も出来ないのだ。政治家やマスコミからしてそうだ。10代20代の子供がすぐ真似る。

ライブの席は2階席ここは昨年の2日間も2階席。明日も2階席で4回連続2階席。ライブはまずまずよかったと思う。ツアーグッズもここで買った。

ライブが終わると僕は来るときと違い、地下鉄千代田線に行き、そこから帰ったけれども、電車の中は中でまたつきまとう若者がいる。つきまとい対策が難しい。


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2005年9月7日名古屋-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-08 10:31:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の2回目。

9月7日名古屋センチュリーホール
2005年のツアー第一回目の奈良がそれほど印象が良いわけではなく、相変わらず、つきまといや、からかいなどがあちこちから雨あられ、本当に日本人の心の汚さを知る。僕の心も沈んだまま。

名古屋というと前年も今年と同じ会場で、2日連続。僕は東京名古屋を2往復。その前の2003年の愛知県芸術劇場のときも2日連続で、東京名古屋を2往復。嫌がらせ対策だったけれど今となってはあまり意味がなかったかな。ここは地下鉄日比野駅の近くでわかりやすい。倉木さんの以前もある歌手のコンサートで一度来ている。

しばらく金山という駅で時間をつぶす。暑いけど駅側にいると風が吹いてきて少し涼しかった。

日比野駅で降りて会場に向かおうとすると、いかにも今の若い男が好きになりそうな、ブスで性格悪そうなのに、男に好意を持たれることに自信過剰な女、僕の大嫌いなタイプの女2人組が歩いている。歩き方が不自然。その辺の馬鹿な男には好かれるだろう。

その2人組は、会場とは違うほうへ行ったような気がする。わざとらしい行動。僕はそのまま会場に向かう。飲み物を飲みながら、裏の水のアトラクションにいったら、水が少し流れていた。去年と違う。犬を散歩に連れて生きている人もいる。

ライブが始まる。僕は気持ちが沈んでいた。今日の席は3階席4列目10番。名古屋で3階席は初めて。気持ちが沈んでいて座ってみていた。しばらく聴いていて、僕もだんだん盛り上がってきた。なかなかよいライブ。気に入った。今日にライブはすごくいい。僕も途中から立ち上がり、すっかりライブを楽しみました。前半ではここ名古屋のライブがすごくお気に入りです。

すっかり楽しみ、意気揚々。次のライブが楽しみだな、という印象を残して、東京に戻りました。麻衣さんは当日家に帰るのかな。麻衣さんは愛知万博に行きたいといっていたけれど、行ったのかな。無理だったのかな。麻衣さんにも楽しんでもらえたらいいな。


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2005年9月3日奈良-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-07 09:44:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」がスタートした。



9月3日なら100年会館
前年2004年の春ツアー、秋のBKCライブと僕は倉木麻衣さんのライブに全参加。途中低迷期はあったけれど、僕は倉木麻衣ファンとしてとても充実していた。仕事のほうは、ものすごい嫌がらせで退職。嫌がせといってもその後、政治家やマスコミ、悪徳宗教、一般市民が受け継いでいたようだし、状況は以前よりますます悪化した気がする。僕は倉木麻衣を愛するという気持ちの充実が、心の支えになっている。



ただ、いつのころか少し僕は倉木麻衣という存在に少し疑問を感じるようになっていた。倉木麻衣の僕に対するスタンスというのは、僕に嫌がらせをする人間と同じ部分があるのではないか。倉木麻衣が僕に対し笑顔を向けるのは、僕に対するデマを信じているときではないか。僕の事実が明らかにされると、特に僕に不正ややましいことが何もないと返って倉木麻衣は僕を嫌うのではないか。今まで観ていてそんな印象がある。



2005年は初めて中島美嘉さんのライブに行った。6回行き、5回が2階席、1回が1階席、倉木さんとは雰囲気が違う。なかなかよいライブ。ただ、僕にとってはそれだけ。倉木麻衣さんに対して感じているもやもやした気持ちをなくすなり、はっきりしたかった。それに一部の中島さんのライブの行き帰りでもはっきり意地悪するやつがいる。



夏には倉木さんのファンクラブのイベントがあった。僕が入場したのは仙台だけだったが、全会場に行き、仙台以外は入場せず、外にいた。スタートの大阪は雨だった、今、考えるとなんとも懐かしい。他のファンクラブのイベントに比べても特別な感慨がある。ラジオのキャンペーンもあった。札幌のファンクラブのイベントのとき、キャンペーンのとき、そして仙台のキャンペーンのとき、僕にとってつまづきがあった。倉木麻衣の言動に僕に対するおちょくり、からかい、僕に対するデマを尊重する姿勢を感じたのだ。



ずっともやもやしていたので、気にしすぎだったのかもしれない。そのころから僕の気持ちはすっかり沈んでいた。そんな状態で今年2005年の倉木麻衣のライブツアーがスタートする。



僕はさすがにライブ・ツアースタートということではやる気持ちを抑えるのが大変だった。席はここのチケットだけ一般発売までに手に入らず、オークションでファンクラブチケットをGET!ニ列ということなので、1階席2列目かなぁと思い、今迄で最高に前なので、うれしかった。楽しみだった。



ちょうどヒルズパン工場でも「シュクラパン」が発売ということで、まあ50個だし手に入らないだろうと思ったけれど、とにかくヒルズパン工場に寄ってから、奈良に行く予定にし、前日に東京を経った。新大阪の駅に近い新大阪ホテルに宿泊。翌日朝早く、といっても少し遅かったが、ヒルズパン工場に行く。新大阪駅のところのマクドナルドが混雑していた。わざとらしいし、お客も暇人か。地下鉄ではまた、天王寺などという話が出る。僕は学習院大学出身で、そのため皇族がらみのからかいはものすごい。大阪の地下鉄の職員も不当な嫌がらせが好きなのだろう。まるで東京みたい。ヒルズパン工場は、がらんとしていて、1階は客が少ない。いくつかパンを買い、近所の公園で食べる。その後、難波まで歩く。



難波から、近鉄奈良駅まで行く。奈良は僕の親族が住んでいる。もう何年も会っていないし、今回も会わない。僕は幼少時、大阪万博のころ、幼稚園のときだけど、その親族のところにほんの短期間だけど住んでいた。奈良市には1992年か、1993年ころ以前応援していた某歌手の大阪ライブの空いた日に春日大社に参拝。奈良市以外だと大神神社に初詣に行ったことがあり、奈良県はそのとき以来。



倉木麻衣のファンをやっていると、極悪な連中がヒットカウンター関係者呼ばわりされるけれども、どうやらヒットカウンターというのは奈良が中心らしい。僕はもうヒットカウンターなんて1年半見ていないが、執拗にヒットカウンターの関係者呼ばわりされる。日本人の心は汚い。



僕は他のファンのホームページやブログは見ません。倉木さんのブログは見ますが、トラックバックしないし、他の人のトラックバックは観ません。それについてもバックナンバーでくどいほど説明している。バックナンバーを参照してください。また、僕はエイベックスの関係者でもなければファンでもない。徹底的な嫌がらせ好きでなけれわかるでしょう。それについても過去ブログにしつこく書いていますので、バックナンバーを見てください。



近鉄奈良駅からバスで法隆寺へ向かう。さすがに由緒ある、大きな寺。世界遺産。暑かったけど、歩いて回りました。バスで奈良市に戻り、JR奈良駅のところで降り、宿泊先を探す。何軒かホテルに電話したが満室ということで断られた。新大宮ビジネスホテルが空いているということでそこにする。土地勘がなく、タクシーでいく。



一休みし、会場へ。なら100年会館。ここはJRの奈良駅が近い。僕は初めての会場。会場時間に近く、もうファンもたくさん来ている。入場してびっくり。席が4階席で、しかもニ列の「ニ」は、カタカナの「ニ」。僕は1階席2列目だと喜んで、そのつもりで麻衣さんにメールを送ったのに、全然違った。おまけにメガネを忘れた。後ろにでかい画面があったので麻衣さんの顔はわかったけれども、なまだとわかりにくい。不覚。



ライブは僕にとってはイマイチでした。といっても僕はだいたいそのツアー第一回目は、倉木さんに限らずあまりよい印象は持ったことがない。やはり、今年のライブはどんな感じかしら、どういう歌を歌うのかな、曲順は、などと気にしながら観ているためだと思う。それに奈良の場合は、アーティストのほうも1回目ということもあり、独特の緊張があるためかな。いつものこと、2回目に期待。でも、やはり僕の心の沈み方にはいい影響はなかった。



早速がチャガチャをやりました。いろんなグッズが入っている。ライブが終わって帰る途中落としたガチャガチャのグッズが自販機の下の入り込み、取るのに一苦労。途中ココ一番屋に寄り、カレーを食べてホテルに戻りました。麻衣さんは京都の大学卒だけど、奈良に観光に来たことはあるのかな。奈良は近いよね。



麻衣さんはどこに住んでいるんだろう。おうちに帰って今日のことキャスパーに話してあげているのかな。



僕は一泊した後、翌日も奈良の観光をしました。薬師寺、唐招提寺に行き、唐招提寺の前のお店で、冷やしあめと他人丼を食べる。土砂降りになった。そのあとも降ったりやんだり。東大寺、奈良国立博物館、興福寺を観光。近鉄奈良駅の近くのアーケード街の店で食事。その後当麻寺に行こうと思い、近鉄電車で向かったけど、途中でもう暗くなってしまい、断念、そのままあべの橋へ。構内でそばを食べ、ホテルは新大阪駅の近く、ニューオオサカホテルに宿泊。



翌日も大阪観光をしようと思ったけれども、新大阪駅のつきまといが酷く、早めに東京に戻ることにしました。僕の心はまだ沈んでいます。次の名古屋もあまり期待するきになれませんでした。




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2004年7月25日東京―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-26 05:59:00 | 2007年までのライブの思い出

  2004年7月25日(日)東京国際フォーラムホールA
 僕が初めて倉木麻衣さんのライブに行ったのは、2002年2月26日横浜アリーナです。それから3年たちました。麻衣さんもずいぶん変わってしまったね。ちょっとさびしいような。ずっといつまでも可愛い麻衣さんでいてほしい。でも、麻衣さんも一人の大人の女性だもんね。いろいろ考え、感じ、変化するところは変化していくだろう。ずっとファンから離れないで、歌を続けてほしいな。
 東京国際フォーラムホールAのライブ、とうとう2004年ライブ・ツアーのファイナルです。名残惜しいような、切なくて、やりきれないような気持ちがある。もっと自分はライブ・ツアー中に麻衣さんに対していろいろやっておくべきだったのではないか。一杯遣り残したことがあるような、そんな気持ちに襲われる。
 麻衣さんが大好き。もっと心理的にも、席が前後ろという意味でなく、物理的にも麻衣さんに近づきたかった。いろいろあったライブ・ツアー、不本意というか、遣り残したことも多い気がして、これからが僕にとってリベンジという気がする。相変わらず、僕に対する嫌がらせが酷く、先行き不透明で不安ばかりだけれど、これからも麻衣さんを愛し続けたい。麻衣さんが大好き。麻衣さんと麻衣さんの歌を胸に頑張っていきたい。
 ファイナルの日、僕は地下鉄の二重橋前駅から徒歩で会場へ行く。この日もう一つ僕が気にしていたことがある。それは、僕の出身高校の大分県立国東高校が20年ぶりに夏の甲子園大分県大会決勝戦に進出。20年前は僕が大学1年のときで、現在東北楽天イーグルスにいる吉田豊彦投手が2年生でエースだった。そのとき以来。
 僕は携帯電話で大分県の高校野球の情報をこまめにチェックしながら、ライブが始まる前、地下のレストランやその周辺をうろうろしていました。はらはらしながら途中経過を見ていましたが、残念ながら僕の母校は決勝戦で負けてしまいました。残念でしたが、よくやりました。今後僕の母校は、他校と合併再編するらしいですが、よりパワーアップして、いずれ甲子園に出場してほしいです。
 そんなことを気にしていたせいか、ライブの開場前のことがあまりきちんと思い出せません。反省ですが仕方ない。会場時間が近づき、入場のため並びました。後ろにグループがいて、プロ野球の話をしていました。古田選手の名前などが出ていました。僕は今まで嫌がらせばかりされてきて、もしかしてまた嫌がらせの一種かと思いましたが、どうもすっかり疑り深くなってしまい、少し病的な感じになってしまいました。
 僕に対して、ライブ・ツアー中につきまとい、つけまわし、など嫌がらせをした人がいます。郵便局員の嫌がらせにしろ、その人たちの嫌がらせにしろ、人間が物事を判断する上で、ある程度で自分自身の経験的なことに基づいて、判断しますが、その判断の元の部分に対する認識を狂わせる効果があります。
 もし僕が、今後社会的に他の人との距離のとり方に苦しんだり、いよいよ頭がおかしくなったら、僕に対して嫌がらせをした人間の嫌がらせが原因と考えられます。それが有力でしょうから、狂人は人為的に作られるということを実感します。もちろん僕も対策を練りますが、よい結果になるかどうかは、僕に対して嫌がらせをしている人間の組織力、権力の大きさから考えて、楽観的にはなれません。
 倉木麻衣さんが好きです。
 入場するとき、サイリウムをくれました。僕は、ペンライトやサイリウムを使用したことはありませんでした。どんなものか知らなかったのですが、サイリウムを初めてみました。麻衣さんを驚かせよう、喜ばせようという企画です。
 今日の席はファンクラブで取ったものです。2回2列89番。ライブのDVDを観るともしかして僕が映っているのかなと思いました。映像を観てもよくわかりませんが、ステージのほうから見て、2階席の左の端近く前から2番目です。
 入場してホールに入場になるまで少し時間があります。階段を2階に上がろうとしたら、また凶悪な男につきまとわれました。そいつは僕に対して、あほ面して「親衛隊、親衛隊」などと繰り返していました。何が親衛隊なのでしょうか。僕は工藤静香ファンが長いけれど、親衛隊に入ったことはなく、またファンサークルも多かったようですが、一度も入ったことはありません。それは森高千里ファン時代、倉木麻衣ファン時代共通しています。
 倉木麻衣さんのファンに親衛隊があるのでしょうか。僕がライブに行った限りでは、その印象はなかったけれど、僕が知らなかっただけかもしれません。あるのかな。もちろん入らないけれど。
 工藤静香ファンのときは、僕がファンになった頃まだ若干親衛隊と称する組織が残っていて、いろいろトラブルがあったという話は聞いていますが、僕は直接的には知りません。あくまで話に聞かされただけです。その凶悪な男はなぜあほ面をしながら、親衛隊、親衛隊などと妄言を吐いていたのでしょうか。僕は正直、そのファンのことを異常者ではないかと思いました。でも本人の態度から見ると違うかもしれない。
 異常者でないなら、なぜそんなわけのわからないことを口走るのか。僕はいよいよファイナルなのに、また会場でこんな嫌がらせををされすごく残念に思いました。とにかく酷いファンがいて、僕のライブ・ツアー行きも不本意な部分が大きくなりました。本当に残念です。
 ライブが始まりました。ライブのDVDだけ観てもよくわからないのですが、さすがにファイナルというだけあって、いつもと麻衣さんの雰囲気が違います。確かにいつもと違う。舞い上がっているような、感激しているような、独特な表情。楽しい、素晴らしいライブ。ツアーのいろいろな思い出が、頭をよぎっているのかもしれません。
 前回のライブに比べ比較的短い期間で集中的にたくさんライブをこなしました。麻衣さんも充実して、楽しんでくれたと思うし、本当に素晴らしいライブツアー、麻衣さんありがとう。麻衣さんの頑張りと心遣いに心から感謝します。麻衣さんに出会えてよかった。麻衣さんのファンになれて本当によかった。麻衣さんありがとう。麻衣さんが大好き。
 僕が倉木麻衣を生涯愛することが決定しました。
 ライブが終わり、1階ロビーに下りていきました。コンサートのスタッフが何かわけのわからないことを言っていました。スタッフのなかにも僕にたいして意地悪な態度をとる人がいますが、今日はなんだか様子が違います。後で、ライブ日誌でわかったことですが、出待ちイベントがあったようです。
 僕は結局38回ライブに行ったけれどそんなことは全然知らず、とっとと帰ってしまいました。あとで、出待ちイベントがあったことがわかったときは、もしかすると僕は倉木麻衣さんに嫌われているのかな、と思いすごく悲しかった。僕は嫌がらせが多いし、デタラメな噂を流されているし、正直に考えて僕の今の立場からすると麻衣さんに好かれるのは、絶望的かもしれないと思い、がっかりしました。
 でも、気持ちを立て直しました。ライブ・ツアー中、時々麻衣さんが僕のほうを見ていたような気がする。そのときの麻衣さんの眼を見ていると、決してそんなにぼくは悲観的になる必要はない。いつかきっと麻衣さんに僕は信じてもらえるようになると希望が持てる。そう信じる。僕は38回全部ライブに行ったけれど、僕のやったことは、まるで無意味と麻衣さんは思うだろうか。そんなことないよね。
 麻衣さんが大好きだから、これからも麻衣さんを愛し、応援していこう。  
 麻衣さん、長いライブでしたが、素晴らしい思い出になりました。本当にありがとう。心から感謝します。また会える日を楽しみにしています。
 
 本当はいつも麻衣さんと一緒にいたいんだ。
 
 


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2004年7月24日東京―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-24 01:58:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月24日(土)東京国際フォーラムホールA
 いよいよあと2日。しばらく麻衣さんに会えなくなる。工藤静香さんのときもそうだけれど、こんなときはなんともいえないやりきれない気持ちに襲われる。麻衣さんといつも一緒にいられるようになりたい。結婚したい。
 新幹線から見えるここ東京国際フォーラムにライブで来るのは、今日で3回目、明日で4回目になる。以前来たときも倉木麻衣さん。最初は、2003年のツアーの東京国際2日目、2回目は、Mai&Experienceライブ2日目である。どちらもすごく楽しいライブでした。
 東京国際フォーラムのときはだいたい早めに会場に行っています。この日も確か宿直(新夜勤)明けで、家で一休みし、早めに行きました。僕はこのころもう一つすごく気にしていることがありました。僕は地下のコンビニでアイスや飲み物を買い、飲んだり食ったりしていました。地下にも美味しそうな飲食店がたくさんあります。
 1階と地下を行ったり来たりしながら、会場の中を見て回りました。地下のレストランに行くことにしました。半分セルフサービスだったような店。なかなか感じのよいスタッフです。世の中にはメルマガ発行者、郵便局員、マスコミ、政治家、電話会社など悪質な嫌がらせ、人権侵害が止められない人が多いようですが、例外的にいる心優しい人が幸福に生きられればいいと思います。悪いやつばかり優遇されるのが、日本社会。
 なかなか美味しい食事でした。そこの店もよいけれど、次は違う店にも行ってみたい。
 開場時刻になりました。僕の席は2階席で、R11扉、2階22列91番。ライブはとても楽しいものでした。席は後ろのほうですが、こういう席でもライブは楽しめる。嘘だと思うのなら実際自分で行って、後ろのほうで観てみろよ。麻衣さんが最後に「ありがとうございました」と生声で言うけれど、後ろのほうでも声がちゃんと通るし、ライブはすごく楽しめる。
 ライブには後ろのほうでも楽しめるライブと後ろだとつまらないライブがある。どう違うか自分で確かめてみたら。いつも前のほうだとわからないだろう。麻衣さんのライブは後ろのほうでも楽しめるライブ。
 ライブが終わりました。でもあと1日。
 充実しているような気持ちが半分だけれど、名残惜しいというか、やりきれないというか、どうしようか、という気持ち。何とかしたくても、今の僕には出来ない。本当に麻衣さんが大好き。麻衣さんといつも一緒にいたい。その気持ちが染み渡たったように感じる。
 ライブのあと真直ぐ帰ったような記憶があったけれど違った。翌日はファイナルだけれども、僕はアルコールは飲まない予定にしていた。それで、前日のこの日に自分の打ち上げという気持ちを込めて、ちょっと飲みに行った。以前からよく行っている店。
 よく映画で外国人がビールをビンのまま飲んでいるシーンがある。小さいビンじゃなくて、大きいビンで、コップやジョッキに注がず、そのままぐびぐび飲む。見ていて気持ちがいい。僕もそういうのみ方結構好きで、この日そんな感じで飲みました。今回の倉木麻衣さんのライブ・ツアーに思いをはせ、倉木麻衣さんのとの出会いに喜び、そして倉木麻衣さんの頑張りと心遣いに感謝し、ビールを美味しく飲みました。
 でも、翌日もライブ。麻衣さんに会える。ファイナル。飲むのは早めに切り上げ、帰りました。

註―東京国際の記憶も1日目と2日目が混じっている可能性があります。判明しだい訂正します。


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2004年7月17日松戸―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-19 01:54:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月17日(土)松戸市文化会館(森のホール21)
 僕は倉木麻衣さんのライブを書く上で、しばしば工藤静香さんのことに触れる。森高千里さんに触れることもある。工藤静香さんや森高千里さんと倉木麻衣さんのどちらが好きかといわれれば、もちろん倉木麻衣さんです。当たり前。世の中には僕に対して露骨に嫌がらせをする人間がいて、そいつはだいたい僕が倉木麻衣さんがすきという事実を認めようとしない。
 つまり、僕が倉木麻衣を好きというのは嘘であると主張する人間と、僕に対していつも嫌がらせをする人間は同じであることが多い。
 ただ、倉木麻衣ファンと工藤静香ファンを比べれば、どちらかというと工藤ファンのほうが好感持てる。倉木麻衣ファンに好感持てないという印象を強くしたのがここ松戸である。もちろんそれまでも一部のファンからは、つきまとい、つけまわし、挑発行為など嫌がらせがしつこく繰り返されてはいたが。
 松戸市というと、僕の親が住んでいる。僕も大学生時代を含め、5年間松戸市に住んだ。大学は東京の目白というところにあり、親の家から通った。
 僕が他の倉木ファンの応援サイトを見ることは大変少ない。他のファンのブログを観ることも少ない。以前倉木麻衣さんの他のファンの応援サイトを見ると、倉木さんのプロフィールを見ると船橋市出身で、松戸市にある、聖徳大付属中学校から聖徳大付属高校に進学、途中から、京都府の立命館宇治高校に転校。そして立命館大学入学。
 倉木さんの以前住んでいたところは、船橋市前原と書いてある情報を見たことがある。正確には記録が行方不明でよくわからない。麻衣さんは、聖徳大付属中学校、高校に通学したとき、新京成で行ったのかな、武蔵野線で行ったのかな。バスで行ったのかな。
 僕が松戸に住んでいたとき、倉木麻衣さんは幼稚園か保育園くらいの年齢。僕と会ったことあるだろうか。僕はわからないけれど。
 麻衣さんはどうなんだろう。青森のあと少し開いたけれど、青森にいたのかな。それともこちらへ来て、かつての友人と再会していたのかな。実家へ行ったんだろうか。お世話になった人に挨拶したり。7月にはいっているし、大学の試験とかがあるとずっとライブ以外は、勉強だったのかな。
 千葉県というと工藤静香さんで市川文化会館、千葉県民会館、ベイNKホールに行っている。倉木麻衣さんでも、前年2003年のファイナルで千葉県民会館に行っている。
 2003年のファイナルも忘れられない思い出のライブ。僕は3階席の端のほうにいた。すごく楽しいライブで、幸せ気分になり、アンコールが終わると楽しい余韻に浸りながら、1階に下りていった。ロビーのところにいたら、客席から歓声が上がる。なんだろうと思い、急いで1階席後方に行った。麻衣さんがまた出てきていた。麻衣さんも感動しているらしくて、すごくうれしかった。僕もすごく感動した。
 松戸市というのはコンサート・ライブでは始めて。僕は松戸市に住んでいたことがあるけれど、森のホール21というような施設があることを知らなかった。
 当日僕は松戸駅まで行く。少し時間に余裕があるので、駅で立ち食いそばを食べ、駅前のハンバーガー屋で食事をしながら、手紙を書いていたのか、何か資料整理をやっていたのか忘れたけど、そういうことをやりながら、時間をつぶしていた。ある程度時間もよさそうなので、新京成に乗り、八柱へ行く。僕はこの駅を利用するのは初めて。
 駅から会場に行くとき場所や方向がわからないので困ったけれど、検討をつけ歩いていくことにした。駅のところで高校生風の男のグループにからかわれた。誰だか知らないが、こんなことはあちこちでみかける。高校生も、どうやら郵便局員の流すデマを信じ、僕に執拗に嫌がらせをするようだ。
 日本は腐りきっているよ。でも、今の高校生を見ると本当に親に甘やかされて育ったというのが、はっきりしている。僕らが子供のころ味わった苦しみは無駄だったのか。でも、親も親だったりして。高校生の僕を馬鹿にする態度と、そいつらの親の世代が僕を馬鹿にするのと、年寄りが僕を馬鹿にするのと内容がほとんど同じ。全員右に倣え。左に習えでもいいが、他の人と反対を向くと、僕と同じように嫌がらせをされるかも。
 あまり周囲の人間に嫌がらせをされることが多いと、人によっては、僕のほうに問題があると決め付けるかもしれない。しかし、その指摘は間違い。なぜなら、他の人間の僕に対する攻撃には、事実無根や明らかなデタラメな噂が多数含まれる。二者択一の悪用や語呂合わせの悪用など客観性を拒否した攻撃や、つきまとい、盗聴など人権侵害や違法性のある攻撃をされているのだから、僕は悪くない。
 もし僕のほうに問題があるというのなら、事実に基づき、客観性を元に、アンフェアなやり方をせず、人権侵害をせず、違法行為をせず、その上で僕を攻撃してもいいはずなのに、そんな僕に対する攻撃は今まで一度も見たことがない。誰もやったことがない。そのことは逆に僕のほうが正しいということを示す、傍証になる。
 つまり、本当に僕が悪いのなら、卑怯なやり方でなく僕を攻撃することが出来るはずなのに、それをやらず、いつもいつも事実無根のデタラメな噂に基づき、人権侵害やプライバシーの侵害など卑怯なやり方で、しかも長期にわたってそれをやるのは、僕を攻撃する側に明らかに問題があることの証拠である。
 僕はたぶん倉木麻衣さんにも信用されていないだろう。いつまで僕が生きられるかわからないが、もしこの世の中に心ある人間がいるのなら、日本人がこれほどまでに腐りきり、個人に対し、組織・集団でよってたかって攻撃する卑しい民族であるということを示す、有力な証拠として僕の話を聴き、僕を見てほしい。
 駅から会場まで歩いたがよくわからない。感じのいい店員がコンビニの前でフランクフルトを焼いていた。いつもやっているのか。それともライブがあるからかな。
 場所がわからず行ったりきたりしていた。電柱に不動産広告。この近所で5LDKで1500万円台。これくらいでも、ローンを組まないと買えない。でも当時郵便局員をやっていたし、仕事を続けていれば、500万円くらいローンを組めば買えただろう。
 何とか会場にたどり着きました。中は冷房がきいて涼しいけれど、外は暑い。飲み物を飲んだり、座ったりしながら、のんびりしていました。他のファンが倉木さんにプレゼントをするとかで署名を求めてきたけれど、断りました。僕自身のこれまでの状況を考え、他のファンと距離を置くという方針は決定している。
 開場時刻になりました。僕の席は、2階席3列20番でステージはすごく観やすい。なかなか楽しいライブでした。途中僕の少し前にお客さんが来ていたようです。スタッフが案内していた。工藤静香さんだと身内の人の可能性があるけれど、倉木麻衣さんはどうだろう。でもライブはすごく楽しかった。もうライブは残り少ない。
 あの長いライブツアーがもう終わろうとしている。自分としては、もっとじっくり、しっかりライブツアーに取り組みたかった。不満の残る点もあるけれど、でもすごく楽しかった。麻衣さんと心を、通わせたことも何度もあったと僕は思っている。麻衣さんと出会えて本当によかった。素晴らしいライブツアーでした。麻衣さんも他のよい人たちも幸せであってほしい。麻衣さんとずっと一緒にいたい。名残惜しい気持ちになる。
 あと2回。あと2回で今年のライブツアーは終わってしまう。麻衣さんと離れたくない。麻衣さんが大好き。
 ライブが終わり、僕はロビーへいく冷たい飲み物を飲みました。近いところなのでゆっくりしています。ところが他のファンもゆっくりしている人が多い。家が近い人が多いのか。
 今までの例からすると、早く帰る人もいるし、ゆっくりする人もいる。家が近い人もいれば遠い人もいるはず。なんだか様子がおかしい。僕は全然知らなかったのだけれども、出待ちイベントがあったらしい。僕は結局倉木麻衣さんのライブに38回全部参加するのだけれども、最後まで出待ちイベントがあったことを知らなかった。
 僕は典型的疎外されたファンか。でも麻衣さん大好き。出待ちイベントがあったことを知ったのはいつだろう。倉木麻衣さんのバースデイBBSがあったとき、そのことに触れている人がいた。BKCライブのときは、でもツアーライブで出待ちがあったことは知っていた。僕は工藤ファン時代のことを考えると、当然中にはそんなファンもいただろうと思うけれど、イベント化していたとは全然知らなかった。
 あとになってわかったけれど、松戸のライブのあとなぜファンがたくさん会場に残っているのかそのときはわからなかった。ただ、僕はそのファンたちを観ていて、少し抵抗を感じた。数人ずつのグループに分かれ、みんな談笑している。別にそれだけなら変じゃないけれど、なんだかみんな同じようなグループ化、同じような表情、同じような姿勢、同じような笑顔、同じような他の人への接し方。別に誰かがそうしろといったわけじゃないだろうが、まるでどこかの宗教団体を連想させるファンの態度。
 たくさんの人がいて、みんな自由にしていいという状況で、みんな自由にしているはずなのに、みんな同じ表情、姿勢、行動になってしまう感じ。僕はそんなファンたちを見ていて正直なところ不気味な感じがした。これはとてもとても僕には他のファンの中に入れない。他のファンと距離を置くという僕の姿勢はこの松戸で決定的になりました。
 早めに引き上げることにしました。来るときと違う道で少し迷いかけましたが、何とか八柱駅にたどり着きました。駅構内でカレーライスを食べて帰りました。 
 

註 あとで気がついたんですが、ライブの出待ちイベントがあったことに気がついたのは、ファイナルの後だ。ファンクラブのライブ日誌にその画像が掲載されている。結局ライブツアー中は出待ちイベントなんて知らなかった。
 


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2004年7月8日青森―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-17 01:25:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月8日(木)青森市文化会館
 青森市のライブの日、また宿直勤務(新夜勤)明けで、上野から新幹線「はやて」で八戸へ向かい、在来線で、青森に向かいました。八戸駅は盛岡駅や青森駅に比べごちゃごちゃした印象。新幹線の終着駅としての期間が短いことを予感させる。明らかにこの先青森市方面へ新幹線が比較的早く延びることを想定したような駅のつくりという印象。この駅は2004年の倉木麻衣さんの札幌のライブの往復で使用した。
 青森市も久しぶり。初めて来たのは、1991年の工藤静香さんのコンサートできた。僕は盛岡から朝特急で青森に来た。会場は青森市民会館で駅からかなり距離がある。わかりやすいところにあるけれど、慣れない人だと歩いて40分くらいかかるかも。そのとき工藤さんはもう少しあとの特急電車で浅虫温泉駅で降りたらしい。
 盛岡のコンサートに来ていたファンで、盛岡から青森まで直通の普通電車に乗っていたら、ちょうど浅虫温泉駅で工藤静香が降りるのを見たらしい。本人は工藤さんが普通電車に乗っていたといっていたが、他のファンからいくらなんでも普通電車には乗らないだろうと言われていた。時刻表で調べるとそのファンの乗った普通電車が浅虫温泉駅に停車している間、後発の特急電車が同じ時間に浅虫温泉駅に停車する。
 どうやらその特急電車から降りた工藤さんをファンが普通電車に乗っていたと勘違いしたらしい。
 青森市には1992年、1993年にもコンサートで来ている。1992年のときは、翌日仕事で、東京出身で愛知のほうに住む男性ファンのSさんと一緒に帰った。コンサートのあと青森駅まで急いで歩き、寝台特急で上野へ向かう。3段式のB寝台で、最上段。狭かったけれど、ほとんど寝ていたのであまり気にならなかった。
Sさんは工藤静香さんのコンサートに僕が行き始めたころ、かなり会場で目立っていたファンで僕より年上。その後森高千里さんのファンもやり始めた。Sさんですごいのは、高知のコンサートのとき。1993年かな。
 日曜日で、コンサートが終わり、僕とSさんは二人で高知駅に歩いて向かっていた。急に帰りの電車賃を持っていないので貸してくださいといわれた。持ち合わせがあったので貸した。でも、帰りの電車賃を持たずに名古屋から高知のコンサートに来るなんて。僕が手持ちのお金に余裕がなかったら、どうするつもりだったのだろう。僕もキャッシュカードなど持っていたけど、今とは違い、日曜の夜だと使用できるキャッシュディスペンサーが極端に少ない。あまり詳しいといえない高知で、お金が下ろせなかったら、Sさんはどうするつもりだったのか。帰りの電車賃を持たずによく地方のコンサートに行けるよね、という話を別のファンとした。
 ファン同士のお金の貸し借りは人間関係にひびが入る原因になることが多く、僕もそれに巻き込まれたことがある。Sさんは返済を引き延ばすことはあったけれど、最後は必ずきちんと返してくれました。Sさんに最後に会ったのは1994年の代々木体育館が最後かしら。その後お元気でしょうか。
 1993年は、それこそ東京あたりから大挙してファンが青森に来ていた。工藤静香さんと同じホテルに宿泊したファンも何人かいた。ファンがそのホテルのロビーを待ち合わせに使用したり。あるファンは、工藤さんの部屋の前をうろついたらしい。工藤さんのお母さんがきていたときで、話し声が聴こえたとか。
 絶対真似しないでください。
 僕はセKさんや後ろ髪の生稲さんのファンの人と3人でカプセルホテルに宿泊。僕が青森で宿泊するときはいつもカプセルホテル。朝は工藤ラーメンというお店に行き、ファン数人グループでラーメンを食べる。青森は工藤姓が多い印象。そのあと1日開いて札幌だったけれど、僕やセKさん、工藤ファンでこのブログに出てきたIさんなどのグループで電車で札幌に向かう。
 ODクラブのTさんや常連の女性ファングループの大半は工藤さんと同じ飛行機で札幌に行った。
 青森は倉木麻衣さんの社長か何か、そんな立場の人が青森出身だそうだ。倉木麻衣さんの「myself music」という本に、十和田湖奥入瀬渓流の休日の写真が出ている。麻衣さんが行ったのは、2002年8月らしい。倉木麻衣さんは青森が好きなような印象がある。
 青森県といえば工藤静香さんのお父さんが蟹田町出身。青森のコンサートには、工藤さんの身内の人がよく来ていた。2階席の最前列あたりに親戚の人が来る。そのことを知っているファンのなかには、わざとその近くの席に行きたがる人もいた。
 工藤静香さんの両親はよく工藤さんのコンサートに来ていた。家庭的にもいろいろ事情があるのだろう。古いファンのなかには、両親に信用されているファンもいるよう。僕くらいだと顔は覚えてもらっているけれど、他のファンと人間関係が良好でもないし、信用は逆に難しいかもしれない。
 以前沖縄のコンサートのとき、会場は沖縄コンベンションセンターだったけれど、工藤さんの両親にコーヒーをご馳走になりました。その節はどうもありがとうございました。この場を借り御礼申し上げます。
 両親が来ているということだけでなく、工藤ファンのなかにはあまり好んで前のほうの席に行こうとしないファンもいる。席にこだわらないファンもいた。僕は最初は席にこだわっていたけれど、だんだんこだわりがなくなり、倉木麻衣さんのライブは後ろの席でもすごく楽しいので、ますます席に対するこだわりがなくなってきた。
 1回のツアーにつき2~3回前のほうで見られればいいなと思うけど、後ろの席でもいい。一番後ろでもいい。周囲に意地悪なファンが来るくらいなら、席は後ろでも楽しんで観たい。そのほうがいい。倉木さんはむやみに前の席にこだわるファンがいる。ツアー全体であまりたくさんライブに来ないファンが、回数が少ないのでせめて前のほうで観たいというのならわかるけれど、何度もライブに来ているファンが他のファンを押しのけて、何が何でも前のほうに行こうという姿勢は、僕には理解しがたい。僕はどうせ何度も倉木さんのライブに来るから前の席はたまにはあればいいと思うけれど、それほどこだわっているわけではない。
 めったに倉木さんに会えないファン、ライブに参加するチャンスがなかなか手に入らないファンにも楽しんでもらえたらいいと思う。でもこんなことをいう点で、僕はやはり良くないファンかもしれない。倉木さんの他のファンとは今のところ交流を持っていないし、やはり他のファンとは距離を置こう。
 青森県というと工藤さんは十和田市でもコンサートをやっている。十和田電鉄の車窓の景色、小さな駅の様子が気に入りました。十和田市のときは、札幌でコンサートをやり、1日開き十和田市、そのあと、湯沢、花巻の順だったと思う。札幌の翌日、
たぶん工藤さんは飛行機で移動したと思うけれど、僕は暇なので、函館市内を観光。夜も函館のカプセルホテルに宿泊した。麻衣さんのライブ日誌に、函館について触れているものがある。麻衣さんも函館に行ったんだね。僕も一緒に行きたかった。
麻衣さんと一緒がいい。
 他にもコンサート、秋田の大館のときかわからないけれど、青森のカプセルホテルに宿泊した記憶が少しあり。よく覚えていない。
 青森市のコンサートというと1993年以来。僕は青森につくと、横の商業ビルに行く。以前ここの中のTaka-Qでシャツを買ったことがあった。レストラン街では、静岡だったか、ここの青森だったか忘れたけれど、ジャンボカレー、ジャンボカツ丼というメニューがあった気がする。静岡かなぁ。新静岡駅のビル?。
 今回行ってみて、ちょっと前回と様子が違う気がした。他の場所と記憶が混じっているかもしれない。結局うどんを食べた。荷物をコインロッカーに預け、会場に向かう。途中で、倉木麻衣さんの歌が流れてきた。ちょうど大分の倉木さんのライブ日誌で、ガレリア竹町で自分の歌が流れてきて、麻衣さんが喜んだことが書かれている。
 ちょうどそんな感じで麻衣さんの歌が流れてきたので、僕は一緒に歌った。幸せ気分。ずっと歩いていたら、民主党の人が、自転車で数人通りかかった。また政治関係者。何だろう、いったい。こんなに政治関係の人とすれ違うとは。僕は今無職。将来仕事なかったら、仕事世話してね。大阪と秋田の人も。
 ちょっと道を間違えたら、棟方志功の記念館か何かがあった。ライブの時間も迫っているので行きませんでした。会場は以前と特に変わりなく、中にレストランがあり、ずいぶん以前そこでうな重を食べたけれど、今回は、利用しませんでした。今回の席は、1階席は列2番。かなり後ろのほうです。ただ今回のライブツアーで1階席はこれが最後。残り3回はすべて2階席。2004年Wish you the bestライブ・ツアー、最後の1階席です。
 ライブは楽しい。倉木麻衣さん大好き。麻衣さんは、青森が好きなのかな。青森贔屓な印象がある。麻衣さんが可愛らしくてしっかりライブを楽しみました。麻衣さんのライブ最高。
 ライブが終わり、外に出ると、雨が降っていました。僕は青森駅に向かいましたが、傘がなく途中のデイリーヤマザキで傘を買いました。駅のところでは、しゅうかと書かれた店があり、そこで歌の練習をしている人がいました。以前工藤さんのコンサートで、バンドのメンバーが利用したという飲食店に行ってみましたが、お客がいっぱいで店には入りませんでした。
 結局どこで食事をしたかわからないけれど、食事をし、いつものカプセルホテルに行きました。そこの職員の人から青森の気候について教えてもらいました。その日の風は涼しくて気持ちのよいものでした。ちょっとアルコールを飲み、ぐっすり寝ました。
 翌朝、駅を出て左のほうにあるレストランで朝食をとりました。美味しかった。麻衣さんはどこに宿泊したのかな。工藤さんと同じホテルだろうか。わからない。これから大阪に戻るのかな。スケジュールはわからないけれど、今日大阪に戻るのなら、飛行機だろうと見当をつけました。空港まで見送りに行きたいな。実際空港に現れるかどうかわからないけれど、駄目でもともとという気持ちで空港に行こうと思いましたが、時間に余裕があるだろうと思い、ちょっとどこかの観光に行こうと思いました。
 十和田湖の方に行くバスが発車間際だったので、それに乗り、十和田湖に行くことにしました。途中のお店で団子を食べたり、車窓から見える奥入瀬の景色を楽しみました。終点まで切符は買ってあったのですが、終点だと思い、子ノ口で降りまし
た。
 結局奥入瀬渓流沿いを歩くことにしました。麻衣さんのmyself musicの写真のよう。僕は上流から下っていきました。でも、他の人はみんな下流のほうから上っているようでした。他に下っていく人は見かけないので、僕の性格でしょうか。自然の渓谷美を楽しみ、1時間くらい歩き、途中からまたバスに乗りました。凄くよかったけれど、今度は麻衣さんと二人で歩いてみたいと思いました。
 なかなか素晴らしい景色でしたが、冬はどんな感じだろう。夏と冬では全然違うんだろう。でも、奥入瀬は青森市からすごく遠い。空港に行く前にちょっと奥入瀬を見てみようと思ったけれど、時間がかかりすぎて、空港に行くどころではなくなった。午後3時か4時かそのころ青森駅に着く。歌の練習の人はいませんでした。
 麻衣さんが飛行機で帰るのならいまさら空港に行っても駄目だろうし、飛行機でないならなおさらスケジュールがつかめない。諦めて帰ることにしました。でも帰るのなら十和田湖から八戸方面に行くバスもあったし、ちょっとした思い付きで、ちゃんと予定を立てなかったので仕方ない。
 在来線、新幹線を利用し、東京に戻りました。


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2004年7月6日盛岡―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-15 01:50:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月6日(火)岩手県民会館
仙台の2日間のライブが終わり、翌日は移動日。倉木麻衣さんは車で移動なのかな。それとも前の日に移動しているとか。盛岡のライブ当日に移動したとか。スケジュールがよくわからない。僕は仙台パークホテル2を出て、仙台駅に向かいました。また、カレー屋に寄ったのかな。うまかった。
 仙台駅は、いろいろな美味しそうな店がたくさんあってよい。一度晩酌セットを注文したいと、以前から思っていたけれど、実現しないでいる。岩手のホテルは予約を入れてある。
 こんな移動日は僕はだいたい普通電車で移動するのだけれど、混雑に巻き込まれてもいやだなとか、なんとなく早く行きたい気分というか、その関係で新幹線で盛岡に向かいました。
 盛岡駅も久しぶりです。新幹線の終点が、八戸まで伸びてから、盛岡駅に行くのは初めてです。やはり以前に比べて、にぎやかさが低下した印象。駅前の様子などはよく覚えています。駅近くに大きな川がある。かなり流れが速い。盛岡駅で古本を売っていたので、東野圭吾さんの「鳥人計画」など2冊くらい買ったような。
 岩手県にはじめてきたのは、工藤静香さんの1991年のコンサートで、今回の倉木麻衣さんと同じ岩手県民会館。工藤静香さんでは、1992年、1993年にも来ています。また、青森県の十和田市でコンサートをやったとき、このブログでおなじみ、岩手県に住むOさんに車で盛岡までつれてきてもらい、盛岡で宿泊。
 その年、そのあと秋田県の湯沢市でコンサートがあり、またOさんに車で、北上市の江釣子の近くの健康ランドにつれてきてもらい宿泊。そのときは盛岡名物冷麺をつまみに冷酒を飲みました。
 一泊したあと、北上駅まで歩きました。専大北上高校の近くを通った。夜連れて来てもらい、全然土地勘のないところで、あとで地図で確認すると恐ろしいほど、鉄道の駅やバス路線を偶然避けるような形で歩いていたことがわかりました。
 そのあと、岩手県の花巻市民会館でコンサート。花巻市もちょっと変わった地形の都市。駅前があまりにぎやかでなく、人口の割りにぱっとしない街だと思いました。坂を下りていくとイトーヨーカドーがありました。何か買った記憶があるけれど、覚えていない。そこから、戻るとき、城跡のような公園を抜け反対側にでると、にぎやかな商店街がありました。その先は線路を越えていき、ずっと先に花巻市民会館がありました。入り口に酒屋のような店があり、買い物しました。
 会場は小さな公園のようになっていて、薄曇で外にいたら、日に焼けてしまった。花巻のコンサートの翌日は仕事で、東京に戻らなければなりません。花巻から東京方向へ行く電車だと、途中どまりでその先電車がなく、いったん盛岡まで戻り、上野行きの寝台特急に乗りました。そのとき以来の岩手県になります。
 盛岡にはじめてきたとき、この倉木麻衣ライブの思い出シリーズの仙台の駅周辺で一夜を明かしたあとで、そのときは普通電車で盛岡へ来ました。工藤さんのその年のスケジュールは、仙台、1日開いて、盛岡、青森、1日開いて札幌。僕は自分を悪く考えすぎて、行こうと思えばいけたのに、その年札幌には行かなかった。今考えるとちょっと悔やむ。でもあとではなしを聞くとその年の札幌のコンサートはいろいろ問題があったようだった。どんなことかは内緒。
 工藤さんは仙台のあといったん東京に戻ったらしい。コンサート当日新幹線で盛岡へ。同じ新幹線のグリーン車に故宜保愛子さんや金田正一さんが乗っていたそうだ。僕は貧乏なころなので、真直ぐ盛岡へ来て、サウナに宿泊した。1日前からきていた。街の中に3階建てくらいのビルがあり、本屋だったか。レコード屋(当時CD屋があったかな、覚えてない)の3階で翌日の工藤さんのコンサートのチケットを売っていたので買ったら、3階席最後列だった。
 会場は駅から真直ぐ行き、かなり歩きお城のところで左に行くとわかりやすい。1階に喫茶コーナーがあり、裏に人工的に作った小さい山がある。山の上には東屋がある。道路を隔てて横は川。1991年のころといえば、当時よくコンサートに来ていたひげの剃り跡の目立つ男性ファンがよく来ていたけれど、その翌年くらいから見なくなった。名前も知らないけれど、もしかすると常連の一人かなと思うけれど、元気かな。
 青山スパイラルの工藤さんの最初の絵の個展くらいまでは来ていたんだが、その後見かけない。
 長くコンサートに行っていると以前頻繁にコンサートに来ていたファンが、一人、また一人とだんだんコンサートに来なくなってくる。ちょっとさびしい感じがする。しょうがないけれど、顔を頻繁に合わせているわりに、名前も知らない人もいたし、自己紹介くらいすればよかったなと思う。ファンを止めてしまった人もいるだろうし、就職や結婚を期にコンサートに来る回数が減ったファンもいるだろう。だんだんファンの年齢が上がってくると1年ごとに見かけなくファンが増えるけど仕方ない。でも1回のツアーで頻繁に顔を合わせていた人が、次のツアーからばったり顔を見せなくなるのは、見ていてさびしく感じてしまう。
 このブログ見ている人でかつてのファンの方よかったら連絡してね。僕も人の顔おぼえるのが苦手で、自己紹介して、そのとき、いつぐらいにどこの会場で僕と顔を合わせたか教えてくれるとありがたい。思い出せなかったらごめんなさい。
 川向こうの少し先に富士銀行の支店があった。お城に近いところにも養老の滝があったはず。2004年に行ったときはわからなかった。駅の向かいに階段を下りたところに、ちょっと埃っぽい店があり、おじいさんが店をやっていた。夜行ったらご飯がないというので、ナポリタンを注文した。今その店はなくなった。
 川が見えるところのビルの上の階に終夜営業のレストランがあったような気がするけれど、ずっと盛岡だと思っていたけれど、盛岡じゃなかったかもしれない。
 1993年のときこのブログでおなじみ、Tさんも来ていて、一緒ににぎやかな通りのラーメン屋で食事をした。2004年の倉木さんのライブで来たとき、そこの店を探したけれど、ラーメン屋が数軒あり、どのラーメン屋かわからなかった。
 1993年の盛岡のコンサートといえば僕は最前列ど真ん中だった。キョードーで取ったチケット。僕は工藤静香さんのコンサートに通算137回行っているが、そのうち10分の一くらいが最前列。ただ、端のほうが多い。1993年の東北は、仙台、盛岡、青森と3ヶ所連続最前列だった。いずれも地方プロモーターの会員優先予約。青森はコルクボードだった。
 仙台、青森はやや端よりだったけれど、盛岡は最前列のど真ん中。工藤静香さん、森高千里さん、浜崎あゆみさん、倉木麻衣さん、あわせて194回のコンサート・ライブで唯一のど真ん中。1994年の大阪城ホールも最前列で、真ん中よりだったけれど、ステージがすごく高く、工藤さんのラストコンサートの富山県の朝日サンリーナも最前列で真ん中よりだけど、ステージが少し遠い。
 ステージが近く、ステージが普通の高さで最前列。ど真ん中。今まででたった1回。思い出のコンサート。すごくうれしかった。握手は何度もしてもらっているけれど、このときもしてもらった。コンサート中で、ステージの工藤さんと握手したのはこの1回だけ。この日、皇太子ご成婚で祝日になった日だった。ものすごく素晴らしい思い出になっている。
 名古屋のコンサートに来ていた、四日市市出身の女性ファンも来ていた。コンサートのあと、他の人の付き合いでちょっと寝るのが遅くなった。そんなに大して遅くなったわけでもないけれど、翌日朝9時過ぎに盛岡駅に行った。他の女性ファンも何人も来ていた。澤近さんなどバンドのメンバーは見かけたけれど、工藤さんが来ない。そして何より、追っかけに大きなウエイトを置いているTさんを見かけない。変だと思い、工藤さんと同じ新幹線に乗るのは諦め、他のファンも諦めて新幹線に乗り東京(当時上野だっけ?)へ向かいいなくなり、うつろな気持ちで一人新幹線に乗り僕も東京に向かった。せっかく前日が素晴らしい思い出になったので、ちょっと自分の”つき”の中途半端さに悲しくなった。
 電車の切符は、皇太子御成婚記念のフリー切符で、余分な料金は要らず、新幹線を含め何度でもJRの電車に乗れる。東京に戻った僕はその日1日まだ切符が使えるので、追っかけ失敗のやけくそで、上越新幹線などに乗っていました。
 僕はその年のツアーで、皇太子御成婚記念のフリー切符を2回使用したけれど、他のファンもだいたいこの切符を使用していた。家に帰るとTさんから電話があり、工藤さんは、朝9時くらいの早めの新幹線で東京に帰ったらしい。Tさんと工藤さんの移動の情報を知っているらしい女性ファングループはその新幹線で東京に戻ったようだ。僕もあと10分早く行けば同じ新幹線に乗れた。
 工藤さんはそのあと東南アジアツアーに行った。僕は行かなかったけれど、テレビの歌番組(ベストテンかなにか)で、東南アジアから中継で工藤さんは歌っていた。
 青森県の十和田市でコンサートをやったあと、Oさんに車で盛岡まで連れて来てもらい、駅前のカプセルホテルに宿泊した。Oさんも競馬をやり、トウケイニセイやモリユウプリンスの話、菅原勲騎手の話、共通の話題があった。Oさんは長い工藤ファン、その際は、お世話になりました。この場を借りてお礼を言います。ありがとうございました。
 盛岡に来るのはそのとき以来。7~8年ぶりくらいだと思う。前日に盛岡着。川の近くに行き、川を眺めていたけれど、ここの川は流れが速い。しばらくして、予約してあったホテルに行く。
 宿泊先は、盛岡ニューシティホテル。ホテルにいるときはだいたいパソコンをやっていた。夕食は駅ビルの地下のレストラン街に行きハンバーガー屋で食事。コンビニで買い物して、ホテルへ戻る。そのあともだいたいパソコンをやっていた。       朝はバイキング。今回のツアーで朝バイキングはここだけ。でも料理も多く、なかなか美味しかった。少し遅めに行ったけれど、まだ料理もたくさんあり、もっとたくさん食べればよかった。遠慮してしまった。なかなかよいホテルでした。
 ホテルを出て、帰りの予定を考える。翌日また仕事なので、どうやって帰るか。盛岡で一泊する方法や仙台行きの最終新幹線には間に合いそうなので、仙台で一泊するとか考えたけれど、時刻表を見ていて長距離バスを利用することを思いついた。 盛岡駅を22時40分(ライブのアンケートには30分と書いた記憶があるけど間違い)に出て、東京駅八重洲南口に朝6時着。時間にも無理がなく、料金的にも安い。
 僕のライブ・ツアー史上初めてハイウエイバスを使用することになった。切符を買った。お昼近くになりまた駅前の地下のレストラン街で食事。今度はとんかつの定食。少し値段の高いやつ。ほかにも美味しそうなものがいっぱい。まだ時間があるので、駅前のサウナへ行く。中でかき氷を食べる。
 少し早めに会場に行くことにした。会場は久しぶりで以前きたときとあまり変わらない。1階に喫茶コーナーがある。
裏に人工の山もある。川のほうを見ると犬を連れて歩く人が多い。近くのコンビニで飲み物を買い飲む。しばらく会場にいたけれど、お城の跡に行ってみることにした。座って読書をしたり、回りの景色を見て時間をつぶし、開場時刻を過ぎてから会場へ。物販の人はやはり美男美女が多いという印象。
 今日の席は、1階席19列目52番。ライブはもちろんすごく楽しかった。麻衣さんがかわいらしくて素敵。正直なところ、仙台は単独ライブ100回ということで麻衣さんもうれしそうだったけれど、僕は盛岡のほうがずっとよかったと思う。すごく僕とって楽しいライブだった。麻衣さんに会えるとうれしい。
 麻衣さんはこのあとどうしたんだろう。ずっと東北かな。このころの麻衣さんのライブ日誌、メンバー紹介などはあるけれど、どこかに遊びに行ったとかあまりそういう記事がない。ご馳走を前にした麻衣さんは素敵で僕は大好きなんだけれど、このころの麻衣さんライブ以外でも忙しかったのかな。もしかすると大学のレポートとか。麻衣さん頑張って。
 でもライブではそれを感じさせない。麻衣さんも楽しんでくれていると思う。うきうきで楽しそうな麻衣さん、すごく素敵。会っても会ってもまた麻衣さんに会いたくなるよ。いつも一緒にいたい。もうライブも終盤。1回1回もっと麻衣さんを身近に感じていたかった。
 ライブが終わり真直ぐ駅へ行く。駅のところの松屋で食事。ココナツカレーを食べる。駅のパン屋でいくつかパンを買い、飲み物も自販機で買い、バスに乗りました。
 僕の取った指定席は、最前列の真ん中の狭くて窮屈な席だったけど、あまり混雑していなかったので席を移動。快適で、東京に着くまでほとんど寝てました。一度家に帰り、そのあと仕事のため出勤。

(注意)盛岡の2004年倉木麻衣さんのライブの思い出ですが、少し記憶がいい加減なとこがあり、内容はあっていますが、順番が入れ違ってる記憶があるかもしれません。サウナは前日行ったような記憶もある。違っていたらごめんなさい。


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2004年7月4日仙台―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-13 01:48:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月4日(日)仙台サンプラザ
 ホテル昭和はなかなかよいホテルでした。ホテルを出て駅へ行き、駅横のJRの系列ホテルの前あたりで、携帯電話の倉木麻衣ファンクラブサイトで、倉木麻衣さんのライブ日誌を見る。11時過ぎくらいになり、食事。駅のところのレストランで、牛タンを食べる。なかなか美味しい。
 夜の宿泊をどうしようか考える。仙台は開演時刻、終演時刻とも早く、帰ろうと思えば東京に帰ることも出来る。前日だって仙台に宿泊せず、帰れたけれど、経費を考えホテルに宿泊。今日はどうするか。
 いったん東京に戻り、1日開き、盛岡の日あらためて東京から盛岡に向かう。あるいは、今日ライブが終わったら、盛岡へ向かい、そちらで宿泊。駅前のカプセルホテルを考えた。あるいはもう一泊仙台に宿泊するか。
 駅のところに座り考えていた。小さな子供が、話しかけてきた。飲んでいる清涼飲料水が、ぴりぴりして美味しくないといっていた。しばらく考え、結局今日も仙台で宿泊することにした。コインランドリーがありそうだということもあり、仙台パークホテル2というホテルに予約を入れる。
 街を歩きながら、午後2時過ぎくらいからホテルに向かう。駅の横のビルのところへ行くと、もしかすると近道かと思い、ビルの裏を回るけれど、行き止まり。少し戻ってビルの中を抜けることにした。そのとき、ビルの入り口に若い男が寝ていた。世界の平和を願って、ダイインをしていたのか、クレヨンしんちゃんの真似をして死体ごっこをやっていたのか、どちらだろう。僕は後者だと見た。
 のんびり、歩きながら街の様子を見ながら、ホテルにいったけれど、チェックインの時刻より、まだ早い。近くに自動販売機のコーナーがあり、そこに行くと珍しそうな飲み物をチェック。
 チェックインを済ますと、今回のツアーで初めてノートパソコンを持参したので、パソコンをやっていた。僕のノートパソコンは結構重いので、あまり日頃外に持ち歩かない。パソコンをしばらくやったあと、仙台サンプラザに向かう。国道45号線を東に行き、途中から南へ。また東に向かい会場へ。
 今日の席はオークションで買ったもの。2階席の端のほうだけれど、円形のホールなので、僕の席からも倉木さんがよく見える。ライブはもちろん楽しい。倉木さんにとって単独100回目のライブ、記念すべきライブ、倉木さんもうれしそうで、ちょっと舞い上がっているような。でも楽しい、思い出に残るライブでした。
 麻衣さんもデビューからかなり、ハイペースで、ライブやイベントをこなしてきた。感慨ひとしおなんじゃないかな。僕も麻衣さんと出会えて本当によかった。麻衣さんの幸せ心から祈ります。
 ライブが終わり、仙台駅経由でホテルに戻る。駅のところで、倉木さんのライブでもらう宣伝の紙、麻衣さんの顔写真の入っているものが捨てられていた。気分が悪い。捨てるのなら場所を考えてほしい。ホテル近くのコンビニにより、買い物。自販機コーナーでチェックしていたアルコールを買い、ホテルに戻る。
 あまり、言いたくないが一言。ホテルの部屋に戻ると明らかに何者かがパソコンに触った形跡があり。ホテルの人がなかに入り、偶然触れたのかな。そうでなければ、僕に対する嫌がらせのものすごさ、日本という国は本当に酷い国だ。ホテルの中に何者かが入り、僕のパソコンなど荷物に触れた気配があったのは、他のホテルでもあった。
 そのことだけが原因ではないかもしれないが、結局僕のパソコンはツアーのあと故障してしまい、8月にメーカーに依頼し、修理してもらった。データを移す作業などやらないうちに壊れたので、あとで困った。そういえばツアー中、8月ころまで、ウイルスがものすごかった。その点を除けば、仙台パークホテル2はなかなかよいホテルでした。
 部屋で軽く飲みながら、パソコンをやっていました。麻衣さんはどこに宿泊しているのかな。麻衣さんが気になるよ。大好き、いつも一緒にいたい。
 

 


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2004年7月3日仙台―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-12 01:47:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月3日(土)仙台サンプラザ
 仙台のライブは、当日新幹線で向かいました。この日も宿直勤務(新夜勤)明けでした。仙台というと新夜勤務明けが多い。各駅停車に乗って言ったことも以前何度かあったけど、今回は新幹線で早めに行きました。
 仙台というといろいろいわくつきのところです。僕は東京生まれ、大分育ちで、親は現在、千葉県在住。今僕は千葉県に住んでいるけれど、このライブ・ツアー中は、まだ東京に住んでいた。ところが、ご存知悪徳企業、日本郵政公社の連中を中心に僕が大分県育ちというのは嘘であるというデタラメな噂を流す人間が多く、学歴(大分県立国東高校卒、学習院大学卒)やほかのプライベートな問題(車の免許がない、運転しない、タバコ吸わない、ずいぶん以前ならともかく最近相当長くパチンコやっていない、独身、子供なし、今無職、メルマガ発行やっていない、年齢や生年月日は本当、などなど)でも、次々とデタラメな噂を撒き散らされ、日常生活に大きな支障がある。
  そしてその嫌がらせに、マスコミや政治家、一般市民まで協力し、それを僕の親も黙認、協力している。いくら本当のことを言っても、「嘘ばかりついている」呼ばわりされる。親の入っている宗教団体、創価学会員もそのデタラメな噂を元に僕に接してくる。
 将来を悲観せざるを得ないほど、今でも大きな影響を与えている。僕は、まさに映画「ドッグヴィル」のグレースのような立場にいる。グレース(僕)の本当のことよりもジェイソン(郵便局員やマスコミ、政治家、一般市民)の嘘をみんな本当だと思いたがる。それがドッグヴィル(日本社会)。グレースは最後に強い力により、解放されたが、僕にはそんな強い力はない。
 僕に関してデタラメな噂を撒き散らす郵便局員の中に、僕が宮城県出身または仙台市出身であるというデマを流すやつがいる。もちろん事実無根であり、それを主張するならば、ぜひ証拠を示してほしいものだ。証拠もなく、もし僕を嘘つき呼ばわりしているのなら、願望に基づいているだけであろう。僕勤務していた浅草郵便局の管理者・職員は組織・集団でデタラメな噂を撒き散らし、社会的に高く評価されていた。
 そして他の郵便局の職員やマスコミ、一般市民もそれを支援している。まさに日本は、腐りきった社会。僕が仙台に行ったのはコンサート・ライブ関係だけです。
 僕が初めて仙台に行ったのは、1991年のこと。宮城県民会館。このブログでおなじみTさんとはその年郡山で始めて顔を合わせていたけれど、話をしたのはここ仙台が初めて。僕は当日券売り場の3番目にいたけれど、Tさんはもう少し後ろ。当日券は3枚しかなく、最初の2人は、座席券だけれども2階席。僕は立ち見。4人目以降も、結局なかに入れたけれど席はわからない。
 僕は当日券の先頭で入場。1階席の最後方のど真ん中にいたけれど、後から女子高校生2人組がど真ん中に来たので、僕は一人分横。でもすごく観やすくてよかった。聞き耳を立てたわけではないけれど、女子高校生の話が聞こえてきた。工藤さんのことを「蟹」と呼んでいるらしく、「お父さんが、蟹は観るもんじゃない、食べるもんだといっている」という話をしていた。
 コンサートはすごく楽しかった。仙台へは、その後1992年、1993年に宮城県民会館。仙台国際センター、仙台市民会館。もそれぞれ1回ずつ来ている。宮城県民会館は、地下鉄勾当台公園駅から歩いていく。途中に和服を来た女性のいる喫茶店があり、会場を過ぎたところにハンバーガー屋がある。会場から通りをはさんだ向こう側の歓楽街の一角にカプセルホテルがあり、僕はよくそこに宿泊していた。
 その年、1991年だと思うけれど、駅周辺で一夜を明かした。2004年の倉木麻衣さんのコンサートで抜かれるまでこの年が、年間参加ライブ最多の年でした。2004年と違い、1991年は経済的に苦しかった。宿泊費をケチる目的で野宿することにしました。この日は昼は晴れていて、夕方雨、夜はには雨が上がりましたが、とにかく寒くてたまらない。駅外のベンチなどには寒くて長くいられない。改札のなかに待合室はあるようだけれど、そこにも人がいるようで、結局駅近くの吉野家で食事をしたり、今はずいぶん様子が違っていたけれど、駅右手の終夜営業の飲食店の前をうろついたり、明け方は階段に座って時間をつぶした。
 とにかく寒くて大変でした。コンサートが楽しかったのに、そのあとがきつくて余韻に浸れなかった。始発の電車が動き始めるころ、次の会場の盛岡に向けて普通電車に乗りました。
 仙台というともう一つ大きな僕に関するデタラメな噂があります。もちろん「犯罪の陰には郵便局員あり」で有名な郵便局員が流しているデマです。それは、僕がおにゃんこクラブのファンをやっていたとか、元おにゃん子クラブ会員の我妻佳代さんのファンをやっているというデマです。
 僕が工藤静香さんのファンになったのは、1989年の秋スペのころで、おにゃんこクラブ解散の後であり、僕はおにゃんこクラブのファンをやったことはなく、おにゃんこクラブがテレビで放送されていたころ、一度も番組を観たことはありませんでした。工藤静香さんのコンサートに行く中で、セブンティーンクラブ時代からの工藤ファンやおにゃんこクラブ時代からの工藤ファンと交流ができ、その人たちに教えてもらったため、僕も少しおにゃんこクラブについて知っていますが、ファンをやっていたわけではありません。
  おにゃんこクラブの会員で、我妻佳代さんという人がいました。宮城県に実家があり、家業は床屋さんだそうです。おにゃんこクラブ時代からの工藤静香ファンの何人かは、仙台で工藤さんがコンサートをやるとき、わざわざ我妻佳代さんの実家によって、整髪してもらっていました。僕は我妻佳代さんの実家に行ったことはなく、また宮城県のどこにあるか知りません。
 僕はおにゃんこクラブのファンをやっていたとか、元おにゃん子クラブ会員の我妻佳代さんのファンをやっているという話は、郵便局員が流しているデマです。
仙台に最後に来たのは、森高千里さんのコンサートで、場所は、2004年の倉木麻衣さんと同じ仙台サンプラザ。工藤さんで使用した会場は、すべて仙台駅の西側。仙台サンプラザは、仙台駅の東側になる。森高さんで来たときはこのブログでおなじみTさんも来ていました。
 仙台駅と仙台サンプラザの間のハンバーガ屋でTさんと食事をしました。仙台サンプラザの近くに榴ヶ岡という駅があり、終演時刻しだいでは、仙石線の電車を利用する可能性も考え、駅に時刻表を観に行きました。実際には歩いて仙台駅に戻り、同じ車両にはしませんでしたが、森高さんと同じ新幹線で東京に戻りました。仙台駅にいた森高ファンのグループが、とても紳士的だったことに好感を持ちました。
 2004年の倉木麻衣さんのライブ。新幹線は指定席だったのですが、いつものような状態です。僕に対する嫌がらせ、やはりJRが、組織的にかかわっているのか。仙台駅につくと駅の構内のカレー屋に行きました。お店も、店員もとても感じのいいお店でした。美味しく食べました。
 以前来たとき、駅に近いビルにサウナがあったのでそこに行ったのですがなくなっていました。駅東側にもサウナがあるようなのでそこに行ったらそこもつぶれていました。うろうろしながら、どこで時間をつぶそうか、どこに宿泊しようか、考えていました。
 結局駅周辺をうろうろしただけで、コインロッカーに荷物を預け、会場に向かいました。仙石線は以前森高さんで来たとき、地上にあったけれど、地下にもぐっていました。
仙台1日目、僕は前売りで、チケットを一枚取っていたけれど、立ち見で、立ち見も座席券より観やすい場合もあるけれど、早めに行って並ばないといけないし、つきまといの問題もあるけれど、それ以上にここの仙台は、整理番号の順番がかなりあと。長く並んでなかに入っても、場所がどこになるかわからず、期待薄。ここは珍しく、前売りでチケットを持っているのに、オークションでチケットを買いなおしました。今回のツアーで唯一です。定価より安く買ったのかな。前売りの分とあわせれば定価より高いけど。
 それでオークションで買い直した席が、3階席。麻衣さんから見ると中央より少し右だったと思う。3階席だけれど結構よかった。すごく楽しいライブでした。麻衣さんが大好き。
 麻衣さんも楽しんでくれているよう。うきうき麻衣さんが大好き。 
 ライブが終わり駅に戻り、カプセルホテルだと少し距離があるし、紹介所で、ホテルを見つけました。ホテル昭和というところで、アーケード街に面しています。チェックインのあと、近くのマクドナルドで食事をして、アーケードを歩いてみましたが、牛タンのお店が目立ちました。ホテルに戻り、ぐっすり眠りました。明日も麻衣さんに会えるのがうれしい。
 


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2004年7月1日秋田―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-09 01:00:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月1日(木)秋田県民会館
 秋田市は以前ちょっと大舘市に行く途中によった程度で、駅の中をうろうろしただけで、よく知らない都市です。秋田県というと工藤静香さんのコンサートで、大館市と湯沢市にいっていまが、秋田市はありません。秋田市のコンサートは今回が初めてになります。
 初めて秋田市にいったのは、今から7~8年前だと思うけれど、はっきりしない。工藤静香さんの大館市のコンサート。大館駅は市外から少し離れていました。駅のところの食堂で食事をしました。駅からしばらく歩くと、スーパーマーケットや映画館などがあり、橋を渡り、しばらく行き、左手のほうへ向かい、秋北いうホテルの横を抜け、後ろ側へ行くと、大館市民会館があります。距離からすると、花輪線の東大館駅のほうが近いかもしれない。大館はこの地方の拠点都市という印象。
 このときは工藤静香さんのコンサート・ツアーのピークを過ぎていたころで、一年に10公演前後のころで、他のファンもコンサートにたくさん行きやすく、レギュラーファンのコンサート参加率は高くなっていて、どこの会場に行ってもおなじみのファンを見かけるという状態になっていました。
 東京近辺からもたくさんファンが来ており、僕の知人の岩手県に住むOさんも来ていました。一緒に近くのラーメン屋で食事をしました。
 このころの工藤静香さんの移動スケジュールは僕にはすごくわかりにくいものでした。僕はもともと情報通というわけではなく、ほとんど経験的な予測で、ツアー限定の追っかけをやっていましたが、はずれのときも多く、追っかけがうまく行かないときの、精神的、経済的、時間的な反動は大変でした。
 この大館のときは、仙台でコンサートをやったあと、大館というスケジュールだったと思いますが、僕は翌日の大館のコンサート当日に移動すると思っていました。ところが、仙台のコンサート当日にそのあと盛岡まで移動したようです。帰る予定で仙台駅にいたOさんは偶然見かけたそうです。やはり一部のファンには情報が漏れているらしく、工藤さんと一緒の新幹線で盛岡に移動したファンもかなりいたようです。
 僕は知らずに仙台のカプセルホテルに宿泊、翌日盛岡、花輪線経由で大館に向かいました。同じ電車には東京から来たらしい、別の工藤ファングループもいました。かなり東京あたりからたくさんファンが来ていました。Oさんは当日券でかなり前のほうの席のチケットを手に入れたようです。僕は前売りで少し後ろのほう。楽しいコンサートだったけれど、そのあとどうしたっけ。忘れてしまった。意外に古いコンサートツアーは覚えているのに、比較的新しいコンサートツアーのときが思い出せないことがある。
ちゃんと記録残せばよかった。
 このブログ秋田編を書く上で久しぶりに工藤静香さんの公式ウェブサイトを見ました。将来コンサートの記録など工藤さんの他のファンのホームページ管理者と連携して記憶・記録の補充をしていきたい。コンサートツアーの楽しさを共有して来た人は、今みんな何をやっているか知らないけれど、記憶を蘇らせつつと情報交換をしたいと思う。
 「工藤ファン」や「もと工藤ファン」が久しぶりに、工藤静香という共通点を元に再会し、情報を共有できたら、と考えています。サイトを見ていると近々、工藤さんが歌手活動を再開させるらしい。以前のあのポニーキャニオンと再契約したそう。僕はいろいろ立場上の問題があり、特に他のファンとの関係や、また今や倉木麻衣さんの大ファンという立場からは、もう工藤静香ファンに戻るつもりはないけれど、僕の一時代を支えてくれた工藤静香さんには、深く感謝すると同時に、これからも彼女の幸せを祈りたい。新曲も聴いてみたい。
 2回目に秋田に来たときは、湯沢市。札幌、1日開いて十和田、1日開いて湯沢、そのあと花巻、1日開いて仙台というこんなスケジュールだったかな。1998年くらいだと思うけれど、はっきりしない。記録にとっておけば。記憶がごちゃごちゃになってくる。反省。猛反省。
 湯沢駅で食事、というかハンバーガー屋さんがあったので食事、歩いて会場までいったけれど、かなり距離があった。きれいな街という印象。もうこのころは年間10公演前後ということで、ファンクラブで全会場のチケットが取れるし、レギュラーファンはほとんどパーフェクト参加が当たり前になってきた。数少ない静香さんと会えるチャンスを1回、1回大切にしようという気持ちが生まれる。
 あと何年工藤さんは歌手を続けてくれるだろう、いつに日にか参加したくても参加できないときが来るんじゃないか、行けるときに出来るだけ工藤さんのライブにも参加しておきたい。僕はそんなことを考えていた。でも結局僕のほうの事情でファンを止めてしまった。
 工藤静香ファン時代はそれはそれでとても楽しい思い出ですが、いろいろな反省点もあります。特に職場の嫌がらせと他のファンとの人間関係では、滅茶苦茶苦しみました。いまだに深く影響しています。反省を糧に倉木麻衣ファンとして活動しようと考えていますが、また同じ過ちを繰り返すかも。そうならならないように気をつける。相変わらず、僕に対する一方的な嫌がらせは酷いけれど、倉木麻衣さん大好き。麻衣さんに会いたいよ。
 2004年秋田市、ちょっと立ち寄る程度を除くとちゃんと秋田市に来るのは初めて。当日は新幹線「こまち」で東京を出る。こまちに乗るのは初めて。盛岡から先の新幹線からの車窓の景色ははじめて見ましたが、なかなか素晴らしいもの。秋田近辺の平野部の農村風景は印象に残りました。ただ7月最初の風景だし、冬はどんな感じだろう。
 秋田駅に着くとまず、駅のホームで立ち食いそばを食べる。改札をでて、宿泊するかどうか考える。翌日はまた東京で仕事なので東京に戻らないといけない。出来れば今日中に寝台列車でもいいから秋田を出たい。ライブの終演時刻からすると、ぎりぎり。間に合わなければ一泊するしかない。少しはなれたところにカプセルホテルもあるようだ。
 決まらないまま秋田の駅ビルをうろうろしていた。しばらくしてゆっくり会場へ向かうことにした。駅ビルを出ると西武デパートがあり、地下の飲食店街で食事。あまり聞かない麺類を食べた記憶あり。秋田だったかな。アイスも食べたような。のんびり歩きながら、会場へ向かう。30分くらい歩いたかな。
 会場の秋田県民会館は、千秋公園というところのなかにあるようだ。入り口の堀のところの石のベンチに座っていたら、あの複合スキーで有名なハンサムな荻原健二選手が選挙かなにかの車に乗っていました。今考えると別人だったかな。自信がない。調べると群馬の人のようだし。
 僕に対して手を振っていたのかな。選挙なら、他の人にも手を振るだろうけれど、何せ大阪で辻元清美さんとすれ違ったので、気になりました。
 僕は有名人なのでしょうか。もし有名人だとしてもどの程度の有名人なのでしょうか。、しかも有名人になったのは、何が原因で、どんなふうに有名になったのでしょうか。全然わかりません。一方的に嫌がらせをされていること、工藤静香ファン時代のこと、倉木麻衣ファンという点、それを除けば、うだつのあがらない、これといって個性のない、おとなしいお坊ちゃんというのが、世間的な僕に対する印象じゃないでしょうか。
 周囲の人間の自分に対する認識と僕自身の自分に対する認識にギャップが大きすぎるというのも、自分自身が社会的に他の人間とよい人間関係を築くのは大変です。特に僕対する周囲の人間の嫌がらせがすさまじく、僕自身かなり苦労している状況では、大きなハンデを背負わされている気分になります。
 そういえば荻原選手も選手時代好成績を挙げ、その後複合スキーは日本人に不利なルールが国際的に適用されるようになりました。荻原選手にせよ、他の人にせよ、出る杭というか、突出して好成績を残すとあとで条件が悪くなり、苦労することがあります。
 僕自身その意味の苦労もあるようで、現在の世の中では構造的に、正しい少数派が一番苦労するということを思い知らされます。
 ライブのチケットはオークションで買ったもの。秋田は早々と一般販売で完売になっていて、チケットが手に入るかどうか心配で早めにオークションでチケットを手に入れました。席は1階14列中ほど。その後前のほうのチケットも売りに出ていたけれど、気にしても仕方ない。ところが当日券も売っていました。倉木麻衣さんの場合、どの会場で当日券があり、どの会場では当日券がないのか、はっきりしません。
 工藤静香ファン時代の初期は僕はほとんど当日券で行っていましたが、一部の例外を除くとほとんど大半の会場で当日券が発売されていて、後ろのほうもあれば、キャンセル分らしい前のほうの席のこともあれば、当日券用にあけてあったのかと思うような比較的前のほうの1列の半分並びで当日券が発売されているところもありました。
 後ろの方から当日券が売られているところも2箇所ありました。当日券売り場の先頭の人が、当日券の一番後ろで、当日券売り場で2番目、3番目になるとだんだん前の席が売られるという感じです。
 当日券売り場の法則性はよくわかりません。倉木さんの場合、前売りの状況から考えて、当日券がありそうなところになく
て、当日券がなさそうなところにあったりします。あまり当日券のあるなしがあてにならないので、僕は当日券は買わないつもりです。少し高くてもオークションを利用するほうが確実にチケットが手に入る。
 ライブはとても楽しかった。すごくいいライブでした。ハプニングもありました。倉木麻衣さんが転んでしまったのです。足元の何かに躓いたようです。麻衣さんは転んでもぱっとすぐ立ち上がったので、わざとやっているのかと思いましたが、後日の麻衣さんのコメントを見るとどうもそうではないようです。運動神経がすごくよさそうだけれども、心配。痛くなかったのかな、麻衣さんも気をつけてください。
 麻衣さんのライブ日誌を見ると、「はたはた」のことが書いてある。僕はこんなおいしい食べ物を前にうれしそうな麻衣さんを見るのが大好き。はたはた美味しかったかな。僕は食べたことない。今度僕と一緒に食べてほしいな。キャスパーもはたはた好きかも。僕は麻衣さんと結婚したら僕、麻衣さん、キャスパーの3人ではたはた食べてみたい。
 麻衣さんもライブを楽しんでいるようでうれしい。麻衣さんが大好き。麻衣さんはこのあと仙台だし、しばらく東北ツアーが続くけれど、ずっと東北にいたのかな。観光地とか行って楽しんだのかな。それともホテルでも大学のレポートやってたりして。作詞もやってたのかな。麻衣さん可愛い。
 麻衣さんの力になりたい。つかいっぱしりでもいい。麻衣さんといつも一緒にいたい。
 僕はライブが終わるとタクシーで秋田駅に向かいました。どうやら寝台特急に間に合いそう。駅の売店で、食べ物や飲み物を買い込み、寝台特急に乗りましたが、上下段式個室の寝台特急で、階段で上り下りするもの。僕はこの形式の寝台特急は初めてでした。なかなか快適な寝台特急で、JRの車掌さんも親切でよかった。翌日朝、上野駅に着き、自宅へ戻り、そのあと宿直勤務(新夜勤務)、のため出勤しました。


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