かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.19市原市民会館

2006-11-01 09:24:00 | 2007年までのライブの思い出

今年のライブツアー4回目は市原市民会館。僕は千葉県に居住歴があるが、市原市に行ったことはない。全く初めてのところ。総武線と京葉線どちらで行くのがよりよいかよくわからないけれども、京葉線のほうがよさそうな気がして東京駅の京葉線ホームに行く。途中東京駅でカレーライスを食べた。蘇我行きにの電車に乗る。眠ったり起きたりしていた。電車だとよく寝てしまう。

蘇我駅に着く。内房線で五井駅に到着。五井駅というと横浜からバスがあったはず。2004年のパシフィコ横浜の倉木さんのライブに行くとき横浜駅でそういうバスを見かけた。ここが市原氏の中心駅のようだけれども、会場はここからかなりある。2kmくらいはありそうか。小湊鉄道の上総村上という駅のほうが近そうだけれどもここでも1kmはありそう。雨も降っている。全く初めてのところで道にも不安を感じる。歩こうか、バスにしようか、タクシーにしようか迷いながら駅のところにしばらくいた。

駅のラーメン屋に入り、冷やし中華を食べる。ビニール傘を買う。雨がずっと降っている。結局タクシーで行くことにした。意外に距離を感じる。目印になるものがよくわからないので歩くと結構たどり着くのに苦労したかもしれない。会場にはもうかなりのファンが来ていた。到着すると雨は上がっていた。4時前くらい。今日はいつもより僕は早めに会場に着いた。

今回のツアーで4日目なのだけれども僕はまだグッズを買っていない。前半のライブではもっとも家から近い松戸のライブで買おうと考えていたがその後の九州行きの準備を考えてここ市原で買うことにした。グッズは値段の高めのものもあるが倉木さんのライブではいつもこういうグッズが1品くらいはあるからいつものことだけれども、小中高生にはきつい値段のような気もする。でもそんなことを言うといまどきの屑日本人からは、自分が小中高生だからそんなことを言っているんだろう、というようなくだらない決め付けをされるかもしれない。ばかばかしい。でも経済的に苦しい人は買えないかも。一応僕はそこにあるグッズを全部買いました。

おなじみのガチャガチャもやりました。でもゲットしたグッズは偏りがありました。色が何種類かあるものだと全部の色が入っていないのではないかと思われました。だいたいグッズはほとんどゲットしたけれども、色違いのものがいくつかゲットできていない。サイン入りとかは今年もあるのかしら。それは僕はなさそう。おなじみ両面ハートマークのコインは記念にいくつか持って帰りました。片方のハートは倉木さん、もう片方は僕のハート、ぴったりとひとつになってうれしい。でも最近ファンとして冴えないような。

結局8万円弱くらいお金を使った。もうしばらくグッズは買わなくてもいいかと思ったけれどもその後、この会場や他の会場でグッズについて僕にとやかく言う人がいたようです。グッズを買っていないと。おかしいよ。そういうの。

ライブがはじまる。席は1階の26列32番。ライブは結構よかった。今回のツアーで初めて僕はすごくいい印象を持った。僕も結構楽しんだ。よいライブでした。麻衣さんはラーメンを食べたそうです。僕は日ごろラーメンは食べない。中国人や共産主義と結び付ける生きる価値のない人間がいるからだ。ラーメンを食べるということと中国や共産主義が贔屓かどうかと結びつける発想、しかも他人に関してそういうことをする意地汚い日本人発想だ。でも倉木さんの話を聞いて僕も久しぶりにラーメンを食べたくなった。

ライブが終了。アンケートを書いていると早速グッズのことでとやかく言って来る馬鹿者がいる。誰なんだよお前は。見ず知らずの人間がいきなりグッズについてとやかく言って来る。相手は僕を知っているらしいが僕はお前なんか知らない。本当にいまどきの日本人はいきなりぶしつけに突然何やかや言ってくる。年よりも困ったものだが、若者、特に倉木ファンにこういう困ったやつを多く見かける。他のアーティストのファンにも悪いやつはいるだろうが、倉木ファンはおかしいよ。僕がグッズを買う買わないという問題は、誰だか知らないおまえなんかにとやかく言われないといけないことなのか。屑野郎!

出待ちはやらない。シャトル・バスがあるということだったが、説明不足でよくわからない。路線バスはかなり待ちそう。しょうがなくまたタクシーに乗った。五井駅から電車に乗り、蘇我駅で総武線、錦糸町で黄色の電車、秋葉原で山手に乗り換えて帰りました。市原のライブがよかったので明日の松戸も楽しみになりました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.17群馬県民会館

2006-11-01 07:42:00 | 2007年までのライブの思い出

今日は倉木麻衣さんの2006年ツアーの3回目。関西2公演後、初の関東地区公演。僕は前橋というのは当時応援していた歌手のコンサートで1991年、1992年以来久しぶりに来るところ。1991年は、日曜日、お金の持ち合わせが少なく、初めて行ったときは前橋中央郵便局でお金を下ろして行った。当時早めに会場に行くのが通例。早めに行ってもだいたい、顔なじみのファンがもう何人も来ているのがいつものこと。別に競争して早く行くことを目標にしていたことはない。当時は僕は他のファンと交友を持っていた。だから、早めに会場に行くと誰かしら顔見知りのファンが来ていて会話をして情報交換をし、交友を深めていたものだった。

当日券を買う場合少しいつもより早めに会場に行くことはあったし、列車の都合で早めに会場に着くこともあったが、別に一番乗りするとか、他のファンに競争意識を持って早く会場に行こうという意識なんぞなかった。そもそも当時そんな話が出てくる様子も全くなかった。ところが最近、僕が競争意識を持って早めに会場に行きたがっているとか、わけのわからない噂を流して面白がるマヌケ野郎がいるらしい。当時の僕の行動や他のファンを知っている連中ならよほど愚劣でない限りそんな馬鹿な話はしないだろう。競争して一番乗りしてどうするのか。馬鹿馬鹿しい。

こんなものはどうせ人間の屑どもががくだらない語呂合わせや駄洒落から、わけのわからない噂を作り出したのだろう。そんな噂を真に受けるやつも異常人格者だろう。倉木ファンになってから早めに、それもそれほど極端に早いというわけでない時間、午後2時とか3時とか、に会場に行くとスタッフにせせら笑われたり、他のファンに意地悪な対応をされることもあり、今では早めに会場に行くことはなくなった。天候が悪いとき会場によっては少し早めに行くこともあるが、それでもそんなに早くは行かない。

当時応援した歌手だと、もう午後2時や3時ともなると会場にかなりなレギュラーファンが来ていたもの。当時は比較的積極的に他のファンと交友を持っていた僕は、早めに会場に行き、他のファンと交友を持っていたし、それを楽しみにしていた部分もある。今とは大違いである。

この日も比較的ゆっくり前橋に向かう。普通電車で高崎へ、乗り換えて前橋へ。久しぶりの前橋駅。しばらく駅のところで時間をつぶす。あまり早めに会場に行きたくない。雨が降っていた。しばらくして開場時刻が近づき歩いて行く。少し迷いかけるが、この街はあちこちに道路わきに地図があり、便利、会場の裏口にたどり着く。中高生らしき4人組がいる。「曙~、曙~」などと僕に言って来る。こういう糞野郎の中高生は全国的に見かける。僕は相手を知らない。向こうはこっちを知っているのだろう。待ち伏せして馬鹿にして言ってくる。

「曙」という言葉自体侮蔑的ではないが、僕に対しその表現を使う行為には明らかに侮蔑的な意味を持たせているのだろう。誰だか知らない中高生に待ち伏せされてこのような発言をされるのだ。多くの日本人は僕のほうを悪く言うかもしれない。それならお前が僕の立場になってみろよ。全国的にこの調子。すでに成立した人間関係の中での話ではない。

こちらは相手を知らず、相手はこっちを知っているという匿名性を利用した卑怯な攻撃をやってくるのだ。中高生だ。別に中高生以外ならやってもいいといっているわけでないことぐらいまともな人間ならわからないといけない。とにかく前橋の屑中高生のいきなりの攻撃に腹が立つ。こんな屑中高生を育てて教師は給料をもらっているのか。

ついでだけれども他人の外見的特徴をあれこれ言うのはよいか、悪いか。そういわれれば、だいたい悪いと答えるのが一般的か。でも会話の状況によっては、外見的特徴をいわないと会話が成立しないこともある。お互いその人の名前は知らないという状況で、「追っかけをやっている背が低くて、はげている人知ってますか」、「知りません」、「ほら岸和田のライブに来ていて僕と一緒にいた背が低くて、はげている人ですよ」、「ああ、あの人か」、「あの人探しているけど見つからないんです。もし見かけたら僕が探していた、と伝えてもらえますか」、「わかりました」というような会話があったとする。似たような会話は結構ある。僕は問題ないと思うけれど、人によっては問題視する。それどころかそっちのほうから話を持ちかけておきながら、こちらが「背が低くて、はげている人、見かけたので伝えておきましたよ」などと言うと「背が低くて、はげている人なんて何人もいるから、ただ背が低くて、はげている人といわれても誰のことだかわかららない」などと言い出す。挙句、「あの人は他人のことを背が低いだの、はげだの外見をとやかく言いたがる人だ」という噂を流されてしまう。自分のほうから持ちかけた話しだという意識などないらしい。これは作り話だが、とてもよく似た話が今までいくつもあった。

他人の外見的特徴を持ち出すことにより、不当に得する人、損する人、逆に他人の外見的特徴を持ち出さないことにより、不当に得する人、損する人、いろんな人がいる。単純に他人の外見的特徴を持ち出したということだけで、良い悪いなんぞ決め付けられないこともある。しかし、人間関係の成立していない状況で、前述の中高生など待ち伏せして身分も明かさず、いきなりの攻撃。この中高生たち、今後も平気な顔して生きていくのか。

会場はもうずいぶん久しぶりだけどそんなに変わったという印象はない。飲食コーナーもある。以前は利用したが今回は利用しない。もう開演時刻も近く入場も始まっている。席は1階15列49番。ライブでは麻衣さんが街を歩いた話をする。酒まんじゅうを食べたとか。前橋駅から坂下までバスで行ったそうです。ライブが終わり僕はアンケートを記入し、会場を出る。駅まで歩く。歩きながらバス停を確認していて坂下というバス停を発見。坂下というバス停は駅から近い。麻衣さんがバスに乗ったのはあまり長い距離ではない。ここはでも会場からは少し距離がある。麻衣さんがこのあたりを歩いたのはなぜだろう。

向かいにホテルがあるからそこに泊ったのか。でもここは東京からも近いし、ライブのあと東京まで戻ることも可能だろう。よくわからない。駅に着き、電車に乗り帰る。他のファンは駅では少ない。出待ちをやっているのか。車でいった人や地元の人はいいけれど、電車でいった人は、もう電車があまりないはず。僕が乗った電車は高崎から上野行きの終電のひとつ前。このあとが終電。ちゃんとみな帰れたかな。

僕は1991年のとき東武伊勢崎線で伊勢崎でJR乗換えで行った。帰りもその路線。1992年も東武伊勢崎線で行った。帰りも東武伊勢崎線経由で帰ろうと思った。ところが伊勢崎駅まで行くと東武線は終わっていた。終電の行ったあと。前年は東武線で帰れたのにどうして今年は帰れないのか、不思議に思ったが、よく考えると1991年は日曜日で開演終演時間が早く、1992年は平日で開演終演時刻が遅く、そのためだと思いついた。しょうがなく、高崎行きの電車に乗ったが、もう遅く、高崎駅から先の上野方面に行く電車は終わっていた。当日帰れなかった。高崎駅周辺に座ったり、終夜営業のラーメン屋に入ったりしながら、時間をつぶし、朝4時台の急行妙高で上野に戻り帰宅。ぐったりでした。しかもその日仕事。急に出勤時刻が遅くなる事情があり、助かったけど、それでもぐったりでした。

こりごり。前橋のときは電車の場合早めに帰らないと電車がなくなってしまう。他のファンはどうしただろう。ちゃんと間に合ったかな。出待ちイベントというものも僕は一度も参加していないので様子がわからない。若いファンが熱心に意欲的に倉木さんの応援をするのはよいこと。みんながんばってね。ただ、僕に余計なちょっかいを出すのは止めてくれ。うっとうしいから。

僕はだんだんと倉木さんについていけなくなりつつあるのだろう。さびしいことです。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.13三木市民会館

2006-11-01 04:19:00 | 2007年までのライブの思い出

倉木麻衣さんの2006年のライブツアーが始まった。一日目は岸和田市浪切ホール。もうなんだかあの会場が妙に懐かしい印象がある。また機会がったら行ってみたい気がするが、なかなかそういう機会はないかもしれない。浪切ホールのライブには僕はイマイチ納得の行かない部分があった。それはその後倉木さん宛のメールに書いて送った。

翌日8月12日暇なので出歩こうかと思ったが、ライブ前日に歩き回り足を痛めるのもいやだし、暑いし、ちょっとだけ出回ることにした。ホテル近くの三十石の前の店で食事。今日は法善寺あられを食べたいと思った。以前からGIZAの店に行って気にはなっていた。浪速氷室とか、closerとか、倉商グループ、やまがうどん、などGIZA周辺の店の中でも、hill'sパン工場の前にあり、僕が不勉強なだけで結構有名なところのようだ。

ただ前日のことからすると北堀江あたりは、胡散臭い人間がうろうろしているため、近づきたくないと思った。シュクラパンは今回は食べるのは止めようと思った。以前インターネットで調べたところ、法善寺あられというのは心斎橋のアーケード街にもあるようなのでそこに行く予定にしました。最初本町からアーケード街に入り、難波で折り返しまた本町の方に戻る予定でしたが、往復はめんどくさいので難波に先に行き、心斎橋のアーケード街に行き、片道だけ歩いてみました。

なんとなくお好み焼き屋が減ったような気がするけど、よくわからない。しばらく歩いて法善寺あられの店を見つけました。いっぱい何種類も買いました。ワラビもちも買いました。しばらく歩いて本町の駅があったのでそこから地下鉄へ。ここは御堂筋線の本町駅。僕はまだ大阪の土地勘がイマイチだなと思いました。御堂筋線でも淀屋橋辺りだと大阪の東のほうにいるような気がするのに、心斎橋だと西よりにいるような気がしてしまう。筋というのがよく頭に入っていないのかな、と思う。

今回は梅田に行っていないのでちょっとよってみることにした。梅田に行ったのはいいけれど、地下街がなんだかよくわからない。阪急のほうに行ったり、阪神のほうに行ったり、2年位前まで梅田で迷うことは少なかった。あそこに行くとあの店があって、というような目印があり、あまり迷わなかったが、昨年あたりから場所がさっぱりわからないことが多くなってきた。地下街が変わったのかな。記憶違いか。うろうろした挙句さっぱりわからず、早めにホテルの帰ることにした。

ホテル近所のエムズカレーを食べた。結構よい。また蛸プチでたこ焼き、551HORAIで餃子を買って帰る。麻衣さんはどこに住んでいるのだろう。

8月13日(日)、倉木麻衣ライブツアー2日目、三木市文化会館。僕はゆっくり出かける。梅田まで行き、阪神電車の普通に乗る。三木というところは、阪神で新開地へ、そこから神戸電鉄で行くという事は知っていたが、阪急でも行けるらしい。時間に余裕があるのでゆっくり行っていた。新開地駅で立ち食いそばを食べる。神戸電鉄に乗る。山のほうに行く。僕は神戸はあまり詳しくないが、このあたりは初めてのところ。乗客にスキン・ヘッドの男がいたが、映画「ディセント」の地底人の真似なのか。いまどきの若者のセンスだろう。

僕は事前に調べたら、三木上の丸駅が近そうだった。ある駅でファンらしい連中がごっそり降りていく。僕はてっきり三木上の丸駅に着いたのだと思い、あわてて降りたが、恵比須駅だった。携帯サイトをもたもた確認していたら、他の人はみないなくなってしまった。でも会場は近いらしい。僕はライブ終了後どこかで食事をしようかなどと考えながら、一人で歩いていった。近道のつもりで横の坂道を上がったら、畑、スイカの食べたあとの部分が捨ててある。近道は見つからない。

他のファンも見かけない。違う道を行ったのか。しばらくして会館のほうへ上がっていく道がありそこを上る。小さな川がある。殺風景なところ。三木市の中心部ではなさそう。会場に着くともうファンがいっぱい来ている。反対側の建物に自販機があり、そこで冷たい飲み物を買って飲む。しばらく休むが暑い。

今日の席は、1階に列41。ライブの印象は、8月11日の浪切ホールと同じようなもの。少し不満を感じていた。ライブ終了後、僕は出待はやらないので駅へ。今度は三木上の丸駅へ歩く。途中左折したが道が違った。やっと駅にたどり着く。帰りの電車空いていた。恵比須駅でも乗る人は少ない。他のファンはまだ帰らないのか。夜遅くなると電車の本数も少ない。熱心だね。みんな麻衣さん大好き。

僕は新開地駅から阪神の特急で帰る。でもホテルに着いたときはもう夜11時過ぎだったと思う。会場に残っていたファンもかなり遅くなっただろう。ファンがすごく熱心。すばらしいことです。

14日京阪経由で丹波橋・近鉄・京都駅経由で帰ろうかと思ったけれど、めんどくさくなったので、新大阪経由でまっすぐ帰りました。

この文章書いたあとで思い出したけれども、関西地区の倉木麻衣さんのライブを観るのは、これが11回目。そのうち野外ライブのBKCライブを除く10回が屋内ライブ。2005年の大阪城ホールのスタンド席を含めこれまで関西地区の倉木さんのライブはすべて2階3階4階席だった。つまりこのライブが僕にとって関西地区倉木麻衣ライブ初の1階席となったのです。1階席しかない会場だったが。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.11岸和田浪切ホール

2006-11-01 02:01:00 | 2007年までのライブの思い出

いよいよ8月11日から倉木麻衣の2006年ライブツアーがはじまる。今年はどんなライブになるだろう。僕は一足先に8月9日の時点で大阪入りすることにした。なかなか大阪に行くこともないのでこの機会に以前から見てみたかった応神天皇陵と仁徳天皇陵を見てみようと考えていた。それにシュクラパンを食べること、法善寺あられを食べること、など目的にしていた。

9日は台風が来ていることもあり、新幹線のダイヤに影響がないか不安があった。以前から大阪、特に新大阪駅で嫌がらせが多いことから、当初は新大阪駅を避けようと思っていたが、天候の影響も考えると遠回りをしていると大阪到着が大幅に遅れる可能性もあり、新大阪駅を利用した。実際には今回は嫌がらせに気づかなかった。宿泊先は淀屋橋のセンターホテル大阪。安い割りに駅からも近く便利がよい。9日は駅近くをうろうろ。食べ歩き。飲食店が多数入っているビルがあり、芦刈で大阪うどん、三十石でやよい定食を食べる。このあたりで若干の付きまといを見かける。蛸プチでたこ焼き、551HORAIで餃子を買ってホテルに戻る。なかなかおいしい。

10日はまず両天皇陵に行くことにした。応神天皇陵というのは羽曳野市にあるらしい。実際には藤井寺市との境に近い。近鉄南大阪線の古市駅から歩いていった。駅から見当をつけて歩いていったが、墓山古墳や野中宮山古墳にたどり着き、そのあたりを回る。墓山古墳の周囲の濠は、淀んでいたが魚がいるらしい。濠にくっつくように民家が立っている。野中宮山古墳のそばの児童公園で休む。暑くてしかも日陰が少ないのに読書をしている女性がいる。僕は自分がどの辺りにいるのか、よくわからなくなったので、携帯サイトの地図で確認したら、かなり応神天皇陵とは方向違いのところにいたようです。

近道をするつもりで住宅地に入り込んだら、立て続けに行き止まり。結局濠の横に畑があるところの近くで応神天皇陵を見る。僕がいた辺りは濠はそれほどでもないが、やはり陵墓はものすごく大きい。僕の思い描いていた応神天皇陵の大きさが、墓山古墳くらいな規模。まるで規模が違う。感慨というよりは、ただ大きすぎて山塊があるというだけの印象。ちょっとはなれたところからも見えるが、まさかあんなにでかいの?と思う大きな山々が、やはり応神天皇陵。周囲にはたくさんの古墳があるが規模が違う。とにかくでかい。

歩いて古市駅に戻る。暑さでぐったり。途中道が二つに分かれている。ここを右に行けば神社があって応神天皇陵をもっと見やすかったかもしれない。駅のところでキャベツ焼きというものを売っていた。なんだろう。気になったけれど、暑いのでそのまま駅に戻り、冷たいドリンクを飲む。近鉄長野線で河内長野駅、ここから南海高野線で三国ヶ丘駅に向かう。南海電車も停車駅がさまざまで、なかもず駅なんて南海、地下鉄、泉北高速などが入るので大きい駅かと思ったけれど、急行など停車しない。三国ヶ丘もJR乗換駅だけど、急行など停車しない。

三国ヶ丘駅の近くに仁徳天皇陵がある。これもでかい。少し周囲を歩いてみた。淀んでいて濠など整備されていないようだが、観光地化、俗化されていない様子がとてもよい。でかいし、暑いので少し周囲を回ったところで、また三国ヶ丘駅に戻る。とにかく実地でその大きさがわかったのは収穫。古墳というより、小高い山という感じか。

三国ヶ丘駅に戻ると南海線の駅のホームにプリンの店があったので寄る。プリン工房。この駅の飲食店はほとんど下り線ホーム。唯一上り線ホームにある店がこのプリン屋さん。売れるのかな。お店の経営は大丈夫なのかしら。大きなお世話か。僕もビン入りともう一つくらい買って食べたが、まずまずか、正直なところ量が少なくて食べた気がしない。大カップなんて置かないのかしら。売れないかな。がんばってね。

南海電車で難波に行く。暑いので一休み。昨年も寄ったなんなんタウンの鳥の巣に行く。串焼きとチューハイ3杯。若い女性店員が増えている。気のせいかおばちゃんが若々しく華やいだような。制服まで来ている。楽しい店のようです。そのあと同じなんなんタウンのヴィクトリア・カフェに寄る。カツカレーを食べとアロエのジュースを飲む。それから日本橋駅を出て道頓堀を渡ってすぐ、つるとんたんにいく。ここは昨年通りかかり、サンプルにカツカレーうどんがあるのを見て、大阪らしいなあと思い、そのうち食べてみたいと思っていた。カツカレーでもない、カレーうどんでもない、カツカレーうどんである。うどんにカツカレーが入っている。というわけで、食べに行く。

ただメニューを見ているうちに他のうどんを食べたくなった。他にも珍しいうどんがあり、そのうどんのほうがおいしそう。でもせっかくカツカレーうどんを食べに来たから、予定通り食べる。でもそんなにおいしくはない。たぶん他のメニューのほうがいいような気がした。お店の人に怒られるか。

 

まだ時間が早い。そこで地下鉄動物園前駅まで行き、南霞町から阪堺電軌で大和川駅まで行く。この大和川駅、以前倉木麻衣さんが、プロモーション・ビデオで、線路を歩いているシーンがあり、チラッと駅名が見える。大和川と書いてあったような。この大和川かしら。他はよく知らない。たぶんこの駅ではないかと見当をつけていた。実際行ってみることにした。大阪市からちょうど堺市にはいって最初の駅が、大和川駅。大和川のそば。この川関東の綾瀬川(中川?)などと並び以前汚い川の代表格だったが最近はどうだろう。降りるときも折り返して乗るときも僕一人。しばらく時間をつぶし、ホテルへ。

11日いよいよライブ・ツアー・スタートの日。僕はまず朝、シュクラパンを食べるために、hill'sパン工場にいく。午前10時くらいにいったけれども、もう売り切れだった。また売り切れか。2年連続で食べられなかった。法善寺あられのビルを見ながら、他のパンを注文し、食べていたら、後ろに妙な男。ファンらしき集団もいる。僕はGIZAのビルの道路を挟んで右横の自販機で飲み物を買い、堀江公園へ。ここも怪しい男がいる。

電気工事の服を着たすけべそうな男の集団。何かしているわけでもなく、ただニヤニヤしてたっているだけ。何しているんだろう。この公園にいる人もなんだか変な感じの人が多く、僕らファンがうろつくので、それに伴い、いかがわしい人間が北堀江あたりに増えたのだろうか。あまり僕などは北堀江、特にGIZAビルの周囲はうろつかないほうがいいのかもしれない。少し暇なので時間をつぶしたあと、やまがうどんに行く。にしんそばを食べる。ここの客も怪しい。後から来た客なんぞ立て続けに着メロを鳴らす。誰の曲かわからない。曲じゃないかもしれない。やはり付きまとい、嫌がらせと考えるべきだろう。僕がGIZAビルの周辺に来ることを予想して、待ち伏せされたのか。こういうやつがいるとやはりGIZAビル周辺に近づきにくくなる。

難波に行き、時間つぶしを兼ね、英国屋2軒に寄り、飲み食い。やっと南海電車の難波駅に行く。わざとらしいコインロッカーの空き方。そのまま普通電車で岸和田へ行く。駅到着。岸和田駅でロッカーを探したが見つからず、暑いのでミネラルウォーターを頭からかぶったりして、また時間つぶし。早く行くと他のファンに意地悪されるかもしれないので警戒。おばあさんが暑いですねえ~、話しかけてくる。気のよさそうなおばあさんだったが、僕が自販機で飲み物を買うと表情が曇ったが、どうしたのだろう。

駅近くのふじやという店で食事。またカツカレー。ここの前の通りをまっすぐ行くと、会場。僕は散々時間をつぶしたが、まだ開演まで1時間ある。ここは立見席。並ばないといけない。立ち見の順はR12。ステージから見て右サイドの三階席の立ち見順番12番ということ。中に入って席を取った。一番ステージよりで、倉木さんを見下ろすような角度。天皇陵に行ったりして、前日少し歩き疲れている。途中少しへたり座り込んでみていた。麻衣さんがかわいい。

麻衣さんは最近また一段と美しくなっている。ライブは少し僕の予想と違っていた。でもファンはすごく盛り上がっていたから、それはそれでいいのだろう。ライブが終わり会場を出る。関東に来てからグッズは買う予定なので、ここでは買わない。少し足が痛い。やはりライブの前日は歩き回るのは控えめにしたいところ。というか体力が落ちているのか。そういいながら結局また歩いている。困ったもの。反省。駅まで行く。途中妙な男の集団、コンビニを見ると妙な客の集団。いやな感じ。駅のホームに待合室があるが、南海電車の待合室は、冷房が入っている。電車でホテルへ戻る。

ホテルでも妙な若い男がいる。なんなのだろうこいつらは。この日倉木さんのラジオがあるはずだったけれども、聴けず。ライブのあと何も食べなかったけれども、食べてばかりいたせいかあまり空腹を感じなかった。

いよいよライブ・ツアースタート。今年はどんな感じになるのかな。

 

 


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明日からのライブの思い出シリーズ

2006-10-31 04:20:00 | 2007年までのライブの思い出

とうとう終了してしまった2006年倉木麻衣ライブ・ツアー。

あの8月11日の岸和田のことがありありと思い出されます。

そしてファイナル。ケーキのろうそくがなかなか消えず悪戦苦闘だった倉木さん。

僕自身相変わらず悪質な嫌がらせに苦しんでいますが、

やはり倉木さんのライブに行ってよかった。

このブログでも明日から恒例のライブの思い出シリーズをはじめたいと思います。

36回シリーズです。

ただ、この文章すでに書き始めていて、

先日倉木麻衣ファンクラブ会報が届き、その中で今年のライブのことが触れられています。それを読むと僕の文章にはところどころ思い違いというか、知識・情報不足から、自分のことについては間違いないのだけれども、倉木さんのことについては不適切なことを書いている部分があります。たとえばトーマスという人のことは僕はまったく知りませんでした。考えましたが、それはそれでこの思い出シリーズは書いていこうと思いました。

後日ファンクラブ会報の25号についてもこのブログで文章を書きます。その中で僕が見当違いをしていた部分、よくわからない部分を詳しく書いていきたい。

というわけで倉木麻衣のライブの思い出シリーズは明日からです。

よろしく。


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コスモ アースコンシャス アクト アースデー・コンサートの思い出

2006-04-23 11:15:00 | 2007年までのライブの思い出

4月22日、倉木麻衣さんのコスモ アースコンシャス アクト アースデー・コンサートが行われる。日本武道館で19:00開演。僕は正直なところライブに行くような気分ではなかった。個人的なことだが、数日前にある情報があり、精神的に落ち込み、自分の今までの至らなさを反省するような、現実に直面した。強い悲観的というか、人生や将来に対する方向転換を考えざるを得ないかもしれないというようなことに直面した。他の人には関係ないだろうが、僕には大きな問題だ。

沈む気持ちがありながら、僕は倉木さんのライブに行くことにした。もとより気分転換とか、気持ちを駆り立てようとかそんなつもりはない。ただ、倉木さんのライブに行って倉木さんに会いたかった。当日は昼過ぎまで家で寝ていた。午後2時過ぎ家から近いサウナに行く。ついでに言うが僕のアパートには風呂がない。そんなことを言うとそれで不老長者なんていうハンドルネームを使用していたんだろうと決め付けられるかもしれないが、今のアパートは昨年6月から住み始めた。それ以前から不老長者というハンドルネームを使用していた。当時は自宅に風呂はあった。

サウナに行く途中若い3人組の男を見かける。そのうちの一人はしばしば僕に嫌がらせをしている人間の屑らしい。誰だか知らないが、向こうは知っているらしい。しつこい嫌がらせ。いつまで続くのやら。僕が何か意見を言っても、そしてそれが本当のことだと、僕のことを嘘をついているだの、反対のことを言うだの、決め付けてくるなら、当然話し合いによる決着は無理。嫌がらせをやめさせるためには、そいつらが苦手にする実力者に嫌がらせを辞めさせることがひとつの手立てだが、相手が正確に確認できない。こいつらはいつまで僕に対する嫌がらせを続けるのか。予想もつかない。もしかすると一生涯僕は嫌がらせが続くのか。それなら僕に対する嫌がらせをなくすためには相手を殺すしかないということである。あいつらは殺されない限り悪いことをやめないだろう。嫌がらせなどの悪いことをやめさせるためには、殺すしかないのだろう。その前に相手が事故や自殺で勝手に死んでくれればなおよいが。

しばらくそこにいたが、見たことのあるようなやつを二人見る。よく似ているが僕の知っている人物と同一かどうかは良くわからない。付きまといか。

地下鉄南北線で、飯田橋に向かう。そこから日本武道館まで歩き。途中妙な若い男の集団が後ろに。後輩になるのがどうだとか言っている。最初僕は気にもとめていなかったが、よく考えるとそれは例のA,B,Cで会話し、わざと僕にそれを聞かせようとする嫌がらせか。僕を嘘つき呼ばわりして喜んでいるのだろう。こいつらも僕の年齢や学歴に対するデマを信じているのだろう。そうだからといって別に他人に嫌がらせしないといけないということはないはず。他人に嫌がらせをするのが好きなのだろう。相手がどういう人間かよくわからない。どうせこいつらも殺されない限り悪いこと、嫌がらせをやめないのだろう。このままでは僕はこいつらに一生涯、嫌がらせをされ続ける可能性もある。こういう人間に悪いこと、嫌がらせを止めさせるためには、やはり殺すしかないのか。こんなあくどい若者は多い。時には子どもや中年、年寄りにもそういうやつがいる。ブログに書くことを除き、僕はずっと泣き寝入りしてきた。相手を殺さない限り、この状態は続くのか。きちんと謝罪、反省をしてもらうという方法もあるけど、現状では相手の人間性から見て期待薄だし、もういまさら取り返せない部分も出てきている。

日本武道館につく。もう開場している。席はファンクラブで取ったもの。1階席東J列12という席。アリーナじゃない。1階席のステージから見て左手最後列から2番目の列。でも入り口のドアのところなので後ろには席がない。通路寄りで窮屈ではない。ラジオで放送のため定刻にスタート。僕はラジオの録音をしていないので、ラジオでどのように放送されているかは知らない。

ワンガリ・マータイさんと倉木麻衣さんの対談でスタート。倉木さんはこういう席が似合うような気がする。それに倉木さんは昨年よりまた一段と美しくなっている。倉木さんの朗読。練習したんだろうな。倉木さんの朗読というのは、独特の口調があって倉木さんらしくてとてもよい。またどこかで倉木さんの朗読聴いてみたい気がする。子どもたちの歌もあったけれど、僕は今年このイベントにはじめて参加したが、毎年こんなものなのか。ほとんど倉木さん一色で、それは僕のような倉木ファンにはすごくうれしいけれど、普通のライブじゃないし、もう少しテーマに沿った子どもたちの活動や倉木さんと子どもたちのコラボレート部分などあってもよかった気がするが、まあこれでいいのか。ファンとしてはこれでもうれしい。

倉木さんはライブの最初、長めのスカート姿。倉木さんが以前より一段と美しくなっている。でもこのスカート姿だと僕の見ている角度に原因があるのかどうかわからないけれど、少し太って見える。でも後でパンツスタイルになると別に太っていない気がする。メンバーチェンジがあったらしい。名前など良くわからない。「風のららら」などは僕にはうれしい。「冷たい海」、「Simply Wonderful」など今ではあまりライブで聴くことのない曲でこういう曲もうれしいな。やはりいつものライブツアーと選曲が違う。ラジオがあったから全国の倉木ファンも楽しめたと思うけれども、今日のライブはいつものライブ・ツアーのときと少し違うので、会場にこれなかったファンにも見せてあげたかった。

途中から定番ソングが増える。この辺になると「変わり映えのしないライブ」になってしまうけれど、何かアレンジか何かで一工夫できないだろうか。まあ実際やってみるとやっぱりいつもの定番ソングのほうがいいということにもなるかもしれないけど。でも以前から言っているけれど倉木さんの安定感は抜群な気がする。また一段と高いレベルに進みつつある倉木さんという印象。さすがにすごくよい。昨年よりヴォーカルもまた一段とよくなっているんじゃないか。

他の記事でも書いたけれども倉木さんがみんなで歌う曲は「chance for you」です。僕は間違っていました。ごめんなさい。おまえ本当に倉木さんのファンかよ、などといわれそうですが、もちろん倉木さん大好きです。でも今僕は「どつぼ」ですね。ライブ中他のファンに嫌がらせされなかったのはよかった。少しは警戒していたけど。

ライブを観ながら感じたのは、やはり僕はまだ倉木さんに信じてもらえていないのだろう、という気がする。麻衣さんはますます僕から遠い存在になっているのかな。そんなことを言うとその辺の屑野郎は、それじゃあ他のアーティストや一般の女は近いと感じているのだろうなどと馬鹿なことを言い出すかもしれない。他のアーティストや一般の女、あるいは男は僕にはもっと遠い存在だ。僕を嘘つき呼ばわりして喜んでいる連中だろう。倉木さんは他の人とは違って特別であってほしいのである。僕のことを信じてもらえるようになりたい。ムシのいい希望かもしれないけれど、いつか倉木さんに信じてもらえるようになりたいと思うけれど、だんだん無理なような気がしてきた。まだあきらめないけれど。

僕が倉木さんを嫌いなるとき、当然僕が倉木さんを嫌う理由は、他のアーティストや一般の人間にも当てはまるはず。ならば、僕が倉木さんを嫌うようになるときは、当然他のアーティストや一般の人間はもっと嫌いになる。倉木さんは僕の心の砦。もし僕が倉木さん以外の人間を好きになることがあるとするなら、よほど人間理解や精神的な意味で特別な人間だろう。僕と心の通じる人間。そんな人いるのか。

倉木さんは僕のことが嫌いかもしれないが、僕は倉木さんが好き。地道にファンをやっていくだけ。希望を持つだけ無駄かもしれないけど、あきらめずに僕は倉木さんのファンを続ける。その辺の一般の男や女は干渉するな。お前なんか関係ない。でも僕の厳しい立場は変わらない。あ~あ。

ライブは全体的にはすごくよかったと思う。気になったのは前述の定番ソングのところくらい。ピアノの弾き語りも安定していて、倉木さんはすごいね。これも練習したんだろう。がんばっているよね。もうひとつ注目したことは、「ベストオブヒーロー」。やはり倉木さんの曲というのは、CD向きの曲とライブ向きの曲があると思う。この、「ベストオブヒーロー」というのは、事前に思っていた以上にライブでよい印象。この日のライブ会場の盛り上がりもよかったけれど、この曲のときの会場の雰囲気また一段とよかった気がする。

よいライブでした。本当に会場にこれなかった人にも観せたいくらい。夏からのライブ・ツアーも楽しみだね。僕は結局気持ちが沈みっぱなしで、やはりライブを楽しむ気分じゃなかった。でも少し楽しみました。麻衣さんに会えてよかった。麻衣さんありがとう。スタッフの皆さんもありがとう。今日はキャスパーさん来ていたのかな。キャスパーさんもありがとう。

会場を出ると若い二人組の男がいた。「けいまい」何ぞ言っている。「まいはお米か」となどと言っている。僕に対していっているんじゃなければ問題ないが。僕に対して言っているのか。これでこの後僕が米でも食べようものなら、人間の屑は、「あ~、お米といわれたから、それで米を食べているのだろう」などと言い出すだろう。そういう嫌がらせもかなり以前からやられている。そうかといってそのような嫌がらせをかわすためにずっと米を食わないわけにも行かないだろう。僕に対して言っているのなら悪辣だ。こういう若いやつはいつまで僕に対する嫌がらせを続けるのか。一生続けるのか。僕は相手を知らない。相手は僕を知っているのだろう。どうしたら、こんな嫌がらせをなくせるだろう。殺されない限り悪いこと、嫌がらせを止めないのだ。ならば嫌がらせ・悪いことをやめさせるには殺すしかないのか。この悪い連中が事故で死んでくれたり、自殺してくれれば本当に助かる。これも気のせいかな。こういう嫌がらせ今まで多かったから。

会場からは来た道と同じく、飯田橋まで行き、地下鉄南北線に乗る。最寄り駅で降り、松屋で食事。定食、つまり米を食う。なんか言うやつは出てくるだろうか。くそやろう。気のせいや偶然の可能性もあるが、以前からこういう嫌がらせはものすごく多い。それに僕は飲食店に男性店員や女性店員目当てに行くことはありません。大体飲食店員やコンビニ店員というのは、以前から僕に意地悪したり、おちょくってきたりする例が非常に多い。僕のことを嘘つきとして接してきたり、僕のことを反対のことを言っていると決め付けたり、僕に対し事実無根の決めつけをして、それに沿って話を進めたり。とにかく、飲食店やコンビニでいじめ、嫌がらせをされる。だから僕も不満を持ち、批判をする。すると飲食店やコンビニはまた僕のことを嘘をついているとか、反対のことを言うなどといって、自分たちの意地悪行為を棚に上げ、なかったことにしようとする。それじゃあ僕はお客に対して頻繁に嫌がらせをする飲食店員やコンビニ店員はいい人だと言わないといけないのか。そんなことを飲食店員やコンビニ店員は言われたいのか。

全国的には僕に対し嫌がらせ行為をやったことのない飲食店員やコンビニ店員も多いだろう。そんな人から見れば、なぜ僕がそんなに飲食店員やコンビニ店員、あるいはスーパー店員、郵便局員などを攻撃するか理解できない人もいるだろう。でもしつこく僕に対し嫌がらせ行為をやる飲食店員やコンビニ店員もいるのです。その点についてご理解いただきたい。

そのあと歩いて家に帰りました。僕の心はやはり沈んでいる。でも倉木麻衣さん本当にありがとう。麻衣さんのがんばりに敬意を表するとともに深く感謝します。夏からのライブ・ツアーも行きます。僕の厳しい立場少しでも改善しているといいけど。楽観はしていません。


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2005年10月28日日本武道館2日目-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-12-04 13:59:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の16回目。
ファイナル。

2005年10月28日日本武道館2日目
いよいよファイナル。そして倉木麻衣さんの23歳のバースデー。麻衣さんおめでとう。僕は前日のライブの後、家に帰り、バースデーBBSに参加、不老長者という名前で参加。途中寝ていたけれども、少し寝不足。午後4時前に家を出て日本武道館へ。

相変わらず、頭空っぽの陰険やろうにつきまとうわれる。このファンの態度の悪さ。子供のファンが倉木さんのライブに行くとき、保護者同伴が望ましい。列になって並ぶ、周囲のファンの発言・態度、全くろくなファンがいない。日本人の心の汚さを見たければ、よいサンプルがたくさんいるよ。集団でね。これだけ困ったファンが多く、デマを流すやつが平然としていると、麻衣さんは実際に苦しんだり、悲しんだり、することも多いのかな。けなげに頑張る麻衣さん。いつもありがとう。

今日の席は南スタンド1階席でファンクラブで取ったやつ。麻衣さんから見ると正面やや右より。麻衣さんはよく見えるが、少し窮屈。昨日会場の外で窮屈といっている人がいたが、席によっては窮屈なところもあるようです。普通に見ている分には問題ないが、手を振ったりすると、手が隣の人にぶつかり、alwaysなど左右に手を振る曲だと立ち方を考えないと苦しい。

ライブは、ファイナルだけれども、少し麻衣さんのほうが心が沈んでいるような気がする。ファンクラブのライブ日誌の映像だと悲しんでないているようにも見える。いろんな想いがよぎっているのかな。僕は今まで麻衣さんに支えられてきた部分が大きい。僕は麻衣さんに甘えすぎか。他のファンには意地悪な人間が多いから、仲良くすることは出来ないけれども、僕はもっと麻衣さんの幸せのために行動するべきではないか。

元々僕の置かれた立場はそれほど良いわけではなく、厳しい状況におかれているということからすると、あまり他の人間に妥協・譲歩しているような余裕はない。妥協・譲歩するといつもつけ込むやつがいて状況はますます悪くなるのがいつものこと。でも、倉木麻衣さんは別。僕をずっと支えてくれてきた人。暗闇に一筋の光明、それが倉木麻衣さんだった。

倉木麻衣さんに対しては、僕の立場が今より悪くなっても、それでも僕は倉木麻衣さんの幸福に貢献して行かないと。おかれた立場の厳しさもあり、難しい面もあるし、麻衣さんからの信用が得られていないのでは、という気持ちもある。きっといつか麻衣さんに信じてもらえると信じ、僕なりのやり方で倉木麻衣の幸福に貢献したい。

僕が麻衣さんのバースデーライブに参加するのは、1昨年に続き、2回目。アンコールでは、またサイリウムを振る。僕はあまりサイリウムは好きじゃないけれども、麻衣さんが喜んでいたし、それならいい。バースデーの花束贈呈はO列の人が選ばれていた。小さな子供でお母さんと一緒。BKCライブのマルーンカラーのMEMORIALのシャツを着ている。僕もあのシャツを着てライブに行く予定だったけれども、引越しのときに紛れ込んで行方不明。残念。

花束贈呈の子供、女の子だけれども、堂々としたもの。素晴らしい思い出だね。周囲には心の汚い、嫌がらせの好きな大人ばかりだけれども、子供にはそんな大人になってほしくないな。

麻衣さんは喜んでいるような、悲しんでいるような。ちょっといつもと違う、変な麻衣さん。ファイナルだもんね。

来年倉木さんはまたライブツアーをやるそうです。いろんなところにいてみたいそうです。パワーアップした麻衣さんのライブ、どんな感じかな。また来年麻衣さんのライブに行く。僕も今無職だけれども、来年春先までには仕事をするつもり。そうなるとやはりライブに参加する回数は減ると思う。でもできるだけたくさん倉木さんのライブに行きたい。麻衣さんに会いたい。

今の日本人は心が汚い。他人にデタラメな噂を流して喜ぶやつ、人権侵害を平然とやって喜ぶやつ。政治家から、マスコミから、一般市民、学生どいつもこいつも。そんな世の中が変わってくれればいいと思うし、それを願う人間が安心して生きられるようになればいい。難しいかな。そしてそんな人が気持ちよく倉木さんのライブを楽しめるようになってほしい。

麻衣さん今年もありがとう。来年また元気で会おうね。LOVE!


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2005年10月27日日本武道館1日目-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-12-01 13:57:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の15回目。

2005年10月27日日本武道館1日目
日本武道館1日目。ここは以前Mさんのコンサートで来たことがある。Mさんのコンサート通算7回行ったけれども、そのうち6回まで僕は本当のところ、Mさんのライブの楽しさはよくわからなかった。7回目この日本武道館のコンサートでやっと僕はMさんのライブの楽しさが分かった気がする。僕はKさんのファンが長く通算137回コンサートに行ったが、KさんとMさんのコンサートの楽しさは別物であった。

今はもうその二人のファンもやめてしまった。僕が今までコンサートに行ったのは、Kさん、Mさん、Hさん、Nさんと倉木麻衣さん。Hさんは元々ファンじゃない。旧友に誘われたもので、その後Hのファン呼ばわりされ続け、今では、Hさんが大嫌いになっている。Nさんもファンになるのは難しい。倉木さんだけ、今僕はファンをやっている。でもその倉木ファンという立場も厳しくなっている。いつか状況が変わってほしいと思う。

有名人、無名人、多くの日本人が不当な人権侵害に好意的であり、協力的である。僕は多くの日本人が嫌い。大嫌い。僕が好意を持つのは例外中の例外。徹底的な悪党には理解できないらしい。ひどい国、日本。例外中の例外と書くと同じような主張をする人間を支持しているのだろうと決め付ける人間が出てくるが、そういうものなのか。馬鹿日本人め。この僕の意見だって生きる価値のない人間には正しく理解できないだろう。それが日本。

日本武道館に着くと窮屈な会場だといっているやつがいた。前回来たときそういう印象はなかった。今回僕の席はアリーナのQブロックの一番前。そんなに窮屈ではない。ライブは凄くよかった。僕の大ホールに対する悪いイメージは解消された気がする。大ホールにしても、小ホールにしても良いときは良いね。それに倉木さんというアーティストを見て思うけれども、ツアー全体を通してみると、ライブの好不調の波が小さいと思う。

今まで見てきた他のアーティストのなかには、ライブの調子がいいときと悪いときの差がすごく大きい人もいた。それはそれで今となっては思い出の一ページだけれど、ちょっとファンははらはらどきどき心配になる面がある。倉木さんの安定感は抜群だと思う。倉木さんだって体調がそれほど良くないときもあるだろう。それはそれとしてしっかりとしたステージを見せている。

日本武道館1日目のライブ凄くよかった。僕はガチャがチャをやり、途中で食事をして家に帰りました。恒例のバースデーBBSが始まっている。僕が参加する唯一のBBS。そちらも楽しみだった。いよいよ後1回。やはりファイナルを迎えると、独特な気持ちになる。

倉木麻衣さんありがとう。心から麻衣さんの健康と幸せをお祈りいたします。


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2005年10月25日大阪城ホール-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-30 13:49:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の14回目。

2005年10月25日大阪城ホール
少し気持ちが沈みがちでした。嫌がらせの断続的効撃、麻衣さんからの信用のことなど楽観的にはなれません。気分転換を兼ねて大阪の心斎橋周辺の観光を兼ねて僕は23日から大阪に向かいました。以前、難波のカプセルホテルに2回宿泊したが、僕が大阪で宿泊するときはだいたい新大阪か梅田。今回初めて四ツ橋にあるホテルに宿泊。ブルーウェーブイン四ツ橋というところ。ここはヒルズパン工場カフェやGIZAにも近い。12:00がチェックアウトというのも特徴。

23日に大阪駅のところから四つ橋線に乗り換えようとして、迷ってしまった。梅田あたりも僕が知らないところがたくさんあって、ちょっといつもと違うところにいくとわからない場所になる。ホテルにチェックイン,3泊の予定。一休みし、外出。GIZAのある一角の通りの反対側を歩く。ハーフェズというイラン料理の店がある。入ってみたが、結構美味しい。その後立花通りを歩く。それからGIZAのビルのほうへ行く。うっかり通り過ぎ、コンビニのところから引き返す。日曜日夕方ということもあり、人気は感じられない。ヒルズパン工場の前を通る。お客がいるようだが、さっと通り過ぎる。

それから心斎橋筋まで行く。自由軒のまぶして食べるカレーを食べる。心斎橋筋を北へ向かって歩く。いろいろな飲食店があり、はじめて観るような、珍しい食べ物が多数ある。大阪は食い倒れの街というけれど、一工夫というか、技ありの食べ物がたくさんある。さすがにそんなにたくさん食べたばかりもいられない。本町まで行き、そこから四ツ橋まで行き、クリスタ長堀を歩き、また四ツ橋の戻る。なか卯で食事をし、デイリーヤマザキで買い物をしてホテルの戻る。

24日は四ツ橋でタイ料理を食べその後、心斎橋筋を南へ歩く。食べ物屋が注目。千鳥屋という所で、リンゴプリン、とら巻き、みたらしもちを買う。なんばまで行く。なんなんウォークを歩く。地下に降りてすぐの、「ぼてぢゅう」という店でねぎ焼きを食べる。その先の「鳥の巣」という店にはいる。串焼きの店。キムチ、はも皮、砂ずり、たこ酢、焼き物では、しいたけ、こんにゃく、ジャガイモ、いいだこを食べました。生ビール1杯とチューハイ3杯。飲まないつもりだったが成り行き上飲みました。関西でこういう店に入るのは初めてですが、よい感じ。お店に行く楽しみを感じる。

難波の地下を歩き回る。「まるしげ」でお菓子をたくさん買う。英国屋で、ストロベリーカフェを食べ、タイガースのユニフォームの服を着た女の人がいる店で、大阪サイダーと冷やしあめなど買いました。日本橋というところから地上に出る。明らかにつきまとう男がいる。アホ面してニコニコしていた。大阪でもあちことで誰だか分からないが、その命に何の価値もない連中から、つきまとわれてうっとうしい。

大阪の街も面白い。変わったメニューの店も多い。宗右衛門通りを通り、風俗の店のあるところを通り、ヨーロッパ通りに着く。ここを西に向かって歩き、アメリカ村を通る。若い人がいっぱいいる。にぎやかです。ガード下を通り、GIZAの反対側を通り、ホテルに戻る。少し体調がおかしく、外に出るのがめんどくさいので、買ってきたお菓子を食べる。

25日。今日は大阪城ホールのライブの日。少し電車に乗ってみようと思った。梅田まで行き、阪急で蛍が池まで行く。ここからモノレールに乗る。門真市まで行く。途中で万博記念公園を通る。太陽の塔が見える。僕が小さいときに大阪万博に行った。あの太陽の塔。

つきまといはいろいろな世代の人間が加担する。悪辣極まりない。門真市から京阪電車で、淀屋橋まで行き、そこから大阪城ホールまで歩く。大阪城ホールは以前応援していたKさんのとき一度来ている。それ以来11年ぶり。そのときは行き返りとも大阪城公園駅を利用。かなり歩いていったが、土地勘なし。かなり時間がかかって、大阪城の堀に着く。

ベンチに座って一休みしたが、またつきまとい。それにここも蚊がいる。やっと大阪城ホールに到着。歩いていると黒人の人が追い越していく。なんだか、トニーさんのように見えたけど。携帯電話で話をしている。流暢な日本語。トニーさんだったのかな。そういえば、エクスペリエンスのメンバーは今どうしているだろう。お元気でしょうか。

会場の外では露天がいっぱい。たこ焼きやいか焼き、など早速食べました。いか焼きが特に良かった。ライブの席は、スタンドのHブロックで、スタンドではステージに一番近い側。ちょうど僕が初めて倉木さんのライブに行ったのが、2002年の冬2月の横浜アリーナ2日間で、その1日目、つまり僕が初めて倉木さんのライブに行った時が、ちょうどこういう場所。なんとなくあのときを思い出しました。

当時も僕に対する不当な人権侵害的嫌がらせは多かったけれども、今はさらに一段と嫌がらせの勢いは増している。孤立するか、極悪と妥協するか、それしかファンとしての応援のあり方がないようなら、とても残念である。でも芸能人のファンや若者や、ちやほやされて思い上がっているギョーカイ人にはそれで普通なのかもしれない。

ライブは凄くよかったと思います。僕は元々大ホールのライブは好きじゃない。BKCライブは大会場だったけれど凄くよかったと思いましたが、それは例外で、大ホールはあまり好きじゃありません。ところがこの大阪城ホールのライブは凄くよかった。良いライブだったなと思いました。

ただ、ファンのほうはやはりいろいろな形で僕に対し、挑発行為や揶揄するやつがいて、うんざりだね。しつこいのなんの。この辺については大阪も東京も同じ。若い人とだろうが、年輩の人間だろうが、有名人だろうが、無名人だろうが、執拗に他人に嫌がらせをしたり、それに好意的・協力的な態度をとるのがいまどきの多くの日本人。こんな社会が変わってくれないかとつくづく思う。

梅田経由だ帰り、途中で「KANSAI BLT」を買う。麻衣さんがでている。四ツ橋のところの松屋で食事。ホテルに戻りました。
翌日26日、ホテルチェックアウト後、ヒルズパン工場カフェにより、いくつかパンを買い、GIZAのビルをぐるっと回りました。麻衣さんがいるのならともかく、ここは来てもしょうがない印象。大阪に来たときはついでに、1回くらい寄ってパンを買うというくらいでよいと思う。

そこから心斎橋筋に行き、自由軒のあるビルの8階のメキシコ料理の店に行く。なかなかよい。そこから御堂筋線で新大阪、新幹線で東京に向かったけれども、すごく混雑していました。一つ前のひかりはすいているようだし、新幹線も混雑具合にばらつきがあるようです。明日はもう武道館のライブ。今年のライブ後2回です。


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2005年10月16日鳴門市文化会館-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-23 13:14:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の13回目。

2005年10月16日鳴門市文化会館
長崎は朝6時台の特急で博多駅に向かい、そこから新幹線で岡山まで。駅のホームでうどんを食べる。広島にしても、岡山にしても、中国地方のうどんは美味しいと思います。もちろん、僕は中国地方の出身ではありません。瀬戸大橋線で高松まで行き、時間に余裕があるので、外のスーパ-でお惣菜とお弁当を買う。昨年高松に寄ったとき、お惣菜がとても美味しかったのでまた食べたけど、僕の記憶ほどではなかった。しかし、全国を回ると、地方のスーパーのお惣菜コーナーを見ると、微妙に品揃えが違うのが面白い。その地方の特色がお惣菜に現れている。

JRの社員には意地悪な人もいるがここら辺りの職員はとても親切でよい。高松から特急で池ノ谷へ。この駅に着いたとき雨が降っていた。ここから普通電車で鳴門駅へ。途中の横を川の流れる景色はとてもよい。乗客もそこそこいて決してど田舎ではない。鳴門というところははじめてくるところ。駅に着いて駅前の地図でホテルを探すが見つからない。電話番号簿で大体の住所を知る。斉田という地名のようだ。

駅で帰りの切符を取った。高速鳴門から大阪駅までのバス。タクシーでホテルに向かう。ホテル名を言っても運転手はわからず、運転免許を取るのに利用するホテルだとか、なんか言っていたけれども印象の悪い運転手。駅から割りと近いところにホテルはあった。ホテルヴィルベルというところ。ここは2泊。なかで一休み。

夕方何か食べに行こうと思ったが、雨が降っているし、初めてのところで土地勘がなく、前にコンビニがあったのでそこで買い物をしてホテルの戻る。翌日昼過ぎ食事をしてそのまま会場へ行こうと思った。どうも鳴門という都市がよくわからない。ど田舎ではないけれども、大都市というほど大きな商業地が見当たらない。どこか違うところにあるのか。でも都市は川を挟んで整備されている印象。

ただ、外の飲食店などが少ない様子。鳴門の人は外食をあまりしないのか。駅近くのスーパーも規模が小さく、駅前の通りもそれほどにぎやかでない。にぎやかなところはどこだろう。でも甲子園で活躍した高校もあるところだし、とらえどころのないよくわからい都市。言葉が関西なまり風イントネーションがとても感じがよい。

駅近くにお好み焼き屋があった。以前テレビで徳島南部のお好み焼きが紹介されていた。僕はうまく焼けないけどとりあえず何とか焼いて食べましたが、美味しかった。ちゃんと焼けばもっと美味しくなるのかもしれない。その後駅の反対に回り、会場に行く途中のうなぎ屋さんで、うなぎを食べました。ここの前は商店街になっているけれどそれほどにぎやかな印象がない。

川沿いのベンチに座っていたら、蚊が飛んでくる。蚊が多い。会場近くのベンチに座っていました。入場のとき前を並んでいた女性は、倉木さんの真似をして腹だしルックでした。似合わない人は似合わない。さ列21番。11列目かな。今回のライブ・ツアーで一番前の席。

ライブはまずまずよかったと思います。ただ、やはり僕自身倉木さんに信用されるまではまだはるかに遠い印象で、多くの日本人は、理由はどうあれ、理由はあろうがなかろうが、僕を悪者にするのを楽しんでいます。麻衣さんもそんな立場にいるのではないか。そんなことを言うと政治家やマスコミや一般市民は喜ぶかもしれないが、倉木さんはそれでも僕の心の支えになっている。それに比べると政治家やマスコミや一般市民は僕に対し、デマを流し、悪者にして喜んでいるだけ。

今はまだ駄目かもしれないが、麻衣さんに信じてもらえるようになりたい。きっとそんな日が来てほしい。そう思いながら現時点での厳しさに直面してしまう。

なんとなく今回も沈んだ気持ちで、途中コンビニによりホテルへ戻りました。

翌日は、高速鳴門というところが分からないので早めにホテルを出て、うろうろしながら探していたら、やっと見つかった。今まで長距離のバスを利用するとき、いつも始発から乗っていて、こういうところを利用するのは初めてでした。ダンサーのコスプレをやっているらしき人がいて、うんざり。こういうやつが良くまとわり着くんだ。

バスに乗り、鳴門海峡の景色を眺め、淡路島を始めて通り神戸経由、なんば経由で大阪駅へ。途中で犬を連れた女性が見えて、キャスパーちゃんは元気かなと考えました。ヒルズパン工場カフェにもよりたかったけれども、気持ちが沈んでしまっているのでそのまま新大阪に行き、新幹線で東京に戻りました。

来年の倉木麻衣のライブ行くかどうか。もちろん経済的には問題ないけれども、世間の悪質な嫌がらせのなかで、麻衣さんの信用を得られないままライブに行き続けるのは、精神的にかなりきつい。孤立無援の厳しさ、そうかといって極悪非道と妥協する気もない。この先自分の倉木麻衣ファンとしてのあり方、そして自分自身のあり方が問われ、それに対し自問自答を繰り返す状態が続く。

生きる価値のない日本人は今後も僕に対しデタラメな噂を流し続けるだろう。そいつらに天罰が落ちてほしい。
少し今までより退いた形で倉木ファンを続けるしかない。まだまだ自問自答は続く。


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2005年10月14日長崎ブリックホール-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-22 13:09:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の12回目。

2005年10月14日長崎ブリックホール
福岡のライブの夜、時刻表を見ていてあることに気付いた。長崎のライブの後、長崎で一泊する予定でホテルの予約も取っている。ところが長崎でゆっくりしているとその翌日の鳴門のホテルのチェックインの予定時刻に間に合わない。チェックインの予定時刻を変更というのはあまりやりたくない。長崎のホテルをキャンセルして福岡にライブ当日に移動したほうが翌日以降の移動がやりやすい、でもキャンセルもなるべくやりたくない。そうなると長崎のホテルの宿泊した翌日、かなり早く長崎を出ないといけない。そのことに気付き、予定の立て方のまずさを思い知った。

博多駅から普通電車に乗り、佐賀県の鳥栖駅に向かう。うどんを食べ、駅弁を買う。ここはシュウマイが名物なのかもしれないけれど、表記が焼麦、シャウマイと書いてあったような。僕は小さいころ祖母といとこと3人で大宰府に行き、久留米経由で日田のほうに向かう途中、この鳥栖駅で駅弁を買い、すごく美味しかった記憶がある。ホームの売店で当時の記憶をたどりながら、どの駅弁か探したけれど、よくわからなかった。

鳥栖から長崎行きの普通電車に乗る。佐賀を過ぎるとだんだん海が見えて、景色が良い。電車の中でいいとしした大人なのにそわそわとして落ち着きがなく、電車の前に行ったり、後ろに行ったり、座席の方向を大きな音をさせてばたばた変更させたりそんなことを繰り返している馬鹿者がいた。まあいまどきの日本人らしい。政治家か、マスコミ関係者か、一般市民ではないか。

浦上駅に着く。長崎市に来るのは3回目。浦上は2回目。倉木さんのライブで昨年浦上に一度来ている。昨年来たとき駅のところに猫がいたけれど今度は見かけなかった。宿泊先はウェルシティ長崎。駅からも会場の長崎ブリックホールからも近い。駅のパン屋でパンを買い食べる。雨が降り始める。

会場は少し早めに着く。1階R列50番。昨年僕は長崎の倉木さんのライブ凄くよいと思った。しかしそのことをブログで書いていたら、一部の人間から反発を受け、長崎出身だろうというようなデタラメな噂を流されてしまった。そんなデマを流したり、揶揄した極悪人は今も平気な顔をして生きているだろう。それが今の日本。

僕はその意味もあり注意してみていたけれども、ライブは凄くよかったと思う。会場のせいかなあ。僕の席のせいかなあ。理由はよく解らないけれども、福岡より長崎のほうが昨年にしても今年にしても僕の印象はいい。他の人はどう感じているんだろうか。

ライブが終わるとコンビニによってウェルシティ長崎へもどる。ここの宿泊先もとてもよいです。麻衣さんはどこに宿泊したのかな。麻衣さんは長崎がお気に入りのようだけど。カステラが好きなようだし。麻衣さんの移動スケジュールがわからないけど、この後鳴門まで麻衣さんはどう行くのだろう。福岡からは飛行機があるようだけど、それで行くのかな。

僕は予定通りの行動にするため、翌日早く長崎を出ることにしました。


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2005年10月13日福岡サンパレス-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-21 13:03:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の11回目。

2005年10月13日福岡サンパレス
少し新潟から間隔があきました。その間は、東京の自宅に数日いた後、僕の育った大分県に立ち寄りました。その様子はこのブログの10月24日の記事、「日々Mai-k、LOVE!ーNo21「大分に立ち寄り」」に書いてあります。この記事はその続き。

杵築駅から特急電車に乗った。駅のところで若い男がいてBKCライブのマルーンカラーにMEMORIALと書いてあるシャツを着ていた。僕の育ったところに近いこんなところにも倉木麻衣ファンはいるのか。びっくり。当然福岡のライブに行くつもりなのだろう。僕の田舎の若者の雰囲気も僕が高校生だった23年前ころとは、ずいぶん違うのだろう。

僕が高校生のころ、僕の育った安岐町はもちろん杵築市にしても、コンビニや外食産業なんてなかった。スーパーもこんな感じではなかった。ずいぶん変わってしまったな。この感覚はわからない人にはわからない。特急に乗り、博多駅に到着。ホームでラーメンを食べる。まずまずの味だが、おにぎりは美味しい。

ホテルは博多第一ホテル。駅に近く、そばにめしや丼の店がある。なかなかよいホテル。しばらくのんびりして、福岡サンパレスに向かう。駅のすぐ来た辺りで、どうも様子がおかしい。警察官がいる。信号と関係なく歩行する人もいる。なんだろうと思い、しばらくいくと日の丸の旗を持つ集団や背広になんだかよくわからないバッジを胸につけたおっさんがいる。雰囲気からすると皇族の誰かがいたのだろうか。

周囲の話し声からすると皇太子のような印象。そばのホテルに入っていったようだが、僕は全然見えなかった。僕は出身大学が学習院大学ということから、しばしば皇族がらみで嫌がらせをされるので、警戒している。馬鹿馬鹿しい。僕は皇太子とは少し年齢差があるので、見たことはほとんどない。僕が学習院に在学していたときは、皇太子は、当時まだもちろん浩宮殿下のころだけれども、イギリスの大学に留学中であった。秋篠宮は僕と1歳違い。学内で何度も見かけた。途中でイギリスに留学したが。紀子妃殿下は僕と同じ心理学科の2年後輩になる。僕のブログで何度も説明しているし、調べればすぐわかるよ。

相変わらず、アホ政治家やアホマスコミや、アホ一般市民は僕を嘘つき呼ばわりして喜んでいる。なかには語呂合わせや駄洒落で一喜一憂しているアホ間抜けがいる。子供がやってもばかげているが、大人がやるのはくだらなすぎる。日本はひどい国。

ちなみに僕が大分県の安岐中学校に在学していたころ、浩宮殿下が安岐町にやって来た。三浦梅園旧宅を訪れたもの。
三浦梅園は江戸時代の思想家で、日本史の教科書にチラッと登場しているはず。そのとき中学校の生徒全員が道路に出て日の丸の旗を振って歓迎したのだ。そのとき僕はどうしていたか。今だからいうが、隠れていた。詳しいことは説明しない。別に疚しいことがあったわけではなく、抜け駆けしようとして失敗し、結果的に隠れたという状態になっただけ。間抜けな話。

妙な騒ぎを通り過ぎ、福岡サンパレスへ向かう。会場に入る。またわざとらしいやつがいる。メルパルクとかいっていたやつ、偶然だろうか。気にしすぎかもしれないが、この手の嫌がらせ、揶揄、挑発行為がすごく多く、またかと思ってしまう。ここの席はKファン時代にしても、昨年の倉木さんにしてもすべて1階席、今回初めて2階席。どういう席だろうと思っていたら、いわゆる2階席に両端の前にせり出した部分の席だった。僕はもうアーティストのコンサートに200回以上行っている。
数えるとこの日で211回目。こういう席は初めて。

前からこういう席で見てみたいと思っていたけれども、今回念願がかなった。席は、なかなかよかった。ライブもまずまず良かった。たまにはこういう席もいいな。ライブが終わるとフローティングペンを買い、ガチャがチャをやる。外に出ると常連らしいファンが多数いる。

僕は少し足が痛くなってるのでとっととホテルへ戻ろうと思った。途中騒ぎのあったホテルの前を通ると後ろから歓声が上がったが、馬鹿でしょうか。めしや丼によりホテルへ。時刻表を観ながら翌日以降の予定を考える。


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2005年10月4日新潟県民会館-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-20 13:45:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の10回目。

2005年10月4日新潟県民会館
富山からは普通電車に乗る。親不知周辺の海岸の景色を見たかった。景色は素晴らしく良くてお気に入り。電車にはやはり困った客がいる。滑川と行川の話をしている人、わざとかな。僕は千葉の行川には一度観光に行っただけでよく知らないところ。どういう目的かよくわからない若い客。うっとうしい限り。日本人の心って腐っている。

直江津に着く。ホームの駅弁売りのおじいさんは、「長野に行く人」と言いながら駅弁を売っている。僕は長野には行かないので駅弁は買わない。仕方なく改札前のおばあさんのところで駅弁を買う。おばあさんは僕のことを「金沢にいくんじゃないのか」というようなことを訊いてくる。今僕は富山からの電車で直江津に来たばかり、何で金沢だったり、長野だったりなんだろう。直江津から新潟方面に行く人はいないのか。

金沢というと普通電車のどういう目的かよくわからない客が車掌と金沢に戻るという話をしていた。それが変なふうに伝わっているのだろうか。それもうっとうしい限り。このまま普通電車で行っても柏崎で追い抜かれるだけだし、新潟到着が遅くなりそうなので、直江津からは特急で新潟に向かいました。

新潟と富山は1日空くけれど麻衣さんはどうしているんだろう。麻衣さんはたぶんもう新潟に行っているだろう。楽しんでくれているといいなと思っていました。僕の宿泊先は、新潟駅から右のほうへ行くと近くにあるホテル。シングルイン新潟第1。
僕は勘違いしていたけどここは昨年倉木さんのライブで宿泊したところ。部屋の外の音が少しやかましいけれどそれ以外は良いホテルです。

しばらくして食事のため、外出。駅の近くでまたつきまといらしい、人間の屑がいた。嫌な気分。わざとらしい立ち方。自分で不自然だと思わんのか、アホめ。以前14年前Kファン時代福井のファンと金沢のファンと3人で飲んだ店に行こうと思ったけれども、見つからない。うろうろした挙句、結局、笑笑に入った。この手の居酒屋に行くのもずいぶん久しぶり。結局6000円以上飲み食いして出たけど、この金額だとあまりこの手の居酒屋は余り利用できない。毎日利用すると1ヶ月で20万円以上は必死。でも久しぶりでこの手の店で美味しく飲食。

新潟でライブというと1991年にKさんのコンサートが新潟県民会館、1996年くらいかな。新潟フェイズでライブ。昨年2004年倉木さんで2日連続ライブ。他にKファン時代柏崎で2日連続、弥彦で1日コンサートをやっている。ここの万代川の景色はすごくいいと思う。お気に入り。

翌日は雨がひどい。麻衣さんのライブ意外に雨が多いような。以前、テルテル坊主を作っている麻衣さんのイラストがあったけど、あれ可愛らしかったな。キャスパーもお手伝い。

ホテルを出て食事。また挙動不審のじじいが。うんざり。こういうのブログに書いているのは氷山の一角。僕は川沿いでのんびりしようと思ったけれども雨がひどい。デパートの食品コーナーで買い物。川沿いの屋根のあるベンチに長く座っていたが、よくわからないおばあさん3人組が、自転車で来てそこに自転車を止めどこかに行ってしまった。僕は仕方なくそこを離れ、別の屋根のあるベンチのあるところにいた。

対岸の会場近くのベンチに移っていると高校生がたくさん通る。ここは通学路なのかもしれない。女子高校生も通るので、
まだ早いけど雨もひどいので少し早めに会場に到着。もうかなりお客さんが来ていた。うっとうしい若いファンに挑発行為を受ける。だから他のファンは大嫌い。

席は1階20列46番。一番端。ライブはまずまず良かったと思うけれども、僕はやはり麻衣さんに自分を信じてもらうのは難しいのではないかという気持ちが支配的になり、他のファンの集中的嫌がらせ、そしてこれがいつまで続くのかわからない、事実関係を無視し、他人の言い分を一方的に鵜呑みにし、デフォルメし、僕を悪者にしてせせら哂ういかがわしい日本人たち。いつまで続くのか。麻衣さんも僕にデマを流す人間を好意的に見ているようだ。それでも他の人間はもっとひどいから、僕は麻衣さんを信じてまつしかない。けれどもいつまで続くのかこの不当な嫌がらせは。かなり悲観的な気持ちになり、僕はまた気持ちが沈んでしまった。

落ち込んで、少しやけくそ気味というか、自暴自棄的な気持ちになりながら、雨の川沿いを歩いて、帰りました。駅のところのROYAL HOSTで食事。また挙動不審男。もううんざり。隣で本を読む男。本を読んだってかまわないが、わざとやっているようにしか見えないが。姿勢が自然な本を読む姿勢とは違う。こういうのよくあるんだ。またか。とっととホテルに戻りました。

このつきまといの連続・集中ではたまらない。予定をいろいろ考えていたけれども、取りやめ早めに新幹線で東京に戻りました。


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2005年10月2日富山オーバードホール-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-17 23:50:00 | 2007年までのライブの思い出

「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の9回目。

10月2日富山オーバードホール
富山オーバードホールのライブは昨年につぎ2回目。以前応援していたKさんのコンサートで2回富山市には来ているので通算4回目。僕は本来、上越新幹線経由で富山に行こうと考えていたのだけれども、前日に倉木さんのパネル展が京都で開かれることから、京都に行き、それから湖西線経由で富山に到着。

富山で宿泊したのは、7~8年ぶりだと思う。以前宿泊したのは駅から右のほうへ行ったところのビルにあるサウナ。たぶん2回宿泊している。今回宿泊したのは富山コンフォートホテル。近くに行くとすぐわかるけれど、少し離れるとわかりにくい。でも良いホテルでした。今回は2泊。

ライブ当日は昼過ぎまでホテルにいて、それから駅の2階の飲食店街で食事をして、駅の北側の地下で時間をつぶす。富山は地下の通路で歌の練習をする人が多い。地下の椅子に座っていたら、うっとうしいやつが、じろじろこちらを見ている。誰だよ、お前は。こういうやつの多いいこと。

会場にはすでにたくさんお客が来ていた。わざとらしい行動をするあほなファンもいたが、黒幕もいるのだろう。愚劣な。発想が幼稚。席は3階C列の1番。実質2階席の一番端。ライブはまずまずよかったと思います。ライブが終わると途中のコンビニによりホテルへ。

翌日普通電車で富山を発ちました。


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2005年9月29日仙台サンプラザ-倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-11-16 01:31:00 | 2007年までのライブの思い出

 「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の8回目。

9月29日仙台サンプラザ
仙台は、僕がファンクラブのイベントで来た。他のファンクラブのイベント会場にも行ったが、入場したのはここだけ。そのときから1ヶ月ちょっと。まず駅のところのカレー屋に立ち寄り。アーケード街を見て回り、それからホテルへ。ホテルはホテル昭和といって、アーケード街に面していて、昨年の倉木さんのライブでも一泊したところ。

ホテルで一休みした。仙台というと以前応援していたKという歌手で数回、Mという歌手で1回コンサートに来ている。倉木さんでも昨年の2日間のライブに参加。何度も来ている所。Kファン時代に駅周辺で一夜を明かしたことがある。僕が野宿するのは回数的にはすごく少ないけど、それでも数回ある。初めて野宿したのがここ。春から初夏にかけてのころだったけれども、雨の降った後でものすごく寒かった。今から14年半くらい前で、当時は貧乏だった。

その後仙台ではカプセルホテルに宿泊するか、当日東京に戻っていた。ホテルに宿泊するようになったのは昨年の倉木さんのライブから。時間が近づき、今回初めてあおば通駅を利用。そこから榴ヶ岡駅まで二駅。Mさんのファン時代、やはり仙台サンプラザだったが、当時は榴ヶ岡駅はまだ地上の駅だったが、昨年仙台に来たとき地下の駅になっていて驚いた。

今回は会場間際に到着。1階M列13という席。ライブはまずまずだったと思う。ただ、Mさんのファン時代ここの仙台サンプラザの会場というか席が、ものすごく窮屈できつい印象があった。昨年倉木さんの2日間のライブではそんな印象はなかった。すごくライブは楽しかった。Mさんのライブが変なのかと思っていたが、今年の倉木さんのライブの席は少し、やはり窮屈できつい。隣の人が手を振ったりすると、自分は手を振ったりしにくい。手がぶつかる。

結局今年の倉木さんのライブも途中から気持ちが沈んでしまったこともあり、立つと応援しにくいということもあり、座ってライブを観ていた。席によって窮屈さを感じるところとそうでないところがあるようです。

ガチャがチャをやり、仙台駅のところの中華料理屋で食事。中嘉屋という中華料理の店だけど、なかなか美味しかった。それからホテルに戻りました。「なかよしや」と読むのかしら。

倉木さんのライブ日誌を見るとアーケード街のことが触れてあり、なんだかうれしくなったけれども、僕が行ったところとは違うアーケードかな。麻衣さんとデートしたい。つきまといなどを警戒し、早めに東京に戻りました。こういうところが残念なところ。つきまとうやつは気楽だけれども、つきまとわれるやつは大変だ。

みんな悪質な人権侵害をやっていても、平気。これが今の日本社会。


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