かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

倉木麻衣J*GM2005,03Vol.053MAIエッセイ044

2005-01-28 10:00:00 | 本と雑誌

J-groove magazine2005,03Vol.053
MAIエッセイ044到着しました。

毎月とても楽しみ、早速見てみました。

今月号は、麻衣さんのニューシングル
「Love,needing」にまつわるインタビューです。

麻衣さんの「愛」に対する思い、
「Love,needing」やカップリングの曲に対する、
麻衣さんの気持ち。

そして2005年大学卒業してからのこと。
麻衣さんの考えていることがつづられています。

ところで、今回の麻衣さんの
ファッションにしても、僕好みじゃない。

曲にしても、詞にしても
僕の音楽に対する方向性と
麻衣さんの音楽に対する方向性の違いが
はっきりしてきているような気がする。

でも、僕は麻衣さんが大好きだから
これからもずっと麻衣さんの応援頑張る。

麻衣さんの幸せをお祈りいたします。
麻衣さんが大好きです。

毎月麻衣さんが書いているのが、MAIエッセイ。
僕もとても楽しみにしている。

今回は、キャスパーとキャスパーさんの
小さなお友達のイラストあり。
可愛いキャスパーさん元気かな。

スキューバダイビングの話と
紅白の話。紅白のときの衣装の話。

写真は紅白の衣装で。

倉木麻衣J*GM2005,03Vol.053
ジェイロックマガジン社より
ただいま絶賛発売中。

倉木麻衣さん愛しています。
僕と結婚してください。


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2004年6月15日熊本―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-01-28 01:27:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年6月15日(火)熊本市民会館
 僕の学習院大学時代の同級生が、熊本県荒尾出身。荒尾競馬もあるけれど、僕は良く知らない。
 熊本といえば森高千里さん。森高千里さんもとても素敵でした。ポカリスエットのコマーシャルのときは可愛いと思いましたが、その後はあまりよい印象を持っていたわけではありません。僕が森高さんによい印象を持ち始めたのは、ニッポン放送のラジオ番組がきっかけでした。ちょうど工藤静香さんの番組があり、そのすぐあとが森高さんの番組、連続して聴くこともあり、森高さんが工藤さんに対して、とても優しい気持ちで接しているようで、それがとてもうれしかった。番組の内容は、森高ファンにとってはとても楽しいものかもしれませんが、僕には退屈なもの。(工藤さんに比べ)森高さんの話は、はっきりいって生真面目すぎる。でも、森高ファンはそれがいいだろうね。
 僕がいつくらいから森高ファンになったかよく覚えていない。それ以前から好感は持っていた。テレビの歌番組で森高さんと工藤さんがおしゃべりしているのを観て僕も楽しんでいた。豚の手の話をしていた森高さんは可愛いと思った。工藤さんは滅茶苦茶笑っていたが。
 工藤静香さんが、六本木で絵の個展を開いたことがある。そのとき森高さんが見に来ていた。トミーズ雅も来ていたようだが。森高ファンはあまりいなかったようで、他のファンやお客さんのいるところにきて、森高さんは工藤さんの絵を見ていた。工藤さんの絵は当時女性の顔がテーマ。そんな絵が多かった。滝の絵もあったけれど。会場は薄暗いところだったけれど、周囲に人がたくさんいるところに森高さんが出てきて、丹念に工藤さんの絵を一枚一枚観ていた。
 最初僕は森高さんのような人がいるなぁと思いながら、一応念のため近くにいた工藤ファンの女性に聞いてみたら、やはり森高千里さんだということ。約1メートル半くらいのところから僕は森高さんを見ました。やはりすごくきれいでした。その後調べると森高さんの身長はそんなに高くないということがわかったのですが、そのときはすごく高く見えた。
 森高さんといえば、足のラインがきれいといわれていましたが、まあ工藤さんはO脚だったけれど、僕はそれほど森高さんの足がきれいだと思ったわけではありません。けれど、外見はすごくきれいだと思いました。「私がおばさんになっても」は、やはり伝説の名曲でしょうか。「この街」、「テリヤキバーガー」など面白い曲いっぱい。大阪生まれ、熊本育ちの森高さんと東京生まれ、大分育ちの僕、僕は勝手に似ているときめつけ、「九州育ち」という曲好きでした。「とんこつラーメン」もよかった。
 楽曲的には、工藤さんの曲にもいい曲があるけれど、歌詞が歌詞なので、また僕も九州育ちということもあり、僕は工藤さんの歌より森高さんの歌のほうが覚えている。正直なところ工藤さんの曲は、意味がわかりにくい印象。以前雑誌に、森高さんの実家の建物の写真やその町名が出ていました。ファンは行ったのかしら。
 僕は森高さんのコンサートに行ったのは通算7回だけれども、日帰りでいける範囲で行ったので、九州の森高さんのコンサートには来ていない。森高さんのコンサートに始めていったのは、彼女があごの具合が悪いということで、しばらくコンサートを休んだあと1回目のコンサート。横浜アリーナのコンサート。しばらく休んでいたせいか、シングルの曲の割合がすごく高かった。この横浜アリーナのコンサートのチケットは、週間プレイボーイ(集英社)で、チケットをプレゼントのコーナーがあり、応募してチケットをもらったもの。
 僕は森高さんのコンサートに参加するまで、工藤静香さんのコンサートしか行っていなかった。工藤さんのライブしか行っていない。正直言って最初のうち森高さんのコンサートの楽しさが理解できなかった。あまり面白くなかった。でも、全部で7回行ったうち、7回目くらいでやっと森高さんのコンサートの良さがわかってきたような気がする。 
  仙台などに行っていた森高ファンを観ると紳士的なよいファンが目に付きました。もう僕は森高さんのファンも止めたけれど、森高ファンは森高さんを待っているんじゃないだろうか。
  ところでこのブログを書いていて思い出したけれど、僕は森高さんのコンサートに行ったのは、長野が最後だと思っていたけれど、もしかすると、日本武道館かもしれない。違ってたらごめん。
  僕は大分県育ち。熊本は隣の県。でも僕は長く熊本市には行ったことがなかった。最初に熊本県に行ったのは、高校生のとき。大分県立国東高校の1年生とき、教育合宿で阿蘇に行った。それが最初。熊本市にはじめていったのは、1990年のとき。工藤静香さんのコンサートで、場所を間違えたもの。それについては、倉木麻衣ライブの思い出シリーズの福岡1日目編に詳しく書いたので見てもらいたい。次に1991年の工藤静香さんのコンサートで来た。場所も今回の倉木麻衣さんのライブと同じ、熊本市民会館。
 1991年の工藤さんのコンサートは、宮崎、1日空いて、熊本、福岡というスケジュール。僕は仕事で休めず、宮崎にはその年不参加。熊本は、1列目、端のほう。僕が工藤静香さんのコンサートで初めて、最前列で観た会場。結構楽しいコンサートだった。
 その日僕は東京から新幹線で博多。そこから在来線特急で熊本へ。会場まで行ったあと、熊本城を観光したり、会場右手にあるレストランで食事をした。コンサートが終わると、地元のファンが、宿泊しているホテルがわかったといって、大急ぎで出て行ったけれど、アーティストの宿泊する熊本のホテルはわかりやすいのか。工藤さんが会場から出て行ったあと、その車をバイクで追いかけていこうとするファンがいて、そのファンをキョードー西日本のスタッフが体当たりで止めていた。スタッフも大変だけど、怪我はなかったのかな。
 その日僕は熊本に宿泊しなかった。熊本のカプセルホテルがわからなかったけれど、以前火事があり、熊本のカプセルホテルが延焼したという記事を読みました。今はどうかわからないけれど、そのときは熊本にカプセルホテルはなかったんじゃなかっただろうか。
 以前熊本駅ホームにあった立ち食いうどんの店、おいしかったけど、熊本駅が変わってしまった。今回倉木麻衣さんのライブツアーでも、熊本駅の立ち食いうどん屋に行きました。前とは店も変わってしまったけれど、おいしかった。
 今回の麻衣さんのライブ、前日に熊本入りしていた。熊本ステーションホテルに宿泊。当日はチェックアウト後、熊本駅へ行く。コインロッカーに荷物を預け、みやげ物売り場を見て歩く。からしレンコンを食べてみたかった。噂に聞くとものすごい辛さだそう。漫画「美味しんぼ」のなかでも、からしレンコンはすごく辛そうに描かれていて、ちょっと食べてみたいという気がしていた。試食のからしレンコンを食べてみたけど、あまり辛くなくて拍子抜け。買うのを止めた。この程度からさで酒が進むかい?
期待はずれ、もっと辛いと思っていた。球磨焼酎も楽しみだったけど今回はパス。
 まだかなり早い時間だったけれど、歩いて会場のほうへ向かう。以前来たとき見かけた遅くまで営業している餃子屋さんがあった。今回も立ち寄らず。熊本中央郵便局によったあと、真直ぐ会場へ向かわず、九州産業交通のバスターミナルのほうへ行く。近くに阪神デパートがある。熊本に阪神デパートがあることを知らなかった。中に入ると琥珀展が開かれているということなので、催事場に行く。なかなか見事な琥珀や琥珀の装飾品。楽しんでから同じ階にあるレストランで食事。美味しい食事でした。かき氷も食べる。
 しばらく食品売り場など見たあと、近くの公園に行き時間をつぶす。花畑公園というらしい。ちょっと思いついて早めに会場に行く。半分入り待ち目的だ。もう会場に来ている常連ファンもいた。スタッフも外に出ていた。でも結局倉木麻衣さんは来なかった。どんなやり方で倉木さんが会場入りしたかわからない。他のファンを見ても入り待ちがうまくいったかどうか、はっきり様子が伺えない。でもなんだか様子が変で、もしかしたら、僕が会場出入り待ちをしたので、それで急に予定が変更になって、倉木さんの会場入りのやり方が変更になったのかなぁ。そんなことを考えてちょっと落ち込みました。このことがあってから出待ち入り待ちはやらないことにしました。出待ちをやらない理由はもう一つありますが、それについては後日また別にブログに書きましょう。
 会場のすぐ横に山崎菅原神社という小さな神社があり、参拝して、おみくじを引いたら大吉でした。また、阪神デパートに戻り、裏側の2階の通路のようなところに、座るところがあり、涼しい風が吹いていたので、そこで飲み物を飲みながら、時間をつぶし、また地下へ行き、飲食店街で、ドライカレーを食べました。
 開場時刻を過ぎてから、会場に向かいました。今日の席は6列目、くすミュージックでとったもので、今回のライブツアーでは、一番前の席でした。僕は今回のライブで一番前の席だったので、すごく楽しみにしていました。ライブが楽しみでそわそわして、少し落ち着かないくらいでした。
 ライブは凄くよかったのかもしれない。あとでライブ日誌を観ると、麻衣さんが焼き魚を見ながらにっこり。可愛い。こんな麻衣さん最高。大好き。麻衣さんの文章を見る限り、麻衣さんも楽しんでくれているようでした。ただ、正直なところ、僕にとっては
イマイチのライブでした。どうもこの辺も僕と麻衣さんのそれぞれのライブに対する感じ方の差なのかなと思います。長崎や福岡1日目のほうがよかった。
 それからライブのとき、やはり他のファンがまたあの立命館大学の話をしていました。新潟のときのタクシーの運転手と同じ内容。もしかすると僕の疑心暗鬼かもしれないと思いましたが、何せライブツアー中執拗につきまとわれるので、こちらもまたいつものつきまとい、嫌がらせか、と思ってしまいました。
 入り待ちのときのこと、他のファンやスタッフの態度、倉木麻衣さんの態度、他のファンによるツアー中の嫌がらせ、職場にもれているらしいデタラメな情報、次から次へと出てくる僕に関するデタラメな噂、盗聴、個人情報の漏洩、職場のこと、プライバシーの侵害、いろいろなことを考えました。 
 他のファンが執拗に僕に対して嫌がらせをする。ライブのスタッフの中にも、僕に対し意地悪な態度で接するスタッフが複数いる。倉木麻衣さんはどれくらい事情を知っているんだろう。倉木さんは、ファンやスタッフに対して「感謝しています」としばしば言う。それは彼女の立場からすれば当然のことかもしれないが、僕から見ると、僕に執拗に嫌がらせをするファンやスタッフに感謝していますといっているよう。
 麻衣さんの態度を見ると僕を誤解しているとき、僕に好意を持ってくれているような印象がある。正しい理解をされればされるほど、嫌われるんじゃないか。僕が悪い人間だからというわけでなく、逆に僕がよい人間であるほうが、麻衣さんに嫌われるのではないか。でも嫌われるほうが、僕にとっても、麻衣さんにとってもはるかに価値が高いのではないか。
 僕に関してはデタラメな噂が多い。日本郵政公社の職員、特に僕の勤務していた浅草郵便局の職員は、執拗に組織・集団でデタラメな噂を撒き散らす。麻衣さんもその噂を聞いているのではないか。麻衣さんの立場からしても、多数派の意見を無視して、孤立している僕の意見を重視するわけにいかないのではないか。僕はいつか麻衣さんに僕のことを信じてもらえる日が来ると思いたい。でもそれは、無意味な妄想で、いつまでたっても、麻衣さんが僕を理解し、信じてくれるようにはならないのではないか。
 スタッフの意地悪や他のファンの僕に対する執拗な嫌がらせに接し、僕の心は沈みました。僕は倉木麻衣さんが大好きで、ライブにたくさん来ているけれど、それに意味があると思うのは僕だけで、倉木麻衣さんを含め他のすべての人にとって、僕のやっていることは無意味なこと、最低の行為なのではないか。他の人はともかく、倉木麻衣さんがもしそう思うのなら、僕が麻衣さんに信じてもらえる日は絶望的に遠い気がする。
 僕の工藤ファン時代は楽しかったけれど、失敗だったかもしれない。同じことを倉木ファンとして繰り返したくないと思ったけれど、また繰り返してしまうのか。組織・集団による断続的な攻撃で僕は落ち込みました。僕が麻衣さんのライブにたくさん行ったことは、お金とか、職場のこととか、そんなレベルでなく、僕と麻衣さんの信頼関係で大きなマイナス要因になってしまったのではないか。
 ここまで来て残りのライブに行かないというのも、やはり問題がある。職場でそれを想定して有給休暇をとる予定にしている。
今から止めても、それはそれで多方面にいろいろな影響がある。ライブツアーに行き続けても、行くのを止めても、どちらにしても、苦しい結果になりそう。何より麻衣さんの信頼を得られないかも知れないというのがつらい。せめてそれだけでもクリアーになれば。
 考えれば考えるほど落ち込み、僕の心は沈みこみました。ライブが終わり、もちろん出待ちはせず、早めに会場を去り、熊本駅に向かいました。とにかく他のファンのつきまといはかなり酷い。翌日が移動日でおそらく麻衣さんは、車で宮崎に向かうのではないかと予想した。他のファンは熊本に一泊して、やはりバスか車で宮崎入りするか、鉄道なら、鹿児島中央駅経由か、肥薩線吉都線経由で宮崎入りすると予想した。
 他のファンのつきまといを警戒し僕はわざと福岡方面に行く。福岡市は何泊もし、もしかするとそこも宮崎に行かない他のファンが来ることを警戒し、また宮崎への移動を考え、北九州市まで行くことにした。熊本のライブに来ていたファンで北九州市の駅で電車を降りたファンもいて、結構九州にも熱心な倉木さんのファンがいるようだった。
 僕は深夜遅く小倉に到着し、カプセルホテル、グリーンランド小倉店に宿泊。飲食コーナーでアルコールを飲み、食事。博多のエスパとは料理がずいぶん違う。鳥料理が豊富。僕はメニューが豊富なほうがいいけれど、グリーンランドも食事はすごく美味しい。楽しい女性スタッフもいてとてもよい感じ。
 僕は気持ちが沈んでいたこともあり、ほとんど眠らず、朝早くグリーンランドを出て、小倉駅へ向かう。朝一番早い日豊本線の普通電車に乗る。乗り継いで大分に着く。竹町商店街など市内を見て回る。トキハデパートの裏のほうの公園で時間をつぶす。やはり、大分県育ち、勝手もわかるし、少し落ち着く。おみあげを買い大分中央郵便局で送る。大分のライブのときは、金池の特定局で荷物を送ったら、そのあと大分駅のところで嫌がらせらしきものがあり、今度は大分中央郵便局にしたが、今度は問題ないよう。
 そのあと映画を観ることにした。僕は大分育ちだけれど、山のほうの田舎育ちで、大分県では映画館には行ったことがない。
初めての大分県の映画館行き。大分シネマ5というところで、作品は、カナダのケベック州の作品。タイトル忘れたけれど、「みなさん、さようなら」だったかな。僕はすごく暑がりな方で、その日暑かった。冷房が入っていなくてちょっと僕にはつらかった。トイレの水の流れも悪い。女性スタッフはとても感じのよい人だった。コーヒーも自慢のようだ。特に注目したのが、映画のサウンドトラック版のCDをたくさん置いてあること。じっくり見たかったけれど、早めに出ました。
 街を歩いているとメロンパンを売っている店があり、宝塚市でも売っている人がいたし、東京の新宿でも、メロンパンを売っている人がいたけど、メロンパンブームなのか。良く知らないけれど。
 そのあと高崎山へバスで向かう。慣れている別府湾の海を見ながら、別大毎日マラソンの行われる海岸沿いの国道10号線を通り、高崎山着。以前来たときにはなかったモノレールが出来ていた。小さい短いモノレールだけれど乗ってみました。サルの寄せ場に行きました。ここは職員の解説も面白い。
 サルは可愛いけれど、野生のサルで人間にあまりなれていないので、触ったり、覗き込んだりすると飛び掛ってくる。幼稚園のときバス遠足で僕はここの高崎山に来たけれど、お友達の女の子はサルに足をかまれた。サルの餌を手に持っていたらしい。すごく血が出てビックリしたことがある。でも仔猿のしぐさは可愛い。高崎山から見る別府湾の景色もとてもよい。沈み込んでいた僕の心も少し和みました。
 以前は上り口のところ辺りでもサルがたくさんいてお客さんの荷物に飛びついたりしていたけれど、サルの数が減っているのかな。うみたまごは建設中のようでした。それから大分市内に戻りました。
 大分に来ると団子汁は必ず食べます。カレーライスの味にしても、ちょっと東京あたりと違うのかなと思う。その店特有の味かもしれない。ライブのときに宿泊したホテルは満室ということで、今度はビジネスホテルニューハヤシ大分というところに宿泊することにしました。駅のロータリーをはさんで、ライブのときのホテルと反対側。なかなかよいホテルで落ち着きました。
 経済的には熊本から宮崎に行くのに、北九州、大分経由で行くのはすごく負担増。やむ得ないけど、かなり気持ちは沈んでいましたが大分によったのは本当によかったと思う。つきまといもなく、なれたところで少し落ち着きました。
 
 
 


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