9月9日は二科展に行って来ました。二科展というと以前は上野公園の東京都美術館と上野の森美術館で行われていた。僕は1989年以来工藤静香さんのファンでもあり、その工藤静香さんが二科展初入選のとき以来毎年のように二科展に行っていた。一時工藤静香ファンを止め、二科展にも行かなくなっていたけれども、2008年に工藤静香ファンに復帰、昨年200年に久しぶりに、会場がいまの国立新美術館になってから初めて、二科展に行った。そのときの様子。https://app.blog.ocn.ne.jp/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=32412081&blog_id=26970
僕は絵は下手だし、美術に対して理解のあるほうではない。工藤静香さんの絵をきっかけに絵画に対する理解が深まればいいとおもっていたけれど、深まっていません。絵画、写真、デザイン、彫刻とあるけれど、写真と彫刻はそれなりに自分なりの感想をもてるけれど、絵画はなかでも一番よくわからない。今日は二科展を観に行くことにした。通算何回目になるかわからないけれども、いまの会場になって2年連続2回目の二科展鑑賞。
9日は朝小田急線鶴川近辺の自宅を出る。駅までわざとらしいこといくつか。鶴川近辺はいつもこの様子。小田急で代々木上原、千代田線で乃木坂。国立新美術館に行く。まだ9:40ころ。会場は10:00。17:00まで入場、18:00まで観覧。早く着き過ぎた。お客もまだ疎ら。別に一番乗りを狙ったわけではない。ただ昨年二科展に行ったときのことを考えると、途中の一休み時間や食事時間も考えてると、二科展の観覧はほぼ丸一日がかりで予定を組んだほうがよさそうだと思っていた。
10:00に開場し、入場。2階の観覧からスタート。入ってすぐのところに工藤静香さんの絵があった。特選です。「瞳の奥」。2階の絵を観て行く。僕が二科展に行くとき、もちろんくどい静香さんの絵が目的ではあるけれど、他の作品も観てまわる。東京都美術館のときは。一つ下のフロアで彫刻をやっていて、そこには行くのが面倒だったので、彫刻だけ観なかった。2階は絵と写真とデザイン。写真は美しい景色や珍しい光景に犬をはじめ動物の写真に注目しました。2階を観終わった時点で、13:15を少しすぎたところ。お腹もすいたので、カフェやカフェテリアに行くけれど、お客も多い。1階のカフェでソーダのフラッペだけ注文。
つぎは1階の観覧。絵画と彫刻。お客もずいぶん多くなってきた。彫刻は結構面白い。東京都美術館のときは全く観なかった。昨年この会場で観て興味深く感じた。休憩室に近いショップで工藤静香さんの絵の写真を買う。そのあと地階に降り、カフェテリアで食事。カレーライスを食べる。3階に行き、絵を鑑賞。16:20頃鑑賞がすべて終わる。やはり二科展の作品を鑑賞するには、丸一日がかりの予定を立てたほうがよさそう。遅くに来場したら、たぶん全部ちゃんと一通り観るのは難しい気がする。
展示室の外で一休みして帰る。今日も付きまといや待ち伏せらしきものがいくつか。ずっとこういうことが続いていいるのだけれど、僕の日常生活には大きな支障がある。どうするかね。鶴川に着き、居酒屋により飲む。どうするか。買い物してアパートに帰る。アパートもアパート。多方面からの攻撃。苦しいですよ。
☆☆☆☆☆☆☆
(あとから追加)
僕が工藤静香ファンになったのは1989年です。すでにその時点で工藤静香さんのファンになっていた人はいるでしょう。けれど当時そういう人と交流があるわけでなく、誰かの真似で工藤静香ファンをやりはじめたというわけではありません。ましてや倉木麻衣さんのファンの誰かの真似で工藤静香ファンをやり始めたということもありません。当然その当時というと、倉木麻衣さんがアーティストとしてデビューするよりずっと前であるということから見てわかるように、他の倉木麻衣ファンの影響で、工藤静香ファンをやり始めたということはありえません。
僕に意地悪をする人は因果関係のでっち上げなど日常茶飯事。時間的前後関係を無視することも珍しくない。僕は工藤静香ファン時代もファンクラブに入会していました。当時のファンクラブ会報、会報が入れられていた封筒、工藤静香さんのコンサートのチケットの半券も、もう紛失、あるいは処分したものもあるけれど、残してあるものもあります。会報が入れられていた封筒の宛名のところには、昔の僕の住所と、僕の名前と、僕のファンクラブ会員番号が記載されています。
工藤静香さんと何回握手したか、回数は覚えていない。大阪と東京で行われたファンクラブの集いでは、会場から出るとき、どちらも握手してもらいました。1998年か1999年くらいだと思うけれど、仙台のライブの帰りも握手してもらった。1993年の盛岡のコンサートは、最前列ど真ん中にいて、コンサート中に握手してもらいました。あの時コンサートに来ていた人は覚えているでしょうか。覚えてないかね。
先日倉木麻衣さんは、東京飯田橋にある東京大神宮に参拝に行ったそうです。飯田橋というと、僕が郵便局員だったときに、東京逓信病院というところに何度も行っているけれど、それとは別に、工藤静香ファンクラブも飯田橋にありました。工藤さんのファンクラブも新宿・四谷など何度か移転した。僕が一時工藤ファンをやめたときも、飯田橋にファンクラブはあった。行ったことはない。
こういうことを書いても、僕を攻撃する人は、容認しない可能性が高い。僕に意地悪する人は、もともと事実関係や論理性に重点は置いていないからだ。僕を攻撃する連中は、語呂合わせ・駄洒落、消去法・択一式の悪用、暗示にかかりやすい・誰々についていく・真似をするのでっちあげ行為などを重視する。それでは事実は通じず、まともな会話にもならないだろう。
またこのようなことを書くと今度は「普通がいいのだろう」というよなことを言い出す奴が出てくる。それは飛躍した論理であり、まともな理屈ではない。要するに工藤静香の話を持ち出したらしき奴を支持するか、普通がいいという理屈をこねる奴がいいか、どちらがいいかというような愚劣な理屈が通用しているのだろう。どちらかをよいものもとして選ばせようとしているのだ。片方を否定するともう一方を肯定していると勝手な解釈をする。実際にはそういう理屈は成立させるには無理があっても気にしない。強引にそういった理屈を当てはめようとする。
こういうことに巻き込まれるのは、いくつか理由があるだろうが、その理由の一つとして、アーティストのファンをやる連中は、低学力で、こころの汚い、意地悪な人間が多いということが考えられる。個人的にアーティストのファンをやるのはかまわない。けれど、ファンサークル的な組織には悪い人間もいる。非組織にも悪い奴はいるかもしれない。そういう連中とかかわったり、目をつけられたりすると、いろいろなしつこい虐め、嫌がらせに泣かされるということ。工藤静香さんのファンにも悪いやつはいたけれど、倉木さんのファンは残念ながらまた一段と悪質度が高い。
僕は多少他のファンとの交流はあるけれど、基本的に他のファンとの交流には消極的です。倉木さんのファンの質向上に期待します。