かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.2鈴鹿市民会館

2006-11-03 02:03:00 | 2007年までのライブの思い出

三重鈴鹿と岐阜土岐は宿泊先は名古屋にしました。駅前ホテルモンブラン。夕方は松坂屋の上の階の飲食店へ。おひつまぶしを食べる。これ一杯じゃ足りないと思う。でも僕は一杯しか食べなかったが。田楽の店にも行く。赤みその田楽。9月2日はお昼前にホテルを出る。

三重県鈴鹿市。僕は以前応援していた歌手のコンサートで三重県には3度来ている。四日市、伊勢、それにここ鈴鹿。ここは1999年以来くらいかな。ここも久しぶり。僕は最初に四日市に来た年、ついでに伊勢神宮にも参拝した。内宮だけだったが。その次の年1991年に伊勢のコンサートがあった。そのコンサートのとき朝早く一度会場に行った。別に一番乗りを目指したわけではない。今の大垣行き快速「ながら」のまえに東京発大垣行き普通電車というのがあった。僕が当時応援していた歌手のコンサートで地方に行くときよくその電車を利用していたが、結局それを利用して中京地区のコンサートに行くとすごく早く会場に着いてしまう。

1991年は朝名古屋に着きそのまま伊勢に向かった。会場は宇治山田駅前。かなり早く会場に着いた。でも僕は一番乗りではなかった。すでに先に来ていた人がいた。いつ来たんだろう。僕は会場を去り伊勢神宮を参拝する。今度は外宮内宮とも参拝。午後会場に戻る。会場の地下が駐車場でその歌手は車でそこに入っていったようだ。当時僕はツアー限定追っかけもやっていないころで、他のファンとの交流も少なく、情報も乏しかった。僕は偶然上のほうからその様子を見ていた。どうやら車にその歌手が乗っていたらしい。でも雨がひどく降り始めていて車の中の様子はよくわからなかった。服装の色からすると、当時その歌手がその色の服でよく会場入りしていたようなので、おそらくその歌手ではないかと思ったが、違うかもしれない。

僕はブログで詳しく説明しているが、以前応援していた歌手に対する応援姿勢だけれども、1992年の名古屋公演以降ツアー限定の追っかけをやり始めた。1992年のツアー最初のころまでにすでに50回以上コンサートに行っていたけれども、ツアー限定追っかけもやっていなかった。以前応援していた歌手においても前半と後半では応援スタイルが大きく異なっている。倉木麻衣ファンになってからは全く追っかけをやっていない。要するに以前応援していた歌手の前期の応援スタイルに戻っているわけだが、何度言ってもわからないやつがいる。

もちろん僕自身スタッフや他のファンの嫌がらせに苦しみ、以前応援していた歌手の前期の応援スタイルとも違うところがある。これは嫌がらせのために不本意ながらやっていることである。僕は倉木麻衣については、単にコンサートやラジオキャンペーンにたくさん行っているだけで、追っかけをやっていない。以前からずっとそう言っているじゃないか。定義以前のレベルの話である。それに定義を持ち出すのであるなら、そもそも僕のことを追っかけといっているのは誰か、その情報のもとをただすと誰に行き当たるのか。

以前応援していた歌手のファン時代、一緒に行動した追っかけマニアの人は僕を追っかけとは認めていない。僕の前でそういう発言をしている。他の古参有力ファンも僕を追っかけだとは言わない。では誰が僕を追っかけだといいはじめたのか。誰が僕をツアー限定交通期間限定追っかけと呼ぶようになったかというと、僕自身である。つまり僕を追っかけと呼ぶのは僕の主張を支持していることになる。実際には多くの人間は、僕の発言のうち一部をそのまま容認し、容認すると自分たちに不都合な部分のみ、他人の意見や僕の意見と異なる意見を勝手に僕の意見呼ばわりする。悪質な嫌がらせである。復讐されたい人間のみやることだろう。

語呂合わせ、駄洒落でごまかせばますます問題解決は困難になり、状況は悪化する。それを承知で語呂合わせや駄洒落を当てはめるのが、多くの日本人のやり方である。組織・多数派・権力寄りの人間に不幸があれば、自業自得というべきだろう。

その1992年のコンサートのあとその歌手からはがきが届いた。14年間応援をしていて、たった一回もらったはがき。プレゼントのお礼のメッセージとサインが入っている。うそだろうというやつもいるかもしれないが、ちゃんとしまってある。記念。もうその歌手のファンも辞めてしまった。当時のことがいろいろな形で嫌がらせをされている。倉木ファンからも嫌がらせをされ、ライブ・スタッフからも嫌がらせをされる。当時のファンの仲間とも人間関係がこじれ、それだけでなく、僕を攻撃する連中の一方的言い分を鵜呑みにするやつも多い。しかもそれを根拠にまた僕に対する攻撃。とてもじゃないがその歌手のファンは続けられない。やめても影響が大きいくらいだから、続けたらどうなることやら。僕は当時応援していた歌手のファンは辞めた。

そのはがきのことがあって以来、げんを担いでしばしば伊勢神宮に参拝していたが、郵便局時代「伊勢」という名前の職員がいておちょくられることも多く、また僕が伊勢市に行くと不審な人間を見かけることが増えだしたので、ここ数年は全く伊勢神宮には参拝していなかった。今年はせっかく三重県に来るので久しぶりに伊勢神宮に参拝しようと思った。

宇治山田駅から外宮に行く。参拝する。バス停に行く。バスの時刻が変な気がしたが、よくわからない。内宮に着く。参道を歩いていたのだが、やはりおかしい。参拝客の歩くところが違うようだ。良いといわれることの多い宗教、実質いかがわしい関係者だろうか。時間が迫っていたので、早めに参拝を終わらせ、バスで宇治山田駅に戻る。五十鈴川駅でたくさん客が降りる。宇治山田駅に着くと母親と小さな子供の二人組が、運転手にこの駅から賢島にいけるかと聞いていた。また違和感。こういうことはよくある。いちいち取り上げていたら大変だ。

特急で伊勢白子、急行で伊勢若松まで行き、乗り換え鈴鹿市へ。特急の中では座席を一列間違えたという人がいたが、これと全く同じことが来るときもあった。変。会場には6時くらいに着く。トラックの運転手はもう来ていた。僕は一般発売までにチケットが手に入らないときのみオークションを利用することにしている。今回のツアーでは唯一のオークション利用の会場。1階ひ列。後ろから3番目の端。ただ入場するとき若い女性が僕の周りで「ヤフオク、ヤフオク」と言いまくっている。誰だろうこいつ。僕の知らない女性である。顔はまずまずの美貌でかなり男性に人気のありそうな女性だが、この態度からはかなり性格が悪そうな印象である。美人なので周囲の若い男性がちやほやするのでいい気になっているのか。もちろん美人といっても倉木麻衣さんやキャスパーさんほどではない。でもいまどきはこの程度の美貌で、性格の悪い女性は多いのか。多そう。でももう顔忘れてる。覚えていない。

倉木さんはロック温泉の話をしていました。地元のスーパーにも行ったらしい。麻衣さんが楽しんでくれるのはうれしい。ライブが終わると宿泊先の名古屋のホテルに戻りました、

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