大分県の教員採用試験にからみ,教育委員会上層部や現職教員らが不正採用に関与したとして加重収賄罪等で逮捕され始めています。大分県警は,さらに組織的不正があったとして,県議も含め捜査対象を広げたようです。
合格者約10人が不合格に 複数県議が教委に口利き(共同通信) - goo ニュース
教育業界では比較的有名な話
まず当然の話ですが,全国ほとんどの教員は「実力」で試験に合格して先生になっています。決して先生のすべてが不正で入ってきたわけではありませんので,その点はご安心下さい。
とはいえ,実は昔こちらで書いたように,教員採用試験って,結構今でも「縁故採用枠」が事実上残っており,それがかなり幅を利かせているという裏話は複数の都道府県から聞きます。
以前,私が書いた実例は,どういう理由か本音は不明ではあるものの,暗に学校長から「口利き」をほのめかされたというものです。この一例だけで「教員は縁故採用だ」と決めつけるのは早計ではありますが,とはいえ今でもこのような裏話が聞こえてきている実情があります。
今回の大分県のケースはまさに「縁故採用」の典型例だったといえますし,学校長などの「口利きの有無」が実質的受験要件になっていたといえます。当然,これらの間に何某かの金銭が動いていたと考えるのがむしろ自然です。そして,縁故がない場合は,別途縁故を作る必要があるため,そこに県議が絡んできているという構造も容易に想像がつきます。
ただ,大分県のケースが極めて悪質だったのは,「一次試験のペーパーの結果まで改ざんした」ということです。私が聞いていた裏話情報レベルでは,「前提としてペーパーはギリギリでも点数取れ」ということでした。つまり,ペーパー試験に手は加えられないが,面接試験は手心が加えられるということです。ところが,大分では「ペーパーすらいじれる」ということなので,そうなると「バカでも教員」の道ができているということにもなりかねません。そうなると,ますます「教育への信頼」と「教育の質」が維持できません。
このような試験制度を改善して,「真の自由競争」にすることが,教育改革の第一歩であると考えます。2世教員や身内が皆教員ということ自体は必ずしも悪いこととは言いませんが,「すべて公平な試験で選ばれた教員」こそが,質的にも高いレベルの教員になりうるのではと思います。
そのためにも,「面接試験の客観化」をより進めていく必要があります。
ちなみに縁故採用疑惑については,他にも「外務省職員」があります。数年前に問題にもなりましたが,面接試験では必ず「誰か身近に外務省職員がいるか」ということを聞くようです。そこで,「**さんが」というと,あとはその名前が出た人のレベルに応じて点数が加算されるという裏話です。ただし,これも今となっては真偽の確認ができませんが・・。
こんな時代だからこそ,多様な人材を雇う必要があります。教員採用試験は今以上に透明化するべきでしょう。そうしないと,有能な人材を確保できません。
っていうか,今は江戸時代じゃないんだから,職業選択の自由くらい憲法でも保障されているはずなのですが・・。
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http://blog.livedoor.jp/princip/archives/51678847.html
http://aramahosi.cocolog-nifty.com/asaborake/2008/07/post_a7e1.html
http://blog.livedoor.jp/princip/archives/51682908.html
http://selgae.exblog.jp/8359006
http://inowe-blog.seesaa.net/article/103248182.html
合格者約10人が不合格に 複数県議が教委に口利き(共同通信) - goo ニュース
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まず当然の話ですが,全国ほとんどの教員は「実力」で試験に合格して先生になっています。決して先生のすべてが不正で入ってきたわけではありませんので,その点はご安心下さい。
とはいえ,実は昔こちらで書いたように,教員採用試験って,結構今でも「縁故採用枠」が事実上残っており,それがかなり幅を利かせているという裏話は複数の都道府県から聞きます。
以前,私が書いた実例は,どういう理由か本音は不明ではあるものの,暗に学校長から「口利き」をほのめかされたというものです。この一例だけで「教員は縁故採用だ」と決めつけるのは早計ではありますが,とはいえ今でもこのような裏話が聞こえてきている実情があります。
今回の大分県のケースはまさに「縁故採用」の典型例だったといえますし,学校長などの「口利きの有無」が実質的受験要件になっていたといえます。当然,これらの間に何某かの金銭が動いていたと考えるのがむしろ自然です。そして,縁故がない場合は,別途縁故を作る必要があるため,そこに県議が絡んできているという構造も容易に想像がつきます。
ただ,大分県のケースが極めて悪質だったのは,「一次試験のペーパーの結果まで改ざんした」ということです。私が聞いていた裏話情報レベルでは,「前提としてペーパーはギリギリでも点数取れ」ということでした。つまり,ペーパー試験に手は加えられないが,面接試験は手心が加えられるということです。ところが,大分では「ペーパーすらいじれる」ということなので,そうなると「バカでも教員」の道ができているということにもなりかねません。そうなると,ますます「教育への信頼」と「教育の質」が維持できません。
このような試験制度を改善して,「真の自由競争」にすることが,教育改革の第一歩であると考えます。2世教員や身内が皆教員ということ自体は必ずしも悪いこととは言いませんが,「すべて公平な試験で選ばれた教員」こそが,質的にも高いレベルの教員になりうるのではと思います。
そのためにも,「面接試験の客観化」をより進めていく必要があります。
ちなみに縁故採用疑惑については,他にも「外務省職員」があります。数年前に問題にもなりましたが,面接試験では必ず「誰か身近に外務省職員がいるか」ということを聞くようです。そこで,「**さんが」というと,あとはその名前が出た人のレベルに応じて点数が加算されるという裏話です。ただし,これも今となっては真偽の確認ができませんが・・。
こんな時代だからこそ,多様な人材を雇う必要があります。教員採用試験は今以上に透明化するべきでしょう。そうしないと,有能な人材を確保できません。
っていうか,今は江戸時代じゃないんだから,職業選択の自由くらい憲法でも保障されているはずなのですが・・。
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お金が絡むことと、一次試験まで通しちゃったのが、いけないですね。
仕事ができるのが最重要ではありますが、最低限の学力は必要だと思う。
2次の面接、どれくらいの割合で合否があるのでしょうね?
確かに学力=仕事ができるという訳ではありませんが,しかし最低限の学力は求められますよね。
そういう点からもペーパー試験の改ざんは許されないでしょう。
もちろん,試験の大前提は「完全なる公正」です。これなくして,適正な人員確保はできません。
> ますます「教育への信頼」と「教育の質」が維持できません
この辺り、是非とも”生徒会長”である”金子”さんのご意見をお伺いしたいものだなぁと・・・明日のネタは何?汗
※最近、「エンタ」よりも「レッド・カーペット」に意義を感じる親爺ではございます
生徒会長金子さんでしたら,きっと「大分の先生にお願いがあります。***」ネタが思いつきませんでした(まだまだ青いなあ汗)。
しかし,エンタキャラはなかなかレッドカーペットには出られませんね。やはり五味Pの力は絶大なのでしょうか(プロデューサーはすごいなあ)。
そういう教師に限って「犯罪は、殺人であれ、盗みであれ、すべて平等である」とかいって問題の本質を遠ざけます。理解力、想像力も当然欠けるものです。教わった生徒側は、そうとうな心の傷がつくでしょう。感受性とロゴスの海を繊細に渡ろうとする多感な生徒ならば。あほはだめかもしれないけど(笑)。そういうクソ教員は、即刻、社会的精神的に殺せばいい。被害者の気持ちが分かるまで教師たちを精神的に殺しまくる。くるくるぱーは死ぬまでわかりませんので。誤謬性をでっち上げ頑固な理解に固執します。
そこには日本の教育の欠陥と問題点が存在しているように思います。
権力にふんぞりがえると,どれもろくな目に遭いません。教師とて例外じゃないでしょう。
強大な権力を持っていると勘違いした教師は,一線から退いてほしいと私も思います。