子供の教育問題話ついでのもうひとつ。
他の方のブログを見ていたら,いくつか気になることがありました。それに便乗して,自分が気になることも書いてみます。
1 「いただきます」「ごちそうさま」を学校給食で児童が言うことに対するクレーム(ネット上で見た話し)
永六輔さんがやっているラジオの中で,リスナーからこのような投稿があったみたいです。
それによると,そのリスナーの意見は,「学校給食はただではなく給食費を払っている。だから「いただきます」というのはおかしい。むしろ学校側が「食べてくれてありがとう」というのが筋だ。同様に「ごちそうさま」もおかしい。こういうことを強要するのは良くない。」ということだそうです。
2 町中で弁当などを普通に捨てる(ネット上で見た話しと自分でも現認したこと)
駅前とかでコンビニ弁当やカップラーメンを食べる人が増えてきて,さらにその食べたものをそのまんま置いていってしまう(捨てていってしまう)人が増えてきた,ということだそうです。
3 客がため口で店員に話をする(私が気になったこと)
デパートなどで,店員に対して「**はないの。」などとため口(場合によっては見下した言い方)の客が多くなってきたような気がします。
以上,3つの点について,何か違和感を感じませんでしょうか。
全体を通して言えることは,「人としての常識がない!」ということです。
1については,「いただきます」「ごちそうさま」の意味を取り違えています。金を払ったから偉い,当然という発想から間違えです。
そもそも,「いただきます」「ごちそうさま」とは,料理を作ってくれた人はもちろんのこと,お米を作ってくれたお百姓さんや数々の食材を作ってくれた多くの人に対する感謝の気持ちを表す言葉です。
そう考えたとき,「金払ったから感謝の言葉を言われるのはこっちの方だ」という発想は,成り立ちません。
また,学校給食とは,レストランとは異なり,それ自体も教育の一環です。つまり,食事のマナー等も身につけさせるものです。したがって,「いただきます」「ごちそうさま」をいうように指導することは,当然の助動詞べし,といえるでしょう。
こんなクレームを付ける親のもとで育つ子供が可哀想ですし,おそらくこの親もそのような環境で育ってしまったのかなあ,と思うと哀れみさえ感じてしまいます。
2については,「ゴミはゴミ箱へ」という当たり前のことができないという点に不思議さを感じます。例えば,自分の家に他人がゴミを投げ捨てていったとき,どう思うでしょうか。
そう考えると,こんなポイ捨てはできるはずがありません。
ただ,なぜこうなってしまうのか,更に考えてみると,次のような仮説が立てられます。
親も子供も忙しい現代社会においては,家族みんなで食卓を囲むという機会がなく,子供の頃からコンビニ弁当などで夕食を済ましてしまうということが増えてきました。
その結果,ご飯を食べたら片づけのお手伝いをする,という習慣がなくなり,いわば「食べっぱなし」が当然という感じで育ってしまったのではないでしょうか。その結果,外でも食べたら「食べっぱなし」が当然,という感じになっているのではないでしょうか。
もし,そうであったとしたら,やはり哀れみを感じてしまいます。
3については,1に近いですが「客が偉い」という意味を取り違えているのでは,と思います。
確かに,アメリカでも「Guest is all right」と言われるとおり,客がすべてを優先します。しかし,客は必ず店員に対し「Thank you」といい,チップを提示します。つまり,店員に対するリスペクトを持っています。このリスペクトがあるからこそ,客は正しい,という理念が成立するわけです。
しかし,3の事例は,明らかに店員を下に見ています。もちろん,店員に媚びへつらう理由はありませんが,お互い初対面の人どおしなのだから,人としての最低限のルールである敬語くらいは使うべきなのではないでしょうか。
また,子供に対して「俺たちは客なんだから,何やってもいいんだぞ。」と指導している父親を見かけたことがありましたが,そりゃあ意味が違うだろう,と人ごとながらかなりむかつきました。
もっとも,最近ではため口の店員も増えてきましたので,どっちが良い悪いとは一概には言えません。
ただ,少なくとも,常識は持ってほしいなあと思いました。
以上の事例を通じて,改めて思ったことは,「今の日本はものが豊富になった反面,心が貧しくなったのかなあ」ということです。心が貧しい状態を子供に伝えてしまえば,当然心の貧しい子供が育ってしまいます。
そして,心が貧しくなった原因を追及すると,客が偉いという発想,すなわち金があるものが勝ちという「金(かね)本位制の社会」に問題があるのでは,と思います。
ただ,資本主義社会において,「金本位制」を覆すことはできません。とりあえず,大切なことは,「この社会は人と人とが協力して成り立っているんだ」ということを再認識してもらうことではないのかなあ,と思います。そして,子供達に対しても,そのような最低限の常識を親としてしっかり伝えるべきなのではないでしょうか。
具体的にここでとりあえず提案したいのは,「客は偉い」という発想は捨ててほしい,ということです。
「客と店員は対等」という意識で買い物をしていければよいのでは,と思います。その感覚を子供にも教え込んでほしいと思います。
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http://tetujinmama.seesaa.net/article/12308989.html
http://azarashi.exblog.jp/3104916/
他の方のブログを見ていたら,いくつか気になることがありました。それに便乗して,自分が気になることも書いてみます。
1 「いただきます」「ごちそうさま」を学校給食で児童が言うことに対するクレーム(ネット上で見た話し)
永六輔さんがやっているラジオの中で,リスナーからこのような投稿があったみたいです。
それによると,そのリスナーの意見は,「学校給食はただではなく給食費を払っている。だから「いただきます」というのはおかしい。むしろ学校側が「食べてくれてありがとう」というのが筋だ。同様に「ごちそうさま」もおかしい。こういうことを強要するのは良くない。」ということだそうです。
2 町中で弁当などを普通に捨てる(ネット上で見た話しと自分でも現認したこと)
駅前とかでコンビニ弁当やカップラーメンを食べる人が増えてきて,さらにその食べたものをそのまんま置いていってしまう(捨てていってしまう)人が増えてきた,ということだそうです。
3 客がため口で店員に話をする(私が気になったこと)
デパートなどで,店員に対して「**はないの。」などとため口(場合によっては見下した言い方)の客が多くなってきたような気がします。
以上,3つの点について,何か違和感を感じませんでしょうか。
全体を通して言えることは,「人としての常識がない!」ということです。
1については,「いただきます」「ごちそうさま」の意味を取り違えています。金を払ったから偉い,当然という発想から間違えです。
そもそも,「いただきます」「ごちそうさま」とは,料理を作ってくれた人はもちろんのこと,お米を作ってくれたお百姓さんや数々の食材を作ってくれた多くの人に対する感謝の気持ちを表す言葉です。
そう考えたとき,「金払ったから感謝の言葉を言われるのはこっちの方だ」という発想は,成り立ちません。
また,学校給食とは,レストランとは異なり,それ自体も教育の一環です。つまり,食事のマナー等も身につけさせるものです。したがって,「いただきます」「ごちそうさま」をいうように指導することは,当然の助動詞べし,といえるでしょう。
こんなクレームを付ける親のもとで育つ子供が可哀想ですし,おそらくこの親もそのような環境で育ってしまったのかなあ,と思うと哀れみさえ感じてしまいます。
2については,「ゴミはゴミ箱へ」という当たり前のことができないという点に不思議さを感じます。例えば,自分の家に他人がゴミを投げ捨てていったとき,どう思うでしょうか。
そう考えると,こんなポイ捨てはできるはずがありません。
ただ,なぜこうなってしまうのか,更に考えてみると,次のような仮説が立てられます。
親も子供も忙しい現代社会においては,家族みんなで食卓を囲むという機会がなく,子供の頃からコンビニ弁当などで夕食を済ましてしまうということが増えてきました。
その結果,ご飯を食べたら片づけのお手伝いをする,という習慣がなくなり,いわば「食べっぱなし」が当然という感じで育ってしまったのではないでしょうか。その結果,外でも食べたら「食べっぱなし」が当然,という感じになっているのではないでしょうか。
もし,そうであったとしたら,やはり哀れみを感じてしまいます。
3については,1に近いですが「客が偉い」という意味を取り違えているのでは,と思います。
確かに,アメリカでも「Guest is all right」と言われるとおり,客がすべてを優先します。しかし,客は必ず店員に対し「Thank you」といい,チップを提示します。つまり,店員に対するリスペクトを持っています。このリスペクトがあるからこそ,客は正しい,という理念が成立するわけです。
しかし,3の事例は,明らかに店員を下に見ています。もちろん,店員に媚びへつらう理由はありませんが,お互い初対面の人どおしなのだから,人としての最低限のルールである敬語くらいは使うべきなのではないでしょうか。
また,子供に対して「俺たちは客なんだから,何やってもいいんだぞ。」と指導している父親を見かけたことがありましたが,そりゃあ意味が違うだろう,と人ごとながらかなりむかつきました。
もっとも,最近ではため口の店員も増えてきましたので,どっちが良い悪いとは一概には言えません。
ただ,少なくとも,常識は持ってほしいなあと思いました。
以上の事例を通じて,改めて思ったことは,「今の日本はものが豊富になった反面,心が貧しくなったのかなあ」ということです。心が貧しい状態を子供に伝えてしまえば,当然心の貧しい子供が育ってしまいます。
そして,心が貧しくなった原因を追及すると,客が偉いという発想,すなわち金があるものが勝ちという「金(かね)本位制の社会」に問題があるのでは,と思います。
ただ,資本主義社会において,「金本位制」を覆すことはできません。とりあえず,大切なことは,「この社会は人と人とが協力して成り立っているんだ」ということを再認識してもらうことではないのかなあ,と思います。そして,子供達に対しても,そのような最低限の常識を親としてしっかり伝えるべきなのではないでしょうか。
具体的にここでとりあえず提案したいのは,「客は偉い」という発想は捨ててほしい,ということです。
「客と店員は対等」という意識で買い物をしていければよいのでは,と思います。その感覚を子供にも教え込んでほしいと思います。
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