タイトルを「不揃いな林檎達」の時任三郎風に読んでください(古ー!!)
さて,文部科学省の教科書検定に関する報道がありましたが,その中で,内容がきゅうらいの難しい内容に戻ったことや,竹島問題,顔文字のことなどが大きく報道されていました。しかし,そもそも教科書って何か,という点を論評している報道は全くありませんでした。
そもそも教科書って,どういう位置づけにあるのでしょうか?
授業のための補助教材にすぎない,と考える教師もいます。これはこれで一理あります。授業を重視する教師にとっては,「自分が教える」ことにより生徒の学力を伸ばそうとする訳ですから,必ずしも教科書に頼る必要はない,ということになります。
逆に,教科書がメインで,授業が補助的である,と考える教師もいます。これも間違えとはいえません。教科書には必要最小限の情報が盛り込まれているため,一応読めば最低限のことが分かる,教師は,分からない生徒のためにそれを分かるように説明すると共に,教科書に記載されていない周辺知識を教えるのだ,というわけです。
どちらの見解がよいか悪いか,ということは一概にいえません。
ただ,確実にいえることは,教科書あっての授業ではなく,何を教えるべきか,何を学ばせるべきかという教育方針あっての授業であること,そしてその方針に即した教科書を作成するべきであるということです。これが教科書執筆者の役割であり,文部科学省がチェックすべきことでしょう。
教科書が厚くなった,薄くなった,難しくなった,易しくなった,等を議論することは大いに結構ですが,その背後にある「結局,何を教えたいのか,学ばせたいのか」という点の問題意識について,もっと大きく報道し,国民レベルでの議論に持っていく必要があると思います。その際,現在の状況を客観的に分析し,問題意識を持って検討する必要があるでしょう。当然,文部科学省や関係者達は,今こそその問題意識を持って真剣に議論しなければならない時期にある,ということはいうまでもありません。
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そもそも教科書って,どういう位置づけにあるのでしょうか?
授業のための補助教材にすぎない,と考える教師もいます。これはこれで一理あります。授業を重視する教師にとっては,「自分が教える」ことにより生徒の学力を伸ばそうとする訳ですから,必ずしも教科書に頼る必要はない,ということになります。
逆に,教科書がメインで,授業が補助的である,と考える教師もいます。これも間違えとはいえません。教科書には必要最小限の情報が盛り込まれているため,一応読めば最低限のことが分かる,教師は,分からない生徒のためにそれを分かるように説明すると共に,教科書に記載されていない周辺知識を教えるのだ,というわけです。
どちらの見解がよいか悪いか,ということは一概にいえません。
ただ,確実にいえることは,教科書あっての授業ではなく,何を教えるべきか,何を学ばせるべきかという教育方針あっての授業であること,そしてその方針に即した教科書を作成するべきであるということです。これが教科書執筆者の役割であり,文部科学省がチェックすべきことでしょう。
教科書が厚くなった,薄くなった,難しくなった,易しくなった,等を議論することは大いに結構ですが,その背後にある「結局,何を教えたいのか,学ばせたいのか」という点の問題意識について,もっと大きく報道し,国民レベルでの議論に持っていく必要があると思います。その際,現在の状況を客観的に分析し,問題意識を持って検討する必要があるでしょう。当然,文部科学省や関係者達は,今こそその問題意識を持って真剣に議論しなければならない時期にある,ということはいうまでもありません。
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