昔、放送大学の講義を聴講した時の感想です。
講義は、通俗的なもの、擬似的なものがまことしやかに科学であるかのような振る舞いぶりと、それらを信じ込んでしまう人の多さとそのメカニズムついてというのが、背景にあったようです。
人は皆、その人なりのモノの見方というものをします。つまり偏りですね。自分がこうだと思ったことを、それを支持してくれる証拠を一生懸命探し、そうでないものを否定、軽視、歪曲しようとする特性を持っているということです。つまり、都合のよいものの見方をしてしまうということですね。これを防止するのに必要なのが、科学的視点ということでした。
翻って、音楽療法の世界はどうでしょう。音楽療法は科学でしょうか?科学でなくてよいでしょうか?さまざまな立場があるでしょうが、問題なのは、いや、問題と思えるのは・・・・
科学としての要件を満たしていない方法論を、科学と信じ込んでしまっていること?
少なくとも、相関関係しか認められないものを因果関係があるかのような物言いはよしましょう。それと、一般的に広く使われている概念を、自らのものとするネーミングで囲い込むのも止めてくれませんか。
自ら標榜するものを定義するには、対象、方法論を明確にした上で、論じなくてはなりません。
つまり、相撲の土俵にするのか、リングにするのか。同じリングという呼び方でも、レスリングであったり、ボクシングだったり内容が違うこともありますね。この辺をはっきりしてほしいのです。
音楽療法はあれにも良いこれにも良いと、対象、障碍を羅列しているところもありますが、それでは音楽療法は万能だと言っているようなものです。音楽そのものに依存してしまっては、音楽療法士の責任の所在が曖昧になってしまいますよ。まぁ、それで都合のよい人もいるかもしれませんが。
音楽療法って、何なんだろう?未来はあるのか。
(旧音楽療法邪説より転載)