籠原駅で乗り換える。朝の通勤電車で乗客が多く、赤羽から横浜までは満員で走る。
東海道本線の国府津駅で開いたドアからホーム越しに海が見える。
熱海で浜松行きに乗り換える。
このお三方は、座席が空いているのにずっとこのポジションであった。
米原からはJR西日本の営業区間になる。
7月21日 朝4時に起床し、身支度と朝食を済ませ稚内駅へ向かう。
早朝の無人改札を通り抜け、5:21発の名寄行き始発に乗車。
春、枕崎駅から地元駅に続き、今日稚内駅から地元駅までの鉄道縦断の旅、後半のスタートだ。
枕崎と稚内双方に駅間3,099.5㌔と書いてある。新幹線も使った最短距離なのだろう。拙者の今回の目論見では3,392.1㌔の駅間乗車距離となる。
7月19日 早朝目覚めると雲は厚く白波が立っており、今回は少し揺れを感じる。船長のアナウンスによると、波高 は2から3メートルとの事である。
寝て食って寝て、海を眺めて風呂に入って1日を過ごす。午前に姉妹戦のアカシアと行き合う。
午後から雨になり、薄い海霧が漂っており奥尻島も見えず、一日中波だつ日本海だったが、日没前に積丹半島を過ぎる頃には雨も上がり、景色が見え出した😀徐々に気分も上り出した。
インバウンドの旅行者が大勢いる。会社帰りの酔ったサラリーマンがいる。2次会へ行こう!と盛り上がる女子軍団がいる。そんな喧騒に満ちる大都会を、テレビ塔を目指して進み、20分ほどで大通りバスセンターに着いた。
チェックインし待合室でバスを待ち、定刻13分前にバスがバースに入り、3列シートの中央列前から3番目の座席番号8に座る。
少し肌寒いので前からGジャンを羽織って寝る体勢をとる。満席で発車すると程なく消灯された。暫くすると高速道路を走っているようで車が停止しなくなった。姿勢が一定なので体が痛くなり何回も目が覚める。
5時ごろ稚内市街地に入り、順次希望するバス停で乗客が降りてゆく。拙者は稚内駅前で一人降車し、キャリーバックを押して稚内名物の北防波堤ドームに着く。
1936年に建築され1980年に全面改修が行われているとのこと。それから40年が経過し、長寿命化の再度調査が行われている模様で、柱や壁などのクラックにマーキングがなされている。
天候が回復しそうなので利尻島へ渡ることにする。まだ6時前だがぼちぼちフェリー乗り場に向かう。
水泳施設の前に鹿の群れがいる。去年来た時もそうだったが、稚内には奈良公園のように悠然と鹿がいるのである。
礼文島は四十数年前に行ったことがあるので、今回は行ったことのない利尻島に向かい利尻富士を見たい。
思い起こせば礼文島で泊まった時も島全体が霧で利尻岳は見えなかった。
去年サロベツ原野をバイクで走った時も山頂は霧の中だった。
さて今回が3度目、どうなるか。 7:15発の鴛泊行きフェリーに乗る。
野寒布岬を左に回り込み、少し波だつ日本海を進むと利尻島が見えてくる。やはり下半分しか見えない。
9時前にフェリーは利尻島に接岸し、上陸した。
島内観光バスなどがあるが、ここはペシ岬から見る利尻富士に集中したい。観光案内所の方に尋ねるとペシ岬は徒歩で往復1時間ぐらいで、今日の風向きなら利尻岳の頂上は望めそうとのこと。コインロッカーにキャリーバックを入れてペシ岬へ向かう。
ペシ岬は通称ゴリラ岩と言われており紅葉シーズンには肩越しの赤茶ゴリラに見えるそう。漁港を歩いて進むと見える見える、両手を広げたゴリラだゴリラ。
港の端から遊歩道が伸びており、案内沿って登ると小高い平地に会津藩士の墓と表示がある。江戸幕府から蝦夷地のロシア防備を命ぜられ、この地で亡くなったは藩士の墓だそう。
一礼して歩みを進め突先の灯台まで行き、折り返して岬の頂上に立つ。標高は90mほどでガレ場だ。利尻岳の頂上は見えそうで見えない。1時間ほど粘った。
漁港とは反対側にペシ海岸が見下ろせる。昔そこにはモペシという石山があったそうだが、爆破され稚内の北防波堤ドームの基礎石になったそう。国立公園に指定されている今では考えられないようなことだ。
この利尻礼文サロベツ国立公園は1974年に指定され、今年は節目の50周年といううことらしい。
だからなんだと突っ込まれるかもしれないが、お調子者の拙者はそれを聴いただけで嬉しくなり、道端の花を撮影したりしてしまうのだ。名前も知らないくせに。
1時間の間に先っちょは見えたが満足のいくものでは無い、が、帰りの船や昼飯のこともあり下山した。
フェリーターミナルの前の食堂で利尻ラーメンを食べ、お昼のフェリーに乗船する。
2等船室にキャリーバックを置いて後部デッキに陣取り、最後のチャンスに賭けるのだ。
そして鴛泊港を出航し、しばらくすると少しづつ頂上が見えだした。
よっしゃーっ!と写真を撮りながら、離れていく利尻島をずっと眺めていた。
よかった。四十数年越しに3度目の正直で頂上を見ることができた。中腹には雲がかかっていたが稜線は想像でき、大満足だ。ありがとう利尻富士😭
14時前に稚内に着き、今夜の宿モシリパに向かう。昨年のバイク日本一周時にも利用したゲストハウスだ。去年、たまたまじゃらんの本日の宿で見つけたのがそもそもの始まりだが、初めてゲストハウスを利用し、そこで知り合ったバイカーと話をしたり、一緒にオーナーに開業までの話を聞かせてもらったりして楽しく過ごした。
そんな事で、今回も是非モリシパに泊まりたいと思い予約をした。
15時にリピート泊ですと告げてチエックインをし、夕食の焼きカレーとサッポロ生を予約注文し、ベットメイクをし、シャワーを浴び、ダイニングに降り、スタッフのAomuraさんや足寄のぎまんちさんやオーナーとあれこれ話が弾んだ。
夕食を食べ、オーナーの著書を購入して本にサインを書いてもらい早めに就寝した。
いよいよ明日から青春18きっぷで行く日本縦断鉄道旅の後編がスタートする。 つづく
7月18日出発の日
9時半から、昨日調子が悪くなった浴室乾燥機の修理立ち合いを行う。
乾燥にしても温風が出なくなってしまったのだ。修理の方は断線の可能性が高いのだと言う。暫くして断線箇所を発見し、配線の修復を行なってもらい一安心。
これで旅に出られるぞ😃
午後からスーパーへ旅のおつまみや非常食を買い出しに。
18きっぷの旅は、タイトな列車ダイヤに合わせるので、食事に立ち寄る時間が無かったり、そもそも田舎駅では近くに食堂やコンビニが無かったりする。
食べる為に一本乗り損ねると、1泊追加や野宿が待っているのだ。
1日ぐらい何も食べなくても死にやしないが、日持ちするカップケーキやポッキーを持っているといざという時に心強いのだ。
相撲中継の結びの一番を見ず、18時前に徒歩で駅へと向かう。
途中に知人とすれ違い、キャリーバッグを引きずる拙者を見て何処行き?と尋ねられるが、立ち話する時間が無いので夜逃げ!と切り返して早足で立ち去る。ゴメンね🙇♀️
駅では切符の対面販売が廃止され、苦手な自動販売機と格闘する。
機械なので、忖度したり、おもんばかったり、探ったり、やり過ごしたりしてくれないのだ。設計者の考えたステップと、説明の理解と、正しい駅名の入力が求められる。
後ろに女性が並んでおり、ドジな操作を見抜かれないよう画面に体を被せ、画面の隅々まで神経を配り、冷や汗をかきながら、東舞鶴までの切符を購入した。
改札が無人でまごまごしていると、駅員さんが通りかかった。
聞くと、そのまま通ってくださいと。
ICOCAは使えるが自動改札は無く、無人駅のような状態である。
春は改札に人が居たのにな、赤字ローカル線の将来は暗いよな。
待合室で冷房に浸りながら入線を見計らい、18時34分発の福知山行き普通電車に乗り込む。大方が高校生の通学で通勤者がパラパラ。
見渡すと車両の中で旅行者は拙者1人のようだ。
まだ青春18きっぷの利用開始日になっておらず、鈍行に乗って旅する人も少ないのかも知れない。
電車は、高校がある駅に着くとどっと生徒が乗って来て、次の駅からパラパラと降りてゆく。
福知山に近づくと府県境になるため私学の生徒しか残っていない。そして無人駅には親のお迎えが待っているのだろう。
あたりはすっかり暗くなり、電車の灯りに誘われて虫が飛び込んでくる。
田舎列車はドアの開閉がセルフの為、降車で開け放たれたドアから暖かい外気と共に入ってくるから堪らない。乗客が少なくなると、ドアの周りに人がおらず慌てて席を立ち閉のボタンを押す。
福知山の手前でカメムシの匂いが漂う。嗚呼、侵入を許してしまったか。そして福知山で乗り換え。
園部行きのホームへ行き、待合室で待っていると仕事帰りで一杯ひっかけた赤ら顔の2人組が大声で喋っている。
綾部に行く車中も大声で喋っている。綾部で乗り換えてもまだ大声で喋っている。
拙者も、現役時代にああいう楽しい夜もいっぱいあったと思い出しながら、運転席越しのカーブする線路をぼんやり眺めていた。苦しい思いをすればこそ仲間と楽しい思いが出来る、そんな事を考えながらそろそろ再就職もいいかなと思った。
21時6分に定刻で列車は東舞鶴駅に到着した。ここからは徒歩で舞鶴港のフェリーターミナルに向かう。少し蒸し暑いが、半分ほど進むとバイクがどっと27号を走って来る。小樽からの便が到着したようだ。ライダーを見るとテンションが上る。
駅から30分ほどでフェリーターミナルに到着し23時10分に乗船開始。
一番リーズナブルなツーリストAを予約しており部屋に入る。いわゆる二段ベットタイプでカーテンのみの仕切りだが、耳栓を持っているのでイビキや歯ぎしりは気にならない。
予約時にベットも指定出来る。一番海側の二段では無いところが空いていたのでそこにしたら、専用の窓も付いていたのだ。うれしい。立って着替えが出来るし、一ランク上の寝床に匹敵する。
つづく