野ざらしの狼

旅や身近な事を綴る雑ブログ

笠地蔵のようなはなし

2025-01-22 18:05:00 | 旅行
 まいどおおきに。
 今回は笠地蔵のような話です。
 去年の11月下旬に、かねてより行きたかった松尾芭蕉と円空仏をメインテーマに、旅行に行きました。

 朝ハスラーで自宅を出発し昼過ぎに大垣に到着。

 堀に沿って標柱と芭蕉像が立っています。

 雰囲気のある素晴らしい景観が残ってます。

 堀の護岸に大きなアオサギがおり、何を思っているのか、まるで賢者の様な佇まいです。



 大垣市奥の細道むすびの地記念館
 奥の細道の有名な書き出し頁
 記念館は映像コーナーを中心に有名な俳句の背景や解説などを展示してあります。

 十分に展示を楽しんだ後に関市へ。

 円空が再興した弥勒寺跡です。


 そしてその先の竹藪を進みます。


 5分ほど歩いた先に関市円空館があります。



 入館料を払い、パンフレットと円空キャンペーンの申し込み用紙を貰い、映像コーナーへ。




 展示されている円空仏は残念ながら撮影禁止でした。
 なんでも個人所有の仏像で、借りる際に撮影許可を頂いていないので撮影禁止にしているとの事です。
 所有者がダメと言っている訳では無く、撮影を許可する確認が取れていない為だそうです。
 唯一撮影が出来る市所有の仏像は他の美術展に貸し出し中との事で、残念ながら画像は有りません。

 関市役所近くのビジホで一泊し、せっかく関市に来たんで関鍛冶伝承館へ行っとけって事でそちらに。

 刀剣も拙者の好物の一つでおます。

 帰りに近江八幡のラコリーナに寄ってどら焼きをいっぱい買いました。
 平日なのにすごい人数のお客さんで、何を買うにも行列が出来てます。


 家路につき、帰って直ぐに円空館でもらったキャンペーン応募ハガキに切手を貼って投函しました。

 その後11月末に職場の草刈りをしていたところ、藪の中にお地蔵さんと五輪さんが散乱しているのを見つけました。
 放っておく訳にもいかないので、整然と並べて中心にお地蔵さん2体を立てて南無地蔵菩薩と拝み、以降は出勤するたびに拝んでいます。
 暮れで職場も正月休みに入り、大掃除をしていると宅配便が到着
 送り主は高山市教育委員会とある。
 ん?
 そこに円空連合事務局とあり、キャンペーンの事を思い出して、おぉと。
 開けてみると円空焼きドーナツが15個も!


 ねえ、みなさんどう思います?
 お地蔵さんからお正月のお菓子が。
 この話を添え、家族に加え親戚にも焼きドーナツ配り、美味しく頂きました。
 ありがたや ありがたや















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青春18きっぷ 高松で昼ごはん

2024-09-07 17:28:00 | 旅行
青春18きっぷが未だ余っとる。
JRグループの普通列車が5日分乗り放題で、7月の北海道→兵庫県の旅に4日分使い、残り1日分の乗り放題が出来るわい。
どこいこ?そういえば、鉄旅で四国には踏み入れて、というか乗り入れとらん。
瀬戸大橋を通ってうどん県の高松でお昼ご飯を食べて帰って来るのはどうだ?
調べると、朝6時に家を出ると昼前に高松に到着し、お昼を食べてお城を見ても午後8時過ぎに家に帰ることが出来そう。
9月6日、早速行動じゃ。
ウキウキしているせいか、4時過ぎに目が覚めてもうたが、妻君に気を使い5時15分まで起きるのを我慢
簡単な朝食をとり、身支度を済ませて家を出る。
駅員さんに5回目の入鋏をしてもらい、6時23分発の電車に乗り込んだ。


本日のいで立ちは、日帰りなので白Tシャツにセルビッチデニムで、足元は沖縄で買ったギョサン。
ちなみにギョサンとは、沖縄の漁業関係者がよく履いているサンダルを省略した言い方での、ワシはこの色のギョサンとブルーデニムの取り合わせが大好き。


この格好にボディバッグという、遠出に似あわん格好で、日本海沿岸部から瀬戸内海を越えて四国に行く。まるで近所にふらっと飯を食いに行くかのごとくじゃ。

6時53分に和田山駅に着き、播但線ホームに移動する。ここから寺前までは電化されておらぬのでディーゼルカーじゃ。


兵庫の分水嶺である生野峠を、7時9分和田山発のオレンジ色のディーゼルカーはゆっくりと登る。
8時5分に寺前駅に到着すると向かいのホームに姫路行きの電車が待っとる。
2分差で出発だで。
ここはホームに段差があり、転倒防止のため中央に柵が設置してあるんですんなりと反対側に行けん。みんなわちゃわちゃと乗り込むわい。



8時48分に姫路駅に着き、播但線の改札を出て8番線の山陽線ホームに向かう。
普通、在来線の乗り換えに改札は無いが、播但線は新幹線のように駅内に改札があるぞ。途中に無人駅が多いのでまとめて改札をしようという事かえ?
9時9分の播州赤穂行きに乗り、相生駅で9時32分発の岡山行きに乗り換え、10時38分に岡山駅に到着じゃ。
6番線に移動すると、向のホームに赤いアンパンマン号がおるやないかい。
先頭はグリーン車でキャラクターもいっぱいじゃ。孫に知らせるためにLINEで写真を送る。未だ2歳半なので二人で旅は出来んが、もう少し大きくなればぜひ乗ってみたいものよ。そういえば次の次の朝ドラがあんぱんじゃったな。またブームがきそうやな。


10時53分発の快速マリンライナー23号に乗車。ジーンズの児島を過ぎて長いトンネルを抜けると瀬戸大橋やないかい。
高速道路は何遍も通ったが、鉄道で通るのは初めてだで。


真下の海がよく見えて素晴らしい。見惚れていると、あっという間に坂出のガスタンクが見えて来て瀬戸大橋区間は終了し、11時49分に高松駅に到着じゃ。
5時間26分 乗換5回 255.5㌔


観光協会でさぬきうどん食べ歩きマップをもらい、えきを出て右へ。
早速駅前の人気店めりけんやで行列をみるも目指すは兵庫町商店街のさぬき麺業
10分ほど歩いて到着じゃ。




パワハラ文書問題で揺れる兵庫県民が、うどん県讃岐高松の兵庫町に到着し、兵庫県民と言えずに肩をすぼめて席につくぞい。

注文は前日に決めておった。
骨付鳥セットのかけうどんと瓶ビールじゃ!
そう、なぜここのお店に決めたかと言うとな、フルサービスでビールが飲めてうどんと骨付鳥がゆっくり食えるからなのじゃ。
ネットで半日かけて探し出したのよ。
これがええ。



おっ、安倍晋三先生もご来店されていたようじゃ。南無阿弥陀仏、成仏してくだされ。


待つこと5分
骨付鳥とかけうどんが登場じゃい❗️
ドーン💥


料理バサミでカットしてむしゃぶりつく!
スパイシーでうまいねぇ、ビールによく合うよ。

合間を見てうどんも飲み込む。
骨の軟骨もシガシガしがむ。
お腹いっぱいでご馳走様じゃ🙏
2,320円也


近辺を散策してみる。
アーケード交差点のドーム天井
カッコええのお。

三越ではさださん展をやってるみたいじゃ。

そして高松城跡に200円で入れてもらう。


チヌの餌やり場で養殖状態の年無しチヌたちがごちゃごちゃおる。


進むと、ほー、松ぼっくりの回収ボックス


散策を終えて土産を買い14時40分の快速マリンライナーに乗り込んで行きと同じルートで帰宅するぞい。
先頭車両に乗ったので前方視界もバッチリじゃ。

下も渦潮が出来ておるようじゃ。
グレーチングもサビが目立ってきたのう。


岡山、相生、姫路、寺前、和田山と乗り継ぎ、この電車が本日最後の列車。
こんなに暑い🥵のに季節は秋、あと2週間もすれば彼岸の入り。
夏の7時の明るさが懐かしや。


帰りは5時間9分 乗換5回 255.5㌔

家に帰り完結した青春18きっぷを眺めるも、7月の旅の詳細がなかなか思い出せん。
年取ったのう。🧠? oh no!😱






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日本縦断鉄道旅 枕崎⇔稚内 後編5/5

2024-07-29 00:00:00 | 旅行
7月24日
5時に起床し身支度と朝食を済ませて高崎駅へ。4日目の入鋏印を入れてもらい高崎線の電車に乗りこむ。

籠原駅で乗り換える。朝の通勤電車で乗客が多く、赤羽から横浜までは満員で走る。



東海道本線の国府津駅で開いたドアからホーム越しに海が見える。
なんかいいなと思い写メを撮った。
小田原に着く頃には車両に人がほとんどいなくなった。

熱海で浜松行きに乗り換える。
沼津の辺りから由比の辺りまで富士山🗻を探して車窓から眺めるが、濃い雲に覆われていて全く見えない。残念である。





このお三方は、座席が空いているのにずっとこのポジションであった。
運転手さんも後ろカーテンを閉めずに頑張っていた。



米原からはJR西日本の営業区間になる。




ついに帰ってきた。
日本縦断鉄道旅の完結だ。
ちなみに青春18きっぷはまだ1回分残っている。


JR枕崎駅とJR稚内駅の間を全てJR路線で乗車する事が出来た。

帰った後に、秋田と山形で豪雨災害が発生して、犠牲者が出た。多くの方々が被災している。心よりお悔やみとお見舞いを申し上げ、復旧が進むことを祈っている。



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日本縦断鉄道旅 枕崎⇔稚内 後編4/5

2024-07-28 13:54:00 | 旅行
⭕️7月23日
いつも朝は5時半頃に目が覚めるのだが、前日の徹夜が響き、6時過ぎに目が覚めた。

急いで身支度を整え、朝食を済ませてフロントに鍵を返した。酒田駅に行って引き続き羽越本線で村上に向かう。

羽越本線から白新線に変わり新潟へ向かう。


新潟から信越本線で長岡に向かう。

三条駅辺りに来ると平野にポツンと山が見える。弥彦山かな、違うかな。それにしても空、山、田んぼ、綺麗な色のグラデーションだ。

長岡駅に着いた。次の電車迄に時間があるので、改札を出て昼食をとる事にした。

駅ビルのちゃーしゅうや武蔵という店で、つけ麺の並盛りを食す。
美味しい。量も並で丁度だ。


駅に戻り、上越線で水上に向かう。

時刻表の索引地図で、越後湯沢の先にループが2つあるが、車窓から見ても何処がどうなのかよく分からない。おまけにトンネルを出たら窓が全面結露で、何も見えないまま水上に到着した。

乗り換えて水上を出て暫くすると左側に山が見える。赤城山かな。去年スイフトスポーツに乗って関東峠遠征をした時に、赤城山の麓の温泉に泊まった。榛名山や伊香保、碓氷峠も近いのだろう。赤城の山も今宵限りかなんて、聞いたようなセリフを心の中で言ってみる。

高崎駅に到着したが、猛暑でうだる。改めて電車の冷房に感謝する。乗客が少なくなれば冷房がよく効くので、田舎を走行中はGジャンを羽織ることが多いくらいだ。
 

それにしても高崎の街の温度もなかなかの物だ。拙者の住んでいる所も、フェーン現象により気温が高くなる事で有名だが、こちらはビルの排熱も加わるのか、さらに暑く感じる。

さっさとホテルの部屋に入り、エアコンとテレビをつける。
おお、大相撲を5日ぶりに見る。
琴櫻と大の里、どちらも贔屓にしている。貴景勝は頸椎ヘルニアで当たりが弱く感じる。じっくり治療して出直した方がいいと思う。

相撲中継が終わり、晩飯だと思ったところにゴロゴロと⚡️雷音が聞こえて来た。雨雲レーダーを見ると何とか避けられそうだ。

駅ビルのレストラン街にサッと行ってパパッと食べてササっと帰って来よう。

温かい蕎麦と鶏丼のセット。おっ、天ぷらが別のせだ。半分はそのまま食べて半分は蕎麦に投入した😋

さあ、明日はゴール。長丁場になるので早く寝る事にしよう😴
            つづく



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日本縦断鉄道旅 枕崎⇔稚内 後編2/5

2024-07-27 10:39:00 | 旅行

 719日 早朝目覚めると雲は厚く白波が立っており、今回は少し揺れを感じる。船長のアナウンスによると、波高 は2から3メートルとの事である。

 寝て食って寝て、海を眺めて風呂に入って1日を過ごす。午前に姉妹戦のアカシアと行き合う。


 午後から雨になり、薄い海霧が漂っており奥尻島も見えず、一日中波だつ日本海だったが、日没前に積丹半島を過ぎる頃には雨も上がり、景色が見え出した😀徐々に気分も上り出した。


 定刻よりも10分ほど早く小樽港に着岸した。23:00に札幌大通り公園という縛りがあるため、小樽築港駅に徒歩で急ぐ。21:22発の電車に乗り22:03に札幌駅に降り立つ。

 インバウンドの旅行者が大勢いる。会社帰りの酔ったサラリーマンがいる。2次会へ行こう!と盛り上がる女子軍団がいる。そんな喧騒に満ちる大都会を、テレビ塔を目指して進み、20分ほどで大通りバスセンターに着いた。

 チェックインし待合室でバスを待ち、定刻13分前にバスがバースに入り、3列シートの中央列前から3番目の座席番号8に座る。


 少し肌寒いので前からGジャンを羽織って寝る体勢をとる。満席で発車すると程なく消灯された。暫くすると高速道路を走っているようで車が停止しなくなった。姿勢が一定なので体が痛くなり何回も目が覚める。

 5時ごろ稚内市街地に入り、順次希望するバス停で乗客が降りてゆく。拙者は稚内駅前で一人降車し、キャリーバックを押して稚内名物の北防波堤ドームに着く。


 1936年に建築され1980年に全面改修が行われているとのこと。それから40年が経過し、長寿命化の再度調査が行われている模様で、柱や壁などのクラックにマーキングがなされている。


 天候が回復しそうなので利尻島へ渡ることにする。まだ6時前だがぼちぼちフェリー乗り場に向かう。

 水泳施設の前に鹿の群れがいる。去年来た時もそうだったが、稚内には奈良公園のように悠然と鹿がいるのである。


 礼文島は四十数年前に行ったことがあるので、今回は行ったことのない利尻島に向かい利尻富士を見たい。

 思い起こせば礼文島で泊まった時も島全体が霧で利尻岳は見えなかった。

 去年サロベツ原野をバイクで走った時も山頂は霧の中だった。

 さて今回が3度目、どうなるか。 7:15発の鴛泊行きフェリーに乗る。

 野寒布岬を左に回り込み、少し波だつ日本海を進むと利尻島が見えてくる。やはり下半分しか見えない。

9時前にフェリーは利尻島に接岸し、上陸した。


  島内観光バスなどがあるが、ここはペシ岬から見る利尻富士に集中したい。観光案内所の方に尋ねるとペシ岬は徒歩で往復1時間ぐらいで、今日の風向きなら利尻岳の頂上は望めそうとのこと。コインロッカーにキャリーバックを入れてペシ岬へ向かう。

 ペシ岬は通称ゴリラ岩と言われており紅葉シーズンには肩越しの赤茶ゴリラに見えるそう。漁港を歩いて進むと見える見える、両手を広げたゴリラだゴリラ。


 港の端から遊歩道が伸びており、案内沿って登ると小高い平地に会津藩士の墓と表示がある。江戸幕府から蝦夷地のロシア防備を命ぜられ、この地で亡くなったは藩士の墓だそう。


 一礼して歩みを進め突先の灯台まで行き、折り返して岬の頂上に立つ。標高は90mほどでガレ場だ。利尻岳の頂上は見えそうで見えない。1時間ほど粘った。


 漁港とは反対側にペシ海岸が見下ろせる。昔そこにはモペシという石山があったそうだが、爆破され稚内の北防波堤ドームの基礎石になったそう。国立公園に指定されている今では考えられないようなことだ。


 この利尻礼文サロベツ国立公園は1974年に指定され、今年は節目の50周年といううことらしい。

 だからなんだと突っ込まれるかもしれないが、お調子者の拙者はそれを聴いただけで嬉しくなり、道端の花を撮影したりしてしまうのだ。名前も知らないくせに。


 1時間の間に先っちょは見えたが満足のいくものでは無い、が、帰りの船や昼飯のこともあり下山した。

 フェリーターミナルの前の食堂で利尻ラーメンを食べ、お昼のフェリーに乗船する。

 2等船室にキャリーバックを置いて後部デッキに陣取り、最後のチャンスに賭けるのだ。

 そして鴛泊港を出航し、しばらくすると少しづつ頂上が見えだした。

よっしゃーっ!と写真を撮りながら、離れていく利尻島をずっと眺めていた。


 よかった。四十数年越しに3度目の正直で頂上を見ることができた。中腹には雲がかかっていたが稜線は想像でき、大満足だ。ありがとう利尻富士😭

 14時前に稚内に着き、今夜の宿モシリパに向かう。昨年のバイク日本一周時にも利用したゲストハウスだ。去年、たまたまじゃらんの本日の宿で見つけたのがそもそもの始まりだが、初めてゲストハウスを利用し、そこで知り合ったバイカーと話をしたり、一緒にオーナーに開業までの話を聞かせてもらったりして楽しく過ごした。

 そんな事で、今回も是非モリシパに泊まりたいと思い予約をした。


 15時にリピート泊ですと告げてチエックインをし、夕食の焼きカレーとサッポロ生を予約注文し、ベットメイクをし、シャワーを浴び、ダイニングに降り、スタッフのAomuraさんや足寄のぎまんちさんやオーナーとあれこれ話が弾んだ。


 夕食を食べ、オーナーの著書を購入して本にサインを書いてもらい早めに就寝した。

 いよいよ明日から青春18きっぷで行く日本縦断鉄道旅の後編がスタートする。       つづく


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