
前の記事で無職のころのことを書いた。勢いで続けよう。
急に大学を辞めることになった。2月頃である。大学で2月といえば、翌年度の授業も決まっている。それを辞めるということになったので、大学には迷惑をかけた。多くの人から、散々、引き留められた。しかし、辞めるのが一番だと考えて、辞めることにした。
ただ、ゼミの4年生はいるので、毎週のゼミには、大阪まで通った。研究室もそのまま使わせてもらった。非常勤講師の給料は、京都往復の1回分くらいしかでない。無職なので、収入も心配したので、ぷらっとこだまという格安のチケットで京都に通った。京都まで、ひかりよりもプラス1時間かかるが、その間に原稿を書いた。「政策条例ができるまで」というタイトルで、原稿を書いていたが、それが完成まで、3回、肩書が変わったことになる。この原稿は、『政策条例のつくり方』(第一法規)という本になっている。いい本だと思う。
その時のゼミ生のなかには、今でも、連絡をくれる人がいる。サガジョの学生に、「食べてください」と、お菓子を送ってくれる元ゼミ生もいる。私のわがままを受けいれてくれたことに感謝するとともに、いまでも、元気で頑張っているか気になっている。
この無職の間、一緒に教鞭をとった先生たちと、政治学の本を書いた。時々、開かれる研究会は楽しかった(これもぷらっとこだま)。いずれも、学識豊かな先生たちで、私は、大学というものは、こういうところなのかと、大学の基礎を学んだ。その成果は、『18歳の政治学』となって、今でも授業に使っている。
大阪国際大学枚方キャンパスの私の研究室は、目の前に枚方の田園地帯が広がり、気持ちの良いところだった。その枚方キャンパスは、今年から閉鎖になって、本部のほうに統合されたらしい。学生減少のあおりを受けたものである。大阪国際大学のころの思い出は、『自治の旅』で書いた。
こんなことを考えたのは、高知市のNさんに、私の本を送ろうと、『自治の旅』にサインをしはじめて、思わず、なかを読み始めてしまったからである。この本は、大阪国際大学時代の思い出がたくさん詰まった本である。ちなみに書き出し部分は、次の通りである。
「大阪は暑いまちである。真夏日などは、私が住む三浦半島の2倍になる。
大阪国際大学枚方キャンパスは、大阪府の北部、枚方市長尾にある。キャンパスへは、JR学研線長尾駅からのバスもあるが、私はバス通りを通らずに、いつも船橋川沿いの緑道をゆっくり上って行っていく。夏の暑い日は、途中の大池で一服するが、池では水鳥もゆっくりと羽根を休めている。長尾は自然と歴史のあるまちである。
「民主主義は揺るぎないものか」。大阪国際大学教授でルソー研究の山本周次先生のゼミテーマである。民主主義は、当たり前のことと思っていた私は、少しの反発ととともに、こんなことを何十年も考え続けている山本先生に大いなる興味を持った。そして、あらためて民主主義を考え直してみようと思った。
50歳を過ぎて、はじめて暮らす関西。大学教授という仕事。期待と不安が入り混じる人生の再出発となった。」