鎌ケ谷市における政策形成研修である。
研修でも話したが、鎌ケ谷市は、足を向けて寝れない自治体である。前の大学を急遽、やめることになって、無職になり、収入がなくなり、さて、どうやって暮らしていくのかを考えていた時、声をかけてくれたのが鎌ケ谷市である。ただ、これは私の事情で、鎌ケ谷市のほうは、たまたまで声をかけたもので、特に意識したものではないだろうが、私(わたし)的には、ある種の恩義を感じている自治体である。以来、ずっと研修を引き受けている。
あのとき、3月一杯で大学を辞め、無職になって、時間が取れたので、いつもは行けない海外へ行こうと考え、二人で、ニュージーランドのバス旅に出かけた。ニュージーランドは、当時は寿司(sushi)ブームで、予約していたバスの運転手さんが、私たちの名前を呼ぶときに、思わず、Mat(マット)Sushi(すし)=Matsushita(taはどこへ行ったのか?)と呼んだ。以来、ニュージーランドでは、私たちはマット・スシを名乗った(ちなみに翌年行ったハンガリーでは、マット・スシはまったく受けなかった)。これはすでに、本にも書いた(『自治の旅』)。時間があるのでこの年は、たしかインドネシアへも行った。
収入がないので、この年は、これまで体験したことがない仕事をやった。島田紳助の番組を手伝って、監修+AD補助のような仕事もやった。関西のテレビで、コメンテーターのような仕事も頼まれたが、さすがこれは断った。芸能人のゴシップのような話題でコメントを求められ、おそらく私は、「他人のことを憶測で悪く言うものではない」と言い放ち、その場をしらけさせ、二度と声がかからないことが確実だからである。
今回も、こんな話満載の研修となった。