今を生きる

2017-10-23 13:13:16 | 考える
私って、透析という医療があったから、12歳の頃から健康な人と似たような生活ができていたんだよね、と思った。

自分の人生は、こうなると思うと感じていた時期は20代頃まで確かにあった。
でも30代目前になって、自分の先行きがたっぱり見えなくなった。
これが、透析に通院することが当たり前だった私の気持ちに変化が起きた原因なのかとようやく気づいた。
透析に通うことをしょっちゅう遅刻して、夜間透析だっから、透析室が終了する時間まで透析を受ける。
でも遅刻しているから、受ける透析時間は2~3時間。
そんな生活を続いていたから、ある日透析不足で脳出血になった。

自分の将来を考えるようになった年齢のためか、その頃透析患者会の役員なったためか、自分の考え方に変化を起こした理由はわからない。
その時の自分を思い出しても、やっぱりわからない。
透析通院が面倒になった?
そのとき透析は20年くらい続いていてクセになっていたから、やめるほうがパワーは要ると思う。

現在の自分は両麻痺で、自分の蒔いた種で、多くの方に迷惑をかけて「生きている」。
脳出血前は、自分が生きていることをないがしろにしていたんじゃないか。

透析を受けると、実感はわきにくいが、見ず知らずの多くの方の働いた結果、生かされている。
有り難いことだが、自分がそういう状況にあると常に思う人は少ない気がする。
どうすれば感謝を示すことができるのだろう?
今を懸命に生きていることができたら、伝わるのかな。

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人として感じられるリハビリ

2017-08-27 12:21:57 | 考える
朝起きるとひどい腰痛。楽な格好が見つからない・・・
「地獄だ・・・泣きたい・・・え?自分が泣く?」
自分が子供のときは滅多に泣かなかったことに気付いた。

原因を考えると、自分の気質じゃないかと思う。
子供の自分で、憧れていたのは、格好いい自分。男の子と遊ぶ環境で育ったから、家族にお兄さんがいる場合と似た環境に近い部分があった気がする。男はメソメソせず、泣かないのが格好いいし、そういう自分が当たり前という風潮が体に染みついた可能性があるかもしれない。

2度目の脳出血後、自分は恥を顧みずに本当によく泣いた。 自分は相当壊れてしまったらしいと感じていた。 一緒に暮らしていた猫が亡くなったとき、自然に涙が出たが、表情が少なかった1度目の脳出血時にはちょっと考えられないと思っている。

自分本来の感情を湧き起こしたとしたら、脳出血という病気は進んだそしても、人としてのリハビリは進んでいて成果があったと言えようか。

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身体は寝たきりをやめ動かせばきっと楽だろう

2017-07-11 21:19:07 | 考える
強力に痛いリハビリが続くことはないもので、今回のリハビリも痛いときはあっても、「先週とは比べ物にならない。楽だ。」と思えるものだった。先週のリハビリの経験は、痛みと疲れで良くないと感じた。でも身体はその残された嫌な記憶を使って、痛みは特別なことに思えなくしてくれた感じである。

今回のリハビリ中は、横になっている時よりも座っていた時の方が楽だったと感じている。
座った方が両足は先生と(今回は)父で支えられ痛かったが、左手でマヒの右手を動かしたり、首を動かしたり、先生と父とで地面に押さえつけられた反動だろうか、足裏表面の感じはないが地面とつながっている何かを感じた。横になっている時よりも疲れそうな座っていた方が退屈しないのである。

先生は、足首の動きはよくなってきています、とおっしゃった。
私は感じませんが・・・と答えてしまったが、現在の足指先のなめらか動きは出来なかったと思った。足指は左右の動きは少なく、大抵、上下に動くことだった。今は足指先でゆっくりと円を描ける。

リハビリが終了しベッドに横になっていた。
両足裏は、腫れたように感じたが、温かくじわじわと気持ち良かった。

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リハビリにつきものの痛み、どう対処すべきか

2017-07-04 20:58:27 | 考える
以前に痛みが出て伝えると。先生は「痛みを忘れてください」とおっしゃった。
今回先生と母に座っている両足を固定され痛みが出て伝えると、母は「無視!」と言った。

忘れることも無視することもできない「痛み」。
何だか敗北感で、気分はブルーである。
先週のリハビリでも今週も痛みは出ており、真剣に痛みに対応できないとまずいと思っている。自分は痛みによって心が折れて、食欲をなくしたりするが、それをなくさないと、今のリハビリを進められないのか。

なぜこんなことを思うのか。
今回の痛みはリハビリ後もしばらく続き、全身の力が抜け、いつもと違うのを感じていたからである。 

痛みに注意を向けなければ、忘れたり無視できることはわりと経験がある人は多い気がする。
それができない痛みは、それを理解しない限り消えない痛みだったりしないだろうか。

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リハビリに対する信念

2017-04-05 11:15:27 | 考える
昨日から訪問リハビリを受けることになった。
3月まで受けていた認知神経リハビリテーションの先生には認知のリハビリは続けてもらいたいと言われていたため、新しいリハビリ療法士さんに自主トレのことなどを話そうと思っていた。でも母に「療法士さんには信念があり失礼になる」「認知神経リハビリテーションの傲りがあるのではないか」と考えていて、私が認知神経リハビリテーションを受け続けていたことは話すべきじゃないと話していた。

だから昨日のリハビリでは自分の身体の状況を伝えるだけにした。

でも私の中にはふっきれないものを感じていた。
療法士さんのリハビリに対する信念を考慮せずに認知神経リハビリテーションを自分は受け続けてきたことを伝えることは確かに失礼にあたると感じる。
認知神経リハビリテーション自体、療法士の国家試験で出題されていないとも聞く。

でもリハビリを受ける患者として療法士さんに伝える情報としては、昨日のリハビリでは不十分だと思った。どうして現在の身体の状況になったのか、説明が出来ていないと思った。認知神経リハビリテーションを受けてよくわからない身体の変化があったことは事実だからやっぱり伝えるべきだと思う。聞かなければよかった、なんてあるんだろうか。

自分にはリハビリに対する患者の信念はあるのか。
認知神経リハビリテーションは仮設を立て課題を作り身体で確認する脳のための治療だと思っているが、素晴らしいが信念には至っていないような・・・
自分の障害は大きすぎて、治る可能性があるなら何でも挑戦したいというのが本音じゃないかと思う。
 

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リハビリスタイル

2017-03-29 13:44:50 | 考える
ツィッターを読んでいて、真面目にリハビリをやろうと思った。

リハビリをやらなければ脳出血後の私の身体はかろうじて動いている動きもなくなるだろうと感覚的にはわかっていても、文で言われると目が覚める。

【リハビリ】脳血管障害を捉える上で注意すべき”運動の悪循環”とは?


実際に読んだのは、リハビリ療法士さんのリハビリの介入についてで自分にはほとんど関係はなかった。
でもどうやってリハビリをやるべきか、どう考えるべきかさっぱりわからず悶々としていたが、そういう自分にはこの文が言うリハビリのバリエーションはすうっと頭に入ったようなのである。

自主トレをやり、訪問リハビリを受けることは、リハビリ生活だと思うのに、なぜか無味乾燥に思ってしまうのかと思っていた。

ツィッターで読んだ文には、脳出血後に動かなくなった身体をどう動かすかのヒントがあった。

動かない身体にいろいろな動きを課するのである。
反復な訓練では1つの動きしか身体は覚えてくれない。
身体にできてほしいのは、臨機応変な動きなのである。

自主トレで行う課題は、ブログに書いただけでなく、片マヒのときにやった課題(リハビリレポートHP)のうちできそうなものも家族にお願いしてみる。行なう課題では種類が多い程、頭でたくさんイメージすることで、頭でいろいろ動く自分を構築できないか。動けない私は、イメージの中で様々な動きを経験すると思う。
訪問リハビリは、療法士さんは必ず私の身体に触れるから、いつも違うことを感じられるように、感覚を研ぎ澄ませることはできないか。

ギリギリになったが4月以降の自分で行うリハビリはこのようなものかもしれない、ということがぼんやり見えてきた気がする。
飽きることないリハビリメニューを、素人だが作ってみる。

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記憶からイメージできそうな気がする・・・

2017-03-24 13:23:20 | 考える
年末のブログで「記憶からイメージ」ができたらいいなと思った。
最近昔の記憶は思い出しやすくなってきたから、自分の身体が動いていたときの記憶も思い出せて、本当の動きに結びつけるために脳内で試しに動いてみる・・・そんな事ができたら・・・ 
ブログを書いた3日後くらいの寝る前に、目を通して身体が動いている自分を思い出そうとした。いっぱいありそうなのに、1個しか出てこなかった・・・しかもイメージとはちょっと呼べそうになかった。

頭の中で自分はブランコで立ち漕ぎしていた。
頭の中ではそれっぽい映像はあったが、手など上半身のイメージはなく、股関節、膝関節、足首関節だけが映像の動き・力の入り具合が一致していた。

それにしても自分でまず思いつかないものが頭に現れたので、ちょっとびっくりした。
ブランコが前進するときは、妙に膝を折り曲げていた。加速するときは、膝を曲げて体勢を低くしたのかな。 ブランコを思い出そうとするがよくわからない。 たぶん自分は身体が動かせなさすぎで、どうやってブランコに乗ることができたのか、具体的には想像はできないようだ。

ベッドに横になり、頭に自分がブランコを漕ぐ映像があり、股関節、膝関節、足首関節から映像に合わせた感覚があったのはイメージっぽい。 「記憶からイメージ」は、自分の記憶から自分の動けそうな部分だけがイメージで取り出せるのではと思った。またやってみたい。


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自分が見えない

2017-03-20 11:06:59 | 考える
以前は髪のカットは訪問美容と和にお願いしていた。
訪問美容と和は、巣鴨にコニュニティサロンと和という美容室がある。 最初は時々サロンに出かけカットをお願いしていたが、今は毎回夫付き添いで、送迎車で連れていっていただいている。
大抵は3か月に1回ペースで、通常なら昨年11月カットをしていただいたので2月に予約するはずだった。でも体調が悪く今回のように髪は伸び放題になることもある。 昨日出かけたが、日陰は寒かったが、サロンのある地蔵通りはあたたかく感じた。

自分がどんなイメージのヘアスタイルになりたいか、ネットで探して、候補が2つが残った。 いつも思うのは、ヘアスタイルを見てるつもりでも、モデルの人の印象がいいとヘアスタイルをがよく見えて自分に合うかわかりづらい気がする。 

1つに決まらないからスタイリストさんに似合いそうな方を選んでもらおうと思った。
スタイリストさんは、「どちらも似合いそうですが、こっちはかわいいイメージ、こっちは大人っぽいイメージがしますね。」とおっしゃった。

自分がなりたいイメージがなかった・・・
というか、どっちを選択しても、気恥ずかしいと思ってしまった・・・
そんなことを考えてしまったのは、自分の理想の自分が見えていないせい?
今までスタイリストさんと何度もやりとりはあったはずなのに。
美容って、自分がきれいになって性格が明るくなるなと思っていた。
スタイリストさんの何気ない問いかけで、自分は自分をどう考えているか見えてしまうことも?私の場合、図星だったような。。。
自分の在り様を決めたいのである。リハビリ生活のことだと思う。せっかちなだけかもしれないけど・・・

巣鴨のお土産。子供っぽい?お地蔵さんの飴、ブルーベリーの寒天、マンゴーorアセロラのスティックはちみつ。
地蔵通りで買い求めて、自宅でパッケージしたもの。お地蔵さんの飴は意外とかわいい。



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人が涙を流す意味への気づき

2017-03-16 17:42:43 | 考える
今日はシャワー入浴日だったが、ヘルパーさんがいらっしゃると、私は泣いていた。
ヘルパーさんはびっくりされてこちらを見ていたが、私も最初はなんで泣いているのだろうかと泣いてる本人もびっくりであった。デイケアサービスの入浴にヘルパーさんが訪問されただけでは、泣くとは普通考えられない。メソメソではなく、しっかり泣いていた。まるで子供である。

2度目の脳出血で入院しているときには、意味不明だが泣くことがよくあった。
泣くのは悲しいわけでもなく、疲れるだけだった。
自分の脳は相当壊れているらしいと思っていた。

ヘルパーさんに身体を洗っていただきながら、自分はどうして泣いていたのだろうと思った。
玄関から部屋にヘルパーさんがいらっしゃると、暖かい空気も一緒に入って来たのを感じていた。
そしてほっと安心して気が抜けてしまったようなのだ。

でもこれはすぐ気づきそうなことなのにわからなかったとはおかしい。
思い返さなければ、無意味に泣くのは脳のせいと片づけるところであった。

意味もなく泣くことは何度かあり恥ずかしい思いをしてきたが・・・

今日も同じことが起こったのか、と思ったが、泣いたときの自分を思い出したら泣く意味はあった。
泣くほどのこと?、という感じはあるが。。。
意味もなく涙を流すのは、私の場合、単に脳のエラーとばかり思ってきた。
感動したり、今日のように緊張が解けて安堵感を得たときにも涙を流すときもある。
痛い、悲しいときだけ泣くと思っていたがそうではないことに気付いたのかもしれないと思った。

涙もろくなってしまう、なんていうことがないといいが・・・






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脳出血後のリハビリはイメージ?

2017-03-10 11:30:54 | 考える
今週で病院で受けるリハビリは終了してしまった。
2度目の脳出血前からお世話になっており、5年近くリハビリを受けることができた病院だった。
2度目の脳出血前に、病院の地域の方に中里先生が認知神経リハビリテーション(という名前は出てこなかったと思うが)による治療の仕組みについて公開講座があった。
私は病院の地域の住民ではないが、参加させていただいたのを覚えている。
そのとき副院長が挨拶されており、この方が認知による治療に理解があって私のリハビリ通院は可能になったのかと思った。最後に副院長にお礼がしたかったができず残念でった。

今後、リハビリの予定は未定だが、訪問リハビリを受けることになりそうで、ケアマネジャーさんにスケジュールなど調整をお願いしている。出張で、別の訪問看護から認知神経リハビリを勉強したことがあるが実際患者を診たことはない療法士さんにお願いできれば・・・と思ったときもあったが難しかったようだ。

これからは、認知でリハビリの家族よる自主トレである。
片麻痺のとき、リハビリの課題は家族にやってもらえそうなものが多いとおっしゃっている先生がいらした。家族が課題を思いつくのは難しそうだが、病院のリハビリで行ったことをまねることができるものは、たくさんあるのである。


最後に病院で行われたリハビリでは、課題で使うスポンジや麻の紐で作った文字などを張り付けたカードなどをくださった。
先生が課題のやり方を教えてくれて、自分でもやってみた。
見ずに先生に足を動かされたり、触ったり、まさに頭ではこの感じているものは何なのか、イメージを作ろうとしていた。

今までリハビリで行われてきたことの一部が見えたような気がした。
気づくのが遅すぎだが、身体を動かす前段階で、脳で行われる、これから動こうとすることをシミュレーションする「イメージ」。
最近のブログで、「イメージをしたい」なんて書いてしまったが、認知のリハビリを開始してから自分はずっと課題行うことでイメージをしようとしてきたのではないか。

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