これもリハビリだったのかな

2017-02-20 14:13:39 | 考える
脳出血後は、年賀状は書かずに夫が宛名だけ書いてもらっていた。
絵と定型文のみの味気ない年賀状で、お年玉がついていなければ全く意味がない・・・

昨年12月に、友人に年賀状に書く文章がたくさんでてきた。文字は不器用な手ではまず無理あから、インターネット上で文字を入力すると、はがきサイズの中で好きな場所に配置できる便利なツールを使った。
それにしても・・・
正確には、友人を忘れていたわけではなく、会えば瞬時に戻る記憶だった。でも会わなければ全くリアリティのない記憶で、それが突然自分の中で機能し始めたように感じた。
時間が経つだけでこんなことは起こるのかと思ってしまう。
脳出血後10年以上で感じた自分の記憶の本物さを知った感覚。

気になることがあった。
透析中、若い技師さんが、話せない私に、いつも筆談に利用している磁気ボードに「お題」と私に見せてくれたことがきっかけだったと思う。「お題」の絵を描きますよ、という意味である。
私は頭に思いつくアニメやゆるキャラのあげていき、最初はそのうちネタは尽きるだろうと思っていた。1年以上続いていると思う。
技師さんは20代で、私は40代。
どの世代であっても見覚えのあるキャラクターをネット上やTVなどで見つけることがあったが、自分のかなり古い記憶にしょっちゅうアクセスしていたことに気づいたのである。
目的は誰でも知ってそうなキャラクターを、鮮明ではない記憶から「何か面白いキャラクター、ないかなー。」とアイデアを思いつく感じで探す。
その上面白いと思ってやっていた。

もし友人に年賀状を書きたくなった原因が、この自分はおふざけでやっていたと思っていた「キャラクターを思い出すこと」を続けていただったとしたら・・・
この「遊び」?を思いついた技師さんに感謝しなければならないかもしれない。。。

追記;
出題した「お題」の例:
ポケモン キューピー 食い倒れ太郎 ピコ太郎 リラックマ バザールでござーる ポムポムプリン シーマン フィリックス ゾンビ ぐりとぐら バットマン ファービー グリコのおじさん(1粒で300m・・)など

透析スタッフより出題、「お題」を思いついた技師さんに酷似?!・・・パタリロ

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まさに私の脳の勘違い?

2017-02-01 12:20:03 | 考える
前回のブログでの、私の脳が理解できていない感覚について・・・
それが原因で救急外来にお世話になるとは思いもしなかった。

夕食中に海苔が口の億でつまり、呼吸が小さく感じ、まずそうだなあと思った。
この日は唾液の少なさを感じていたからである。
夫は何かを喉に詰まらせたと思い、私を前屈みにさせた。
そのとき、骨折れた・・?どこかわからないが脇腹に激痛が走った。
この激痛のせいか、口中にだ液で湿らせられて海苔を取り出すことができた。

そして恥かしいことに、1/2に続き、今月はまた救急外来にお世話になってしまったのである。

マヒのため、問診でも痛い場所を断定して答えることはできず、あちこち触ってもいろいろな場所が痛む。左腰付近が痛いとしか答えようがなかった。
レントゲン結果は骨折はなく診察は終了。
診察ベッドから車イスへ移譲してもらうと診察前以上のの痛みで、自分はわめいているのではないか、恥ずかしくなった。
再び診察ベッドに戻り、痛み止めの座薬を入れてもらうことで帰宅することができた。

その後透析でも主治医が「たたくので痛かったら教えてください」という検査があった。「肋骨は大丈夫だけど背骨が痛いみたいだね。」
「へ?視覚的に腰が痛いと思っていたの?」

確かにベッドにすわって食事中、急に前屈みになったら、押されている柔軟性のない自分の背中が痛くなる方が当たり前だよなぁ・・・・
こう思っていたら若干痛みが弱まった気がした。
このとき若干痛みが弱まったと感じたのも認知だろうか。
自分の痛みの確からしそうな原因を認めようと考えていて、自分の身体は実際どう感じているか知ろうと確認する最中だったから・・・

今痛いのは腰より背骨である。
シップを腰ではなく背骨に貼り替えたが、シップのヒリヒリ感は腰にはあって背骨にはない。背骨より腰に感覚はありそうな気はするのに、救急外来からずっとあった痛みは間違いのようにみえて、でも負傷した背骨はマヒが強く痛みで知らせることはできず、代わりに腰が痛みを
出し私は根骨が痛いとわかったのか。透析主治医の痛みの可能性がある背中全部たたいてチェックしてもらって本当に痛い場所が割る程度特定されたのでる。

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今年は嚥下について考えはじめよう

2017-01-06 11:43:23 | 考える
正直なところ、自分が嚥下に関わる筋肉の動きが壊れまくっていて、このリハビリについて匙を投げていたところがあった。良くないと思いつつ。
嚥下運動をほぼ毎日、入院中と退院後3年間行ったが、変化は見られずやめてしまった・・・

でもこのままではやっぱりまずいと思わせてくれたのは、訪問歯科による診断を受けたことが大きい気がしている。
口腔の様子は普通でないところだらけで、口腔ケアを行うため、先生がアドバイスをくださる。
先日は口をゆすげないため、水を含んで顔を動かしたり、口の中を拭くなどだった。
すぐできることを教えてくださるが、今はできないわけだし、教わったことを実行してみる。
でも自分がやりたいのは、当然ながら口をゆすげることである。

やりたいことと言えば、私はストローで吸うことも満足にできない。でもできるようになりたい。
できるとは、何ができるとき?
できないとは、できるようになる方法は本当にないのかな。
訓練は好きじゃないが、ちょっとならできそうなことを見つけて、それがどうしてできるのか理由がわかったらやってみたい。

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記憶からイメージ?

2016-12-28 11:57:45 | 考える
血圧が落ち着くまで現在リハビリは休んでいる。
かと言ってリハビリを休み、身体に回復せず、時間が過ぎていくはもったいない。
血圧を上げずに自宅でできるリハビリはないかな・・・

年賀状を書く時期になっても、今まで最近会っていない友人に対する文は思い浮かばなかった。
書くことが出来なかった。
しかし今年は違い、片マヒになったとき以前の記憶はおぼろげで、知識のような記憶が、リアル感を持った生きた情報に変化している。年賀状を書きたいのである。

自分の脳出血後持っていた記憶は、正しいものだったとしても、それを使って手紙を書けなかった。自分の記憶の性質が変化があったみたいだ。

この変化はリハビリに使えないだろうか。
イメージの訓練に記憶は関係しないのかな。。。
「この人はこんな人だった」という記憶ではなくて、脳出血前に身体動かした記憶。
その記憶を思い出してクリアにイメージできたら・・・
できるかわからないが。。。

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リハビリとそうでないもの 原因の切り分けは難しいと思うときがある

2016-11-29 18:04:28 | 考える
今日はリハビリだったが今週も休んでしまった。
疲れと昨日夕方からある頭痛が原因である。

■ドライウェイト200gダウン

500gドライウェイトを下げたのに、土日の血圧は150台で、昨日透析で200gドライウェイトを下げた。
ドライウェイトは現在30.5kgで20kg台が迫っており、危機感は持っているのだが・・・

元気な20kg台の自分は想像できない。
脳出血後入院中には、正確には覚えていないが体重は20kg台で、胃ろうで自分の足は骨と皮のようだった。今はそういう状態になるとは思っていないが・・・。入院中胃ろうが取れ、食事ができるようになり、一時的に主治医から今はたんぱく質の制限は「あまり」厳しくは行なわず、食べるように言われていた。「ホントに?」。主治医からチョコレートの許可が下りて、私は入院食とチョコレートのおかげで、ドライウェイトが1か月に1kg増えた記憶がある。カリウムやリン、塩分が低く、おいしくてお値段もそこそこのたんぱく質を摂らねば。


■今ある頭痛は何だろうか
 
今の時期、インフルエンザも流行り出しているし、頭痛は風邪と思っていた。
でも頭の痛む場所は、右側耳の裏から首筋にかけてだった。
疲れとこの痛みがセットになって、風邪っぽく思えた。
でも風邪ではないと言い切れるわけでもないし・・・


■気になる右腕の感覚

右腕二の腕だけに感じるものがあれば、人工血管のシャントがあるため血流を確認している。先週から右腕に針金が突然入って消えることが二の腕だけではなく、肘から先の手の甲にも感じる。血流音に問題はなさそうで、シャントは関係のない何かと思ってはいるが・・・。

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失語症からの回復に有効だったと思われるリハビリの記録

2016-11-16 14:15:17 | 考える
今までリハビリ後に書いていたリハビリの記録はやめる。

リハビリの記録の中には、リハビリ中に考えたり感じたことを書くことなどが含まれる。
かなり前から現在その必要はないのではないかと先生は考えていたそうである。
リハビリを記憶することはよくない気がしてきた。
脳にそれまでの判断や考え方を、変えさせようとしている。
そういうリハビリにおいては、終わったリハビリを後から時間をかけて思い出し記録する・・・それをやめて新たなことに脳を使うべきではないかと思ったのでる。

中里先生から「お勧め」のあった片マヒのときのリハビリの記録は、それをはじめる前、当時の私にとって、体験を言語化することは、失語症回復にとっても、学習を定着させるうえでも、役に立つのではないかという中里先生のお考えがあったそうだ。


失語症は、うまく話せないだけでなく、書く文章がひどかった。
友人にメールを打ってもすぐに送信できず、夫のチェックが必要だった。使っている助詞がメチャクチャで、それがおかしいとわかっても自分で治せなかったのである。

失語症にわかりやい変化が起きたのは、頭に浮かんだ言葉がすぐさま口から出始めたときだった。

考えて文を書くことと、思ったことをしゃべることは似ていると感じる。
文を書くこともしゃべることも、考えを表現する方法である。
失語症で両方ともうまくできなくなくても、文を書くことは一応でき、文は人に読まれるものであり、自分で書く文が読まれることで理解されたい欲求があった。

でも自分が書くリハビリレポート読み返しても、その文の内容は自分の身体のことで、自分の身体に感じていることと文の内容は、一致していないと思っていた。

「何か違うんだけどな・・」と思いながら言葉を探し、その都度自分の身体で感じているものを確認しながらだったと思うが、文の表現は自分の身体に感じていることと近くなってきて、結果自分は良い方向に向かったのたと思う。

2度目の脳出血で聞こえず話せない今、失語症当時の不自由さはなくなり本当に感謝している。字を書くのも遅くしゃべることもできないが、考えが頭に浮かんでいる自由さを感じている。
たぶん失語症とは、自分の思いに合致する言葉の選択がうまくいかずに、自分を表現できない状態にあった気がしている。

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イメージができたときを考えてみる

2016-11-04 11:44:56 | 考える
イメージについて考えるといっても、当然私はリハビリ療法士ではないから、考えることは、イメージができたとき、その周辺で起こったことは何かをまず思い出してみることだった。

イメージがどういうときに起こっているかもわからないし、そのパターンすらもないかもしれないが・・・ まず今までのように、「なんでイメージが起きたんだろう?」と思うだけにはせず、結果には必ず原因があるはずだと思って、その道すじを、素人なりに考えてみたいと思った。

幸い、先週のリハビリでは右足の動きをイメージすることができたため、そのことについて先生から伺ったことなどを思い出してみた。

実は今週リハビリに出掛ける前に母に手足の爪を切ってもらったのだが、そのとき母に手足を持たれることに異常な不快感を覚えた。はやく爪切りが終わらないかソワソワしてしまうほどに・・・もちろん爪切りの時にこんな経験はなったので、このことを先生に伝えた。

先週リハビリ後に出た痛みと不快感は、右足は何かを感じているが、それが何かがわかっていないというのが先生の考えだった。
イメージが右足に脳でシミレーション的に右足が動くのを私に感じさせ、その後脳は右足に感覚も私に感じさせようとしたがそれは無理だったのだろうか。

イメージが起こったリハビリよりも過去に行ったあるリハビリについて、先生は覚えている?、と私に質問した。確かに覚えていた。
膝を曲げたり伸ばしたり、 左右に数字の書かれたマスに足裏を置いてみたり先生は私の足を動かした。足の動きが止まったとき、足の形を選択で答えた。
覚えてはいたけれども・・・その意味はわかってはいなかった。
今思うと、課題で足が向かう終点は必ず選択肢だった。正解すればその選択した感覚は、実際の膝などが存在している位置にあると認識でき記憶される。

イメージがわかるときは動きを伴うことが多いが、実際に自分の身体のある部分を脳が位置的にわかったら、イメージの世界では動けるもの? 課題でいろいろな部分の位置が認識できたら、点と点を結ぶように、自分の足が見えてきそうな気はするが・・・

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環境が変わると、知らない間に変わっていく自分の考え

2016-08-22 12:52:05 | 考える
1度目の脳出血で高血圧で、降圧剤を飲んでも200近くになることもあった。
だから2度目の脳出血のときは、かなり血圧が上がっただろうとは思う。

いくら降圧剤と食事・飲水をコントロールしているつもりでも、精神面のコントロールはできていなかったのかな・・・2度目の脳出血を起こした日は、就職探し中で、ハローワークの帰りだったことを思い出した。なぜ突然思い出すのかわからないが・・・

再就職ができたら、やりたい仕事ができると思っていた。でも私がやりたいと思っていた仕事は素人レベルのホームページを作ることだったが、心の中では、高血圧でやっても大丈夫?でもやりたい、そんな思いが確かにあった。
2度目の脳出血ではなぜか高血圧ではなくなり、高血圧を気にせずパソコンで何かを作れるはずだが、そういう気分は起こらない。
自分は何をしたいかという欲求はあまりなく、やるべきと思うことが自分のやりたいことである。 両マヒになって介護が必要になり、自分ができることが少ない事実もあるが、生活しやすいように自分の考え方は変化するのだろうか。


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マイルドで本質的なリハビリ

2016-06-27 11:17:33 | 考える
前回のリハビリで、体力が今より落ちたとき、現在できていない飲み込みはどうなるか不安だった。
先生から教わった飲み込み回復リハビリは、体力はほとんど必要のないものに思われた。

透析患者である自分は、透析が必要でない人と比較すると、とかく体調など変動がある。リハビリなんて無理に思えるときが多いが、身体にマイルドなため、リハビリができてしまっている。 感じて考えることを身体の治療に使っている。行ったリハビリは確実に身につく実感を感じる。数か月前を振り返ると、今の自分の身体が違うことがわかる。

最近でのことでは、夜中に右足がひどく曲がり痛くて目が覚めていたが、3月には痛みはあったが、風邪をひいた4月から全く痛みはなくなり、朝まで眠れるようになっている。放散反応で動いてしまう右足は今も曲がるが、ひどく曲がっていたときと比べると、緊張が取れたように、左足で曲がった右足を伸ばせている。

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2回目の脳出血時の記憶は?

2016-05-07 12:01:09 | 考える
1回目の脳出血時の記憶についてふれたので、2回目についても・・・
2回目の脳出血の記憶は全くない。当時の状況は、後になって家族から(筆談で・・)知るのみだった。
想像でしかないが、私が自宅で倒れて病院に搬送された当時、足に大きな傷があったと母が見たそうなので、自宅で倒れる前、外出中にも倒れた可能性もあったのかもしれない。

2回目の脳出血以降は、脳の異変というか不思議を感じている気がする。
耳から聞こえるものは理解不能になった。当初は何を言っているのかわからないラジオを音量をMAXにして一日中聞いているような聞こえ?、のときもあった。
自分が病院で治療する上では泣くことは、今までちょっと考えられなかった。
ところが2回目の脳出血以降は、本当に恥ずかしがらずよく泣いていた。午前中泣き続けるときもあり、でも泣く理由もわからないため、泣く行為に疲れ困ったことがあった。泣きやめたかったのにできなかったのは、脳が混乱を起こしていた気がする。悲しいなどという感情などがあるときに泣くはずなのに、そういった感情なしに泣く行為が長く止まらなかったからである。
その他、活字中毒(4.22ブログ)、4~5種類服用していた降圧剤が不要になったことがあった。

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