2度目の脳出血で入院中、考えていたことがある。
退院後、自分は社会からどう見えて、周囲の人とどう接すればいいかいついてである。
聞こえず話せなったということは、倒れる前の自分と同じように声や言葉で表現できなくなった。
入院中、私に「しゃべってみて」ち言って、私がしゃべってみせると、よく笑う看護師さんがいらっしゃった。なぜおかしいのかな。自分の声も聞こえないから、自分の声がどう周囲には聞こえているのかは推測するしかない。
でも私は話せない、実際しゃべろうとすると滑稽であるのは確かだ。
そういう自分が周囲に溶け込みたいと思うなら、自分はエンターティナーに徹するとか馬鹿っぽくみせることじゃないかと思った。
なぜなら、コミュニケーションは相手の身になれることで円滑にいくものだと思うからで、周囲の雰囲気を和ませる私が取るべきことじゃないかと思ったのである。
退院後、自分は社会からどう見えて、周囲の人とどう接すればいいかいついてである。
聞こえず話せなったということは、倒れる前の自分と同じように声や言葉で表現できなくなった。
入院中、私に「しゃべってみて」ち言って、私がしゃべってみせると、よく笑う看護師さんがいらっしゃった。なぜおかしいのかな。自分の声も聞こえないから、自分の声がどう周囲には聞こえているのかは推測するしかない。
でも私は話せない、実際しゃべろうとすると滑稽であるのは確かだ。
そういう自分が周囲に溶け込みたいと思うなら、自分はエンターティナーに徹するとか馬鹿っぽくみせることじゃないかと思った。
なぜなら、コミュニケーションは相手の身になれることで円滑にいくものだと思うからで、周囲の雰囲気を和ませる私が取るべきことじゃないかと思ったのである。
確かに車イスで聴覚を失い話すこともままならない現実では、生きるにはいわゆる社会的弱者として介護を受け周りの人達のサポートが必要です。
でも、だからといって、周りにそのような気遣いはいらないと確信します。むしろ、このブログを始めとして、いろいろな社会活動が可能で、自分の能力を発揮する場があります。
いい例が、イギリスの天才物理学者ホーキング博士です。車イスで発話ができずキーボードの入力もできません。コミュニケーションは、目で入力でき音声を合成できる専用のパソコンを使っているそうです。
理論天文学の分野の第一人者で、講演したり本や論文を書いたり研究活動をし、研究者仲間だけでなく私を含め世界中の多くの一般の人たちからも尊敬されています。
有子さんも彼にならって、例えば認知運動療法の分野でブログだけでなく学会活動に取り組んだりするのもありだと思います。
あるいは、同じような境遇の人たちの活動の場としてNPOを立ち上げたり、運営したりもいいでしょう。
アイデアはいくらでもあります。ただ、気持ちや姿勢は飽くまで前向きでいてほしいと思います。
わかった風なことを言いました。気を悪くしたらすみません。
トシ
障害が増えると、どう生きるかの選択肢が減る気がしていました。今までは会えば立ち話をしたおばさまと、現在は笑みを浮かべるだけるだけです。自分をどう表現したいかについて、私は考えていなかったことに気付きました。