読了 『なまけ者のさとり方』&『カミーノ』

2011-09-27 13:56:08 | 読書ログ
■2冊セットで読む

2冊をセットで読む、というのは、相互補完的に読め、本を没頭しているときに陥りがちな視野狭窄を防ぎ、視野を高い位置に維持できるのでオススメです。

今回は、『なまけ者のさとり方』&『カミーノ』。

■『なまけ者のさとり方』 タデウス・ゴラス著 

なまけ者のさとり方

は タイトルが魅力的(笑)な本ですが、決してなまけ者は読み通せない感じでした(^^;)

この本は悟りについて語っていますが、世界を内省する一般的な論理思考から飛躍することがない。

スピリチュアル系の本ではありません。分類でも思想のところに入っています。そこがいいところです。

世界のなりたち、人の生き方、悟り、宗教的な天使や過去生、霊魂を持ち出さずに説明できるなら、そのほうが良いではありませんか?

私が気に入ったのは、宇宙(Universe)の表現です。

すべてのものを基本的に、拡張するか、収縮するかで定義しています。 これは2元論でとても西洋的ですが確か宇宙の起源を説明する理科の教科書で出てきたような?

   ↓       ↑
  →・←    ← ・ →
   ↑       ↓

私達は、拡張し続ける世界の一部であるというわけで、宇宙と一体化することは拡張し続けることです。  

人の意識が拡張しつづけているとき(スペース状態と呼んでいる)、その人は全世界のものと一体化しているといえます。これがつまりこの本でいう”悟る”ということです。 

逆は収縮状態の”かたまり状態”。 その間に、無限のあらゆる状態が含まれます。ポイントはどの状態であっても良いということ。

基本的にすべてのものが同じ力学で説明できる、という意味で、”平等”が使われています。

また、愛という言葉は色々に説明されていますが、シンプルに言ってしまえば、収縮した状態=かたまり状態にならない、ことです。

平たくいうと、何かに抗い、何かに執着し、何かから逃げ、何かを否定し・・・というような 意思的に、→・← に向かう運動(バイブレーション)ということになります。

この方向性を表す言葉でバイブレーションという言葉が使われています。が、態度(Attitude)と読み替えても同じ意味が通じます。 

また実際のところ、人間を含めすべてのものが何もしないでいても拡張しているのですから、その拡張していることを理解する(=受け入れる)だけで良い。そういう意味で
自己受容は今のありのままを認めること。 

悟りのために大変な苦行難行を自分に課す一般の悟り向け修行とはまったく違います。

この本の愛の概念が他とくらべ、少々難しく感じますが、愛するということはありのままを受け入れることです。

私は思うのですが、愛というのも 愛されない経験をして始めて愛されていることが理解できるのかもしれません。愛という積極的な行動、例えば善行を積むなどは突き詰めればむしろ自己愛ですし。愛とは、無条件の受容、Unconditional(易しいようですが難しくないです?)ということだろうと思うのですが、これを愛と呼ぶには読む側の人生経験と理解力が要なのかもしれません。

愛しなさい、はその意味で特に何かをしろ、ということではなく、認める、事実を受け入れる、相手を受け入れるというよう意味で、否定の逆エネルギーです。

■ カミーノ シャーリー・マクレーン

カミーノ ― 魂の旅路

カミーノというのは、”スペイン版お遍路”です。 シャーリー・マクレーンがカミーノを旅した手記ですが、この旅路での彼女の内的対話をかいています。つまりカミーノは彼女の精神的成長(Spritual Growth)の記録です。

後のほうでは『エイラ』を髣髴とさせ、物語チックになります。例えば白昼夢を見て、古代アトランティス文明が滅びるところなど。

で、小説のようにおもしろく読めるのですが、この本がなんで『なまけ者・・・』とペアで読むべきかというと・・・

翻訳者が同じだからです。山川夫婦。 このご夫婦はご夫婦ともに東大卒で、共訳で主にスピリチュアル系の本を専門に訳出されているようです。 

シャーリー・マクレーンがスピリチュアル系の本を出していることは結構海外では有名で私も読んだことはなかったのですが知ってはいました。

で、この『カミーノ』ですが、『なまけ者・・・』がアブストラクトとすると、カミーノがその西洋的具現化という感じです。

ですので、自分の思考の傾向として具体的なほうが入りやすい人は、カミーノなど誰かの心の成長記録を読んだほうが同じことを学ぶのでも学びやすいと思います。

『なまけ者・・・』は言葉が平易ではあっても、実はとっても抽象的なのです。

シャーリーの思考回路は自問自答です。その意味ですべては自分の中にある、のです。自分に起る出来事、出会う人、すべてが自分自身をよりよく知るための鏡です。
カミーノも同じで、巡礼によりどんな精神的探求が起ったか?如実な描写で知ることができます。

それより羨ましいのは山川夫妻です。何しろ、このスピリチュアル系翻訳という仕事を、自分達が成長する道具としてやっているに違いないからです。いや羨ましい境遇です。自分が知りたいと思ったものを訳す。一人で訳していたら思い込みによる思わぬミスもしますからパートナーとやる。 これはおもしろくてやめられない仕事になりそうですよね。もちろん、どんな人生にも困難はつきものですからご苦労も色々されているとは思いますが、非常にうらやましいなぁと思いました。

■ 精神的成長

すべてに共通するのは、精神的成長をやめない、という姿勢(Attitude)です。

この精神的成長、英語ではSpiritual Growthだと思うのですが、日本語では、霊的成長とも訳せます。しかし、霊的成長と言った場合と精神的成長と言った場合、なんだかニュアンス的に違いますよね。

日本語で霊的成長と訳してしまうと、優劣があるようなイメージを持たせかねないと危惧しました・・・ 
人間には上下はありませんが、魂にも人間の社会にあるような上下関係、上司と部下のようなものはありません。

今日は日経ビジネスのコラムで、”上司が尊敬できない!”とあり、このビックリマークに逆にびっくりしてしまいました(笑)!

上司なんて尊敬の対象になるわけがないではないですか~。上司と部下は社会的な上下関係。

精神の上下とはまったく関係ないので尊敬と関係ないのはあたりまえ・・・年齢さえ、社会の中では精神的成長には無関係ですよね。子供のほうが親より大人であることなんてよくあることですから・・・(^^;) その上、上下だと感じている関係は非常に一時的で、限定的な能力を比べた場合のことで、総合すると人間には上下の別はなかったりしますから、あるのは個性だけ。だからそもそも詮索しなくていい。

英語ではSpritual Growthはどちらかというと、例えば、瞬間湯沸かし器みたいだった人が精神的に成長して大人になり、怒りをコントロールできるようになる、というようなケースで日常では出てきます。

日本語だって「彼も成長したね」といったりしますが似ています。

シャーリーマクレーンも文脈で見るかぎり同じようなニュアンスで使っているようで、例えば、犬を恐れていた気持ちを
乗り越えることができるようになったりします。 (このような、乗り越えるべき精神的課題、をコアテーマと言っています。
で人生はコアテーマを乗り越えるための課題、ちょっとしたレッスンというようなものとなっています)

もっとも彼女のコアテーマはさらに深く定義されています。このカミーロの旅事態が彼女の精神的出発点となるためのもの・・・「終わったときに旅は始まる」 

元に戻ります・・・ ”スピリチュアル・グロース”つながりで、『なまけ者・・・』『カミーノ』”山川夫妻”がつながるわけです。

成長ですから、その後が気に掛かります(笑) 

タデウス・ゴラスは、その後、予想外の方角に傾いたようです。このサイトでは、『なまけ者・・・』が音読されています。神秘主義に傾いたのでしょうか…良い本なのにその後はありません。こちらでは、テキストが読めます。

シャーリー・マクレーンは今年の4月に次の作品を発表したようですが、まだ翻訳が出ていないようです。

I'm Over All That: And Other Confessions

山川夫妻は天使に傾倒されたようです。最新刊は天使の本でした。

それぞれの精神の旅路を辿ってみる読書も出来るかもですね。


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