読了、と言ったものの、すごく内容の詰まったリファレンス本なので、読み終わったというより
全体像を把握した、というほうが正しいのではありますが…
山の歴史をとりあえず、概要的につかもうか?と思って手に取った本でした。
まず私がわかんないのはですね、「初登」です。 だって、ウェストンだって案内されて北岳登ったんでしょう?
案内されたらもう初登ではないのでは?
良く分からないのですが、それはさておき、元来日本にはいわゆる西洋的な登山とは別にちゃんと山登りの伝統があったようです。
①江戸後期 信仰登山 (○○講)
②それを異人たちが発見する ← この時期の日本は、まるでコロンブスが新大陸を発見したかのごとく
異郷として外国に、ものめずらしいものを紹介する目で紹介されます。
黄金の国ジパングのノリですね・・・(汗)
③測量 ← 客観的・科学的な国土の把握
④ウェストン ← この辺の展開が良く分からない…探検も何も…前から山はあるってば。
⑤山岳会設立 ← ウェストンさんが感動した日本の山々をヨーロッパ人に分かりやすく説明するために
用いた”日本アルプス”という呼び名が、日本人にとっては”ホンモノではないアルプス”
と聞こえてしまい、ヨーロッパに並ぶことが日本人の目的になってしまう…
⑥大衆化 ←学校登山や写真など。 なんと学校登山は女学校からスタートした習慣なのだそうです。
それに学校登山は日本だけの習慣なんだとか。
⑦ヒマラヤブーム ← クライマー列伝時代
⑧スキーとハイキングブーム ← 私をスキーに連れて行って
⑨中高年の百名山ブーム ← もう30年前の事象ですけど・・・
というわけで実はもともと日本には既にあった山の文化…を外国人が価値あるものとして”発見”してくれ、
紹介してくれ、やっと自らも”自己発見”する日本…
なんだか車や製品、芸術作品などが、海外で評価されてから、やっと国内での評価になる、という経路と似ていません?
この展開の仕方に、ものすごく色濃く”日本人らしさ”を感じます…
だって西洋社会は、自己PRの世界です。 自分で「私はここが素晴らしいと思う!」と声をあげ、
新たな切り口や、新たなモノの見方を提示し、その斬新さ、ユニークさで競う…のですが、どれも
自分で申告するものです。
自己申告できなければいけない。
私は日本の山は素晴らしいと思います。
・自然の造形が繊細
・みずみずしい (海外の山はドライです。水分がない)
・生命力が異様に旺盛 (日本では岩の上にさえ木が生えます、海外は禿山が多いです)
・凝縮されている (海外では登山口につくまで5~6時間、似たような景色が続くこと5~6時間と言う感じ)
・生物多様性のホットスポット (日本は南北に長いので)
・通年楽しめる (四季がない国も多い)
と日本が海外に比して優位だと思えるポイントはいくつかあります。 この辺、ウエストンさんは一生懸命日本を世界に紹介してくれたんではないかと思いますが、肝心の日本人自身には今ひとつ理解度が深まらないまま、西洋的でさえないピークハントして登る山が定着してしまったようです。後は百名山のスタンプラリーに山が劣化していったようですが…(汗)
その大衆化した流れは今では山ガールに移り、山に対する個人的で多様なスタイルは少々後回しのようですが、おそらく山ガールが一巡すれば、始まるのではないでしょうか? あと10年もすれば、山のスタイルはもっと多様化し
楽しみ方は純粋に個人のものに帰するように思います。
■ アルピニズムって何だろう?
私が一つわからないのはアルピニズムって何だろう?ってことです。
私は山野井さんの生き方はものすごくかっこよくて好きですが、高い山に自力で登るのがアルピニズムなのかな?
私には低かろうか高かろうが、日本の山の場合、山のリスクは同じようにあるように思えます。山のリスクはむしろ急峻さと崩れにありそう… 日本は沢が多いので水の無さに苦しむことは海外との比較では少なさそうですが、地形によって窮地に追い込まれるリスクは海外より高そうです。
低い山が安全でも、自力での解決力が不要なわけでもないし…
私の思いはむしろお山と言うのは、山のほうが胸を開いて人に「登らせてくれる」というか…
登らせてくれない山には行くべきでないというか…
海外の人は自然を人間の二項対立とみなし、山を征服するために登るのでしょうか?その辺の感覚は、アメリカに友人がいる私も登山をする友人はいないのでぜんぜん分かりません… 海外の登山家と言うのはそんなに記録にギラギラしているのでしょうか? 自分ひとりの力で登ったと誇示しているのでしょうか???
それともバレエみたいに確立したヒエラルキーがあり、その中で一部の運に恵まれた人だけが脚光を浴びるという
世界なのでしょうか・・・映画スターとか大リーグみたいに…
うーん…
まぁとりあえず、日本には信仰登山という歴史以外にも、山に住む民の歴史があり、アチコチで独自の山里文化がある。そこのところが重要ですね。 誇るべし、自国の文化。
全体像を把握した、というほうが正しいのではありますが…
山の歴史をとりあえず、概要的につかもうか?と思って手に取った本でした。
まず私がわかんないのはですね、「初登」です。 だって、ウェストンだって案内されて北岳登ったんでしょう?
案内されたらもう初登ではないのでは?
良く分からないのですが、それはさておき、元来日本にはいわゆる西洋的な登山とは別にちゃんと山登りの伝統があったようです。
①江戸後期 信仰登山 (○○講)
②それを異人たちが発見する ← この時期の日本は、まるでコロンブスが新大陸を発見したかのごとく
異郷として外国に、ものめずらしいものを紹介する目で紹介されます。
黄金の国ジパングのノリですね・・・(汗)
③測量 ← 客観的・科学的な国土の把握
④ウェストン ← この辺の展開が良く分からない…探検も何も…前から山はあるってば。
⑤山岳会設立 ← ウェストンさんが感動した日本の山々をヨーロッパ人に分かりやすく説明するために
用いた”日本アルプス”という呼び名が、日本人にとっては”ホンモノではないアルプス”
と聞こえてしまい、ヨーロッパに並ぶことが日本人の目的になってしまう…
⑥大衆化 ←学校登山や写真など。 なんと学校登山は女学校からスタートした習慣なのだそうです。
それに学校登山は日本だけの習慣なんだとか。
⑦ヒマラヤブーム ← クライマー列伝時代
⑧スキーとハイキングブーム ← 私をスキーに連れて行って
⑨中高年の百名山ブーム ← もう30年前の事象ですけど・・・
というわけで実はもともと日本には既にあった山の文化…を外国人が価値あるものとして”発見”してくれ、
紹介してくれ、やっと自らも”自己発見”する日本…
なんだか車や製品、芸術作品などが、海外で評価されてから、やっと国内での評価になる、という経路と似ていません?
この展開の仕方に、ものすごく色濃く”日本人らしさ”を感じます…
だって西洋社会は、自己PRの世界です。 自分で「私はここが素晴らしいと思う!」と声をあげ、
新たな切り口や、新たなモノの見方を提示し、その斬新さ、ユニークさで競う…のですが、どれも
自分で申告するものです。
自己申告できなければいけない。
私は日本の山は素晴らしいと思います。
・自然の造形が繊細
・みずみずしい (海外の山はドライです。水分がない)
・生命力が異様に旺盛 (日本では岩の上にさえ木が生えます、海外は禿山が多いです)
・凝縮されている (海外では登山口につくまで5~6時間、似たような景色が続くこと5~6時間と言う感じ)
・生物多様性のホットスポット (日本は南北に長いので)
・通年楽しめる (四季がない国も多い)
と日本が海外に比して優位だと思えるポイントはいくつかあります。 この辺、ウエストンさんは一生懸命日本を世界に紹介してくれたんではないかと思いますが、肝心の日本人自身には今ひとつ理解度が深まらないまま、西洋的でさえないピークハントして登る山が定着してしまったようです。後は百名山のスタンプラリーに山が劣化していったようですが…(汗)
その大衆化した流れは今では山ガールに移り、山に対する個人的で多様なスタイルは少々後回しのようですが、おそらく山ガールが一巡すれば、始まるのではないでしょうか? あと10年もすれば、山のスタイルはもっと多様化し
楽しみ方は純粋に個人のものに帰するように思います。
■ アルピニズムって何だろう?
私が一つわからないのはアルピニズムって何だろう?ってことです。
私は山野井さんの生き方はものすごくかっこよくて好きですが、高い山に自力で登るのがアルピニズムなのかな?
私には低かろうか高かろうが、日本の山の場合、山のリスクは同じようにあるように思えます。山のリスクはむしろ急峻さと崩れにありそう… 日本は沢が多いので水の無さに苦しむことは海外との比較では少なさそうですが、地形によって窮地に追い込まれるリスクは海外より高そうです。
低い山が安全でも、自力での解決力が不要なわけでもないし…
私の思いはむしろお山と言うのは、山のほうが胸を開いて人に「登らせてくれる」というか…
登らせてくれない山には行くべきでないというか…
海外の人は自然を人間の二項対立とみなし、山を征服するために登るのでしょうか?その辺の感覚は、アメリカに友人がいる私も登山をする友人はいないのでぜんぜん分かりません… 海外の登山家と言うのはそんなに記録にギラギラしているのでしょうか? 自分ひとりの力で登ったと誇示しているのでしょうか???
それともバレエみたいに確立したヒエラルキーがあり、その中で一部の運に恵まれた人だけが脚光を浴びるという
世界なのでしょうか・・・映画スターとか大リーグみたいに…
うーん…
まぁとりあえず、日本には信仰登山という歴史以外にも、山に住む民の歴史があり、アチコチで独自の山里文化がある。そこのところが重要ですね。 誇るべし、自国の文化。