今日はまるで台風一過のようなさわやかな朝です。
熱いコーヒーを注いで、昨日焼いておいたキャロットケーキで朝食です。
最近私は髪をものすごく短くしたのですが、そうすると寝起きの頭が面白いことになってしまって
だんなさんとの朝のひとときに笑いをもたらしてくれます。
■ 人はもともと好奇心旺盛
山登りと言うのは、たぶんとっても単純なものです。
たぶん「あそこってどうなっているんだろう?」というだけのことなのです。
私が思うには人間はもともとは好奇心旺盛。心理学の本にも”人間は探索衝動が満たされているときに幸福感を感じる”と書いてありました。
実例として、小さい子供たちをよく観察していると、あっちにいったり、こっちに行ったり。
私がアメリカでベビーシッターをしていた頃、6歳のマシューの幼稚園までの送り迎えは私の担当でした。
大人の足で歩いて15分のところに幼稚園はあり、親たちは忙しいので車で送り迎えです。車だと5分も掛からない…。
私は最初車の免許を持っていなかったので、マシューとは歩いて行っていました。しばらくして運転もできるようになったのですが、やっぱり結局歩くことに。
なぜなら、マシューと私はいつも違う道で帰ってきていたからです。マシューと歩くと15分の道は1時間
掛かるのですが、いろんなパターンで家々の裏を通り抜け、植栽の植え込みの荒くなっているところを無理やり通ったり、塀を登ってみたり…。私は既に20歳でしたので、6歳の子供が通り抜けることができるサイズと同じ場所を通るのは少々タイヘンなのではありましたが…でも私にはそれは子供の正常な活動のように思えました。
でも、大人たちは「なんで車使わないの?」
どうせ家に帰っても家の中で遊んでいるのですから、少しくらい時間をかけて帰っても同じことだし、と
私には思えたのですが…
私が思うには、子供って『家の近所という小さな世界』の中で、あっちこっちと探検して、もっと大きな、”社会と言う世界”に出て行く自信をつけるのかなって思う。
小さな発見の一つ一つは「なーんだ」っていうツマラナイものなのですから。でもそのツマラナイものが実は大きな価値がある。それが自信って価値なのではないだろうか?
どこに行くと何の木があるか、どこが近道か、どこに犬がいるか。くもの巣と遊んだり、近所の人に出くわしたりして。
■ ガイドって子守?
今思えば、マシューとは、いつもお家に一緒に帰っていたので、マシューは1人でも自宅に帰れたはず。
でも、ある日幼稚園がいつもより早く終わり、私はそれを知らなかったので、幼稚園から電話が掛かってきたことがありましたが、マシューは、ぽつんと1人きり、ジャングルジムで待っていたのでした…。
ああ~、ゴメン、ゴメン!
きっと1人ではまだ6歳だから心細かったんでしょうね。お詫びに日頃は、ダニエルとしかしないサッカーをやってあげましたとも。
今思えば、私は6歳の子の見守り役、ガイド役でした。やっぱり子供だから危険を判断できないので、生垣から抜けて、大喜びで道路に飛び出しかねないので(笑)
それにひっかき傷くらいならまだしも、コケて頭打つとか・・・マシューはこけませんでしたが、一度自分からオーブンの中に入り、出れなくなって半べそになったことがありました。(アメリカのオーブンは大きい。ヘンゼルとグレーテルを地でいける)
■ 初心者とはリスク判断できない人のことなのだ
こうしたことを思うのは、今年の4月ツルネ東稜に行った私達夫婦の心境は、まさに近所の家の隙間を探検しているマシューだったのではないかと・・・
○○ってどうなっているんだろうな? あそこに行きたい。けど、ちょっと怖い…心の中で逡巡する。
行きたい。けど、怖い。という葛藤。 そこでガイドさんというのは、そっと背中を押してくれる存在です。
多分、初心者とは自らリスク判断をできない人のことなのです。
・・・ただこのような周囲を探索したいというメンタリティは子供の頃から備わっているし、それに危険予知能力、リスク管理能力が徐々についてくる、というのが、人が行動の自由を獲得していくプロセスかなぁと思うのです。
私が思うには、登山と言うのは、”自然環境と言う世界の中で行動の自由を獲得していくプロセス”です。
体力にしろ、地図読みにしろ、生活術にしろ。
このスキルが都会では不必要で、田舎限定であることを考えると、コンピュータリテラシーと言うのは、”ビジネス社会という世界の中で行動の自由を獲得していくプロセス”と言えます。今の労働市場ではパソコンに無知な人なんて相手にされませんから。
まとめると・・・
登山 = 自然環境の中で、行動の自由を獲得していくプロセス
ITリテラシー= ビジネス社会で、行動の自由を獲得していくプロセス
両方の自由を獲得したいものですね!
イルカと私

熱いコーヒーを注いで、昨日焼いておいたキャロットケーキで朝食です。
最近私は髪をものすごく短くしたのですが、そうすると寝起きの頭が面白いことになってしまって
だんなさんとの朝のひとときに笑いをもたらしてくれます。
■ 人はもともと好奇心旺盛
山登りと言うのは、たぶんとっても単純なものです。
たぶん「あそこってどうなっているんだろう?」というだけのことなのです。
私が思うには人間はもともとは好奇心旺盛。心理学の本にも”人間は探索衝動が満たされているときに幸福感を感じる”と書いてありました。
実例として、小さい子供たちをよく観察していると、あっちにいったり、こっちに行ったり。
私がアメリカでベビーシッターをしていた頃、6歳のマシューの幼稚園までの送り迎えは私の担当でした。
大人の足で歩いて15分のところに幼稚園はあり、親たちは忙しいので車で送り迎えです。車だと5分も掛からない…。
私は最初車の免許を持っていなかったので、マシューとは歩いて行っていました。しばらくして運転もできるようになったのですが、やっぱり結局歩くことに。
なぜなら、マシューと私はいつも違う道で帰ってきていたからです。マシューと歩くと15分の道は1時間
掛かるのですが、いろんなパターンで家々の裏を通り抜け、植栽の植え込みの荒くなっているところを無理やり通ったり、塀を登ってみたり…。私は既に20歳でしたので、6歳の子供が通り抜けることができるサイズと同じ場所を通るのは少々タイヘンなのではありましたが…でも私にはそれは子供の正常な活動のように思えました。
でも、大人たちは「なんで車使わないの?」
どうせ家に帰っても家の中で遊んでいるのですから、少しくらい時間をかけて帰っても同じことだし、と
私には思えたのですが…
私が思うには、子供って『家の近所という小さな世界』の中で、あっちこっちと探検して、もっと大きな、”社会と言う世界”に出て行く自信をつけるのかなって思う。
小さな発見の一つ一つは「なーんだ」っていうツマラナイものなのですから。でもそのツマラナイものが実は大きな価値がある。それが自信って価値なのではないだろうか?
どこに行くと何の木があるか、どこが近道か、どこに犬がいるか。くもの巣と遊んだり、近所の人に出くわしたりして。
■ ガイドって子守?
今思えば、マシューとは、いつもお家に一緒に帰っていたので、マシューは1人でも自宅に帰れたはず。
でも、ある日幼稚園がいつもより早く終わり、私はそれを知らなかったので、幼稚園から電話が掛かってきたことがありましたが、マシューは、ぽつんと1人きり、ジャングルジムで待っていたのでした…。
ああ~、ゴメン、ゴメン!
きっと1人ではまだ6歳だから心細かったんでしょうね。お詫びに日頃は、ダニエルとしかしないサッカーをやってあげましたとも。
今思えば、私は6歳の子の見守り役、ガイド役でした。やっぱり子供だから危険を判断できないので、生垣から抜けて、大喜びで道路に飛び出しかねないので(笑)
それにひっかき傷くらいならまだしも、コケて頭打つとか・・・マシューはこけませんでしたが、一度自分からオーブンの中に入り、出れなくなって半べそになったことがありました。(アメリカのオーブンは大きい。ヘンゼルとグレーテルを地でいける)
■ 初心者とはリスク判断できない人のことなのだ
こうしたことを思うのは、今年の4月ツルネ東稜に行った私達夫婦の心境は、まさに近所の家の隙間を探検しているマシューだったのではないかと・・・
○○ってどうなっているんだろうな? あそこに行きたい。けど、ちょっと怖い…心の中で逡巡する。
行きたい。けど、怖い。という葛藤。 そこでガイドさんというのは、そっと背中を押してくれる存在です。
多分、初心者とは自らリスク判断をできない人のことなのです。
・・・ただこのような周囲を探索したいというメンタリティは子供の頃から備わっているし、それに危険予知能力、リスク管理能力が徐々についてくる、というのが、人が行動の自由を獲得していくプロセスかなぁと思うのです。
私が思うには、登山と言うのは、”自然環境と言う世界の中で行動の自由を獲得していくプロセス”です。
体力にしろ、地図読みにしろ、生活術にしろ。
このスキルが都会では不必要で、田舎限定であることを考えると、コンピュータリテラシーと言うのは、”ビジネス社会という世界の中で行動の自由を獲得していくプロセス”と言えます。今の労働市場ではパソコンに無知な人なんて相手にされませんから。
まとめると・・・
登山 = 自然環境の中で、行動の自由を獲得していくプロセス
ITリテラシー= ビジネス社会で、行動の自由を獲得していくプロセス
両方の自由を獲得したいものですね!
イルカと私
