■ 映画『Big Fish』
先日、ビッグフィッシュという映画を見ました。
ビッグ・フィッシュ コレクターズ・エディション [DVD]
これは家を留守にしがちなお父さんにおススメ。
男性と言うものは、どうして愛する者たちを一番後回しにしてしまうのでしょう…?
ブッダも家族を捨てて出家したことは知られていますが、世界(の見知らぬ人)を救うことが家族を愛することだと言われても、省みられていない家族には、なかなか納得しがたいことでしょう…。
そこにある矛盾…家族を省みない個人的理由がなんであれ、結果として出来上がる誤解は”不良債権”ですので、死ぬ前にどこかで一括返済すべきですね。
この映画の父は、行商のサラリーマンです。なので家は留守勝ち。社交的で話が面白く、その話には大概が尾ひれがついています。罪の無い大法螺ってわけですね。
息子はそういう父に多少辟易しています、そりゃそうでしょう、花嫁・花婿が主役のための結婚式で、自分が主役を乗っ取ってしまっては…同情しました。私も自分の結婚式おばあちゃんに乗っ取られました(><)
さらに痛いのは乗っ取られた結婚式を誰も慰めてくれないこと…私なんて今その結婚式の場で使っているバッグ、無心されましたからね。それでも夫など幸せにボーっとしてしまってどんなに私が傷ついているか、ぜんぜん気がつかなかったのです…
ま、この映画の主人公、息子はそういう状況にいます。周囲は「あんな面白いお父さんっていいね」と言う。息子は「でも家にいないし、帰ってきたらきたで、大法螺話しかしないし」つまり彼からは、父の人格が見えないのですね。
周囲の父への評価と自分の父への評価が違う。 まぁ仕方ないでしょう。
子供であれば、誰だって、自分と時間を過ごそうとしてくれる人=一番愛してくれる人、なのです。
教訓1: 子供とは出来るだけ時間を共有すべし。
■ 一目ぼれ
男性の人生でいつも不思議だな~と思うのが運命の人の見つけ方。男性は一目ぼれが多いのかな?
このお話でも、父は母に一目ぼれしたことになっています。それもサーカスの会場が引けるときに遠目に見ただけ…
私には、あまりにも精神的にかけ離れすぎて理解できない一目ぼれ… 相手の中身も知らずに容姿、それもチラッと見たというくらいで一生涯愛することができるのでしょうか???私は容姿とかではなく人間の中身を好きになるので、とてもなぞです。
で、その女性をゲットするまでの苦労はすごいのですが、問題はゲットした後…放置プレイ…(汗)。
うーん、その一目ぼれされた妻も帰ってこない夫を待つ生活になる…しつこく(笑)求婚されて結婚したのに、結婚したと単に留守ばかり?! 釣った魚に餌はやらない?!
好きなのに帰ってこないというのは…女性の身からすると本当にすきなのでしょうか?と不安になりますね。
その帰ってこない理由がまた…夫が方々で人助けに奔走中で、未亡人の家の修理までやっているとは…これもまた皮肉なめぐり合わせですね。
夫が人助けに出かけていること自体=自分が未亡人状態… そりゃ、たまには皮肉の一つも言いたくなるわな。
他所の未亡人を助けて自分とこ未亡人化…うーん? この矛盾状態に気がつかないのは、なかなか面白い。
教訓2: 足元を良く見よう。
■ 心の真実
というわけで、この映画の中では、妻はよく出来た妻だったので、特に「あなた浮気しているんじゃないでしょうね?」とかなじることなく、結婚生活は円満で人生の閉幕を迎えるのですが、息子はちょっと父には納得がいっていない。
「父には別の家庭がもう一つあったんではないか?」なんて想像もシテイマス・・・
最後の納得が欲しい。
が、父に死が訪れる…とそのとき、父が息子に頼むのは「オレの死に方の話をしてくれ」。
子供の頃に魔女の目の中で見た自分の死に様を息子に話してほしいと頼む…けど息子はその話は聞いていない。
ので、適当に話を作ります。 急場ですからね。
その話に納得して目を閉じる父。 結局、ホラか真実か、ということよりも、お話を作る動機が肝心、そこのところに着地して、父と息子は和解…
最後に息子は父親並みのストーリーテリングをしてあげるって話です。息子から父への思いやりは父から受け継がれたスキルで。
教訓3: 心の真実は字面どおりでなくて良い。
■ 余禄: 日本でも海外でも逃げた魚は大きい
日本でも「逃げた魚は大きい」といいますが…英語でも同じのようです。
逃げた魚は大きい式に話が大げさになっていき膨らむことをTallTaleというそうです。
良くあるのは逃げた魚が巨大で自分の背丈ほどもあったとか、森であった熊…通り過ぎたのに激闘の末熊が負けたとか…まぁ他愛ない無邪気な作り話のことですね。
Fishyといえば、”怪しい”という意味。なので、FishTaleは”怪しい話”。嘘っぱち可(笑)。
それでも心の真実が含まれていれば価値あるお話なのだということでした。
でも、やっぱりパパは家族を愛しているから留守なんだということをしっかり家族には伝えておいたほうがいいでしょう…(^^)
子供は動物と同じで見えた事実からしか判断しないので。いつか分かってくれる、というのは手抜きですからね。
先日、ビッグフィッシュという映画を見ました。
ビッグ・フィッシュ コレクターズ・エディション [DVD]
これは家を留守にしがちなお父さんにおススメ。
男性と言うものは、どうして愛する者たちを一番後回しにしてしまうのでしょう…?
ブッダも家族を捨てて出家したことは知られていますが、世界(の見知らぬ人)を救うことが家族を愛することだと言われても、省みられていない家族には、なかなか納得しがたいことでしょう…。
そこにある矛盾…家族を省みない個人的理由がなんであれ、結果として出来上がる誤解は”不良債権”ですので、死ぬ前にどこかで一括返済すべきですね。
この映画の父は、行商のサラリーマンです。なので家は留守勝ち。社交的で話が面白く、その話には大概が尾ひれがついています。罪の無い大法螺ってわけですね。
息子はそういう父に多少辟易しています、そりゃそうでしょう、花嫁・花婿が主役のための結婚式で、自分が主役を乗っ取ってしまっては…同情しました。私も自分の結婚式おばあちゃんに乗っ取られました(><)
さらに痛いのは乗っ取られた結婚式を誰も慰めてくれないこと…私なんて今その結婚式の場で使っているバッグ、無心されましたからね。それでも夫など幸せにボーっとしてしまってどんなに私が傷ついているか、ぜんぜん気がつかなかったのです…
ま、この映画の主人公、息子はそういう状況にいます。周囲は「あんな面白いお父さんっていいね」と言う。息子は「でも家にいないし、帰ってきたらきたで、大法螺話しかしないし」つまり彼からは、父の人格が見えないのですね。
周囲の父への評価と自分の父への評価が違う。 まぁ仕方ないでしょう。
子供であれば、誰だって、自分と時間を過ごそうとしてくれる人=一番愛してくれる人、なのです。
教訓1: 子供とは出来るだけ時間を共有すべし。
■ 一目ぼれ
男性の人生でいつも不思議だな~と思うのが運命の人の見つけ方。男性は一目ぼれが多いのかな?
このお話でも、父は母に一目ぼれしたことになっています。それもサーカスの会場が引けるときに遠目に見ただけ…
私には、あまりにも精神的にかけ離れすぎて理解できない一目ぼれ… 相手の中身も知らずに容姿、それもチラッと見たというくらいで一生涯愛することができるのでしょうか???私は容姿とかではなく人間の中身を好きになるので、とてもなぞです。
で、その女性をゲットするまでの苦労はすごいのですが、問題はゲットした後…放置プレイ…(汗)。
うーん、その一目ぼれされた妻も帰ってこない夫を待つ生活になる…しつこく(笑)求婚されて結婚したのに、結婚したと単に留守ばかり?! 釣った魚に餌はやらない?!
好きなのに帰ってこないというのは…女性の身からすると本当にすきなのでしょうか?と不安になりますね。
その帰ってこない理由がまた…夫が方々で人助けに奔走中で、未亡人の家の修理までやっているとは…これもまた皮肉なめぐり合わせですね。
夫が人助けに出かけていること自体=自分が未亡人状態… そりゃ、たまには皮肉の一つも言いたくなるわな。
他所の未亡人を助けて自分とこ未亡人化…うーん? この矛盾状態に気がつかないのは、なかなか面白い。
教訓2: 足元を良く見よう。
■ 心の真実
というわけで、この映画の中では、妻はよく出来た妻だったので、特に「あなた浮気しているんじゃないでしょうね?」とかなじることなく、結婚生活は円満で人生の閉幕を迎えるのですが、息子はちょっと父には納得がいっていない。
「父には別の家庭がもう一つあったんではないか?」なんて想像もシテイマス・・・
最後の納得が欲しい。
が、父に死が訪れる…とそのとき、父が息子に頼むのは「オレの死に方の話をしてくれ」。
子供の頃に魔女の目の中で見た自分の死に様を息子に話してほしいと頼む…けど息子はその話は聞いていない。
ので、適当に話を作ります。 急場ですからね。
その話に納得して目を閉じる父。 結局、ホラか真実か、ということよりも、お話を作る動機が肝心、そこのところに着地して、父と息子は和解…
最後に息子は父親並みのストーリーテリングをしてあげるって話です。息子から父への思いやりは父から受け継がれたスキルで。
教訓3: 心の真実は字面どおりでなくて良い。
■ 余禄: 日本でも海外でも逃げた魚は大きい
日本でも「逃げた魚は大きい」といいますが…英語でも同じのようです。
逃げた魚は大きい式に話が大げさになっていき膨らむことをTallTaleというそうです。
良くあるのは逃げた魚が巨大で自分の背丈ほどもあったとか、森であった熊…通り過ぎたのに激闘の末熊が負けたとか…まぁ他愛ない無邪気な作り話のことですね。
Fishyといえば、”怪しい”という意味。なので、FishTaleは”怪しい話”。嘘っぱち可(笑)。
それでも心の真実が含まれていれば価値あるお話なのだということでした。
でも、やっぱりパパは家族を愛しているから留守なんだということをしっかり家族には伝えておいたほうがいいでしょう…(^^)
子供は動物と同じで見えた事実からしか判断しないので。いつか分かってくれる、というのは手抜きですからね。
口語では fishy story 怪しい話 とか形容詞で使った言い回しは良く聞きますね。
お父さんは大きな世界に出たかったんでしょうかね
そうですね。「井の中の蛙」が日本語では近い表現ですね。
この場合のbig fish には、重要な人、才能のある人、(important people, talented people)意味があり、an important person in a small community.というフレーズで、「狭い所にいるにはもったいないほどの才能がある人」という意味があるそうです。
この意味合いからは、「井の中の蛙」とはニュアンスが異なりますね。
巨人カールと初めて対面するときにも、似たようなニュアンスのフレーズがでてきます。
「君や僕のような大きな野心を持った人間にはこの町は小さすぎる」
つまりタイトルの「Big fish」のfishは、fishy story(怪しい話)の意味だけではないこと見えてくると、映画のテーマはより深く見てきます。
ダニエル・ウォレス氏が尊敬していた偉大な父の口癖にもつながって行きます。こんな風に映画の主題が見えてくると実に味わい深いですね。(^-^)
そんな父も死を前に小さな子供と同じ・・・息子はそこで父を許せるんでしょうね。同じ人間として。