■ アンコンディショナルラブ
UnconditionalLove…無条件の愛について、昔から時折、考えます。
以前考えていたのは、そのような愛はありえるのだろうか?ということです。
私が知っている無条件の愛は、子が親を愛す愛、のみです。
子供は、親が悪人だろうと、自分を虐待しようと、なんだろうと、親(というより庇護者)を愛しています。というか、生存がそこ一点にかかっているから、幼い子供には、相手を愛すという選択肢以外、生存可能性を高める方法がない。それは愛と言っていいのだろうか?
■ 親が子を愛す愛
親が子を愛す愛は、”条件付き”です。
「いい子にしていたら」「おねえちゃんでしょ」「我慢しなさい」
これは私が覚えている内容です。私は3人兄弟の長女として母子家庭に育ったので、一般の人より特殊環境かもしれない… 私が親からもらった基本的なメッセージは「役に立たなければ愛されない」というものかもしれない。私はつい、自分がどう役に立てるかを考えてしまう癖があります。相手にとって価値があるかどうか?です。
妹は「可愛くなければ愛されない」と親から受け取ったようで、ファッションやお化粧などに費やす努力は目を見張るものがありました。
一般的に言って親は子供を愛の対象というより責任の対象と、とらえているのではないでしょうか?
■ 友達の愛
一般的に、その次に人が知ることになるのは、友達の愛、つまり友情ではないでしょうか?
私には、少数のとても親しい友人=親友が、学生時代に時期を全く重ねず、ふたりいました。
最初の大親友は、サー君でした。お互いに中学生になってから知り合いました。相手が9割勝っているパワーバランスでのライバル関係(笑)にあり、基本的には、互いの実力への敬意、というのがベースにあったような気がします。もう学校で話題になるほど熱愛?でした。お互いに目立つ生徒だったので、そういう生徒が臆面もなく、友情に花を咲かせていると大体周囲は冷やかすので…年齢も初恋を知るころですし…。
でも、まだ男女の愛は知らない頃なので、基本的に相手をもっとよく知りたいという思いよりも、「凄い奴が現れた!」という感じで互いに思いあっていたと思います。ほとんどの時間、討論していたような?
討論やサッカーなどして一緒に過ごした中高時代、大学時代の始めを通して、なぜ彼があの大学を選んだのか、私がなぜこの大学を選んだのか、そうした個人的な必然性を互いに理解しあえる、青春時代を一緒に過ごした友達です。
この彼とは、切磋琢磨する仲間。ライバル心で、「彼が模試で〇位なら、私だって」という感じで、お互いに高め合って、いい仲でした。おかげで、すごくよく勉強しました。プライドが支える仲間でした。
■ 友達の愛2
サー君の次に大親友になったのは、さおりちゃんです。 すごく美人で、同性でも見惚れるような人でした。私はあまり、女性らしさには興味関心が薄いタイプの女性に育っていたので、まったく正反対のタイプのさおりちゃんとは女性らしさで競争する必要がなく、サー君と同じで、相手への敬意がベースにありました。
すごい美人ながら、理系的な頭脳を持った女性でした。私は家庭が不安定だったので、高校時代はさおりちゃんの家に入り浸って過ごしました。自分の家で過ごした時間より、さおりちゃんちで過ごした時間が長かったかも?
私とさおりちゃんはあまりに深くお互いを必要とし合っていたので、私たちってこのまま行ったらレズビアンになってしまうのではないかしら?と不安になったくらいです。高校時代の友達は彼女だけです。しかし大学に進学して疎遠になってしまいました。
が、サー君のこともさおりちゃんのことも素晴らしい人生の経験として記憶しています。
無償の愛と言えたかもしれない。
■ 男女の愛
私は恋愛時代の若いころ、あんまり男性にモテるタイプでありませんでした。
ので、いわゆる高校、大学の頃の「付き合った、付き合わない」という、パーマやさんにある週刊誌みたいな恋愛は、全く経験がなく…全然、ワカラナイ(汗)
意中の男性に、バレンタインデーのチョコを渡そうとドキドキしたこともないし…告白するとかしないとか・・・逆もないような? (ああ、悲しい…)
正直、全然モテない人です。
ただそういう恋愛面の地味な生徒?は、変態オジサンや痴漢の格好の餌食になるらしく、10代から20代前半に掛けては、痴漢にあったり、弟が上で寝ている二段ベッドの下で寝ていたら、誰かがお腹を触っていたり(えっ?!)、下着泥棒にあったり、電車では露出狂にあったり、「月2回で15万でどう?」とよく分からないセリフを聞かされたり、もう勘弁してくれ的感覚です。男性不信になっていないのは奇跡ではないでしょうか?!
最初の恋人はアメリカ人のデイビッドですが、デイビットとも生い立ちが似ていたり、趣味が美術館に行ったり、自然散策だったり、と感性が似ていて、限りなく親友に近い恋人でした。ただ、親友と違うのはデイビットとは結婚したいと思っていました。デイビッドにメキシカンレストランで祝ってもらった21歳の誕生パーティは、人生でもっとも幸福な瞬間として忘れられない思い出です。
国際結婚は私のひとつの夢でした。アメリカに住むと言うことが夢だったのです。私がアメリカに住むという決断さえできれば、実現したことでしたが、私は大学があと2年残っていたので帰国し、その後、彼はアルコール中毒になり、人生を狂わせ、二人の関係はそれきり復活することはありませんでした。以後、十数年来の付き合いをしましたが、それも去年終ってしまいました。
デイビットと私の間の愛情は、無償の愛ではありませんでした。デイビッドが最初に取引しようとしたのです…「〇〇してくれるなら、××してあげる」という関係です。それはつまり、私が日本の大学卒業資格をあきらめるなら、アメリカ人としてのグリーンカードをあげる(彼と結婚することで)ということでした。
若い私にとって、”大卒”というのは、どれくらい人生において価値があるものなのか?分かりませんでしたが、当時私にとって大問題だったのは、経済的自立でした。大学に通いつづければ、大学ローンの返済を卒業まで先送りにできる。私は全部自腹で大学に行ったので、大学に行かずに生計を立てる目途が立たなかったのです。大学に行かずにデイビッドと結婚してアメリカに残るということは、100%デイビッドに経済的に依存しなくてはならないということでした。それまでの大学ローンの返済もです。
なので私は経済的自立を投げ出して夢をとる、あるいはデイビッドをとることができなかったのです。
振り返って、日本人としても社会人経験がない、つまりまだ一人前でない人が、移民一世として生きることは、当時の私にはとても困難だったのではないか?と思います。子供を産んでしまえば、子供が子供を産んだという事態になったでしょう。
そして、やっぱり、デイビッドと私の間柄は、無償の愛、ではなかったと思います。デイビッドは誠意ある男性だったので、生涯の伴侶とするのに不足がある人ではなかったと思いますが…ただ、私の方がまだ子供すぎたのです。経済的自立を成し得た後で出会っていれば違ったと思います。
私は夫と婚約した時、デイビッドに会ってそれを告げるため、わざわざサンフランシスコまで行きました。
■ 夫との関係
私と夫は、人間のタイプとしてはだいぶ違います。
これまでの私の親友は、主にライバル関係にありつつ、相手への敬意がある、という関係でしたので、人間のタイプとしては、大体似たり寄ったりの相似形の人が多かったのです。
夫とはまったくライバル関係にはありません。私が一方的に夫に甘えている関係です。私は普段の私を脱ぐことができるので、夫と居ると楽で、とても心地よいのです。夫の方はどうか分かりませんが。
最近、愛について良く考えるとき、それは夫との愛についてです。
夫とはただ一緒に居たいという種類の愛かもしれない。
知識という面で、私は夫についてどれくらい知っているだろうか?というと、大親友時代を過ごした、サー君を取り巻く家庭環境や、さおりちゃんの苦悩や、デイビッドが優秀すぎる父親と自分を比較して苦しんだことなど、彼らの困難さや人生の課題を深く知っていることに比べ、夫ついては、そのようなことはほとんど無知と言ってよいかもしれません。何しろ、彼はそういう話をしないタイプなのです。
でも、私はたとえば、夫がどんな食べ物が好きか?とか、いつもどこに座っているか?とか、私が帰りが遅いときは何を食べているかとか、そういう生活上の、彼の習慣については誰より知っているかもしれません。彼について良く知っていることが愛の一形式だと思うようになりました。彼はヨーグルトが好きなので買い物に行くとフルーツヨーグルトや風呂上がり用のジュースを買っておきます。
私は夫と温かいベッドで毎日寝るということ以外は、特に彼には何も求めてはいません。というか、それだけですごく満足なのです。それは恋人時代からずっとそうです。一緒に登山に行きたいと思っていましたがそれも最近手放しました。
私が残念なのは、私が子供を産んであげられなかったことですが、夫は、のんびりした性格なので、それもそんなに堪えている感じではありません。
お互いに相手への要求が強くない。そのような穏やかな関係ですが、無償の愛かと言うと、そうなのかどうかはよく分かりません。夫とは依存関係にないので、別れようと思えばすぐに清算できてしまい、それは、女性によっては不安に思うかもしれません。彼が私を捨てようと思ったら、それは簡単に成し得ることだと思います。
ただ私は彼を縛り付けようとは思っていないし、彼の方もそのようです。私と夫は絆が浅いようにかんじられるかもしれませんが、恋人を縛り付けることはそもそも可能なのでしょうか…? 縛り付けないと残ってくれないような恋人なら、もしかしたら、最初から自分のモノではなかったのかもしれないし、そもそも、恋人が自分のモノというのはどのような意味なのでしょう…愛とは、意思とは無関係なもの、のような気がします。
相手への礼儀として浮気をしないことは重要ですが、心が誰かに魅かれていくのは、停止しようがないことで、心を含めたら、一生他の誰も好きにならないと言うことはありえないのではないでしょうか? 好きにも色々ありますし。
私は弟と妹がいたので、親を独占してはいけない、と思うのと同じことで、誰かを独占したい!という思いは、あまり感じないタイプで、私自身が比較的、あまり嫉妬深いタイプでない、というのがあるかもしれませんが、人が人を独占することは、そもそも不可能だという思いが根底にあります。
私は誰のモノでもなく、最近は自分自身のものでさえないような気がしています。
■ 神への愛
そうこう考えると、私が知っている無償の愛は、結局、子が親を愛す時の愛のみかもしれない。
愛とはまた違う感性かもしれませんが、私は自然発生的に祈る習慣がありました。7歳くらいの時からです。膝まづいて祈っていました。
何も悪いことをしていないのに叱られた、という思いが私を祈る習慣に向かわせたような気がします。
あとは子供なのでどうしようもないですよね、祈る以外に方策がない。
神様さえ私が誠実であることを知っていればいい、という考え方です。
見る人は見ている、とも思います。実際それは本当です。影の努力はかならず見ている人がいます。
神という言葉は大げさで、無神論が主体の日本では違和感があると思いますが、それは、自分で自分を偽ることはできない、と言った時の”自分”と同じ意味です。
内在神というのは、自分のことであり、いわゆる世間のことでもあるのです。
そういう意味で、内在神に対する愛、というか信頼は、小さいころから心にあります。それは心のアンカーのようなものです。
ただそういう意味の内在神を愛しているか?というと愛していると言うより、信頼している、に近いかもしれません。
それは、岩登りと少し似ています。経験を通して、作る信頼です。私は最初支点と言うのはあんまり信頼できませんでした。
が、今ではハンガーボルトの支点は2点取れば、ハンギングビレイも平気です(笑)
一度に全部信頼することは難しいですが、こういう風にすれば、こうなる、という信頼を作っていくのは神への信頼に似ている気がします。
たとえば、祈りは大抵聞き届けられます。
私は、自立を願い、通常では考えられない苦境で自立を勝ち取りました。仕事でも、私はコンピュータ関連につきたいと思ったのですが、文系卒でありながら理系職種につきました。その他、色々な願いが聞き届けられてきました。今では願いがもうそんなにないくらいです。神の意図のまま使われるよう祈っています。
無償の愛、という愛を知りたいと願えば、憎まれている人を愛さなくてはならないでしょう・・・それが神の教え方です。
愛すべき人愛らしい人ではなく、自分を苦しめる人をも愛す、愛という意味では、やはり親を愛す愛が一番私の中では近い体験かもしれません。