■ 動物と子供は似ている
動物感覚の話を読んで、動物と子供は非常に似ていると思いました。というのは私は子供の頃の記憶が日記をつけていたせいで鮮明だからです。
私は犬を愛玩の対象とするような情に深い人が、とてもキライで苦手です。
それはたぶん…私が初孫だったから!
父母双方の家にとって初孫だったので、ちやほやされる対象になったからです。とっても迷惑でした!
孫を飾り立てたり、甘やかしたり、というのは本当の愛ではありません。どうも子供はそこのところを良く覚えているようです。私は自分が飾り立てられ、あれこれいじられ、どうやら、母と祖母、もう1人の祖母の政治的争いの的になっているらしい…と3、4歳のころ既に感じていました。
母方の祖母に甘えると、母の機嫌が悪くなる。 父方の祖母には絶対になついては政治的にヤバイらしい…。
子供は、それこそ動物的感で、自己の生存のために選ぶべき人を選ぶ。
私は父方のおばあちゃんが本当に嫌いなのではなくて、キライだということにしておかないと、母の機嫌が悪くなって面倒だからキライということにしていました。
そういう風に考えると、母親の情緒が安定する=子供にとってご褒美 なので、母親のご機嫌が麗しいように子供は配慮しながら人生の選択をしていると思います。例えば着る服など…親が気に入りそうなものを選ぶ。特に母親。子供には生命線だからです。
それがあまりに行過ぎると親が喜びそうな人生を選ぶ。
親のために生きているんじゃありませんから自分の好きな物を選びましょう(笑)
育児に悩んでいる人は育児書を脇において動物の行動を知る本を読んでみたらどうでしょう?
■ 行政が悪い、観光客が悪い、何もしない専門家が悪い
今自然観察のFBに参加しているのですが、市井の自然保護活動家は基本的な動機は素晴らしくてもやはり、行政が動かないからダメだ、という挫折感、徒労感に耐え切れず、「うまくいかないのは世間のせいだ」という心境に入るようです。
信じられない国民性、とか。色々な人の悪口を言いたくなる。
活動家は行政を責め、行政と専門家は市民の無知を責める。 結局、顔のない不特定多数の市民が悪者になって終わりです。
この光景、デジャブーが…ああ~子供の目からみた夫婦喧嘩ね。
本来協力すべき人たちが敵対している光景。
日本人は何でも行政の仕事にします。野生動物が減っても増えても、行政の失策のせい。これではお役人だって、嫌になります。何をしても文句言うんでしょってワケ。
大体役所なんてところは、役目がきっちり分けられているし、私は経済系の官僚しか知りませんが有能では合っても何かを決定する権限なんてない人たちでした。それともう一つ付け加えると、市民がかれらを評価するのではなく、評価するのは上司なのですから、上司の命令以外のことをやる動機にかけるでしょう。市民が評価してくれて昇進したり、給料が上がったりするなら違うでしょうが。
世の中で最も保身に傾く人種が行政やお役人、官僚、と言った職業に就くのですから、大企業にみんなが勤めたいのと同じ動機。そんな人に”実行力”を期待するほうが間違っていません?
とはいえ、私は山梨県が高山植物の保護条例をいち早く制定していることにはとても感心しました。
市民が口うるさく言ったから? それとも山に対する意識が高いから?
成功例なのにあまり知られていないので、もっと知られて良いのではないかと思いました。
市民の中にも、ゴミを捨てるような意識が低い人もいれば、そうでない人もいます。
甲府に来てウンザリすることは、人がプライバシーを暴きまくる失礼な田舎モノ根性の人が結構多いことです・・・でもこちらの人でもそうでない人もちゃんといます。
都会の人だからって言って、お金持ちとは限らないのに、地元の人は都会から移住してきた人からぼってやろう!と狙っているような印象を受けるときがあります。例えば、2点居住の住居探しサービスは都会の人向けで既に来てしまっている人には、冷たいです。まぁ移住させた、という事実で点数稼ぎをしていたらそうなるのでしょう。ともかく、都会からきた人への色眼鏡を感じます。
そうした色眼鏡はヨガでは判断する罪と言われています…
動物感覚の話を読んで、動物と子供は非常に似ていると思いました。というのは私は子供の頃の記憶が日記をつけていたせいで鮮明だからです。
私は犬を愛玩の対象とするような情に深い人が、とてもキライで苦手です。
それはたぶん…私が初孫だったから!
父母双方の家にとって初孫だったので、ちやほやされる対象になったからです。とっても迷惑でした!
孫を飾り立てたり、甘やかしたり、というのは本当の愛ではありません。どうも子供はそこのところを良く覚えているようです。私は自分が飾り立てられ、あれこれいじられ、どうやら、母と祖母、もう1人の祖母の政治的争いの的になっているらしい…と3、4歳のころ既に感じていました。
母方の祖母に甘えると、母の機嫌が悪くなる。 父方の祖母には絶対になついては政治的にヤバイらしい…。
子供は、それこそ動物的感で、自己の生存のために選ぶべき人を選ぶ。
私は父方のおばあちゃんが本当に嫌いなのではなくて、キライだということにしておかないと、母の機嫌が悪くなって面倒だからキライということにしていました。
そういう風に考えると、母親の情緒が安定する=子供にとってご褒美 なので、母親のご機嫌が麗しいように子供は配慮しながら人生の選択をしていると思います。例えば着る服など…親が気に入りそうなものを選ぶ。特に母親。子供には生命線だからです。
それがあまりに行過ぎると親が喜びそうな人生を選ぶ。
親のために生きているんじゃありませんから自分の好きな物を選びましょう(笑)
育児に悩んでいる人は育児書を脇において動物の行動を知る本を読んでみたらどうでしょう?
■ 行政が悪い、観光客が悪い、何もしない専門家が悪い
今自然観察のFBに参加しているのですが、市井の自然保護活動家は基本的な動機は素晴らしくてもやはり、行政が動かないからダメだ、という挫折感、徒労感に耐え切れず、「うまくいかないのは世間のせいだ」という心境に入るようです。
信じられない国民性、とか。色々な人の悪口を言いたくなる。
活動家は行政を責め、行政と専門家は市民の無知を責める。 結局、顔のない不特定多数の市民が悪者になって終わりです。
この光景、デジャブーが…ああ~子供の目からみた夫婦喧嘩ね。
本来協力すべき人たちが敵対している光景。
日本人は何でも行政の仕事にします。野生動物が減っても増えても、行政の失策のせい。これではお役人だって、嫌になります。何をしても文句言うんでしょってワケ。
大体役所なんてところは、役目がきっちり分けられているし、私は経済系の官僚しか知りませんが有能では合っても何かを決定する権限なんてない人たちでした。それともう一つ付け加えると、市民がかれらを評価するのではなく、評価するのは上司なのですから、上司の命令以外のことをやる動機にかけるでしょう。市民が評価してくれて昇進したり、給料が上がったりするなら違うでしょうが。
世の中で最も保身に傾く人種が行政やお役人、官僚、と言った職業に就くのですから、大企業にみんなが勤めたいのと同じ動機。そんな人に”実行力”を期待するほうが間違っていません?
とはいえ、私は山梨県が高山植物の保護条例をいち早く制定していることにはとても感心しました。
市民が口うるさく言ったから? それとも山に対する意識が高いから?
成功例なのにあまり知られていないので、もっと知られて良いのではないかと思いました。
市民の中にも、ゴミを捨てるような意識が低い人もいれば、そうでない人もいます。
甲府に来てウンザリすることは、人がプライバシーを暴きまくる失礼な田舎モノ根性の人が結構多いことです・・・でもこちらの人でもそうでない人もちゃんといます。
都会の人だからって言って、お金持ちとは限らないのに、地元の人は都会から移住してきた人からぼってやろう!と狙っているような印象を受けるときがあります。例えば、2点居住の住居探しサービスは都会の人向けで既に来てしまっている人には、冷たいです。まぁ移住させた、という事実で点数稼ぎをしていたらそうなるのでしょう。ともかく、都会からきた人への色眼鏡を感じます。
そうした色眼鏡はヨガでは判断する罪と言われています…