2021年10月14日
こんにちは。
朋友ママこと、内田優理子です。
あっ、この名前・・・本名ではないのだが、只今この名前で活動中なのでこれから表示していこうと思って綴ってみた。
何故、この名前を付けたかというと、「内田」というのは旧姓で、「優理子」という名前は私の祖母(父方の)が私に付けたかった名前だったという。
しかし、亡き母親が女の子が生まれたら「○○」という名前を付けると決めていたそうだ。
その名前の件で結構揉めたという話を聞いている。
その話を聞いてから、いずれ私が何か活動するときにはこの名前にしたいと決めていた。
『おばあちゃん、やっと念願の名前が付けられたよ~』と、空に向かって伝えた。
祖母がどんな気持ちでこの名前を付けたいと思ったのかは知らないが、
優理子→優しくて、理解のある子(人)に育って欲しいという風に、私は解釈したいなぁ~と思っている。
それに恥じないように、今後自分らしく活動して行けたら良いなぁ~という気持ちを込めて公開した。
今朝、父親が我が家の近くに来た。
家に入ることは無く、近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら30分ほど一緒にいた。
実は、18日に足の手術をすることになり、その同意書を書いて欲しいというお願いをされた。
父親の手術の同意書を書くのは、これで3回目の話である。
1度目は、白内障の手術をするときで、2度目は心臓の手術をするときだ。
いずれも、母親が他界してからの話なので、もし母親が生きていたならあたふたしているんじゃ無いかと想像する。
極度の心配性であった母親は、特に大好きな父親のことになると必死で、自分の事はさておき、父親のことで何も手につかない状態になるだろうなぁ~と。
そんなことを思いながら書類を3枚書いて、ハンコを押して渡した。
只今75歳の父親。まだまだ私の中では元気でいて貰いたい人である。
母親の看病(胃ガンで他界しているのだが)で、自分のしたいことも出来ぬまま過ごしてきた分、今を楽しんで貰いたいと思っている。
まぁ~、本当に感心するくらい母親に尽くした人だから(葬儀屋もビックリした位よ)「素晴らしすぎる」と、娘から見てもそんな風に思う。
フト、私がパパさんが大きな病気になった時に父親みたいに看病できるか?と言われたら、ハッキリ言ってNOである。
私の方がぶっ倒れる。無理・無理・無理・・・
身体的にもしんどいとは思うが、メンタル面でやられる自信がある。
(『やられる自信・・・ってなんやねん?』って、関西弁で突っ込みたくなる)
別れ際に『出来る限り、人には迷惑をかけん(かけない)様に頑張るけん。又、手術の経過を報告する』と言って喫茶店をあとにした。
当日、ついていこうかと思ったんだけど、『大丈夫じゃ。家を優先してくれ』と言われた。
父親の歩く姿を見ていたのだが、しっかりとした足取りだったから『まだまだ大丈夫じゃ』っと、心の中で呟いたのだった。
最近では、老人介護のことで問題になっているが、介護する方も、介護される方も老人になってくると(「老老介護」という言葉があるよね)、
出来ることなら誰にも介護されずに、ギリギリまで自分の身体で動けるようにして「健康」でいられるようにしておきたいね。
フト思ったのは、亡き母親と同じ寿命だったら、私はあと15年で終わる事になる。
15年という年月が長いと思うのか?短いと思うのか?
日々の生き方で感じ方も違ってくるのだろう。
年齢的にも、この世で生きていく時間よりも、あの世へ逝く時間の方が早いだろうから、
(心の迷いに対して)躊躇している暇は無いのかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます