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Bassist・菊池“out-low”智弘の不定期わいわいBlog。

東日本大震災その5。

2011-03-19 | Weblog
一度、自分の頭を整理する意味で、今回の地震を日を追って記していきます。まだ辛い思いの方もおられるでしょう。俺も喜びの裏に、悲しみもありました。各々の判断で、お読み下さい。



2011.3/15(火)

前日、スタンドの店員に“10時くらいから開ける”と聞いていたので、朝7時くらいから並び始める。

車で待機中、石巻のハヤトからメールが。彼女のアパートや、避難してると思われる場所へ行ってみてくれると言う。本当にありがたい。

数分後、アパートには居なかったが隣の人が出て来て「お隣さんは大丈夫だよ」と教えてくれた!!とのメールが。


さすがに泣いた。


それでも、正直ホッとしたのは一瞬だけ。やはり実際に姿を見たとか声を聞きでもしない限り、100%安心は出来なかった。でも希望の光は一段と大きくなったのは確か。早くガソリンを入れて、何としても石巻まで行きたかった。

しかし…残念ながら、機械の故障でガソリンは入れられず、悔しさを抑えながら自宅へ戻る。

自宅に戻ってからは、彼女の安否が“半分”確認出来た事を、メールやmixiで報告。ホントに沢山の方に心配して頂いて、支えて頂きました。

それからはずっと、石巻の情報収集と友人達の安否確認。使えるモンが携帯しかなくやきもきしながらも、出来る事をやるしかないと言い聞かせての作業。日を追うごとに幾分気は楽になるものの、余震や原発の問題もあり、緊張した日々はまだまだ続く。

この日は携帯を持ったまま、いつの間にか眠っていた。メール送信履歴がAM5:00くらいまで残っていたので、どうやらそのぐらいまでは起きてたのかな。

東日本大震災その4。

2011-03-19 | Weblog
一度、自分の頭を整理する意味で、今回の地震を日を追って記していきます。まだ辛い思いの方もおられるでしょう。俺も喜びの裏に、悲しみもありました。各々の判断で、お読み下さい。



2011.3/14(月)

午前中、水の配給で公園に行く途中、すぐ近所のスタンドに車が並んでいるのを見つける。
列の長さを確認しに行くと終点はだいぶ先。その内にスタンドの店員さんが、後方の車に×を出してるのを見て並ぶのを諦めた。すぐにでも石巻に行きたい。気持ちばかりが焦った。

この日は、前日に鹿児島に居る兄貴からの連絡で、初代西安(ラーメン屋)の親方の奥さん、通称“お母ちゃん”の様子を見に行って欲しいと頼まれていたので、わずかながら食料を持って行ってきた。

お母ちゃんは80歳近くで、ウチの割と近所のアパートに1人暮らし。しかも2階。俺も心配だった。

アパートに着くと、玄関は開いていて靴も見える。しかし呼んでも誰も出て来ない。急いで中に入るとベランダに小さい背中が見えた。

…お母ちゃんだ。ベランダのフェンスが壊れたらしく、新聞紙を貼って修理していた。最初全く動かないから、本気で焦った。

「お母ちゃん!!2代目の弟だよ、覚えてる?」

お母ちゃんは飛び上がって喜び、めっちゃ笑顔で手を握り締めてきた。泣きそうになったがガマンガマン。

「お茶っこ飲むが?あら、お湯ねーな、あはははは」

お母ちゃんは元気だった(笑)

兄貴に電話を入れ、無事を伝えてお母ちゃんに変わる。その間、近くの小学校に行って給水を受けてくる。

2リットルのペットボトル2本分の水をお母ちゃんに渡すと、


「オラ、生水飲まねんだど。いらねいらね」




…そういう問題じゃねぇ(笑)もちろん無理やり置いてきた。


帰り道、俺が角を曲がるまでお母ちゃんは見送ってくれて、手を振る小さい姿を見てまた泣きそうになった。お母ちゃんはずっと笑顔。強い人だ。見習わなければ。ここでもまた1つ、前向きにしてもらえた。


夜、彼女の携帯にかけるといつもの“まちうた”が流れた。俺がかけるとOzzyの“Mr.Clowly”が流れる。そう言えばもうすぐRandy Roadsの命日だなぁ…こんな時でもふとそんな事が頭をよぎるのは、バンドマンの悲しい性か。

結局そのまま留守電に繋がったが、全く繋がらなかった昨日までに比べれば、大きな前進。
この日は友人の安否も1人確認出来たし、東京の親友の実家も確認が取れた。少しずつだけど、良い方向に向かっている。希望を捨てずに、明日も頑張ろうと思えた1日だった。

夜、兄貴から“ありがとう”とメールが。そういえば今日は兄貴の誕生日だった。良い報告が出来て、ホント良かった。