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Bassist・菊池“out-low”智弘の不定期わいわいBlog。

仙台MACANA。

2011-03-29 | Weblog
マカナの入っているビル、取り壊しが決まったらしい。残念です…。


洋一さんは大変だろうけど、すぐにでも移転先が見つかる事を祈っています。仙台のシーン、マカナが無いとしっくりこないですからね。


またゆっくり書きます。







しかし今回の地震、改めて腹が立ってきたよ。

ガソリン。

2011-03-27 | Weblog
遂に本日、給油が出来た。休日にピンポイントで給油出来るなんて、8連チャンで頑張ったご褒美だな、うん。

これでやっと次の休みに石巻へ行ける♪来月にはガソリン問題も解消されれば良いなぁ。



あ、au使ってる方にちょっと聞きたい。

最近、しっかり充電されなくないですか?ってのは、ここ2~3日、俺の携帯は朝まで充電のランプが点きっぱなしなんだよね(汗

今までは1時間もしないうちに充電完了してたのに、ほぼ充電されてない感じで。ちょっと携帯使うとすぐ充電が減ってくる。

バッテリーは2ヶ月前に新品にしたから、充電器がおかしいのかな?と思ってたんだけど…Maiの携帯も仕事先の人の携帯も、同じ様な現象が起きてるみたいで(auね)。


何だろね、こりゃ。


困ったもんです。


何かわかる方がいたら教えて下さいませ。

ショック。

2011-03-25 | Weblog
あれから2週間が経ちましたね。先週は長く感じたけど、今週は早いなぁ。


とりあえず風呂入りてぇっす(笑)


で、さっき気付いた被害です。


こ、こんな地味でピンポイントな攻撃を!!(↑画像ね↑)



「わぁ~♪角度がついて、差しやすくなりましたね♪」


って、バカ!!


RolandのSさんに頂いた、高級ヘッドホンなのにー。くそったれ地震め。








そんな訳で…









新しいの、お待ちしてまーす(笑)

新譜。

2011-03-23 | Weblog
地震のせいで物流関係も大変だね。先週発売の新譜が、全然入ってこねぇ…ちきしょー!!


ってか、営業すらしてねぇしね(笑)


昨日、唯一新星堂が開いてたから喜んで入ったら、1階しか開いてねぇ…みたいな(俺がよく行くのは2階)。仕方ないけどね。


ネットで買うの好きじゃないから、ガマンします(笑)


何て言うのかなぁ…実際にアルバムを手に取った時に感じる“高揚感”みたいなの、あるじゃん?ない?

好きなバンドの新譜とか発見して、手に取って、ジャケット見ながらワクワクして、色々想像して…みたいなさ。

一種の“マジック”だよね。ネットでは味わいないもん、あれ。安いのはそりゃあ魅力的だけど(笑)

だからしばらくはガマンガマン。早く聴きたいけど、しばらくは復旧作業で忙しいしね。


そう、復旧作業!!

今日からは水道の修繕に入ってますわ。作業員さんみんな熱いよ。普段は1日で1ヶ所、多くても2ヶ所なのに…今日なんて5ヶ所(笑)

みんなホントに頑張ってます。休憩取らずに、おにぎりかじりながら作業してる人もいる。しかも笑顔でね。


何か…何年後になるかわからないけど、復興した後が楽しみになってきた。


って、気が早い?(笑)


でも確実に、みんなの絆は深くなってる。みんな1つになってるよ。


よし、明日も頑張るぜ。



あ、アホくさい報道を真に受けて真実を見ようともせず、福島県に偏見を持ってる皆様…二度と東北地方に来て頂かなくて結構ですよ。

ってか、日本から出て行けば?(笑)

東日本大震災その8。

2011-03-23 | Weblog
一度、自分の頭を整理する意味で、今回の地震を日を追って記していきます。まだ辛い思いの方もおられるでしょう。俺も喜びの裏に、悲しみもありました。各々の判断で、お読み下さい。



2011.3/18(金)

AM10:00 突然の嬉しい知らせ。友人からの電話で、キヨタカの安否が確認出来た。すぐにGoogleで生存情報を更新する。しかしまぁ、ネットで友人の生存を更新するなんてね…役に立ったけど、何だか不思議な感じだったな。


この日は、心配してた地元の2人の友人からも連絡が入った。もうすでに立派な父親の2人で、どちらも家族全員無事でした。落ち着いたらまたみんなで、バーベキューやら飲み会やらやれればいいなぁ。

…そう言えばdocomoを使ってる人らとは、なかなか連絡つかなかったね。石巻は電波が無かったみたいで。振り返ってみれば、携帯に救われたり振り回された日々だったな(笑)



悲しい出来事はここには書かない事にしました。ってか、書く必要ないかなと。

地震からの一週間をここに綴ってる間に、すっかり気持ちを切り替えれた自分がいて。敢えて悲しい事を蒸し返す事もないかなってね。


ただ、忘れはしないけど。絶対に。忘れられる訳がないし。


でも、いつまでも下向いてても仕方ないし、ホントにじっくり思い返しながらここに綴った事で、適した表現かはわからないけど“スッキリした”感じがあって。

きっと言いたい事や書きたい事はまだまだあったんだろうけど、もう自分自身が“次”に向かって動き出したから、


“まぁ~…もういっか”


みたいな感じになりました(笑)

今はもう、振り返る事よりもこの先を考える事に全力を注ぎたい。復旧作業はもちろん、地元の奴らにも出来る事をしてあげたいし…何と言っても早く音を鳴らさねば、だね。

ってか地震の翌日は“牧水”でLIVEの予定だったんだよな…shit!!めっちゃ頑張って準備したのに!!(笑)
ま、誰もこのまま終わらせるつもりは無いだろうから、いつの日か必ず牧水LIVEはやりますよ。このまま終わってたまるかい。


あ、そうそう。

埋もれたギルドは書いたけど(笑)、肝心のBASS達は…どれも奇跡的に立ってました。しかも無傷。日頃の行いの良さだね~、ふふふ。


今は1日でも早く、ステージに立って暴れたい。ってかみんなで騒ぎたいよねー。



節電の為のLIVE自粛?が目立つけど…何だかなぁと思うな。



いつからROCKはそんなお行儀の良いモンになったんでしょうねー?



やりたい様にやりましょうよ。自由にさぁ。節電は、やれる範囲でやれば良いんだし。



…あぁ、俺らしくなってきた(笑)

明日からはまた、普通のblog書きます。ここ数日のアクセス数凄かったけど、今回被害にあった人も、そうじゃない人も、こんなむき出しで我を満たす為だけに書いたモンを、読んでくれてありがとうございました。


自分の生死も周りの生死も、とにかく沢山考えた一週間でした。こんな事はもう無い…だろうな。


気付いた事、気付かされた事、いっぱいです。



とにかくこれからは、今まで以上にROCKに。



俺は俺の信じる道を。



再スタートです。

東日本大震災その7。

2011-03-21 | Weblog
一度、自分の頭を整理する意味で、今回の地震を日を追って記していきます。まだ辛い思いの方もおられるでしょう。俺も喜びの裏に、悲しみもありました。各々の判断で、お読み下さい。



2011.3/17(木)

見つからなければ当然心配でたまらないけど、見つかったら見つかったでまた新たな心配が。食べ物は大丈夫か、寒くないか、ちゃんと眠れてるか、精神的なケアは…挙げたらキリがない。しかしこればっかりは仕方ない。ジタバタしても無駄な事はわかっていても、ジタバタするしかなかった。


地震発生から6日が経ち、彼女を始め、大切な仲間や後輩、その家族の安否が確認出来ていく中で、まだ見つからない仲間が1人居た。

高校時代の3年間、上京後、そして宮城に戻ってからも数年一緒にバンドを組んでいた、ドラマーのキヨタカだ。

キヨタカは実家の牡鹿半島に居て、津波被害の可能性が一番大きかったから特に心配だった。そのキヨタカと6日経っても連絡がつかなかった。

この日はGoogleの避難情報でキヨタカの登録を発見し、喜んで友人達に連絡したが、それは俺の早とちりで“探しています”の登録だった。焦りが形になって現れ始めた。段々探すのが怖くなってきていた。


夜は事務所へ行き、彼女の安否報告と、無理を言って休みをもらった事の謝罪&感謝を。翌日から仕事再開の予定だったが、とりあえず自宅待機となった。

これでじっくり探せるのもラスト1日。仕事に入れば、復旧作業で忙しくなってしまう。また少しずつ、不安ばかりが募る。

でも信じる事だけはやめなかった。海に関してはキヨタカの方がスペシャリストだし、ある意味、簡単に命を落とす様な奴じゃないと言う変な自信があったから。このblogを読んでくれてるキヨタカと付き合いのある人は、何となく意味わかるでしょ?(笑)


それでも今回は尋常じゃない災害。頭によぎる“もしかして”と言う不安。それは隠しても隠しきれてなかったと思う。

深夜には再び彼女から電話。向こうの充電がないのはわかっていても、電話を切りたくなくてついつい長電話。すると途中で切れた。かけても繋がらない。メールも返信が無い。充電がなくなったんだな…


と思うけど、何かあったんじゃねぇかとめちゃめちゃ心配になる。しばらくはダメだね、こりゃ…。


そのまま、携帯片手にまたいつの間にか気絶してたらしく、気がつくと7日目の朝を迎えていた。

東日本大震災その6。

2011-03-20 | Weblog
一度、自分の頭を整理する意味で、今回の地震を日を追って記していきます。まだ辛い思いの方もおられるでしょう。俺も喜びの裏に、悲しみもありました。各々の判断で、お読み下さい。



2011.3/16(水)

AM9:58、メモリーにない番号からの着信。

慌てて取ると、聞き慣れたちょっと甲高い大好きな声が…彼女からだった。突然の事でちょっとビックリし、喜ぶのを忘れ、しばらく頭が混乱してた。

地震があった11日の前日、10日の夜に電話して以来だから…6日ぶりの会話。地震発生から5日目。たかが5、6日と思う人も居ると思う。けど俺にとってのこの6日間は、数字じゃ表せない程に長く感じた。こんなに苦しんだのは初めてだった。一生忘れる事はないと思う。


予想通り、携帯は職場の更衣室で手元にない為、やっと合流出来た父親の携帯からの電話だった。ライフラインは当然全滅で充電も少ない為、まともな会話は出来なかったが、声を聞けただけで、生きてた事がわかっただけでも良かった。

彼女は俺が大声で笑うのが大好きだから、電話中は明るく振る舞ったけど、電話を切ってからは涙が止まらなかった。アホみたいに泣いた。

その後、心配してくれていた各方面へメールで連絡。すみません、電話だとまた泣きそうだったんで(笑)


この日は他にも、一気に安否の連絡が入ってきた。石巻の同級生、バンド仲間、幼い頃に住んでた高砂地域のご近所さん…皆、無事。ネットの避難名簿でも小学校時代の担任や、兄貴の友人一家の名前を発見したり…未だ連絡のつかない奴も何人か居たが、そんな不安を消してくれる明るい知らせが凄く嬉しかった。

夜、彼女から再び電話。今度は自分の携帯からだった。職場に行き、取ってきたとの事。貴重品等もちゃんと残っていたらしく、安心した。

…実は前日ぐらいから、ちょくちょく気分の悪くなるニュースを見かけていた。車からガソリンを抜き取ったり、店へ侵入しての略奪、バールを持って歩いてる集団、女性を狙った犯罪まで…こんな時だからと、勿論許される事じゃない。そういう行動力を、なぜもっとまともな事に使えないのか…怒りを通り越して悲しくなってくる。


コミュニティーセンターの発電機が使えるとの事で、夜は割とゆっくりと電話が出来た。彼女は壮絶な体験をしていて、命を落としててもおかしくなかった。

まだ落ち着く環境ではないけれど、とにかく今はしっかり休んで欲しい。そして、生かされた者としてこれから何が出来るか、何をしていくべきかを、2人でゆっくり考えていこうと話した。

こうやって話が出来るだけでも俺達は幸せ者だと、心の底から思ったな。

東日本大震災その5。

2011-03-19 | Weblog
一度、自分の頭を整理する意味で、今回の地震を日を追って記していきます。まだ辛い思いの方もおられるでしょう。俺も喜びの裏に、悲しみもありました。各々の判断で、お読み下さい。



2011.3/15(火)

前日、スタンドの店員に“10時くらいから開ける”と聞いていたので、朝7時くらいから並び始める。

車で待機中、石巻のハヤトからメールが。彼女のアパートや、避難してると思われる場所へ行ってみてくれると言う。本当にありがたい。

数分後、アパートには居なかったが隣の人が出て来て「お隣さんは大丈夫だよ」と教えてくれた!!とのメールが。


さすがに泣いた。


それでも、正直ホッとしたのは一瞬だけ。やはり実際に姿を見たとか声を聞きでもしない限り、100%安心は出来なかった。でも希望の光は一段と大きくなったのは確か。早くガソリンを入れて、何としても石巻まで行きたかった。

しかし…残念ながら、機械の故障でガソリンは入れられず、悔しさを抑えながら自宅へ戻る。

自宅に戻ってからは、彼女の安否が“半分”確認出来た事を、メールやmixiで報告。ホントに沢山の方に心配して頂いて、支えて頂きました。

それからはずっと、石巻の情報収集と友人達の安否確認。使えるモンが携帯しかなくやきもきしながらも、出来る事をやるしかないと言い聞かせての作業。日を追うごとに幾分気は楽になるものの、余震や原発の問題もあり、緊張した日々はまだまだ続く。

この日は携帯を持ったまま、いつの間にか眠っていた。メール送信履歴がAM5:00くらいまで残っていたので、どうやらそのぐらいまでは起きてたのかな。

東日本大震災その4。

2011-03-19 | Weblog
一度、自分の頭を整理する意味で、今回の地震を日を追って記していきます。まだ辛い思いの方もおられるでしょう。俺も喜びの裏に、悲しみもありました。各々の判断で、お読み下さい。



2011.3/14(月)

午前中、水の配給で公園に行く途中、すぐ近所のスタンドに車が並んでいるのを見つける。
列の長さを確認しに行くと終点はだいぶ先。その内にスタンドの店員さんが、後方の車に×を出してるのを見て並ぶのを諦めた。すぐにでも石巻に行きたい。気持ちばかりが焦った。

この日は、前日に鹿児島に居る兄貴からの連絡で、初代西安(ラーメン屋)の親方の奥さん、通称“お母ちゃん”の様子を見に行って欲しいと頼まれていたので、わずかながら食料を持って行ってきた。

お母ちゃんは80歳近くで、ウチの割と近所のアパートに1人暮らし。しかも2階。俺も心配だった。

アパートに着くと、玄関は開いていて靴も見える。しかし呼んでも誰も出て来ない。急いで中に入るとベランダに小さい背中が見えた。

…お母ちゃんだ。ベランダのフェンスが壊れたらしく、新聞紙を貼って修理していた。最初全く動かないから、本気で焦った。

「お母ちゃん!!2代目の弟だよ、覚えてる?」

お母ちゃんは飛び上がって喜び、めっちゃ笑顔で手を握り締めてきた。泣きそうになったがガマンガマン。

「お茶っこ飲むが?あら、お湯ねーな、あはははは」

お母ちゃんは元気だった(笑)

兄貴に電話を入れ、無事を伝えてお母ちゃんに変わる。その間、近くの小学校に行って給水を受けてくる。

2リットルのペットボトル2本分の水をお母ちゃんに渡すと、


「オラ、生水飲まねんだど。いらねいらね」




…そういう問題じゃねぇ(笑)もちろん無理やり置いてきた。


帰り道、俺が角を曲がるまでお母ちゃんは見送ってくれて、手を振る小さい姿を見てまた泣きそうになった。お母ちゃんはずっと笑顔。強い人だ。見習わなければ。ここでもまた1つ、前向きにしてもらえた。


夜、彼女の携帯にかけるといつもの“まちうた”が流れた。俺がかけるとOzzyの“Mr.Clowly”が流れる。そう言えばもうすぐRandy Roadsの命日だなぁ…こんな時でもふとそんな事が頭をよぎるのは、バンドマンの悲しい性か。

結局そのまま留守電に繋がったが、全く繋がらなかった昨日までに比べれば、大きな前進。
この日は友人の安否も1人確認出来たし、東京の親友の実家も確認が取れた。少しずつだけど、良い方向に向かっている。希望を捨てずに、明日も頑張ろうと思えた1日だった。

夜、兄貴から“ありがとう”とメールが。そういえば今日は兄貴の誕生日だった。良い報告が出来て、ホント良かった。

東日本大震災その3。

2011-03-18 | Weblog
一度、自分の頭を整理する意味で、今回の地震を日を追って記していきます。まだ辛い思いの方もおられるでしょう。俺も喜びの裏に、悲しみもありました。各々の判断で、お読み下さい。



2011.3/13(日)

彼女や友人達の安否がわからず、一睡も出来ないまま迎えたこの日。食えるだけマシなんだと自分に言い聞かせ、カップラーメンを無理やり食べる。

日中、ご近所さんのご好意で車で携帯の充電をさせてもらい、メールの返信を始める。当然連絡がつく人も居れば、全く音沙汰のない人も…こんなに喜びと落胆が交差したのは初めてで、激しく混乱した。

この時石巻で連絡が付いたのは、バンドメンバーのハヤトのみ。ハヤトは俺の彼女を気にしてくれて、こんな状況の中で、翌日からめちゃめちゃ駆け回ってくれた。しかしこの日も翌日も彼女の消息は不明だった。

夕方には義姉が来て、再び車で携帯充電。この時点では、メールの送受信は比較的繋がりやすくなっていて、東京に居る親友と頻繁にメール。彼の実家は石巻で、俺にとっても“もう一つの実家”みたいなもん。大切な『家族』だ。その家族の安否を心配しつつも、俺の為にも彼は東京で色々と調べて情報を送ってくれた。

車内で充電しながら携帯をいじっていると、21時を過ぎた頃に電気が回復。地震から約2日、被災地の中でも全然恵まれている環境だったが、彼女や石巻の友人達を思うと全然喜べなかった。

この日からmixiを使って、やれる事をやり始めた。mixiにも安否を気にしたメッセージ等頂いていたので、皆に折り返したり日記を書いたり。
彼女のマイミクさんからのアクセスもあったので、恐らく携帯が手元に無いであろう彼女に代わり、そちらの対応も。

何となく…色々と何かをしていた方が、気が紛れる部分があったんだと思う。しかしその行動によって、皆様からあたたかい言葉や応援を頂き、どれだけ前向きになれた事か。押し潰されそうな自分を救ってくれた皆様には、感謝してもしつくせないくらい。これから先、いつになるかわからないけども、必ず1人1人にお会いして直接お礼を言いたい。そんな気持ち。