いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

フィビエタ(しびれた)話~小泉信吉の便りから~

2019-07-05 19:24:00 | 食物


海軍主計中尉小泉信吉から、家族に宛てて描かれた、
戦争中のガダルカナル船中のユーモアに満ちた話である。

……

兵隊が盛んに釣りをする。そして刺身にして食べる話はすでにお知らせしたこととてご承知のことと思いますが、嘗て小生が「南海の魚には毒魚が多い」と言ったことも覚えておられると思います。しかし我々の居るところは、殆ど毒魚らしきものは棲息せず、ただ内地の平鯵の如き二三尺もある魚、これはときどき食べた者が「シビレ」ることがあると聞いていました。それもしかし、食べれば必ず「シビレ」が来るわけではないので、兵隊は平気で食べます。ところが二三日前の夜のことです。その日は夕食にビール1本ずつ出したので、ビールの肴にと、釣り糸を垂れた者が相当ありました。その中に、本艦の釣り好きの一人たる看護兵曹もおったのです。やがて彼は手ごたえを感じ引き上げて見れば、三尺近き平鯵、早速この獲物は待っていた主計兵曹と、主計課で働いている、前身が魚河岸のアンチャンたる一等水兵の手により刺身に作られ、看護兵も一人それに加わって、四人で刺身を食い、ビールの満をひいたのでした。殊に主計兵曹は刺身が大好物で、もりもりと貪り食ったそうです。数時間後、彼らは寝につきました。そしてまた数時間後、主計兵曹は全身がシビレてきて目を覚ましました。驚いた彼は隣にやすんでいる看護兵曹を起こそうと、今は徒に涎の流れる口に力を入れ「フィビエタ」(しびれた)と言いました。そして起こされた看護兵曹と看護兵その二人も起きて見れば身体がしびれているのでしたが、
大したことはなく、ヒマシ油を飲ませて、シビレ兵曹を看護したそうです。幸いにも「フィビエタ」頃が峠であったようで、翌朝になると気分がかなり回復したようだが、全身が足のシビレたときのかんじ、頭のうち迄シビレたような気持ちだったそうです。(以下略)

昭和17年9月18日
                           信吉
父上様
母上様
加代様
妙様

……

戦争の真っただ中の軍艦(八海山丸)の中で、こんな暢気な生活をしていたとは、驚きである。














連作「生存について」~アウシュビッツの男~小池光

2019-07-05 18:35:56 | 短歌


小池光の連作に「生存について」がある。

……

①草叢に吐きつつなみだあふれたりなんといふこの生のやさしさ
②ナチズムの生理のごとくほたほたとざくろの花は石の上に落つ
③かの年のアウシュビッツにも春くれば明朗にのぼる雲雀もあるけむ
④夜の淵のわが底知れぬ彼方にてナチ党員にして良き父がゐる
⑤ガス室の仕事の合ひ間公園のスワンを見せにいったであらう
⑥隣室にガス充満のときの間を爪しゃぶりつつ越えたであらう
⑦充満を待つたゆたひにインフルエンザの我が子をすこし思ったであらう
⑧クレゾールで洗ひたる手に誕生日の花束を抱へ帰ったであらう
⑨棒切れにすぎないものを処理しつつ妻の不機嫌を怖れたであらう
⑩夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿をのこして
⑪現世のわれら食ふための灯の下に栄螺のからだ引き出してゆく
⑫沢蟹のたまごにまじり沢がにの足落ちてゐたり朝のひかりに

これは、現代日本の中年男性が、アウシュビッツ収容所のナチ党員のことを思う、という状況を設定して、この両者の共通性に思い至るようにしむけている。
①で、情けなくも酔っぱらって草叢に吐く、情けない中年日本男性の姿を描く。
②では、一転して、「ナチズムの生理」という言葉を出して、読者をびっくりさせる。どういう脈絡なのか?
③では、アウシュビッツでも日本でも春、雲雀が鳴くであろうことを詠う。隣り合わせなのである。
④は、この連作の意味的要約である。ナチ党員であることと、善き父親であることは、容易に共存する。
⑤~⑨は、すべて「あらう」で終わる。④で述べたことの具体的姿である。
⑩~⑫の終結部では、日本の中年男である主人公の生活が、丁寧に描写される。

このように、いかに異常な事態も、日常の何気ない出来事と併行して起こることを詠っている。
短歌集を読んでいると、突然人間に共通する理不尽な状況を目撃させられる。
そうして、自らの立つ地盤の脆さに、思い至るのである。

そう、魚やカニを食べ、子どもを公園に連れていくことと、ユダヤ人をガス室で殺すことは、なにげなく両立するのである。

……

この連作によって、小池光の才能が、弾けるように展開されている。