
「会う」ことを
歌った歌は、古今に多い。
今回は、現代の「会う」歌を挙げてみる。
「会ふ」といふさびしき言葉に吾はゐぬ小楢の透ける空を見にしが
河野愛子
河野愛子は、20代の頃、結核をわずらった。
すでに既婚であったので、おりおり、
夫が見舞に来た。
「会ふといふ寂しき言葉」。
「会う」というより、
客観的で醒めた視点が感じられる。
病室から、健康にそそりたつ楢の樹に
軽い嫉妬を覚えたのであろう。
百年の椿となりぬ植ゑし者このくれなゐに逢はで過ぎにき
稲葉京子
歌の中の「椿」を植えたのは、
父なのかもしれない。
「死」という言葉を使わずに、
死のことを歌ってしまった。
ある植物は、植えたひとよりも
ずっと寿命が長いのである。
そこに「会う」ことの
切なさをも感じ取ることができるであろう。