マラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦したお笑いタレントの
間寛平(61)が21日、大阪市中央区の大阪城野外音楽堂(野音)にゴールした。
2008年12月17日に、なんばグランド花月(NGK)をスタートして766日。
その後、さらに走ったNGKまでの距離を含め、計18カ国、4万1040キロを
走破した。NGKでは盟友の明石家さんま(55)らが出迎えた。
大阪から東に向かってスタートした寛平が、2年以上をかけて宣言通り西から
帰ってきた。約60センチの歩幅で刻んだ距離は4万1000キロ以上。
会場では、観客がメッセージを書いた全長1キロのゴールテープが何重にも蛇行して
張られ、観客席の間を走り抜けながら次々と切っていった。
壇上に用意された最後のテープを切ったのは午後7時42分。
ガッツポーズで「ウォー!」と絶叫し、「ありがとう!ただいま帰ってきました。
俺は本当に幸せもんや」とあいさつ。腕を突き上げながら、約3000人のファンと
ともに持ちネタの「アメマー」を繰り返して喜びを体現した。
さんまの呼びかけに応じ、休む間もなく再び走りだし、お笑いの聖地でスタート
地点にもなったNGKへ。約5キロの道中、ミュージシャンで長男の慎太郎(29)が
作詞作曲した応援歌「いつかのボール」を歌うと、感極まる場面もあった。
NGKでは芸人仲間から祝福を受け、また涙。サングラスを外すと、
真っ赤な目で「涙で誰がいるか分からへん」とおどけて笑いを誘った。
妻光代さん(53)ら家族から花束を受け取り、慎太郎と抱き合った。
会見ではゴールを一番報告したい人を聞かれ、応援歌「RUN寛平RUN」を
作ってくれた歌手の忌野清志郎さん(09年5月死去)の名前を挙げ
「“無事帰ってきました”とすぐに報告したい」と話した。
寛平ちゃん帰ってきましたね


思えば2009年の最初の記事は
でした
http://blog.goo.ne.jp/pacy-mizu/d/20090104
それからは
のお気に入りに登録して、頻繁に今どこら辺だ?とチェック。
昨日の
のゴール生中継もなんかと間に合い・・・
ホント凄いことだと思う
でも奥さんが偉いよね・・・・、ホント
昨日のテレビでさんまに抱擁を託されてさんまと抱き合ってたボケには
さすがと思いましたが
間寛平(61)が21日、大阪市中央区の大阪城野外音楽堂(野音)にゴールした。
2008年12月17日に、なんばグランド花月(NGK)をスタートして766日。
その後、さらに走ったNGKまでの距離を含め、計18カ国、4万1040キロを
走破した。NGKでは盟友の明石家さんま(55)らが出迎えた。
大阪から東に向かってスタートした寛平が、2年以上をかけて宣言通り西から
帰ってきた。約60センチの歩幅で刻んだ距離は4万1000キロ以上。
会場では、観客がメッセージを書いた全長1キロのゴールテープが何重にも蛇行して
張られ、観客席の間を走り抜けながら次々と切っていった。
壇上に用意された最後のテープを切ったのは午後7時42分。
ガッツポーズで「ウォー!」と絶叫し、「ありがとう!ただいま帰ってきました。
俺は本当に幸せもんや」とあいさつ。腕を突き上げながら、約3000人のファンと
ともに持ちネタの「アメマー」を繰り返して喜びを体現した。
さんまの呼びかけに応じ、休む間もなく再び走りだし、お笑いの聖地でスタート
地点にもなったNGKへ。約5キロの道中、ミュージシャンで長男の慎太郎(29)が
作詞作曲した応援歌「いつかのボール」を歌うと、感極まる場面もあった。
NGKでは芸人仲間から祝福を受け、また涙。サングラスを外すと、
真っ赤な目で「涙で誰がいるか分からへん」とおどけて笑いを誘った。
妻光代さん(53)ら家族から花束を受け取り、慎太郎と抱き合った。
会見ではゴールを一番報告したい人を聞かれ、応援歌「RUN寛平RUN」を
作ってくれた歌手の忌野清志郎さん(09年5月死去)の名前を挙げ
「“無事帰ってきました”とすぐに報告したい」と話した。
寛平ちゃん帰ってきましたね



思えば2009年の最初の記事は


http://blog.goo.ne.jp/pacy-mizu/d/20090104
それからは

昨日の

ホント凄いことだと思う

でも奥さんが偉いよね・・・・、ホント

昨日のテレビでさんまに抱擁を託されてさんまと抱き合ってたボケには
さすがと思いましたが
