私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

昨日、歯医者で鹿児島へ

2021年12月14日 | 日々つつがなし
日帰りで治療を受けてきた。

今度の先生は女医さんでとても親切。

でも、せっかく入れた右の奥歯の三連ブリッジを切って取れと言われた。

なんでも治り切っていないのに被せたので、抜歯した歯が取り切れておらず、それで痛むのだと。

ブリッジの隙間から器具を入れて取り出すのだけれど、相当大変で、まだ残っていると言われた。

左の痛む歯は、やはりヒビが入ったいるので、抜けと言われたが、嫌だと言うと、薬を入れてくれた。

体に負担のない薬だと言われた。
先月急遽治療をした後から痛みは取れたが違和感が否めず、それは脱脂綿を入れていたからだそうで、

その違和感も無くなったが、
はてさて、これからどうするかと悩んでしまった。

帰りの飛行機で、ここ何年かの痛みや色んな病気の事を考えて、もう死にたいと考えた。

母も父も亡くなり、もう生きていても仕方がないなぁと。

このまま、肉体が朽ち果てていくのなら、もういっそのこと、この世から消えてなくなりたいと思った。

父の優しかった生前の声が聞こえてきた。

父が死んでから、初めて寂しくて涙が出て出た。

お父さん、大好きだったよ…と。

改めて自分はひとりぼっちになってしまったと思った。

私を支えてくれる人はもうどこにもいないのだ。


空中にて、眼下に雲が広がって、空には成層圏との間にオレンジの夕日が広がっていた。その美しさに見惚れながら、やはりもう自分は生きていても仕方がないと思っていた。

飛行機が降下して、雲を抜けると、そこは真っ暗闇だった。
飛行場へ降り立つ時にふと見ると、飛行機の翼に、赤いハートが見えた。

私の乗った飛行機のシンボルマークはハートだったのだ。

それに気づいて、私は思わず微笑んだ。

そうか、そうだったんだ、ハートだったんだね。

見えない何かが、私のことを愛しているよ、よくやっているね…と言っているような気がした。


今朝もあまり気分は晴れないけれど、
生活の事もあり、また生きていてもしょうがない…と思ったりもするけれど、
とりあえずこれから歩いて仕事場のジョイフルまで行こうと思う。

そうしたら、少し落ち着くかも…。




☆それでは今日も良い一日を。





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そうだよなぁ〜…

2021年12月13日 | 日々つつがなし
いつかは死ぬのに、今日無事に生きていられるだけでも、めっけもの…と思わなきゃ。


ありがとう。
今日一日の私。

自分に感謝です。



☆それでは今日も良い一日を。


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こんなに歩くのが好きなのに

2021年12月10日 | 日々つつがなし
痩せないんだよなぁ〜…。

どうなっているんだ?



☆それでは今日も良い一日を。


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これからどうなってしまうのだろう。

2021年12月10日 | 日々つつがなし
もう、ため息しか出てこない。

体が悪いとは…。

毎月一回、鹿児島へ行けと言われた。

検査を受けるために…。

今、食い止めないとダメだと。

私だってこのままでいいとは思わないけれど…果たしてどうなるのか…。


気落ちした。

お金が無尽蔵にあるわけではないし…、
すでに母から貰った遺産にも手をつけている状態だ。

本当にこれからどうなってしまうのだろう。

健康問題だけは私の悩みだなぁ…。



☆それでは今日も良い一日を。



とりあえず、生活のリズムをつける事と、仕事を探そう…。


特保候補者と赤字でデカデカと書かれてあった。

恥ずかしい…。



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汝の隣人を愛せ

2021年12月10日 | 日々つつがなし
とは、一つの指標である。

そこをクリア出来たものには、さらに新たな指標が与えられる。

それが、

汝の隣人を愛せなかった時は、
手放せ


と言う事だと思う。


その相手に執着しない。

その相手を振り向かせようとか、
逆におもねったりとか、
好きになってもらおうとか、
逆に嫌いになろうとか、
機嫌を取ろうとか、逆に機嫌をとってもらおうとか、

そんな依存と執着を手放し、
相手も自分をも解放してあげる事。

つまりは、関わり合いになることを諦めること。

それが、人間関係の最終目的地なのだ。


汝の隣人を愛せよは、
誰にでも出来ること。

ようは自分の気持ちに蓋をして相手を愛すればいいだけのことだから。


けれど、愛せなかった時、どうするかは、その個人の裁量に任せられている。

隣人を愛せなかった時、どうするか?

それは、いろんな努力をしてもダメだったと分かった時、

相手の事を手放す事。

相手が自分の事を嫌う権利を認める事。

そうして、自分にも嫌いな人や苦手な人がいる事を認める事。

そんな弱さを持つ自分を愛する事、

に他ならないだろう。

この世にはどうしたって合わない人がいる。

そんな人は、私たちに大いなる気づきを与えてくれるだろう。

自分が何が苦手なのか、嫌いなのかが分かるからだ。

結局のところ、相手を見て、自分のことが分かるのだ。


相手に好きになってもらわなくてもいい。

自分の事を嫌っている人がいてもいい。

だからといって自分の価値が変わる事はないのだから。


あなたはあなた。

自分の世界では、全ての人に愛されているのだから。



☆それでは今日も良い一日を。



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