悲しんでくれる人は誰だろう?
息子は少なくとも悲しんでくれるだろう。
元夫ももしかすると悲しんでくれるかもしれない。
妹もおそらくは悲しんでくれるだろう。
私のあの方は多分、私が死んだ事も知らないだろう。
私たちはそれだけの仲。
何も起こらなかった関係。
それでも、少なくとも三人は悲しんでくれるだろう。
私の生きた痕跡はこれくらい。
だけど、それでいいのかも。
私は私。
潔く、この世からおさらばすればいいだけの事だ。
なんか、この所、悲しみに暮れているけれど、さっきも畑仕事しながら涙が出て止まらなかった。
私の生きている意義はなんだろうと…。
仕事を探そうと焦るも動き出せない。
なんだかこの真冬だというのに、強い日差しの照りつけるの南の島で、私は一人焦っている。
このままで良いのだろうか?
こんな事で許されるのだろうか?と。
私は日がな一日、起きてもこず、やる事もなく、どこからも収入が入るあてもなく、このまま、ダラダラと生きていても良いのだろうかと。
私は一人。
孤独のうちに生きている。
否、生きているようで死んでいる。
私はなんだろう?
私が生きる意味とは、なんなんだろう?
私は生きていても良いんだろうか?
このまま、こんなふうにダラダラと生きていてもいいのだろうか?
悩む、悩む、悩む…。
どうしていいのか分からない。
ただ、このブログを書いているうちに
なんだか馬鹿馬鹿しくなって、笑いが込み上げてきたのだけは確かだ。
なんか深刻になっているうちに吹き出しそうになったのだ。
もしもこの世に誰も私の事を愛してくれる人が居なくてもいい。
仮に私の事を気にかけてくれる人がいなくても。
それでも私は生きている。
どっこいそれでも生きている。
私は私。
誰からも愛されなくても生きている。
だって、私が愛しているから。
この素晴らしい命を大切に守っているから。
私は私。
とても愛おしい人物。
私は私。
私は私の事が、大好きだ。
何の生産性がなくとも愛している。
何がなくとも愛している。
私は私、とても素晴らしい魂だ。
私は私。
それだけで生きている価値があるのだ。
☆それでは今日も良い一日を。