吉田茂の話見ながら、白洲次郎のイカス感じにシビレルのでした。いいわ。整合性なんてどーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーでもいいんだよ。時代の空気に飲まれないのは強靭さのせいじゃなく、弱さを自覚した上でのカツカツのぶざまさを自分に許した決意によるものだ。来週も楽しみだわい。白洲さんの「イエッサー」がかっこいい。
いいですね。白洲さん登場みたさに観てますが、やはりいい。
どういう混沌をどう生きるか、いつ発揮される胆力があるかないかで、行方がごっそり変わる。繰り返される「この日本の責任者はどこにいる?」。責任者なんて仕組みで動いてやしない組織の方が多かないか?アジアでは特に。だから責任の所在が叫ばれるまでは本当に責任者は存在できてやしない。欧米で「神」とか「英雄」がことあるごとに引き合いに出されるのは、それが要る、必要があるってことの不幸せさをあぶりだしてやいないだろうか、そんなことを思いました。
どういう混沌をどう生きるか、いつ発揮される胆力があるかないかで、行方がごっそり変わる。繰り返される「この日本の責任者はどこにいる?」。責任者なんて仕組みで動いてやしない組織の方が多かないか?アジアでは特に。だから責任の所在が叫ばれるまでは本当に責任者は存在できてやしない。欧米で「神」とか「英雄」がことあるごとに引き合いに出されるのは、それが要る、必要があるってことの不幸せさをあぶりだしてやいないだろうか、そんなことを思いました。