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映画”ルックバック”を耳から入れる・・この「どうしようもなさ」の嬉しさよ

2024-08-12 13:11:43 | まんがとアニメ
やはり泣いてた。
かの作品は、ストーリーに泣く側面もあるのだけれど、あの作品を「見てる間」に多くの人は「自身のタイムライン」の心当たりに行きついてる。
 
思い出しながら、重なることも、重ならないことも、ただ、この作品が触媒となって、誘発させてくるエモーショナルなものを「ここで今、思い出してみていい」と鍵を開けるようなスイッチになるんです。
 
日常使いに、自分で「封印してる」ものへと心が探ってて、思いもよらぬ記憶にたどり着いてしまう。
 
それはこのサントラを聞き流してて如実に今朝、思いました。
このサントラがね、なんで今、お気に入りになってるかというとね、何遍聞いても、旋律が思い出せないんですよ。
 
音源のチョイスもそうなんですけれど、メロディラインの構築よりも、雰囲気や輪郭、間合いのようなものに「音を与えて」自在に跳ねさせている曲調なので、そうですね、例えば「エヴァンゲリオン 」の「ヤシマ作戦」BGMや「発進シークエンス」のような耳の残り方が一切ない。
 
それは是非の話ではなく、残ってしまえる音楽では、「ルックバック 」の藤野と京本の、あの座りの悪いまんまを、ただ進んでいくニュアンスが生まれてこないってだけのこと。

ひたすら、机に向かって、漫画に魅入られた人は、漫画を書くっていうのを、どこででもでき、他のことができるときにでも描く方を専念に費やしてしまう。「そうしたい」だけで。
 
その最初の衝動は、思いがけず「誰かに認められた」そのたった一人に、心が奪われてもいるんだよね。
 
その時に、閉じてたはずの何かが、どこかへ流れ出す勝鬨(かちどき)みたいな音をさせててさ、全然見当たらないその音色に誘われるみたいに、取り憑かれてるみたいに、そっちに邁進してしまう。
 
この作品を見たらわかるんだけれど、「うまくいってて」も、「うまくいってなくて」も、描くんです。やってることに、温度差がない。
ひたすら、「向かっておく」とした、最初の「姿勢」が「ルックバック 」のアイコンのように幾度も描かれ、このサントラジャケットにもある「背中を向けて、机に向かって、そうでいる」の景色。
 
これに「音楽」が添えだすのだとしたら、音楽側のアピールでは不足になるんです。
寄り添って、共に居合わせる音楽は、「耳に残る何か」ではなく、戸惑ってて、先がわかってなくて、常に一人で、一緒にいたって一人で・・・そう、人生と一緒なんですよ。
 
心許なさには、主旋律が似合わないんです。
触れると壊れるほどの華奢(きゃしゃ)だし、凛とするなにかで進んでるんでもない。
だから一音節ごとにもふわふわフラフラしてて、そのくせ「いくつもの音源」があちこちに散らばってるまんま、その位置でキラッと瞬いている。
 
だから大きな光源一つに照らされる「眩しさ」ではなく、あちこちの小さな破片みたいな小さな音たちが、逐一瞬いてて、全体的には明るく見えてるけど、実は全ファクター一斉の「瞬き」の光に包まれてる。
 
「8の季節」、「Rainy Dance」、「輝いた季節」・・・
どの曲も短い。
ブリッジみたいにさっくりもしてる。
 
流れ出してきて初めて「ああ、そうそう、このフレーズだった」になるのに、口づさんだり、鼻歌になったりできない。
なのに高揚だけは、高揚だけは間違いなく巡ってきてて、あっという間にこっちの正気を失ってしまう。
飲み込まれてしまう。
旋律はもう、思い出せない!何度も思い出せない!
 
このさ、「どうしようもなさ」がさ、心に落ち着かせないものを渡してくる。
 
この締りのないような、輪郭みたいなニュアンスでしかおおらかに受けおおせないと、このエモーションのなにかを受け取り損ねてしまうみたいに焦りながら・・・
 
そのいちいちが「衝動」なんです。
名前のついてなかった、「焦(じれ)ったいなにか」だったものに、肉付きを得て、ようやくほっとしながら、その正体に心を馳せる。
 
それができるものだから、めまいみたいな嬉しさに、身を委ねに行ってしまう。
 
気づくと、ストーリー以外の理由で泣いてたりもしてるんです。
我が身を振り返り、「馬鹿みたい」って思いながら、そこにたどり着けてる嬉しさに、しばらくいい気分になってる。
 
ショックなのは、この映画で「心のうちに触りに行き方」に一番近い感覚が「ザ・ファースト・スラムダンク」だったんです。見ていながら、よそごとで頭がいっぱいになってる。なのにちゃんと、見てる。心当たりが一斉にざわつきだす・・・
 
原作は漫画で、アニメになって時間芸術に転じもした。
このアニメ映画に嬉しくなりました。
原作の素晴らしさを間違えないで、肉厚にしてくれて、光がいっぱいになってる景色が描けるんだもの。
 
本当、映画です、これは。


化け猫あんずちゃん

2024-07-31 10:39:00 | まんがとアニメ

やっバイ!!めちゃめちゃいい!!!

気のいい連中が弱いまんま弱いままを過ごした傑作!

「まんにゃ」って語尾につけたくなる!

ある意味「ルックバック」に対等かも知れんー


チェンソーマン藤本タツキ先生が映画『化け猫あんずちゃん』を大絶賛! 今のところ今年一番面白い映画だった|ガジェット通信 GetNews

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この夏は「ルックバック」と「化け猫あんずちゃん」2択で締めていい!!

大傑作♪



愛知では名駅ミッドランドスクエアと赤池でやってるよー



衝動買いのルックバック関連雑誌と単行本

2024-07-24 18:59:00 | まんがとアニメ


この1カット見たさに本屋で雑誌とコミック買いました。

ほんの1モーションが脳に焦げ付いて、この夏が乗り切れるほどの高揚をねじ込まれてます。


そのエモーションには鮮度があって、いつか途切れて、いつか霧散する日があるのを知りつつ、記憶の中で「最初にそれを見てしまった」がために、延々脳内でリフレインが叶い、幾度でも奮い立ち直れる自分がいます。


そこに立ち戻るごとに、とろ火になりかけたガッツが火炎になって、くじけるなんてどんなだっけ?みたいな万能感でパンッパンッになれるんです。


延々、誰にもそばにいてもらえない時間をひとりすごした記憶のある人は、そこにふいにさしのべられた「あなたを認めます」というシンパシーに、くるおしいほどぶざまで、かっこわるくって、弾けきった歓喜で満ち満ちます。


一人で過ごせてた時間が、誰かとすごせてた時間のをくぐったあとでは、彩りとパンチ力がてんで見え方を変えるんです。


そののちに、仮に一人に戻ったって、もうその人には宿ってしまって、刻まれてしまった嬉しさが、隠しようもない無尽蔵さで、自らのうちに泉が滔々と湧くのでした。


だから、どんなものだっていいので、そうした「自分ではどうしようもないほどの動転」に出会うまで、人は延々、悶々、粛々、忸怩、諾諾、混沌の森を突き進んでおけばいいのです。


たった一回のターニングポイントで、その分岐からまるで生き直すみたいに、人は晴れやかにたちのぼるからね。


もう、一回知ってしまえば、こっちのもんさね。



YouTubeで聞きよし♪





小原乃梨子さん訃報

2024-07-23 16:06:00 | まんがとアニメ

【のび太・ドロンジョの声】声優・小原乃梨子さん死去 88歳
長らく日本のアニメを大いに楽しませてくださいました。

のび太にペーター、ドロンジョも…レジェンド声優・小原乃梨子さん死去 経歴を振り返る|日テレNEWS NNN

のび太にペーター、ドロンジョも…レジェンド声優・小原乃梨子さん死去 経歴を振り返る|日テレNEWS NNN

声優の小原乃梨子さんが亡くなったことを23日、所属事務所が発表しました。88歳でした。これまでの小原さんの経歴を振り返ります。事務所の公式サイトによると、小原さんは...

日テレNEWS NNN

 

本当にありがとうございました。




一本の線

2024-07-14 16:42:00 | まんがとアニメ

京アニ事件の「志を繫ぐ碑」全文 「1本の線を描くのにも長年培った技術と深い想い」 発生から5年
酷い事件でした。
全く罪のない、腕のあるアニメーターが、酷い目に遭いました。

あらゆる絵が一本の線から始まる大事さに想い馳せます。