Pandakingなgooブログ

パンダミックな
インフルエンサー

スクロール・スクロール・スクロール

2023-01-30 19:23:24 | 日記
暇さえあればログインして、スクロールして、スクロールして、スクロールしている自分に。そうなると、それはもう習慣です。そして思ったのです。習慣は「中毒」だと。本当は必要のないものの中毒になど、なりたくありません。そんなものなくても幸せでいられます。なので、やめました。

理由はもう一つあります。あなたの投稿に私が「いいね」をする。それは私からあなたへのメッセージなのは、わかっています。でも実際には「あなた」ではなく、100の広告主に宛てたメッセージなのです。頭のなかでピンときました。これは「誠実なものではない」と

ウォズのこの物言いは果たして過剰なものだと言えるでしょうか?
また、ウォズのこの「見え方」をなぜ私たちはしないのでしょうか?

一年で作れる友達は、一人かそれ以下でしょう。友情がずっと続く、真の友達はね。知り合い全員と友達になることはできません。名前すらあまりよく覚えられません。ですから、SNSは私には向いていないのです。

本当だ。なぜこんな事をうすぼんやり気づかないでいたんだろう。

「世界はどこまでも自分自身の延長」

2023-01-29 20:00:40 | 日記
問題は解決するな KAN:著
第3章「メイドイン地球」の自分で生きる より引用。

循環において大切なのは、相手を知ろうとすることではありません。
「相手と出会ったときの自分の変化」を知ることです。
相手との出会いで変わるものがあるとすれば、それは自分自身だけだからです。
(中略)
世界は、あくまでも「自分自身の認識」であり、「自分自身の延長」です。
(中略)
だから「なんとかしよう」とするのではなく、自分の認識を受け入れればいい。
(中略)
相手や世界を受け入れて、「あきらめる」。そういう言い方もできるでしょう。

最後の一文を素直にそうだなと思えるかどうかがひとつの瀬戸際かもしれません。「あきらめる」という語感ごときで抵抗を覚えるとしたら、その向こうに鎮座する宝珠を見失う事が釣り合わないのです。

あきらめる、という言葉を経由して「状態」の話をしたいだけであって、方便であると本文も意図的に「そういう言い方も」と註釈されてるのを見過ごしてはもったいないのです。

要は「あきらめろ」ではなく、「あきらめてみたら乗り越えられてた先」を見やれるのと同じ事にたどり着きなさい、が真意です。

相手、がいるのではなく一筋の光も脳には届かないのと同じで、自分の身体感覚器官が感知し、神経なり脳内に渡された時点で、自らの「解釈」として手心が加えられる行程が練り込まれてます。ここなんです。

解釈に色味がつき、偏向してるんです。
ゆえに、引用元は「そこで本当に起こってる変化自体」だけにフォーカスしなさいよと仰ってる。

「自分は自分だ」などという幼稚な見地に済ませず、ぞの「自分」すら感情や知識にスピンさせられて偏向を混ぜ込ませてる事実に目を向けなさい、と。

「観たいように観とく」をするのが人間であり、そこに正確な観察をする目と見識の方に足を置きなさい、が本意の方といえます。

実際ね、本当にそれをするとね、感慨なんか湧かないんですよ。状態、を観てるだけになって、「解釈」は入り込む余地がない、プレーンなありようでしかないんです。

砂、をみてなにか思ったりしませんよね?それと一緒です。
それはそれ、という見え方以上に成らんのが本来なんです。
そーゆーことをいっておるのです、ここは。

 
 

デヴィ夫人の言葉

2023-01-27 07:22:57 | 日記
ウクライナ警察とミリタリー・ポリスの方たちが、ちゃんと警護してくださっています。

私は戦争も経ていますし、クーデターも経験していますし、革命も経験していますし、暴動の経験もしています。

怖いものはないです。

ウクライナに自身でおもむき、これを言う事の価値。
怖いか怖くないか、などという次元を勘ぐる必要はない。ただ、ウクライナの人人と「ロシアに攻撃され続けてる刹那」に同じ地面の上に立ってる事実の雄弁さ。

デヴィ夫人ですが、インドネシアのスカルノ元大統領の夫人でもあります。
1965年に軍事クーデターが起こり、スカルノ大統領が失脚したため、身を守るために日本へ帰国した経験もありました。
終戦から77年が経過し、戦争を体験していない世代が大半になった日本。そんな中、デヴィ夫人はさまざまな場で命の危機にひんしてきたのです。



「今のロシアの問題もそうです。せっかく積み立ててここまで来ているのに、こんなにウクライナに力入れちゃっていいのかなと」

いろんな意見があるのはいい。思っててもいい。個人でね。でも今は黙っててくれ。
 
1月25日、東京都内の会合で日本政府によるウクライナ支援に対して、こう異論を述べたのは森喜朗元首相(85)。
 
ロシアのウクライナ侵攻が始まって間もなく1年。現在も民間施設へのミサイル攻撃によって多数の死者が出るなど、収束の兆しは見えない。
 
報道によると、ウクライナ情勢について、「ロシアが負けるということは、まず考えられないそういう事態になればもっと大変なことになる。その時に日本が大事な役割をしなきゃならない」と主張したという森氏。
 
昨年11月にも日本維新の会の鈴木宗男参院議員(74)のパーティーで、「ゼレンスキー大統領は、大統領として多くのウクライナの人たちを苦しめている」などと痛烈に批判し物議を醸した。

あー、駄目だわ俺、この人。

怖がられている者よりも愛してる者の方を、容赦なく傷つけるという性質

2023-01-08 20:29:55 | 日記
私は愛されるよりも怖がられる方が君主にとって安全な選択であるといいたい。

なぜなら、人間には、怖がられている者よりも愛してる者の方を、容赦なく傷つけるという性質があるからだ。

人間というものは、恩義の絆で結ばれている愛情などは、利害が絡むとなれば平然と断ち切ってしまうものである。一方、恐怖でつながれている場合は、復讐が恐ろしく、容易には断ち切れない。

マキアヴェッリ語録 塩野七生:著 「君主論」より

あくまでも命を賭す政治的な立ち位置にある者が立志すべき項目を挙げているのであり、人間的なありようの善悪を話してるのではない。

「先ず生き残れてて」こそ、優しいだの施しだのを口に乗せられるのであって、周囲一帯を「自分を保護・擁護に能う存在」せしめる方法論をここに書いているのだから、恐怖を選択しやすくあるのは、生存戦力として頭ひとつ優しさよりも秀でてるということでしょう。