ハガキが来ました。金の免許証を、今一度金の免許証にしなさいと。これまで住んできた地方都市の方が免許更新に利便性が高いような気がするのはなぜでしょう。平日に更新に出かけられるチャンスってあるのかな。市外で最も近隣の他市警察署に出向くつもりです。即日交付でないと、平日に取りに伺うなんてできません。日曜の天白は尋常でなく混むからなあ。今回から眼鏡かなあ。ドキドキ。
録画したのを今まで拝見。ものすごいロケの映画。ちょっと普通じゃないですね、この雪山。いい映画でした。小栗くんはタフですな。長澤まさみさん、過酷なロケだったろうに。風通しのいい映画です。撮れないよ、これだけ。なかなか。ネットの人はもうちょっと褒めてあげて欲しいなあ。
今日は考えなしにもよりの温泉に出向きますと、「風呂の日」だそうでいつもよりお安く入れました。ありがとうございます
。で、体重計のったら「3キロ」落としてました。なんと!ランニング
ったら、効果あるじゃん!
と発奮しつつ、部屋の体重計
、いっつも同じ数値出し続けやがって、やっぱり壊れてるじゃん
!とうれしいやら怒ってる
やらで大忙しでした。やりました、やりましたよ。あと7キロほどしぼりたいけど、ここからが難しいんだろうなあ
。
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安倍首相がミャンマーでスーチーさんと話してるニュースを見て、「ビルマ」と言う国名は、トルコにおける「ペルシャ」みたいな位置になってしまうんだろうかとうっすら感じてました。「外国から見たアジア」っていうのは、どこまでも「アジア最後のフロンティア」のような、安価な人件費を単位に見渡す以外に、あまりちゃんと正視されてるのか不安を覚えることがあります。
ふと、じゃあそれ以外に外国、特にヨーロッパくらい離れてるところで「アジア」を予感させるものってなにがあるんだろう、と思ったらベネックス監督の「デイーヴァ」くらいかなあ、と思ったのです。ベトナム人女性が、フランス社会で、どこかアンダーグラウンドな息づかいを感じる位置づけでした。ましてや作品上ワタクシの大好きなボーランジェ父と同居してるわ、敵役にドミニク・ピノンが出てるわ、主役の乗ってるバイクはかっこいいわ、住居のロフトってのもはじめて目の当たりにしたし、狸顔のボーランジェの禅に通じてるように見える世界観の「外部からの見え方」など、いろんな意味でショックを覚えたものです。
ただ、中国とも韓国とも日本とも違う「ベトナム」人を配置してるこのフランス映画の着眼点の適切さ、フランスならではの(アメリカとも違う)意固地さが、どこか「見てる人はちゃんと見てる」感じがして気持ちよかったのです。人種別に登場させなくちゃならないアメリカの規範めいた理由でなく、映画「ディーヴァ」におけるベトナム人女性くらいの認知度で、目線で「ミャンマー」「ビルマ」が眺められるようにしたいなあ、って感じたのでした。
そう思うと、かの作品の直感力のようなものはすごいなあって思い返しました。
ふと、じゃあそれ以外に外国、特にヨーロッパくらい離れてるところで「アジア」を予感させるものってなにがあるんだろう、と思ったらベネックス監督の「デイーヴァ」くらいかなあ、と思ったのです。ベトナム人女性が、フランス社会で、どこかアンダーグラウンドな息づかいを感じる位置づけでした。ましてや作品上ワタクシの大好きなボーランジェ父と同居してるわ、敵役にドミニク・ピノンが出てるわ、主役の乗ってるバイクはかっこいいわ、住居のロフトってのもはじめて目の当たりにしたし、狸顔のボーランジェの禅に通じてるように見える世界観の「外部からの見え方」など、いろんな意味でショックを覚えたものです。
ただ、中国とも韓国とも日本とも違う「ベトナム」人を配置してるこのフランス映画の着眼点の適切さ、フランスならではの(アメリカとも違う)意固地さが、どこか「見てる人はちゃんと見てる」感じがして気持ちよかったのです。人種別に登場させなくちゃならないアメリカの規範めいた理由でなく、映画「ディーヴァ」におけるベトナム人女性くらいの認知度で、目線で「ミャンマー」「ビルマ」が眺められるようにしたいなあ、って感じたのでした。
そう思うと、かの作品の直感力のようなものはすごいなあって思い返しました。
このごろ思うのです。誰彼のことを、口汚く罵り、誹り、言い放つ人の口は、その人の口なのです。その口が好きでいられるでしょうか。一時の気晴らしに、悪い言葉を使うのは、後々本当につらくなるものです。怒りに任せて出たものは。戻ってきますよ、自分自身にね。言葉を侮った姿勢でいると、心根に大きな傷を負います。言葉は大切に。いや、なに言ったっていいんですけど、諸刃なんですよ。両刃。スパスパ切れますんで、およしなさい、ってことです。