先日、隣町を車で運転していたら、結構ちゃんとした教会があった。
カソリックかプロテスタントかは知らないが。キリスト教だ。
ローマ教皇が来日したが、マスコミはともかく日本人は全般的には冷淡だったような気がする。
伝統的な道徳が十分浸透している日本で宗教は必要ではないと思う。勿論崇拝することは自由だ。アニメファンに、止めろなどと誰も言わないのと同じだ。ご自由にどうぞ。
何故か知らないけど我が家(私の両親と姉)は、ずっと宗教には冷淡だった。檀家とか氏子とは無縁だ。七五三もしたことがない。流石に葬式には出るけど。
私が子供のころから思っていたのは、もしキリスト教の神が全能なら、なぜイスラム教とか仏教、さらには原始宗教の存在を許したの?はじめから全世界でキリスト教を広めればいいのに、ということ。
何もシナイ半島だけでなく、同時発生的にメソポタミア、インド、中国、アンデス、アラスカ、世界中で降臨すればよかったじゃない。日本だって、天照大神より先に降臨すれば、神道や天皇家が牛耳ることはなかっただろう。
それが実現できなかったということだけで、キリスト教の神は全能ではない、ということが証明されていると思うのだけど。西洋の頭のいい科学者達がなぜそういう発想というか帰結をしなかったのかが不思議。
有名な「パスカルの賭け」は神が存在しないと考えるより、存在すると考える方が実利的にもメリットがある、というようなことを言っている(らしい)が、それが正しいなら、何もキリストの神に限定される必要はないので、人々はそれこそあらゆる宗教を並行的に信ずればいいということになる。
理屈としてもおかしい。
神はいないと思っているが、神がいると信じている人や、その文化を否定する気は私にはない。
それはその宗教に対する敬意というより、それを信ずる人や社会に対する敬意だ。
だから神社に行けばお賽銭を投げて、柏手を打つ。これはそうしないと、まわりの人が奇異に感じるだろうと思ってやっているだけだ。それで何か願い事が成就するなどとは夢にも思ってない。
町中、クリスマスソングが氾濫する時期になった。楽しい曲ならそれでいいよ。でもクリスマスイブに何か特別なことをする予定はない。一人で寄せ鍋でもつっついているだろう。
宗教があることにより社会が安定し、人々の心が平安になればそれで十分だと思う。彼らが信ずる神が存在するかどうかはあまり意味がない。ましてや「自分達の神こそ唯一の存在で、他の神は嘘だ。邪教だ。」と言い張るのは、ま「無粋」だと思う。
その意味で整理整頓術と同じだ。
断捨離であれ、コンマリメソッドであれば、そのおかげで家の中がきれいに整理整頓されれば、それでいい。ぐちゃぐちゃになっている家よりはるかに豊かな生活が送れる。
その意味で整理整頓術にはしっかりりとした価値がある。宗教も同じだ。
しかし断捨離だけが正しくて、コンマリメソッドは正しくない、なんてことでコンマリさんやその支持者を迫害すれば、むしろ「整理整頓術」は有害なものになるだろう。
てなことを考えた。というかいつも考えている。
それはそうと、父親の墓参りを最近全くしてないな。これはどうしようか。
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先ほどATMを確認したら、個人の生命保険の払戻金が入金していた。かなりの金額になる。いわば退職金のようなものだ。まだしばらくは働くつもりだが。
後は法人でかけていた生命保険の払戻金だ。これが入れば、当面の資金繰りの心配はなくなる。
余裕をもって新年を迎えられそうだ。そして新しいことにもチャレンジしてみたい。
その前に年賀状の作成、発送とか、ダイレクトメールの準備とか、やることは結構あるな。
明日からは1週間ほど上京して、友人、知人と忘年会を重ねることになる。今後のことでちょっとしたプランがあるので、彼らの意見も聞いてみたい。
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今(午後5時20分)たまたま目にしたヤフーのこの記事、すごくインパクトがある。
これだと、私の今の体重はベストではないか。
体重75キロを目指して、それなりに頑張ってきて、今は挫折している。しかしそれでいいのだ。
ということ?
もうすぐ仕事が終わるので、町内の居酒屋に行ってたらふく食べてこよう。
やったー。
あまり長生きはしたくないが。