当分はさほど必要のない外出は控えることにしているし、雨ということもあって今日もほぼ一日家で過ごしていた。なにぶんお財布が軽くなりすぎていては、出歩きたくても出歩けるわけがないではないか。これも今は状況により致し方がない。次の入金まであと2週間もあるのだよ。必要のない出費を避けるには家にこもるしかなかろう。雨が降っていなければ図書館くらいは行きたいところだが仕方がない。
お酒は飲めないから飲まないし、タバコも吸わない。お金がかかるのはパソコンやケータイだけだが、これを削っては意味がない。手書きの原稿は脇から横取りされてしまったくらいで、外部に自分の存在を訴えるには一対一のやり取りは、結局利用されるばかりで何のメリットもなかったのだ。その点、インターネットは分かる方々の目に触れれば、何とかちゃんと話は伝わる。ただし、当人の能力も問題だが。
そういうわけで本日はyoutube動画のダウンロードに手軽で便利なリアルプレーヤーで、昔懐かしいNHKのみんなの歌や、なつメロの歌をかなりたくさんダウンロードしてみた。ただ、これはパソコンならリアルプレーヤーからでないと視聴できないのが欠点だ。お金があればリアルプレーヤーのプラスに換えると更に使い勝手もよくなるのは分かっていても、現状ではどうしようもないので普通の基本版で使っている。それでもこれは確かに非常に便利だと思うし、音質も相当良い。
長時間のドラマはダウンロードしてもパソコンでしか見られないが、短いものはギャラクシータブに移して持ち歩くことも出来る。アンドロイド版のモバイル用リアルプレーヤーも入れてあるから見られなくなる心配はないのだ。これは試してみて損はないと思う。
で、今日ダウンロードした曲のひとつが懐かしい懐かしい、“ピエロのトランペット”という曲だった。
昔、子供のころの我が家は道ひとつ隔ててすぐそばに小学校があり、まだ小学生だったころのある夜、寝ているとどこからか誰かが練習していたのか、物悲しいトランペットの音が流れてきて、眼が覚めてなぜかよく分からない悲しさで胸がいたくて、布団の中でぼろぼろ涙をこぼしていたのを思い出させる曲で、忘れられない。
何があんなに悲しかったのか、今思うとどうも子供のころから、どんなに楽しいこと、面白いこともいつかは終わってしまうのが悲しいのですなあ。父の実父が実はお寺さんだったというのを父の死後に聞いてすごく納得したのは、自分の内なる感性がどこからきたのかやっとわかったから。何故か小さいころから
諸行無常の思いが胸の中にあったから。いやいや、だからこそボンビーだろうと何だろうとあわてないのだよ。お金はあったほうがいいけど、でもそれも永遠につづくものじゃない、いつかは終わってしまう喜びでしょ。それを考えていくと悲しいのよ。子供だって泣けてくるのよ。
ピエロのトランペット、今聴いてもなかなかの名曲だと思う。
それはそれとしてひとつだけ心配事があるのを思い出した。緑内障のおめめ、二、三ヶ月に一度、千駄木の日本医科大の眼科に通っているけれど、最近あの病院は生活保護受給者医療には出来るだけ手抜きをする方針になってきていて、整形外科でも整骨院などの紹介状は出しませんというし、眼科も視野の定期検査、いったいいつする気なのか、一年に一度になったのかなあ。来月行くけど心配であります。
お酒は飲めないから飲まないし、タバコも吸わない。お金がかかるのはパソコンやケータイだけだが、これを削っては意味がない。手書きの原稿は脇から横取りされてしまったくらいで、外部に自分の存在を訴えるには一対一のやり取りは、結局利用されるばかりで何のメリットもなかったのだ。その点、インターネットは分かる方々の目に触れれば、何とかちゃんと話は伝わる。ただし、当人の能力も問題だが。
そういうわけで本日はyoutube動画のダウンロードに手軽で便利なリアルプレーヤーで、昔懐かしいNHKのみんなの歌や、なつメロの歌をかなりたくさんダウンロードしてみた。ただ、これはパソコンならリアルプレーヤーからでないと視聴できないのが欠点だ。お金があればリアルプレーヤーのプラスに換えると更に使い勝手もよくなるのは分かっていても、現状ではどうしようもないので普通の基本版で使っている。それでもこれは確かに非常に便利だと思うし、音質も相当良い。
長時間のドラマはダウンロードしてもパソコンでしか見られないが、短いものはギャラクシータブに移して持ち歩くことも出来る。アンドロイド版のモバイル用リアルプレーヤーも入れてあるから見られなくなる心配はないのだ。これは試してみて損はないと思う。
で、今日ダウンロードした曲のひとつが懐かしい懐かしい、“ピエロのトランペット”という曲だった。
昔、子供のころの我が家は道ひとつ隔ててすぐそばに小学校があり、まだ小学生だったころのある夜、寝ているとどこからか誰かが練習していたのか、物悲しいトランペットの音が流れてきて、眼が覚めてなぜかよく分からない悲しさで胸がいたくて、布団の中でぼろぼろ涙をこぼしていたのを思い出させる曲で、忘れられない。
何があんなに悲しかったのか、今思うとどうも子供のころから、どんなに楽しいこと、面白いこともいつかは終わってしまうのが悲しいのですなあ。父の実父が実はお寺さんだったというのを父の死後に聞いてすごく納得したのは、自分の内なる感性がどこからきたのかやっとわかったから。何故か小さいころから
諸行無常の思いが胸の中にあったから。いやいや、だからこそボンビーだろうと何だろうとあわてないのだよ。お金はあったほうがいいけど、でもそれも永遠につづくものじゃない、いつかは終わってしまう喜びでしょ。それを考えていくと悲しいのよ。子供だって泣けてくるのよ。
ピエロのトランペット、今聴いてもなかなかの名曲だと思う。
それはそれとしてひとつだけ心配事があるのを思い出した。緑内障のおめめ、二、三ヶ月に一度、千駄木の日本医科大の眼科に通っているけれど、最近あの病院は生活保護受給者医療には出来るだけ手抜きをする方針になってきていて、整形外科でも整骨院などの紹介状は出しませんというし、眼科も視野の定期検査、いったいいつする気なのか、一年に一度になったのかなあ。来月行くけど心配であります。