こんにちは~、マリーで~す。
今日は5月の連休中だし、うちのおばはんもお出かけしたがってて、早めに一仕事するからって言い出してあたしにも手伝えっていうのよね。あの人、夕べまでは動物園に行くとかって言ってたのに今朝になったら、中山の法華経寺に行くんだっていうのよね。まったくコロコロ気分が変わるんだもん、付き合うこっちのことも考えてほしいわよ。中山もすっかり変わっちゃったけど、あの人にとっては一番懐かしい場所だし、お父さんお母さん、妹のみいちゃんの思い出もいっぱいなのよ。あの人がカトリックの信仰を持つようになったのも親や先祖から受け継いだ土台があったからこそだもんね。
それはとにかく、なぜ急に気が変わって動物園が中山法華経寺になっちゃったかっていったら、みいちゃんのことがあるのよ。あの人、夕べなんということもなしにあれこれ考えてたら、ふと気がついたのね。死んだ妹のみいちゃんは、おねえちゃんのいうことなんて全然聞かなかったようでいて実はちゃんときいてたのよ。ずっと前に、何かの時に妹がこんな世界で生きてるのは嫌だとか言い出した時、あの人、妹に、お前そんなことをいうもんじゃないよ、だいたい親より先に死んだりするのは一番親不孝だっていうよ、一番良くないんだからね、とか吹き込んでたのね。妹はそれ以来ずっとそんなことはいいださなかったのよ。そのうち、本当にお父さんも亡くなって、それから家政婦会を止めさせられて失業したあと、なんとなく怪しい時期があって、うちのおばはんが心配して、一緒に相談に行ってあげるからとにかくお正月の松が明けるまで待っててねって電話で話したのが最後だったけど、ほんとに松が明けるのをちゃんと待ってたみたいに死んじゃったんだわ。
あの子は小さい時から何でもおねえちゃんの持ってるものを自分もほしがっていたのよね。おねえちゃんのうちのおばはんが、その当時はやっていたモンチッチのぬいぐるみをいち早く買ったら、自分も欲しがって姉の留守中にこっそり持ち出して怒られてたけど、猫でも相棒でも、おねえちゃんがいいというものは自分も好きになっちゃってたの。反発しながら、それでもおねえちゃんの言うことには耳を貸してたのね。もっとそれに早く気がついていたらって、もう今更なんだけど、あの人、なぜあの時、妹を引き留められなかったのかって後悔しちゃってるみたい。後悔っていうのは大抵手遅れなんだわさ。
そんなわけで今は亡き家族や親戚の思い出につながっている中山を歩きたくなっちゃったのね。今はずいぶん変わってしまったけど、はるか鎌倉時代の先祖は主君の富木常忍の乗った馬をひきながら同じ中山の空の下を歩いてたんだもん。はるか遠い時代まで懐かしい気がする土地よ。地元の古いパン屋さんの山口パンは今もあるかしら。というわけでこれからおでかけするから話はここでおしまい。ほんじゃまたね。
(おまけ)
東山魁夷先生
下総中山というと、競馬のおけら街道を思い出す人が多いかもしれないが、東山魁夷記念館も中山だ。この有名な画家をそのむかし、何も知らずに通学時にバスの中でたびたびお見かけしていた。でもバッジでこの方はえらい人物らしいとは分かっても当時は田舎の中高生だったから、この人物がどういう方なのかなんて全く知らなかった。美術クラブに入っていても遊ぶ方に夢中で肝心の絵画に関してはサッパリの生徒だったのだ。顧問の先生方は流石にご存知だったのだろうが、お恥ずかしいことに怠け者の生徒は何も知らないまま卒業してしまったのだった。
今日は5月の連休中だし、うちのおばはんもお出かけしたがってて、早めに一仕事するからって言い出してあたしにも手伝えっていうのよね。あの人、夕べまでは動物園に行くとかって言ってたのに今朝になったら、中山の法華経寺に行くんだっていうのよね。まったくコロコロ気分が変わるんだもん、付き合うこっちのことも考えてほしいわよ。中山もすっかり変わっちゃったけど、あの人にとっては一番懐かしい場所だし、お父さんお母さん、妹のみいちゃんの思い出もいっぱいなのよ。あの人がカトリックの信仰を持つようになったのも親や先祖から受け継いだ土台があったからこそだもんね。
それはとにかく、なぜ急に気が変わって動物園が中山法華経寺になっちゃったかっていったら、みいちゃんのことがあるのよ。あの人、夕べなんということもなしにあれこれ考えてたら、ふと気がついたのね。死んだ妹のみいちゃんは、おねえちゃんのいうことなんて全然聞かなかったようでいて実はちゃんときいてたのよ。ずっと前に、何かの時に妹がこんな世界で生きてるのは嫌だとか言い出した時、あの人、妹に、お前そんなことをいうもんじゃないよ、だいたい親より先に死んだりするのは一番親不孝だっていうよ、一番良くないんだからね、とか吹き込んでたのね。妹はそれ以来ずっとそんなことはいいださなかったのよ。そのうち、本当にお父さんも亡くなって、それから家政婦会を止めさせられて失業したあと、なんとなく怪しい時期があって、うちのおばはんが心配して、一緒に相談に行ってあげるからとにかくお正月の松が明けるまで待っててねって電話で話したのが最後だったけど、ほんとに松が明けるのをちゃんと待ってたみたいに死んじゃったんだわ。
あの子は小さい時から何でもおねえちゃんの持ってるものを自分もほしがっていたのよね。おねえちゃんのうちのおばはんが、その当時はやっていたモンチッチのぬいぐるみをいち早く買ったら、自分も欲しがって姉の留守中にこっそり持ち出して怒られてたけど、猫でも相棒でも、おねえちゃんがいいというものは自分も好きになっちゃってたの。反発しながら、それでもおねえちゃんの言うことには耳を貸してたのね。もっとそれに早く気がついていたらって、もう今更なんだけど、あの人、なぜあの時、妹を引き留められなかったのかって後悔しちゃってるみたい。後悔っていうのは大抵手遅れなんだわさ。
そんなわけで今は亡き家族や親戚の思い出につながっている中山を歩きたくなっちゃったのね。今はずいぶん変わってしまったけど、はるか鎌倉時代の先祖は主君の富木常忍の乗った馬をひきながら同じ中山の空の下を歩いてたんだもん。はるか遠い時代まで懐かしい気がする土地よ。地元の古いパン屋さんの山口パンは今もあるかしら。というわけでこれからおでかけするから話はここでおしまい。ほんじゃまたね。
(おまけ)
東山魁夷先生
下総中山というと、競馬のおけら街道を思い出す人が多いかもしれないが、東山魁夷記念館も中山だ。この有名な画家をそのむかし、何も知らずに通学時にバスの中でたびたびお見かけしていた。でもバッジでこの方はえらい人物らしいとは分かっても当時は田舎の中高生だったから、この人物がどういう方なのかなんて全く知らなかった。美術クラブに入っていても遊ぶ方に夢中で肝心の絵画に関してはサッパリの生徒だったのだ。顧問の先生方は流石にご存知だったのだろうが、お恥ずかしいことに怠け者の生徒は何も知らないまま卒業してしまったのだった。