そうか、67年かかったけれど、今やっと自分になってきた気がする

2017-05-30 20:19:49 | Weblog
今日もまた『やすらぎの郷』を引き合いに出すが、私にとってはこの作品、本当に考えさせられる勉強になっている作品だから当たり前だ。作中人物たちとは全くかけ離れた違う境遇でありながらこれだけ考えさせられるということは本を書いている倉本先生のすごさなのだろう。ドラマ自体を楽しみながら、そこに触発されて自分の内面を見直し整理しなおす感じだ。それはこの作品がすべての人が必ず通っていく道を描いているからだろう。それぞれの人がそれなりに各自の人生を生きているわけだが、共通する点もある。生まれて生きて出会い、関わり合って傷ついたり、傷つけられたリ、そこから学ぶか、そのまま倒れてしまうかは人それぞれだが、最終コースに近づいてくると、この先の残りの年月をどう生きるかという問題にかかわって、これまでの自分を見直さなくてはならないときがくる。要は今がそういう時だからなのだろう。

言いたくはないが、40年前、聖書バプテスト教会から出て、元々中高生の頃から朝のラジオ番組で聞いて感銘を受けていた霜山徳爾先生に影響されて行ってみたいと思っていたカトリック教会に実際に通い始めて以来今日まで、どうしてこうなってきたのか本当のところわけがわからない。神様のいたずらとでも思うしかない。ただ言えるのはこちらは父方も母方も古くから続いてきた田舎の人間で、都会の価値観とはかなり違う考え方だったのも問題だったのだろうと思う。その代わり、鎌倉時代からの田舎の古い寺町で生まれ育った父から受け継いだものとキリスト教の接点を嫌でも考えざるをえなかったともいえそうだ。

実際に何があったかというと、四ッ谷の教会に通っていたら、なぜか私が司祭を誘惑しようとするいかがわしい女性ということになってしまったのだ。これはさすがにとてつもない大ショックだった。詳しい事情は関係者のためにここでは言わない。でも父に話したら、昔の戯れ歌で「惚れていりゃこそ悋気もするがなんでもなければなんでもない」というのを教えてくれて、なんでもなければなんでもないんだよというのだった。それでもかなり後まで意味が分からなかったバカ娘なんだが、それはおとうさんよ、あなたがいつも「おまえが男だったらなあ、」とたびたび言っていたせいだと思いますねえ。こちらは一生懸命内面の男性化に努めてしまって、自分の外見が男性を引き付ける容姿だったとは気が付かなかったのにひどい話だ。いまやただのくたびれたおばはんだからこそ言えるはなしでもあるが。

この話がついこの間、面倒になって法務省の人権相談にまで話を持っていくまで相変わらず教会の中でまかり通っていたのだからたまったものではないではないか。関係者を責めるのは趣味にあわないからしたくない。でも、長年我慢してしまって黙っていたのは言ったら可哀想だという気持ちからだったんだが、どうせあちらは何にも考えてはいないのだろうな。自己主張と思いやりの兼ね合いはむずかしい。

とはいえ、この年月は無駄だったとは思わない。修道会に入りたいと思っていろいろ探して見ても自分の心にぴったり来るものがないことがわかるために必要な時間だったような気がする。私の中にある宗教的な感覚は父から受け継いだものだ。父の実父という人は実は僧侶だったのだそうだが、確かにあの人は普通のお父さんたちとは相当違っていた。良くも悪くも世間一般の人とは違っていたのだ。子供だからあまり言いたくはないが、あの人は伯母やうちの母方の祖父母、死んだ私の母たちがあの人の足りないところを補ってくれていたときはよかったんだが、支えを失い、自分でやっていかなくてはならないときに、それだけの能力がないから若宮の家も土地も人手に渡してしまった。ライフ神父様はわたしに、あなたは年寄りっ子ではないですかとおっしゃったが、実は年寄りっ子だったのは父だ。親である父がそういう人だったから良い面も悪い面もこちらが継いでしまった感じだ。

そんなわけで自分の内面にあるものにピンとくる場所をさがしていたら、なんと井上洋治神父様の風の家の思想のなかにあった。それと何と三井住友の住友の家祖の住友正友という方のことばにあった『正直・清浄・慈悲』を重んじることの大切さもだ。これって日本人の魂の中心にある神との出会いのためのキーワードなのだと思う。本来、昔の田舎の人なら自然と身についていた感覚だが、現代人にはむずかしい。

今回はこれだけはどうしても言いたいということだけ書いてみた。何といっても67歳、11月には68歳になるわけだが、これはさすがに、いい齢をしてのいい齢で、世間一般に通用するような話ではないが、でも一度は言っておかないといつまでたっても次に進めないから書いた。次回この話の続きを書くとすれば、超能力騒ぎはなぜ起こったかとか、宗教もお金がないと何もできない現実とか、それが行き過ぎて堕落したとか、いろいろタネはあるけれど本当に書いてもよいこと以外は書きたくないから当分はこの話はおいておく。以上


※ 本内容については、もし問題があるようでしたらこちらとしても、この際もう一度教皇様に直接申し上げてみようかと思っております。



記憶の上澄み

2017-05-30 17:10:23 | Weblog
私の生まれ育った土地は千葉県の市川市、若宮という地域だ。下総中山の中山法華経寺と船橋市に入る中山競馬場の中間、若宮小学校と道一つ隔てたところに家があった。今は土地も家も人手に渡って、家は房総の上総一宮に引っ越した。子供の頃を過ごした家のあたりも今はすっかり変わってしまって、昔は畑の中にぽつぽつと数軒の家があるきりだったのがすっかり宅地化されてしまっている。

小学校の脇の道を降りていくと、元は田んぼばかりだったのが、今はそこもすっかり住宅地だ。その先に行くとカトリック市川教会の教会墓地がある。近くに幼馴染の女の子の家があったから子供の頃は毎日のように遊びに行ったり来たりして、昔の小さな墓地の頃もよく覚えている。で、カトリック市川教会の存在は知っていたのだが、家からだとかなり遠いから実際に行ったのはかなり後のおとなになってからのことだ。

聖書バプテスト教会に違和感を感じて本当は昔から行ってみたかった市川カトリック教会に初めて行った頃、当時の市川教会の聖堂内部の脇の方に、小さなケースに入った美しいマリア様のご像が置かれてあって、隣に座っていろいろ案内してくださった奥様が、これはファティマのマリアさまですと教えてくださったのだ。

こちらは十字架も聖像も縁のない聖書を唯一の規範としているプロテスタントの教派にいたからファティマもマリア様のご出現も何も知らないで初めて聞いたから興味を持って、その後、昔の聖三木図書館に通って、ファティマのマリア様について調べて、本当は何があったのかはわからないけれど、これだけ多くの人が何かを実際に見ているとすると、何か、よくわからないけれど何かが起こったに違いないと思ったのだった。でもそのときは、それきりで忘れてしまったのが、カトリックに改宗して数年たって、ある時、当時参加していた講座の神父様が旅行のおみやげにみんなにポストカードを下さり、見るとそれがファティマのマリア様のご像の写真だったのだ。それでまたあの不思議な話を思い出したわけだ。

それからまた何年かして、ある時ニュースに大きく、科学者たちの研究結果として、今、核戦争が起これば核の冬現象で人類は絶滅するかもしれないという話が出てきて、当時会社の出勤の前に四ッ谷の早朝のミサに出てから会社に行っていたのが、ある日、その日は今は亡きポーランド人のオボンク神父様のミサで、神父様がなんだか真剣に人類の危機とおっしゃり、はてなと思ったのも覚えている。

実はその当時、変てこなご縁で遠藤周作先生や霜山徳爾先生に時々雑談のような手紙を書いて出していたのだが、まさかそれがとんでもない結果になるとは想像もせず、その時もたしか遠藤先生に当時のソ連の状況が心配だと書いた覚えがあるのだ。実は実は話はまだあって、そのころから、おそらく遠藤先生経由のような気がするが今となっては確認もできない話しだが、ただのタイピストだった私の周辺に異常が起こってきて、どこでどうなったのか会社にマスコミの取材が来ているのは感じて、神経質な私はピリピリしまくっていた時期だ。なにしろマスコミは巫女だのシャーマンだのと書きまくってくれていたからだ。当人だってなぜそうなるのかなど分かるわけがないじゃないか、大迷惑もいいところだ。問題は私が非常に周りに敏感な人間でそういう状況に耐えられなかったことだ。

とにかくそのときは、これは誰かに伝えなくてはいけないと感じたから、何かソ連が気になると手紙を書いたのだ。このままでいけば、ファティマのマリア様の予言は実現してしまうと感じたからだ。するとちょうどあのチェルノブイリ事故が当時はソ連領だったチェルノブイリで起こり、おかげで状況が一変して、その時点では一番心配されていた米ソ間の対立からの核戦争勃発の危機はとりあえず消えて、その後の世界の歩みは現在に至っている。誰がどこでどう動いてこうなったかは想像がつくが今はすでに故人となった方々をたたき起こすつもりはない。多分そのすべての背景においでになるのは神様だ。

ただ、今は当時を全く知らない方々ばかりになって、私をただの予知能力者か何かと一緒にしてお金儲けに利用しようという連中はまだ生き残っているが昔のようではないのがありがたい。お生憎様だ、こちらはそういう世俗的な能力は持ち合わせてはいないのだ。持っていたら誰が生活保護に甘んじるかね。とにかく私が求めていたのは神様ご自身であって現世利益ではないのだ。

この先も人類はどこまでいってもあまり進歩しないから戦争や不和は絶えそうもないのが心配だ。ただNHKの用語を借りるなら、今は大地動乱の時代。もっと怖いのは自然災害かもしれない。