メモ

2017-05-10 11:00:17 | Weblog
まあ、やっぱり怖いものは怖いでいいんじゃないか。恐れを知ると言うのも大事だ。人間は自分達では制御しきれない原子力を制御出来るもののように扱って大自然からとてつもないしっぺ返しをうけている。それも現在進行形のしっぺ返しだ。

先日、柳田国男の遠野物語を見直して思ったが、この世界はまだ人間の考え及ばないことも多いのだ。大地震、大津波、大噴火、なんでもありだ。今の自分の足腰の状態では逃げ切れないだろうな。それがわかっていて怖くなかったらその方が不思議だ。津波てんでんこというが大震災時の逃走もてんでんこでいくしかない。それも事実だ。

同時に不思議な助けも起こるのが現実だ。人間の考え及ばない奇妙な、不思議な偶然、あり得ない出来事というのも実際にあるのだ。

ということは、最終的には人間にできるのは、下さるものを戴きますと頭を下げるしかないのだろう。この世を司っている真の主は人間ではないということを忘れてはならないのだ。小さな地霊や家の守護霊でさえ人間よりはるかに巨大な存在なのだ。信じにくいが世の中には本当にいろいろなことがある。

今、世界遺産になりかけている神の祭りの島も、世俗の世界が介入して良いような場所ではないのだけどバカだなあ。もっとも天地万物の創造主の唯一全能の神様からみればチリ、ホコリのようなものなのだけど、でも人間よりは巨大な存在なのだ。でも普通の人たちには見えない世界の話だ。

わからない人にはわからない話というのも実際に、現実にあるのだ。ただし、他者のプライバシーにかかわることだからやたらなことはいえないし、これでおしまいだ。