さだまさしの無縁坂か、なるほどねえ

2017-05-19 21:31:10 | Weblog
知人と電話で今日のはなしをしていたら、さだまさしの無縁坂の話になった。死んだ母の話やお墓のことを愚痴っていたところ、彼女が無縁坂の話をしてくれた。元の話はフェイスブックに出ているそうで、実はあまり当方とは仲の良くない英師の説教かららしい。

英か、ムカつくな、とか思いながらも読んでみるとなかなか良い話だった。そうだ、今はムカついていてよいような時ではないのだ。どれだけご当人の実体験があるかは知らないが、話自体は苦労してきた知人が、本当にその通りだといっていた気持ちもよくわかった。何しろ、こちらも死んだ母が身を削って新築した家も、父の失敗で人手に渡ってしまったし、義理の母の方も苦労し続けだったし、このままいけば多分我が家のお墓は確実に無縁墓になりそう。私や弟などはいずれ下手をすると共同墓地行だろう。

でも知人はそれでもイエス様は見捨てないから大丈夫よと力強くいうのだった。確かにそうだ、お墓があろうとなかろうと、この世で苦労した魂がそれっきりになるはずはない。大丈夫だという気がする。そういうことなのだ。もっと神様を、イエス様を信頼しなくては嘘だと思った。

そうなのだ、まだ書きかけの妹の話だって、全ては神様抜きには話は進まないのだとあらためて思った。

一家の解体

2017-05-19 18:55:22 | Weblog
夕べ、弟から電話があって、義母からの申し出で今後の面倒を減らすために、我が家の残っている家や資産を一括義母名義に移すことになった。義母(継母)が90歳になろうという年齢で、かつ私も弟も下手に相続などすれば税金の方が高くなってかえって自分の生活がますます成り立たなくなる状況だし、お墓をこの先どうするかもあるし、ここはもう名義を義母に一括してしまおうというわけだ。それで弟に言われて今日は自分の住民票や印鑑証明を取りに出かけ、来週義母と私、弟の三人集まることになった。

情けないが致し方ない。亡母が生きていたら、とか思うが他にどうしようもないから、我が家はこれで解体だ。情けない。