最近ハマっているのは辛子豆腐。といっても絹ごし豆腐を辛子としょうゆで食べるだけのシンプルなものですが。おいしんですね、これが。
確かこの組み合わせがいい!と気がついたのは、竹上豆腐店の辛子豆腐だったかなあ…だいぶ前で忘れてしまいましたが。
お豆腐は断然絹ごしのとろーっとしたものがおいしいです。今朝、木綿でやってみましたが、いまいちでした。
絹ごしのおいしいものが手に入った時はぜひやってみてくださいね
最近ハマっているのは辛子豆腐。といっても絹ごし豆腐を辛子としょうゆで食べるだけのシンプルなものですが。おいしんですね、これが。
確かこの組み合わせがいい!と気がついたのは、竹上豆腐店の辛子豆腐だったかなあ…だいぶ前で忘れてしまいましたが。
お豆腐は断然絹ごしのとろーっとしたものがおいしいです。今朝、木綿でやってみましたが、いまいちでした。
絹ごしのおいしいものが手に入った時はぜひやってみてくださいね
今日は蒸し暑かったですね。私も暑いのは苦手ですが、うさぎさんも暑さに苦手のようです。あまり暑いとしんでしまうこともあるそうです。
で、もぐちゃんのブログなどを参考に暑さ対策グッズを買ってみました。まず、トンネル。
気に入ってくれたようです。全方向から熱が放散できるから涼しそう。
それから大理石プレート。
花崗岩に見えますが。。
花崗岩と大理石の関係は?
カメラを向けたらいつものポーズに戻ってしまいましたが、実はぺたーっと伸びていたんですよ。
それで思い出したのは、ホームステイに行った時のこと。最初マレーシアに行った時、高層マンションにステイしたんですが、床は全部大理石でした。今思えば高級マンションだったんですね。
そして2回目にマレーシア&ブルネイに行った時のこと。マレーシアはカリマンタン島のサバ州で、高床式のお家。床から隙間風が吹いてきて涼しかったです。蚊もいなかったし。
ブルネイはリッチなお家でした。でもいつもホストママは、娘の家は豪華だ豪華だといい、自分の家はよくないといっていました(でも十分大きくて立派な家だったんですが)。娘さんの家は思い出してみれば、すべて大理石。はだしで歩くと涼しくて気持ちよかったです。
息子が僕もほしいと言ってましたが、犬用を調べたら、数万円。まあ、無理です(ー_ー)!!
今年は花粉症を発症しないように、掃除やら生姜紅茶やら、ヨーグルトを食べるやら窓を開けないなど色々頑張り、もしかして治った?と思っていた2月。
でも結局3月から4月にかけてはしっかり花粉症が出ていて、やっぱり治っていないことが判明しましたまあ、杉よりはヒノキの方が強く出ていたのでしょうかね?
さらに今年はウサギさんの毛やら牧草で、家の中の環境がアレルゲンアップだったかも!?
まあウサギのメラニーちゃんのせいならしょうがないです
来年は、早めにお医者さんに行こうか、それともまだ何か挑戦できることがあるかしら。。。。。
7月7日(木)と9日(土)は豊橋で講演会があります。今はその準備中で、色々やることがあります。今日は午前中に市役所に行って、保育園のチラシを保育課に、小中学校のチラシを学校教育課のポストに入れさせてもらってきました。段ボール箱10箱くらいはあったかな・・・。すごい数でした。
本当はお昼からポスター貼りに行くつもりでしたが、疲れてしまって家で休憩することにしました。それで、代わりに準備になることをしようと、榊原陽著 「ことばを歌え!こどもたち」の12章、創造のふるさとは未来に、を読みました。この本は何回目かですが、以前にしるしをつけた同じところにやはり心を動かされることもあるし、全く違うところにひかれることもあります。
おとつい、ウィライファミリーに行きました。ウィライが講師をするというので、その準備のファミリーでした。そのとき、今度豊橋に講師として来てくれることになっている、くりちゃんがまとめた、講演会をなぜやるのか?という紙を見せてもらい、講演会をやることをなんとなく口にすることはあっても、ちゃんと文字にすることはないなあと、気づきました。
それで自分なりに何だろうと考えてはいたのですが、今日、読んだところに、まさに的を得た部分がありました。ヒッポという名前を聞いたことがある人はたくさんいて、またそこが多言語活動をしているということは知っていても、それがいかに楽しく面白く素晴らしい活動であるかということを知っている人は少ないんですよね。
196ページからの抜粋です。
「人間の言語行為は、より小さい意味単位が、より大きい意味単位(脈絡)にとりこまれながら、未来に意味像をみつけ、表現してゆく系なのである。その脈絡は常に未来に向かって開かれていなければならない。その系はいずれのレベルであっても閉ざされた途端に、言語例に化して意味内容は空疎化するのである。
たとえば、ここに、ハイゼンベルグの『部分と全体』という一冊の本がある。そこにどんなすばらしいことがかかれていようが、それが開かれぬまま本棚にある限り、内容は空虚なのである。その本がひとたび人の手に取られ、開かれ、読まれたときに、読み手の理解するという創造行為を通じて、はじめてそのすばらしさが、意味像が読み手の脳裡に実現するのである。講演を聞いている聴衆の場合と同じように。十人の読者は、それぞれのれべレルで、理解するという行為を通じて、十人十様の意味像を創造するのである。」
自分たちの中でどれだけ素晴らしい活動かをしっていても、一般の人に話していかない限りはやっていないと同じ事。講演会という場で、新しい人に向かって活動を伝えていくことをしない限りは、活動をやっていないと同じ事。常に人に向かっていくことが言語行為なんですね。
そして、もうひとつ、気になっていたことがありました。やはりくりちゃんのチラシのコメントなんですが、「言葉を話すということは生きることとつながっているんだ」というところに引っかかっていたのですが、なんとなく、この中に答えがある様な気がしてきました。
また、「多言語をやることはどんなことなんだろう?」とこれもおとついの準備会で話が出たので気になっていたことですが、「いわゆる言語そのものの習得が人間の目標ではないだろう。新しい言葉に出会うことで、新しい自分を見つけ創り出すのである。」
「言語習得という一見受身の表現の真に意味するところは、一転して言葉を見つけ、新しい自分の世界を創り出すという能動的な創造行為であることも見てきた。」
多言語習得は自分の中に多言語を取り入れるところが終点ではなく、多言語を取り入れた新しい自分が新しい世界を見つけていくこと。昨日の自分より今日の自分は広く深く豊かに世界を見ることができるようになる、そんな活動なんですね。
たとえばマレーシア語に、四季を表す言葉がなく、乾期、雨期、暑い季節などと表現することを知れば、日本には四季があり、私たち日本人は四季を楽しむすべをたくさん知っていることに気づきます。
当たり前が当たり前ではないことに気づき、ことばや文字で表現できるようになること--新しい自分との出会いでしょう・・・多言語をやっていると日々面白いことに気付きます。
いま、娘と息子の両方のPTAの委員をやってます。そんなに大変ではないけれど、ないよりは大変・・・。
息子の方は広報委員で、今、前期用の新聞を作ってます。結構集まる回数が多くて、大変だとあまり評判の良くない広報委員です。
今日は市役所の会議室で、新聞づくりの講習会が行われました。私はPTAの役員さんと一緒に参加しました。もう一人、一緒に広報委員のお母さんも一緒でしたが、彼女は小学校の広報委員として参加していました。
午前・午後の4時間。初めは眠くなり、これはつらいなあと思いましたが、だんだん内容が面白くなり、眠ることなく聞くことができました。特に参考になったのは、写真の撮り方と、見出しのつけ方でした。今まであまり写真の係りになったことはないけれど、どこかに行った時写真を撮ってはああ、違う角度でとればよかったなあなんて思うことしばしば。今日の話で、全体の前左右、後ろ左右、それからアップ、そして個別のもの、表情がわかるものなど、ある程度系統立ててとっておけば後から困らないなあと、納得でした。
そして、今回一番参考になったのは、見出しのつけ方。読者は見出しを一番読み、はっきり言って見出しだけ読む人も結構いるから、見出しのつけ方はとても大事だという話でした。そしてそのあと、お母さんの作文を読んで見出しをつけましょうという例題があったので、それぞれでやってみました。私は字数が18字もある見出しを考えてしまいましたが、講師の先生が言うにはぱっとみてすぐわかるのは7~8字までということで、それ以上だと読まなくてはいけないからあまり良くないということを話していました。
写真がぼやけてますが、こんなテキストをつかっての講義、ためになりました。
そして自分に気がついたこと。私は文章は目が行きやすいけれど、マンガのようなものは読みにくさを感じます。だから見出しの文字数が多くても案外きにならないのかも・・・。
最近ちょっとご無沙汰の「不思議」ねた。最近はうわー、というような不思議体験はないですね、ときにはそんな気持ちがあじわいたいですが・・・
父がなくなったのは、今から6年半前。病気で半年くらい入院していました。年末、多分このまま小康状態を保って、年を越せるだろうというお医者様の話でした。姉も母もあまり気乗りはしなくとも、少しは新年の準備をしなくては、とそれぞれがすこしずつ準備していました。
そんな、年も押しつまった12月27日の夕方5時でした。私の前には電話器がありました。何かの用事で、電話をかけた後だったのか、少し電話の前でボーっとしていた時、電話が「ちゅるちゅる」という小さい音を立てました。その音を聞いた時、「あ!父の魂が来た!」と気付きました。
大学の時の友人、義理のお父さんがなくなった時のこと。それまでどこも悪くなかったお父さんが夜中に急に心臓が止まり、なくなってしまった時のこと。友人は夜中に電話がちゅるちゅるという音を立てているのを聞いたそうです。昔の電話、親機と子機がある物で、親機のダイアルを回すと子機の方も一緒にちゅるちゅるという音を立てることがありましたが、友人は夜中にその音を聞き、こんな時間なのにだれか電話をしているんだと思ったそうです。結局その時間にはだれも電話をかけておらず、義理のお父さんがなくなったのがその時間帯だったので、お父さんのお別れのあいさつだったようです。
私は以前その話を父にしたことがありました。ちょっとぞくっとしたものです。
私が6年半前の12月27日の夕方に聞いた音は、まさに昔親機のダイアルを回した時に子機の方で聞こえる音でした。6年半前にはそんな子機はなく、普通だったら着信音しかならないのに・・・私はその時父の魂が来ていることを確信ししました。そして父は間もなく旅立とうとしているんだ、と怖くて悲しくて動けなくなりました。
そのうち、病院か姉から父のなくなったことを知らせる電話がかかるとドキドキしましたが、一向にかからず、「あれ?勘違いだったかも・・?」と少し余裕もできてその晩は床につきました。
夜中、2時半過ぎ、電話がなりました。普通の着信音でした。姉からで、父がなくなったことを知らせてくれました。やはり・・・やはり・・・父は逝ってしまったんだ。そして夕方にはここにお別れをいいに来ていたんだと確信しました。姉や母も「なんとなく」出そうと用意した年賀状を出しそびれていたり、お墓の掃除をしていたりしていました。
父は私に必ずわかる、電話のちゅるちゅるという音で、旅立つことを知らせてくれたのでした。私はそれまで、超能力のような力はたくさん経験していましたが、初めて「魂」というものの存在をを知りました。
お葬式も済み、少し落ち着いたころ、私は夜中に夢をみました。父からで「わしだ。こっちはいいよ。元気だよ。ありがとう」それはそれはとても大きなはっきりした声で、あまりにはっきりしていたので、その声で目が覚めました。確か夜中の3時半くらい。あー、これはまた父からのメッセージだとわかりました。
そしてまた眠り、目覚めたその日は父の四十九日の法要の日でした・・・