いやしの風景

フォトマスターEXの管理人がいやしの風景をお届けします。たまに雑談や撮影記なども。

戸隠から志賀高原へ

2019年05月27日 | 日記

戸隠の水芭蕉も期待はしていませんでしたが、

ほとんど50cmほどの葉っぱになっていました。

森林植物園には高山植物のコーナーがある。イワカガミ。

続いて志賀高原。

昨年秋に来た時には蓮池にある工事中の山の家がリニューアルオープンしていました。

新しい展示で、昔対岸の発哺温泉まで架かっていたロープウェイが展示になっていました。

こんなのがあったなんて全然知らなかった。1959年にオープン2012年まで使われていた

そうです。閉鎖してから今まで隠されていたんですね。

前回の乗鞍の新緑と比べると、いよいよ春が来たぞっ、という感じがすると思いませんか。

 

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春の撮影旅行 乗鞍高原

2019年05月26日 | 日記

乗鞍高原にやってきました。今年は自動車税の納付書が大幅に遅れたため、連休明けの

出発が出来ませんでした。花は咲き遅れたものばかりで写真にはなりませんでした。

スモモ祭りは先週終了。

水芭蕉は葉が大きく育ち、

わずかに残ったエンレイソウ。その他ショウジョウバカマや桜など。

咲き始めはミツガシワ。レンゲツツジは芽さえ出ていません。

新緑は見る分には奇麗だが、ポイントが無いので写真になりません。

年寄りには貴重な一シーズンが無駄になりました。

 

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大台ケ原

2019年05月22日 | 日記

花を求めて東大台を歩いてきました。

ビジターセンター。今年の花は遅れているそうです。

ツツジはほぼ終わり、シャクナゲが咲き始めています。

大きな葉はコバイケイソウ。

ブナがようやく新緑に模様替えです。

周遊コースの、駐車場から半周あたりの牛石ケ原にある神武天皇像。大台ケ原は

通過してないでしょう。遠征をするのにわざわざ難路をとるとは思えないからです。

新宮市や三重県南部にも上陸したという話がありますが、話が多いというのは確たる

証拠がないということでしょう。天皇と言う名も、この時代にはなく、後世に作られ

たもので、王とか大王とか呼ばれていたのではないでしょうか。なお、古代天皇は異

常に高齢者が多く、中には百歳を超える記録もあるので、多くの歴史学者は架空に過

ぎないと思っているようです。古田武彦氏は中国の文献から倭人は春と秋に歳を数え

るという記述を発見しています。してみると、150歳でも実は75歳なので、当時とし

ては長生きには違いないが、あながち無いとは言えないようです。この考えでいくと

時代も2倍になっている可能性があるので、ずっと現代に近づくことになります。

大蛇嵓に近づくとシャクナゲが咲いています。今年は外れ年だと思います。

大蛇嵓。

前日の大雨で水量が多く、見事な滝です。雨の跡にしては霞がかっています。

大蛇嵓から。

 

 

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ニワゼキショウ(庭石菖)

2019年05月10日 | 写真

1cmほどの小さな花だけど、愛らしい。名前からして菖蒲の仲間か?

 

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再び兼好法師について

2019年05月01日 | 日記

徒然草は現代人もよほど興味があるらしい。ヨドバシのネット通販→書籍→徒然草で

検索すると、500以上ヒットした。しかし人物像となるとよくわからなくて、前回紹

介した小川剛生氏の「兼好法師」で少し分った事もあるが、結婚していたのかどうか

西行とは比べ物にならないほど不明点が多い。和歌四天王と呼ばれていた割には人口

に膾炙した和歌が無いのも理由の一つかもしれない。兼好の和歌の師は二条家だった

ので、宮廷歌壇では主流だったが保守的だったという。

徒然草の冒頭には筆に任せて思いつくままに書いたと言っている。だからこれを信用

する限り、本音が出ていると考えてよい。唐木順三氏は「日本人の心の歴史(上)」で

中世的生活の達人と呼んでいる。出家はしたが、当時は権力紛争に巻き込まれないた

めの方便の意味もあったかもしれない。事実、「一言芳談」という書物は浄土思想を

称揚するものだが、徒然草第98段には160余りの項目のうち覚えているのは五つだけ

と書いてある。これだけでも熱烈な信者ではないとわかる。58段でもそうだが、兼好

は極端という事を嫌っている。身を安全に保つためには賢明な在り方だ。

兼好は若いころ鎌倉幕府の北条氏に仕えていたらしく、室町幕府時代には高師直と関

係があったらしい。権力者が替わっても仕事が出来たという事は、地位は高くなかっ

たことや能力があったという事が考えられる。

カタバミ?


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