上北山村のミツマタが見ごろというので、行ってみました。
昨日は雨だったので、今朝は霧が出るかと思っていましたが、出ませんでした。
枝垂桜も満開でしたが、いかんせんここは電線が多く、作品作りには難しい
ところです。日付の下に入っています。
池原に戻ってダム公園。
散り始めているので、今週いっぱいでしょう。
花筏。こういった写真で作品にするには、デザイン的素養が必要でしょう。
上北山村のミツマタが見ごろというので、行ってみました。
昨日は雨だったので、今朝は霧が出るかと思っていましたが、出ませんでした。
枝垂桜も満開でしたが、いかんせんここは電線が多く、作品作りには難しい
ところです。日付の下に入っています。
池原に戻ってダム公園。
散り始めているので、今週いっぱいでしょう。
花筏。こういった写真で作品にするには、デザイン的素養が必要でしょう。
「木のもとは汁も膾(なます)もさくらかな」
この句について、郷里伊賀上野の門人土芳が、その著書三冊子の中で
師の曰く、花見の句のかかりを少し心得て、軽みをしたり、となり。
と書いています。
軽みは芭蕉晩年の主張ですが、私は写真とも関係があると思っていますが、
微妙な問題なのでここでは省きます。
また、この句について、西脇順三郎氏は支離滅裂でグロテスクな文体であると
酷評しているそうです。文法を重んずるなら、確かにそうでしょう。しかし、
芭蕉は花見の状況説明をするためにこの句を作ったのではありません。
鑑賞者と感動を共有するために作ったのです。芸術作品とはそういうものでしょう。
見ず知らずの制作者と鑑賞者の共感、それこそが芸術の本質なのではないでしょうか。
写真も説明ではなく、共感できるものを追求するべきでしょう。
昨年秋、大台ケ原。遊歩道から撮影
ペンタックス645NⅡ
80-160mm
べルビア100